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2013/01/02

「OH! 生姜2個だ」(「お~ショウガ・ツーだ」)で「お正月だ」。DVD4本、見てしまった


「日真名氏(ひまなし)飛び出す」と大津美子

 何の因果か、ここ何年も、なぜか年末も正月もない最悪の仕事のスケジュールだったが、旧年末から新年にかけては差し迫った締め切りのある仕事からは解放された。

 何年ブリか、シマアジか?

 ――などと、しょっぱなから、水っぱなを垂らしつつ、オヤジギャグをぶっ放し、旧年中に賀状もなんとか書き終えることができたのでありましたぞ。

 となると、oh! 正月はヒマだ。

 ♪ おヒマなら きてよね
    わたし さびしいの 

 ヒマといえば、懐かしのテレビ番組「日真名氏(ひまなし)飛び出す」か?
 といっても、昭和30年代に放送された番組を覚えているのは、団塊世代以上のジジババだけだ。

 ♪ ジージーバッバ ジーバッバ
   スズメの学校の 先生は

 ジジババといえば、連続ドラマ「白い桟橋」はどうなった。DVDは出ないのか。
 大津美子がテーマ曲を歌っていた「白い桟橋」。

 ♪ 海に突き出た 白い桟橋
   はてしなく はてしなく
   波とたたかう

 話があっち、こっちへ飛ぶのが、オイラの特徴。しんぼうするのだぞ、大五郎。
 
 正月に見るDVDをTSUTAYAで借りたという話をするのに、あっちへ寄り道、高木守道は中日の監督。

 旧作を4本借りたら、「ポイントを使いますか」とレジの店員がいうので、頷くと、代金はたったの200円ぽっきり。
 
 ♪ ぽっきり ぽっきり ぽっきりな。

 うれし恥ずかし、ジジイのレンタルでござった。


大津美子「ここに幸あり」

 そうそう、大津美子の話だった。年をとると、いったそばから忘れてシマダヤのうどん。
 うどんに魯鈍(ろどん)、魯迅(ろどん)にロンドン塔、ロダンとくれば「考える人」。
 そこでオイラも考えた。

 大津美子といえば、「ここに幸(さち)あり」。
 この人、70半ばになって、まだ稼いでおいでだ。
 あんたは、偉い。なが~い目でみてください。

 オイラは、小学生の頃、「ここに幸あり」をラジオで聞いて感動し、いまでも繰り返し聞くことがある。
 若い人で知らない人は、you tube で聞いてごらんなさいな。

 大津美子といえば、

 ♪ 東京アンナ 不思議なアンナ

 というのもあった。

 梅宮アンナも不思議なオンナだが、アンナのお父さんの梅宮辰夫の青春時代には、こんな歌詞の歌謡曲が流行っていたのですな。

 「東京アンナ」
 関西弁の「あんなあ」は関係ありません。

 アンナといえば、
 トルストイの名作「アンナ・カレーニナ」を思い出す。
 林間学校じゃあ、引率の先生に「あんなにカレー煮るな!」と、まぎらわしい叱られた方をした子もいたぞ。
 「あんな可憐な」彼女は、いまどこに?
 ……放置すると、暴走を続けるオイラの脳じゃけんね、このあたりでストップだい。


あんた、泣いてんのね

 はてさて、大津美子といえば、松山恵子だ。
 セリフの「あんた、泣いてんのね」で始まる歌を歌った松山恵子。
 このセリフに続いて歌が始まるが、聞いてビックリ、腰ぎっくり。
 「だから」で始まるじゃありませんか。

 これこれ、かくかくしかじか。だから、という文脈が普通だが、それをいきなり「だから」で始める発想の斬新さ。
 作詞は松井由利夫。さすがですな。
 氷川きよしの「箱根八里の半次郎」も、松井由利夫の作詞。
 残念ながら、この人、数年前に鬼籍に入ってしまいましたな。

