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2013/02/14

あゝ 憂鬱――「うつ」は突然やってくるので「打つ手」なし

「うっとおしい」とはよくいったもの

 仕事が一段落した年明けからしばらくして、突然、うつに襲われた。
 暗い洋画のDVDばかり見続けたせいでもある。
 季節の変化や天候の変化も影響しているようだ。

 気持ちがふさぐ。
 昼夜逆転し、体がだるくなり、眠りが浅くなる。
 生きているのが辛くなる。


うつ回復には笑顔が一番。となれば、ダジャレだね

 うつら、うつ、うつ、夢かうつつ。
 うつといえば宇津井健。
 宇津井健といえば、〝元祖もっこりさん〟。
 もっこし、もこもこ、宇津井健。
 空飛ぶ人間〝和製スーパーマン〟の股間もっこり。
 その名も正義の「スーパージャイアンツ」。(古い映画でございます)


笑っていれば、少しは気分も晴~れ~ダビッド損

 うつが突然やってきた。 
 うつ、うつ、宇津宮(うつみ)雅代。
 女優の宇津宮雅代は、いまどこに?

 うつ、うつ、宇津宮雅代(うつのみや まさよ)は、1980年頃、テレビ朝「土曜ワイド劇場」の『京都妖怪地図』で400年とか900年も生き続けている妖怪変化を演じていた。

 ところが、いまじゃ演じた本人が老婆の年齢になり申した。
 1980年「嵯峨野に生きる900歳の新妻」、1981年「きらら坂に住む400歳の氷女」で、妖婆を演じた宇津宮雅代も、いまじゃ60代半ばを過ぎ、本人が妖婆になりつつあるなんていいっこなし。
 とはいうものの、
 うっ、うっ、言葉に詰まる。

 うつ、うつ、うつといえば注射打つ?
 いえいえ、その前に打つ手が!

 うつ、うつ、うつで、思わずうづくまる。
 うづ、うづ、うづといったら、「宇津救命丸」。
 夜泣き、カンの虫なら、江戸の昔からある「宇津救命丸」。
 こちらも、妖婆も驚く400年の歴史でございまする。

 うつ、うつ、うつを脱するには、早寝早起きが一番。

 まだありますぞ。
 うつを脱するには、ダジャレでも考えて気分転換するのがよろしいようで――。


ペネロペ・クルスの映画3本

 ペロポネソス戦争とペネロペ・クルスとペロペロキャンディー。
 似ているようで、似ていない。
 関係あるようで、関係ない。

 ペネロペ・クルスのDVDをクルスマス明けにも何本か見たが、また3本、借りて来るす

 「捕らわれた唇」では政治犯の女囚人役。(1994年スペイン映画/女刑務所のなかの話)
 「赤いアモーレ」は、わけのわからない映画で、ラストは口をゆがめた死骸を演じます。(2004年イタリア映画/イタリアアカデミー賞主演女優賞受賞)
 「美しき虜」(1998年スペイン映画で、ゴヤ賞受賞)

 このスペイン女優、いまではハリウッドでも名を知られたトップスターだが、デビュー作の「ハモンハモン」以来、演じるたびに違った演技、表情を見せて驚かせ続けてきた。

 「赤いアモーレ」では信じがたいほどのドブス女を演じたかと思うと、「美しき虜」では、ヒットラーの片腕だったゲッペルスに言い寄られる美人のスペイン女優役を軽くこなす。

 元バレリーナでファッションモデルだけあって、スタイルバツグン。
 オマケに、ほとんどの映画で、パイだしサービスあり。

 実にさまざまな役を演じるクルスだが、クルス(苦労す)の跡が見られない。
 見上げた根性、女優魂でございます。

 ピクルス食べ食べ、ダジャレをひねっているうちに、うつらうつらしてしまい、ふと目を覚ますと、「美しい虜」のDVDはすでに終わっていて、少しうつを脱してきたようでございます。

(城島明彦)

2013/02/03

吉田松陰の教育論が日本を変える――教え子を差別せず、対話重視の教育

「八重の桜」第5回の「松陰の遺言」 

 番組案内では、2月3日の「八重の桜」は「松陰の遺言」となっている。
 松陰の遺書は、処刑前に牢獄で書いた「留魂録」で、辞世の句は、江戸送りになるときに詠んだ次の歌だ。

 身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

 死に臨む松陰の心境は、生前に髙杉晋作に送った手紙の文面から推測できる。

 死は好むべきに非ず(あら)ず、
 亦(また)悪(にく)むべきにも非ず、
 道尽(つ)き心安(やすん)ずる、
 便(すなわ)ち、是(こ)れ死所(しにどころ)

