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2013/01/22

相撲協会に公開質問状! 横綱が下位力士に「張り差し」を頻発するが、その逆がなぜないのか?

推奨する手なら、子ども相撲でマネするよう指導せよ

 大相撲初場所10日目で、白鵬は、自分より下位の豪栄道相手に、また「張り差し」をやった。
 「張り差し」をしないと勝てない相手なのか!?

 「張り差し」については、これまで何度も何度も文句をいったから、もういいたくないが、一向に改まらないので、もういっぺん、いわせてもらう。

 NHKの実況アナウンサーは何人かでやっているが、その日のアナウンサーは、
 「立派相撲だ。豪栄道の上体が浮いた」
 と、白鵬が豪栄道に「張り差し」をかましたことを絶賛するかのような口ぶりだった。

 白鵬は、3日目に妙義龍と対戦して、やはり「張り差し」にいっって黒星を喫しているが、その日の担当だった別のアナウンサー(大坂敏久)は、張り手に対して否定的とも思えるクールな見方をし、取り組み後に、
 「張り手をしてことで、白鵬が状態が浮き、不利な態勢になって押し出された」「取り組み途中でも張りにいった」
 と解説した。
 その言葉には、解説者の感想を求める響きがあった。

 ところが、解説者の北の富士も(元)琴錦も、この言葉に対して沈黙したままでコメントを口にしなかった。
 
 かつて、「張り手」を問題にしたNHKのアナウンサーなどいなかった。
 私は、この大坂アナウンサーを褒めたい。「よくぞいった」と絶賛したい。

 考えてみるまでもない。そんなに立派な手なら、部屋の稽古場で、脳震とうを起こす者が続出するくらい激しく「張り手」の稽古をすればいいではないか。
 どの力士も顔がはれ、耳の鼓膜が破れるまで、徹底的に稽古したらいい。

 
「張り差しが横綱の特権」と化している現状をどう説明するのか

 「張り差し」は技として認められているが、横綱が何度も用いる「堂々たる手」とは思えない。

 下位力士は、横綱に遠慮して「張り差し」や「張り手」を使いたがらないし、実際に使わない。
 たまに使う力士が出ると、取り組み後、横綱は「何をするのか」というような表情で相手を睨みつける。
 朝青龍などその典型だった。

 横綱は、ただ勝てばいいというものではない。
 圧倒的に強いという印象を残す相撲で、美しく勝つ。
 立ち合いで体をかわすといった手を使わず、真正面からぶつかり合い、堂々と勝つ。それが横綱相撲だ。
 先日亡くなった大鵬の相撲はそれだった。強かった。美しかった。
 「乱暴な」という形容詞とは無縁な、横綱相撲を取った。
 双葉山にも同じことがいえた。

 白鵬時代を築いた大鵬のライバル柏戸は、柔の大鵬に対し、豪の柏戸といわれたが、荒っぽい相撲では決してなかった。

 白鵬が大鵬や双葉山にあこがれるなら、下位力士相手に「張り差し」などやるなといいたい。

 「張り差し」はパワハラの一種のようになっている。

 白鵬は、なぜこういうことがわからないのか。「真の相撲道」を知らないからではないのか。

 本人が気づかないなら、相撲協会の人間か、彼と親しいひいき筋の者が話してやるべきだ。


相撲協会はデータを調べ、公表せよ

 相撲協会は、過去何年かにわたって、横綱が下位力士に対して「張り差し」を行った回数と、横綱と対戦した下位力士が「張り差し」にいった回数を調べ、発表してもらいたい。
 と同時に、全国の相撲ファンのアンケートも取ってみたらどうか。

 「張り手」は頬を張るだけにとどまらない。力士の手のひらは大きいので、耳を直撃する。
 この文章を目にした人は、一度、自分の手で耳を張って、どういうことになるか試してもらいたい。
 弱く張っても、決して気持ちのいいものではない。
 強く張りすぎると、鼓膜が破れるので要注意である。

 ◆追記(1月25日記) 相撲協会は「八百長体質」をまだ引きずっている

 このブログがネットに流れた当日(11日目)、白鵬は、このブログをあざ笑うかのように、2日続けて「張り差し」をやった。

 繰り返し何度もいってきたが、下位の力士がなぜ横綱相手に次々と「張り差し」をしないのか。

 下位の力士もだらしがない。
 どうせ負ける相手なら、思いっきり「張り差し」で横綱の耳の鼓膜破りをねらったらどうか。
 
 横綱の「張り差し」はみっともないし、下品で乱暴な手と観客には映る。

 耳を狙った「張り差し」を認めるなら、「顔面への頭突き」も認めたらどうか。

 力士が「張り差し」を受けて、脳震とうを起こし、土俵に崩折れるというみっともない出来事が過去に何度もあるが、「相撲協会」は知らん顔をしてきた。

 相撲協会は、過日の八百長事件で、「大相撲存亡の危機」といわれるほど大揺れに揺れたが、「八百長」については昭和40代から週刊誌などが何度も取り上げていた。しかし、そのつど、すっとぼけてきた。

 いや、それ以前から、金で星のやりとりをしていた。
 7勝7敗で千秋楽を迎えた力士は、ほぼ勝ち越すなどしてきたのだ。それが「伝統」だった。

 角界を代表する横綱が、一場所に4回も5回も、あるいはそれ以上も「張り差し」にいくことに対し、すっとぼける相撲協会は、そういう「世間の常識的な感覚」と違っているのではないか。

 日馬富士は、「張り差し」を自粛しているのか、このところ出ていないが、白鵬はひどすぎる。
 同じ「張り差し」をやっても、白鵬と日馬富士とでは、軽量な日馬富士の方がまだ大目に見られるだろうが、日馬富士の今場所の相撲は、完璧な横綱相撲だ。11日目の相撲で足をいためたのが気になる。

 大相撲は「国技」だ。相撲ファンが「おかしい」と思って疑問を呈していることに対しては、きちんとした答えを示さなければならない。
 すっとぼけるのは、都合が悪いから。そう思われても仕方あるまい。

 NHKには、放送のなかで「横綱が『張り差し』を頻発することの是非」を論じることを要望したい。 

(城島明彦)


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