「愛のムチ」は「愛の無知」? シゴキとイジメは紙一重
女子選手とセックス
オリンピックに出場した選手を含む女子柔道選手たちが「園田隆二監督の体罰」「セクハラ」「パワハラ」問題をJOCに訴えた。
そのことを知って、口の悪い男どもは、
「あいつら、女だったのか」
と思わず口走り、「えっ!」と驚いた。
今回彼女らが「決起」したのは、「いじめ撲滅」へと国全体が動き出したという状況の変化があるのと、もうひとつ、裁判にまで発展した北京五輪の金メダリスト内柴正人の強姦事件があるからだ。
女子柔道界に限らずスポーツ界では昔から「シゴキ」は常識だ。
どこまでが許され、どこからが暴力になるのかの線引きは難しい。
「シゴキ」と「パワハラ」は紙一重
昔の運動部では、監督が選手を殴ったり、先輩が後輩を殴ったりするのは常識だった。
運動部では、指導教官や先輩の「シゴキ」を「愛のムチ」といってきた。
それが通用しなくなったのは、一言でいえば「時代の変化」だ。
大相撲では、昔は、部屋の親方が片手に竹刀(しない)をもって、力士の尻をぶっ叩いたものだった。
稽古と称して兄弟子に必要以上にいびられ、シゴカレ続ける毎日に嫌気がさして、夜逃げした者は数知れない。
しかし、いまではそういうことをやると大問題になる。
白鵬が頻繁に使う「張り差し」も、下位の力士が横綱に対しては用いづらい手であり、明らかなパワハラだと私は以前から繰り返し主張してきたが、相撲協会は知らん顔だ。
相撲協会は公表していないが、「張り差し」や「張り手」をくらって耳の鼓膜に損傷を受けた力士は何人もいるはずである。
時代が変わったのだから、相撲の48手も見直さないといけない。
プロ野球でも、「鉄拳制裁」という名のパワハラが公然と行われていた。
あの長島茂雄だって人目につかないところでやっていた。しかし、いまでは、制裁を受けた選手にとって、長島茂雄に殴られたということが勲章とさえなっている。
鉄拳制裁の代表格は、星野仙一。
彼は、テレビではニコニコと笑顔で接しているが、中日の監督時代には、さんざん選手をぶん殴っていたが、社会問題化したことは一度もなかった。
それが彼の一種のトレードマークであり、マスコミは「闘将」などという言葉でむしろ賞賛さえしてきた。
野球には「千本ノック」と称するシゴキもあるが、これも見方を変えれば、イジメに通じるから厄介な時代である。
地位が上の者が権威を利用して行う暴力「パワハラ」は、地位が下の者が抵抗できないし、文句をいえば、待遇などで仕返しを受ける点に問題がある。
女子アスリートとセクハラ
女子スポーツ選手にとって、「禁男」は大事だ。
フィギュアスケート選手の安藤美姫は、よりによってロシア人コーチと恋仲になり、一時的にはそのことがモチベーションとなってプラスに働いたが、やがて感情のもつれが微妙に練習や大会での演技に影を落とすようになり、ついには練習する気力もなくし、いつのまにか引退同様となってしまった。
国が期待するような大型選手は、男女ともに、心身に変調をきたすような恋愛は慎まないといけない。特に女子はホルモンのバランスが狂ってくるので、未婚の選手の恋愛や性交渉は御法度なのだ。
秋元康は、そういう点を「AKB」というビジネスに用い、「恋愛御法度」を謳い文句にした。その発想力はすごい。
「内柴正人事件」が女子柔道選手の考え方を変えた
北京五輪の金メダリストだった内柴正人が引き起こした〝ハレンチ事件〟が明るみに出たとき、
「柔道女子選手=ブス」
と考えていた世間の男どもの反応は2つだった。
「あんな連中にちょっかい出す物好きな男がいたのか」
「女子選手は、みんな処女じゃなかったのか」
女がセックスするとホルモンのバランスが代わってくる。
選手として決してプラスにはならないし、精神面でも余計なことに悩み、集中力を欠く。
そういう話は昔からいわれてきた。
1968年に公開された大映映画「セックス・チェック 第二の性」というのがある。
監督は名匠増村保造で、原作は作家の寺内大吉「すぷりんたあ」だ。
尾形拳扮するコーチは、愛弟子の女子スプリンター南雲ひろこ(安田道代。のち大楠道代に改名)をメキシコ五輪で入賞させるための秘策として、毎日ひげを剃るなどして男っぽくなるよう指導する。