 (死は求めるべきものでもなく、避けるものでもない。人として道を成し遂げたら気持ちが落ち着く。これが死というものだ)


「日本の教育再生」には、吉田松陰の教育論がベスト

 萩藩の下級藩士吉田松陰は、優れた兵法学者・思想家・教育者だった。

 松陰の思想は、江戸時代以降の日本人に指示されてきた「赤穂義士」と通じるものがある。
 「赤穂浪士」の映画やドラマで、大石内蔵助が吉良邸に討ち入る合図として山鹿流陣太鼓(やまがりゅうじんだいこ)を打ち鳴らす場面が出てくるが、吉田松陰の家系は代々や山鹿素行を祖とする「山鹿流兵学」の師範だった。

 松陰の思想には先見性があったが、幕藩体制を揺るがすその過激な思想を危険とみた大老井伊直弼は、反対勢力の大弾圧「安政の大獄」を敢行、松陰は30歳で斬首された。

しかし、彼の遺志は「松下村塾」の教え子たちが継ぎ、明治維新を断行する思想的バックボーンとなった。
日本の初代総理大臣・伊藤博文は松陰の教え子・弟子だったことだけ見ても、そのことがよくわかる。


松陰は「自分の目で見て確かめる」ことを第一とした

 松陰は、藩主毛利敬親に具申した文書で、「至誠」について言及し、「中庸」の文言を引用し、こう記した。

 「一に曰く実じつ)なり。二に曰く一(いつ)なり。三に曰く久(きゅう)なり」
(人が「誠」を実現するには、「実行」「専一」「継続」が大事であります)

 ①有限実行。
 ②一つのことをトコトンやるべきだが、やることに筋が通り、ぶれないこと。
 ③成果が出るまで、やり続けること。

 それには、単なる耳学問ではなく、「自分の目で実際に見て確かめなければならない」という考えが、松陰にはあった。

 だからこそ、当時「国禁」とされていた海外渡航を企て、それが原因で処刑されることになるのだ。


人は長く生きればいいというものではない

 吉田松陰が髙杉晋作に送った手紙に、次の一文がある。

 死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし。
 生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。

 自分が死ぬことによって志が達成できるのなら、いつ死んでも構わない。
生きていることで大きなことが実現する可能性があるのなら、生きていればよい

 人の命には限りがある。若くして死のうが、年おいて死のうが関係ない。
 どれだけのことをやったかという満足度の問題である。
 
 こう拡大解釈できる。


今こそ「松陰の教育論」が必要

 吉田松陰は、「日本史上屈指の教育者」といってよいだろう。

 私塾「松下村塾」で教えたが、その期間はきわめて短かった。
 にもかかわらず、髙杉晋作、久坂玄瑞(くさかげんずい)、伊藤博文ら、日本の近代化に多大な貢献をしたたくさんの偉人を輩出した。
 
 その理由は、学んだ期間は短くても、「教えのなかに共鳴させるもの」があり、学んだ者の以後の思想形成・人格形成に多大な影響を及ぼしたからだ


松陰の教育の特徴は「ともに学ぶ」

 松陰の特徴は、次のようなものだった。

 ①松陰の教え子には幼い者も混じっていたが、「子どもだから」という扱いはせず、青年たちと一緒に議論させた。

 わからないことがあってもいい。成長すれば、やがて自然にわかる時期がくる。
 雰囲気が大事で、難しいことはわかる範囲でわかればいいという考え方だ。
 

 ②吉田松陰は、教え子を「諸友」と呼び、教師との間に身分的な上下関係や垣根を設けなかった。

 先生も生徒も一緒になって考えることが、教育の基本と松陰は思っていたのだ。


 ③「自分以外は皆、師」であり、学ぶことに貪欲であれと教えた

 教えるだけでなく、自らそれを実践していた。たとえば、萩から江戸へ旅行しても、まっすぐに江戸へは行かず、途中の町や村に居住する著名な学者を訪れて、議論をし、自分の知らない蔵書を見せてもらったりして、見聞を広めた。

 ④勉強は継続することに意義がある。

 松陰は20代半ばのときに獄舎にぶち込まれたたが、そこにいた囚人に呼びかけて孟子の講義をした。そのときにいった言葉を後で『講孟余話』という本にまとめ、次のようにいっている。

 「学問の大禁忌(だいきんひ)は作輟(さくてつ)なり」
(よくない勉強法とは、やったりやらなかったりすること。勉強は継続することが大事だ)

