犯罪者(木村剛)と組んだ竹中平蔵の起用は、安倍政権のアキレス腱
「一度失敗した人間でも、成功できるかどうか」の試金石
日本国民は、民主党政権のあまりのひどさを味わったこともあって、安倍自民党政権への期待をふくらませている。
安倍首相自身が、前回の〝第一次おともだち内閣〟を途中でブン投げたことへの国民の怒り・失望・批判の声はまだ完全に払拭されたわけではないが、安倍リタイアの主要原因が病気にあり、志半ばでリタイアしたのだから「リベンジの機会」を与えてもいいとの思いもある。
安倍自身も口にしていたが、多くの人間は「人生で失敗」しており、もし安倍晋三という男が再チャレンジして成功すれば、一度の失敗で他人からスポイルされたり、自身が諦めたりするのは間違いであるということを実証し、人々に勇気と希望を与えることになる。
そういう点が、安倍晋三への期待要素となっている。
しかし、第一次安倍内閣あるいは小泉政権時代に国民を欺いた「ゴースト」を、再び日の当たる場所に復帰させようとするのであれば、話は別だ。
日本をダメにしたA級戦犯・竹中起用で、安倍への「不信感の芽」が生じた
その象徴的な出来事の一つは、小泉政権下で犯罪者(木村剛)と結託した竹中平蔵金融相だ。
安倍晋三は、内閣の目玉として金融政策・財政政策・成長戦略を「3本の矢」として前面に押し立てたが、そのブレーンの一人に竹中を起用したところに、安倍内閣の裏の危険な顔が見え隠れし始めた。
竹中をブレーンとして起用したことで、安倍への失望感が生じたことを本人は気づいているのか。
安倍内閣は「焼き直し免罪符内閣」なのか?
竹中平蔵は、「何でもかんでも民営化路線論者」であるだけでなく、今日の「日本人の貧富の格差」を生んだ張本人であり、いわば「A級戦犯」である。
竹中は、調子よく、ぺらぺらとしゃべることで「白を黒といいくるめる典型」で、日本経済の再生を不可能にしてしまった元凶の一人である。
そんな男がまたぞろ出てくるのを国民のほとんどは望んではいない。
「竹中の我田引水理論」で煮え湯を飲まされた企業の怨念の声は、まだ収まっているわけではない。
竹中起用によって、安倍内閣は不信感を背負うことになる。
どんな強力な布陣であっても、無用な失点を防がないと内閣への不信感が少しずつ増えていく。
竹中のような「爆弾」をかかえた時点で、安倍晋三に対する信頼度への失望感を抱いた人間は決して少なくなく、安倍内閣というのは、昔の古い自民党体勢を厚化粧して誤魔かすなどして、さも新しいことをやっているように見せかけているのではないか、という思いを国民に抱かせた。
つまり、安倍内閣の政策は、「旧自民党時代の単なる焼き直し政策」だけなのではないかと思わせるきっかけを竹中起用人事は国民に抱かせたのである。
このことは、下手をすると、民主党政権同様の「口先だけ」という印象を与えかねない。
新しい酒は新しい皮袋に詰めるべきである。
古い皮袋を引っぱり出せば失点を招く。
犯罪者・木村剛の「任命責任」はどうした!?