ところが、彼女はセックスチェックで「半陰陽」(=おとこおんな)と診断される。
そのままではオリンピックに出られないので、コーチは彼女を完全な女にするため、性的関係を結び、完全な女にしようとする。
そのもくろみは成功するが、彼女は平凡な記録しか出せなくなり、引退するしかなくなる。
そういう映画だ。
内柴は、その映画と同じようなことをやっている点だけ取り上げても、コーチ・監督として失格である。
内柴がパワハラによって女子選手に強姦同然のセックスを強要したのは、氷山の一角。
泣き寝入りした選手は、過去に山のようにあるはずだ。
だからこそ、ロンドン五輪出場女子柔道選手たちが連名で、パワハラ、セクハラを告発したのである。
「東洋の魔女」とシゴキ
1969年10月に開催された「東京オリンピック」では、〝東洋の魔女〟と呼ばれた日本の女子バレーボールチームが金メダルを取り、その名を世界に轟かせたが、日本中を熱狂させたその栄誉は、〝鬼の大松〟といわれた大松博文監督の猛特訓に耐え抜いた結果、得られたものだった。
当時、大松が考案した「回転レシーブ」のことを知らない国民はいなかったが、それを体で覚えさせるには、「常軌を逸した猛練習」が必要だった。
それは言葉を変えれば「シゴキ」である。
明治、大正、戦前の昭和に生まれた女は、
「女はじっと耐え忍ぶもの」
という教育を家でも学校でも受けて育った。
「父に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従い、じっと耐え忍ぶ」
それが「日本の女の鑑(かがみ)」とされてきた。
「東洋の魔女たち」は、そういう時代を象徴する女だった。
彼女たちは、国のために女であることを捨てていた。
まさに「やまとなでしこ」であった。
しかし、時代は変わった。
そういう生き方が時代錯誤とされる世になった。
喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか。
スポーツは結果がすべてだ
スポーツや勝負事は、結果がすべてである。
やがて半世紀にもなろうというのに、「東洋の魔女」の名がいまだに燦然と輝いているのは、頂点を極めたからだ。
勝った者だけ、勝ち続けたものだけが記録に名を刻まれ、人々の記憶に残る。
どんなにいい試合をしても、敗者となれば、何かの折に「こんな名試合があった」といったニュアンスでたまに取り上げられるだけだ。
何をしようが、勝てば文句をいわれない。
勝てないから非難されるのだ。
江戸時代の剣豪宮本武蔵は、60数戦して無敗だったから、今日も「剣聖」と讃えられるのである。
安藤美姫が男にウツツを抜かそうが、結果を出せば誰も文句をいわなかった。
遊びたい盛りの青春時代に、国民の期待を一身に集めて練習に励み、メダルを取るために自分の楽しみを捨てなければならない苦痛は当人にしかわからないが、その道に賭けた以上、一般人と同じ感覚で快楽や娯楽をエンジョイすることは許されないのである。
一方、選手を管理・指導・育成する任務を負ったオリンピックの監督もまた、選手以上に日の丸という重圧を負っている。
特に日本の国技である柔道では、
「メダルを取るのは当たり前。何個取れるかが問題」
とされるから、いきおい、指導も〝獰猛(どうもう)〟になる。
監督の身になって考えると、「よかれ」と思って厳しく接した結果、選手に恨まれてはかなわないということになるが、相手がどう思っているかは別問題である。
どこまでなら「強要」が許され、どこからが「許されない」「パワハラになるのか」といった線引きは、これが正解という答えがないから厄介だ。
武蔵は、生きるか死ぬかの勝負に知恵を絞った。
乱世を生き抜いた彼の生き方・戦い方は、いまの時代をどう生きるかに通じるものがある。
その意味で、「戦い方の心得を説いた本」にとどまらず、生き方を示唆してくれる「人生のノウハウ本」といえる。
(城島明彦)
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