 ⑤「ほめ上手」で、子どもの「やる気」を引き出した。

 松陰は、「誰にも一つや二つは得手がある」
 といって、一人ひとりの子どもの「いいところ」を見つけて褒め、「やる気」を引き出して隠れた才能を伸ばす教育をした。

 ⑥教え子が旅立つときは、心のこもった送辞を贈って鼓舞した。 

 私が好きな送辞は、入江杉蔵(いりえすぎぞう)に送った文だ。

 「杉蔵往(ゆ)け。月白く風清し、飄然(ひょうぜん)として馬に上りて、三百程、十数日、酒も飲むべし、詩も賦(ふ)すべし」

 短いが心がこもっている。それより何より、死というより仲のよい「友人」の送る言葉になっているところがいい。

 まだまだあるが、いまはこのへんでやめておく。


松陰のユーモアセンス
 教え子の一人が描いた肖像画を見ると、吉田松陰は年齢よりはるかに老けた顔をし、気難しそうに見えるが、ユーモアを解した。

 松陰というのは晩年の「号」で、この号とともに彼が好んで使ったのが、「二十一回猛士」という奇妙な号だ。

 その号は、夢のお告げによる。これは、一休さんのトンチのようなもの(その説明は、ここでは省く)。

 吉田松陰の「吉田」は養子に入った家の姓で、生まれた家の姓は「杉」。
 杉寅太郎。これが幼名。
 その後、名を改め、寅次郎とした。NHK大河ドラマ「八重の桜」では、寅次郎で登場した。

 吉田松陰自身によれば、
 「名前は寅次郎で虎に通じるが、自分は生来、弱々しい人間。寅の威でも借りて『猛々しい士』とでもするしかない」
というのだ。

 松陰に関心のある人は、次の本にもっと詳しく書いているので、そちらをどうぞ。

 Photo
(徳間タウンムック)

(城島明彦)

2013/02/02

〝AKBのマルガリータ〟峰岸みなみ「丸坊主事件」の謎――スキャンダルを美談にすりかえる商魂なのか!?

NHKがニュースで取り上げた

 「お泊まり愛」などというセックススキャンダルを「週刊文春」(2月7日号)に書き立てられたAKB48第1期生の峰岸みなみは、AKBの「恋愛御法度」違反を犯したとして「研究生」に降格させられた。

 だが、彼女の場合は、それでオシマイとはいかなかった。
 その直後に自ら髪の毛を「丸刈り」し、しかもその情けない姿を自らyou tubeにまでさらして謹慎の気持ちをファンにアピールするという異常な行為をとったことで、NHKの午後9時のニュースが取り上げた。

 NHKにしてみれば、昨年末の紅白歌合戦でAKBを総動員させたことへの弁解でもあった。


「頭を丸める」のは男の発想――誰かが操る男の影が見える

 不祥事を起こした女が、「謹慎」の意味で「髪を短くする」のならわかるが、
〝マルガリータ〟(私の勝手な命名)
 とは、どう考えても異常である。

 20歳やそこらの女の子に、そういう発想などないはずで、誰かの入れ知恵と考えるのが自然だ。
 誰かとは無論、男である。


峰岸は「レディース」(女暴走族)の出身なのか

 女で頭を丸める例外もなくはない。

 レディースなら、会則を破った罰として、上の指示で丸刈りにされることはある。

 彼女には、レディースに加わっていた時期があったのか。
 あるいは、その方面に親友でもいるのか。
 そういう女友だちの入れ知恵か。


有名無実と化したAKBの「恋愛禁止令」は、当初から商売道具

 AKBのセックススキャンダルは、〝平成のニャンニャン事件〟と陰口された2012年6月の指原莉乃の事件にとどまらず、56歳の舞台演出家を自宅に泊めた秋元才加のスキャンダルなど、一つや二つではない。

 もはやAKBの「恋愛禁止令」は、完全に「有名無実化」してしまっている。
 それどころか、今回の〝マルガリータ事件〟では、
 「謹慎を売り物にしている」
 とも取られかねない。


大甘(おおあま)規則で宣伝。指原の左遷は「除名」ではなく「助命」

 指原莉乃が出身地の博多の「HKT」に左遷された事件も、「除名」ではなく「助命」。

 スキャンダルが「AKBの宣伝素材」の一つとなっている観すらある。

 そうした大甘な先例が、メンバーたちの気持ちを弛(たる)ませ、規則を舐めてかからせている。

 NHKニュースになるほどの不祥事に発展し、背後で操る〝誰か〟の存在が疑われる事態になってしまった以上、これまでのような大甘裁定のままでは世間が納得しないだろう。
 
 はてさて、総元締めの秋元康は、どう出るのか!?

(城島明彦)

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