民主党政権時代、自民党は「任命責任」と声高に叫んで、失言した大臣を次々と失脚に追い込んだ。
だが、竹中が金融庁顧問に起用し、犯罪者として逮捕された木村剛を「任命した責任」を取っていない。
木村剛は日本振興銀行を破綻に追い込み、刑事責任を問われた。
だが、その裏で自身は一生困ることがないくらい私腹を肥やしまくった。
木村に日本振興銀行をつくらせたのは竹中だ。
その「任命責任」を問われなければならない危険な人物が、なぜ再び桧舞台で出てくるのか。
そんな男を安倍晋三はなぜブレーンにしたのか。しなければならなかったのか。
人材がいないと思われても仕方がない。
それとも、互いの古傷をなめ合うには最適と考えたのか。
安倍内閣は、「失言の少ない実力者」をそろえているが、古傷をかかえた竹中のようなブレーンが表に出てくると、安倍晋三への評価におおきくマイナスに働く。
安倍晋三が「リベンジ」を唱えるのと、「竹中に汚名を挽回する機会を与える」のとは意味が本質的に違っている。
安倍のセンスが問われる。
新浪・三木谷は今風のイメージだが、額に汗する感覚ではない
同じく安倍のブレーンのローソンの新浪剛史社長(慶応大経済学部⇒三菱商事⇒ハーバード大大学院)、楽天社長の三木谷浩史(一橋大⇒興銀⇒ハーバード大大学院)も、小泉時代の「IT」「イケイケドンドン」「ニュービジネス」といったバブルイメージである。
MBA取得が一時ブームになり、企業人が会社のカネで留学する例が多かったが、彼らは頭でっかちになって帰国後、一国のあるじになりたがり、留学させてくれた会社を裏切って辞めていく者が多かった。
商社もネット商店も、モノを右から左に流す物流で稼ぐ商売である。
「いかに額に汗せずにガバッと稼ぐか」
の代表格が新浪であり、三木谷だ。
そういうやり方は、「長い年月かけて汗水流して育て、収獲した米や野菜を売って生計を立てる」農耕民族としての日本人の伝統的な生き方や考え方ではなく、弱肉強食の西欧的肉食民族の生き方・考え方である。
そうした生き方には「要領のよさ」という言葉が似合うが、それは、日本人本来の精神であり美徳である「愚直」な生き方の対局にあるアメリカ流の生き方である。
愚直さを捨て、より安易で手っとり早い道を是とする風潮は、日本人を堕落させることにつながった。
第一次安倍内閣は、「美しい日本」というスローガンを掲げたが、そのなかにはそういう考え方もあったのではないか。
安倍内閣への高評価は「期待値バブル」
民主党があまりにもバカすぎたために、国民の安倍内閣への期待値は実体以上に膨らんで見える。
その構図は、自民党から民主党に政権が移ったときと同じだ。
しかし、自民党議員は、一度政権を失ったことですこぶる謙虚になり、先の衆議院選挙で大勝したときも、自分たちの力であると誇示することはなかった。
民主党政権時代の雌伏している間に、そうしたことを考え続けてきたのだろう。
その点を国民は高く評価した。
安倍が健康を回復し、元気が出る発言を繰り返し、しかもスピーディに次々とわかりやすい政策を打ち出したことで、株価も上昇し、国民の気持ちも明るくなりつつある。
その点は高く評価できる。
安倍自身が昔やり残したことをやるのは大いに結構だが、「国民に甚大なる被害を与え、日本という国家の威信も大きく失墜させた張本人として厳しく指弾」された竹中のような人間にまでリベンジの機会を与えるとなると話が違ってくる。
竹中の場合は、リベンジではない。
安倍晋三は、敵失に乗じてシャシャリ出てきた戦犯の開き直りの機会まで提供している。
そういう目で見られることになった。
国民やマスメディアが重箱の隅を突つき始めると、内閣には決してプラスには働かない。
何でもかんでも「公共事業投資」の時代ではない。昔と今では事情も規模が違う
安倍晋三は、自民党お得意の「公共投資路線」に活路を見いだそうとしている。
「公共投資で需要創出路線」は、1929年の世界恐慌でアメリカが実施して以来の伝統的経済政策であり、不況突破の基本策ではあるが、時代が違う。
「焼け野原から始まった日本再建」と、「豊穣時代の今日の再建」とでは事情が大きく異なる。
1969年の東京オリンピック招致は、敗戦国日本が国家的維新をかけた壮大なプロジェクトだった。
東海道新幹線、東名高速道路、全国の道路の舗装化、都市圏での地下鉄など交通網の拡張、ガス・水道・下水(水洗便所の普及)など近代都市になるための大規模なインフラ整備のための公共投資をし、それが日本の高度経済成長路線の起爆剤となった。
何もないところに次々とインフラを大構築していったのだから、経済効果は目を奪うものがあった。
近年の中国と同じだ。
ところが今は、どうか。
全国各地を新幹線や高速道路が結び、農道まで舗装がゆきとどいている。
ガス・水道・下水道も驚くほど整備されている。
笹子トンネルでの事故が教えているように、その当時、破竹の勢いで構築された公共工事が耐用年数に達し、ガタピシしてきているのを、補修するために投資する必要があるというのが、今日の公共投資である。
これまで公共投資を抑制するといって、途中で放棄されていた道路工事を何十年ぶりかで再開すると行った程度では、効果は一時的なものでしかない。1960年代とはスケールそのものが違っている。
安倍晋三が総裁選に出るといったときは批判したが、健康であり続けるのなら、その手腕に期待する。
しかし、結果がすべてである。
もしまたコケたら、そのときは、安倍晋三は土下座して日本国民に謝らなければならなくなる。
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(城島明彦)
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