 ♪ だから いったじゃないの
   港の酒場へ 飲みに来る
   男なんかの いうことを
   ほんきに ほんきにするなんて……
 
 「港の酒場」などという表現は、当今はまったく流行(はや)りませんが、昭和30年代は「定番」のごとく歌謡曲に使われておりましたな。
 ついでにいえば、「マドロス」なんて語も、いまじゃ「死語」と成り果ててしまいましたな。

 いやいや、そんなことはどうでもいい。
 「だから云ったじゃないの」の話だった。
 この言葉は、いまなら「流行語大賞」ものですな。
 しかし、松山恵子も、先年、あの世へいってしまいました。


そういえば

 そういえば――

 (ジジイになると、「そういえば!」、こればっかしだ)
 と自嘲しつつ、

 あっちへふらふら、♪フーラフープ (伊東ゆかりの「フラフープ」じゃな)
 こっちへふらふら、♪ブラブラ、ブンラ

 この「ブラブラブ~ラ」(ブ~ラが「ブンラ」と聞こえた)は何のCMの一節だったか、忘れてしまった。
 年はとりたくナイチンゲールでありますなあ、ご同輩。

 この「ご同輩」も森繁久彌がラジオ番組で繰り返していたフレーズですな。
 向田邦子が台本を書いていたラジオ番組「重役読本」だった。
 これも古井由吉、いや古いですなあ、ご同輩。


大津美子はまだ歌っていた

 そういえば――大津美子は年末の紅白の裏番組(テレビ東京のナツメロ番組)に出ていたな。
 70代半ばで、まだ現役。元気ハツラツ、オロナミンCだ。

 ナツメロでは、大ヒット曲「ここに幸(さち)あり」を歌っていた。

 ♪ 嵐も吹けば 雨も降る
    女の道よ なぜ険し

 この歌は、昭和31年(1956年)に大ヒットした歌だ。
 当時は、男の道も険しかったが、女が男に頼って生きていた時代だから、女が一人で生きていくのは険しかったのですな。

 女の幸(さち)は どこにある。
 ♪ さっちゃんはね さちこっていうんだ、ほんとはね

 あゝ春や春、春南方のロ~マンス、幸子の幸は、いまいずこ?
 
 「ここに幸あり」がヒットしていた頃のオイラはといえば、毎週毎週、ラジオの歌謡番組のベスト10のような番組を聴きながら、せっせと鉛筆を走らせて歌詞をメモっては、歌詞を覚えていた。

 そういうことを繰り返しているうちに、いつのまにか、歌詞の世界を自分の頭のなかに好き勝手に思い描く創造的習慣が身についってしまったのだから、バカになりませんぞ。
 ラジオだからそうなったのであって、これがテレビだとそうはいきませんわな。

 「ここに幸あり」は同名の松竹映画の主題歌でもあったので、町のあちこちで見かけた映画のポスターを張った立看板の漢字や言葉の使い方も自然と覚えてしまいましたな。

 振り返れば、オイラは小学生にしては、ヒネこびたガキであったけれど、結果的には、それがボキャブラリーの蓄積につながったのでしょうかな。


ペンギン葉山と「おとうさん犬」

大津美子―松山恵子と続くと、ペギー葉山を連想してしまいますな。

初めて彼女の名前を聞いてしばらくは、「ペンギン葉山」と思っておりましたな。

 ペンギン葉山とくれば、根上淳。彼女の夫だった元大映俳優で、すでに鬼籍の人ですな。
大映映画の作品は、めぐりめぐって、いまじゃ角川書店の保有となりました。

 京マチ子、山本富士子、若尾文子、叶順子、野添ひとみ……大映の最後を飾った女優たちは、「銀幕のスター」と呼ぶにふさわしい人たちでしたなあ。
 当時の少年の目には、妙にコケティッシュな「危ない感じ」の印象を受けた叶順子も、いま見ると、結構おみあしも太めで、そんなにグラマーではなかったのですな。


旗本退屈男の三日月傷

 おっと、連想に次ぐ連想で、ホウレン草もビックリするほど、横道・脇道へとどんどん分け入ってしまい困ったもんだ。
 もんだとくれば、肩揉んだ、ではなくて、モンダミンでもなくて、モンドリアンは西洋の画家。
 日本人なら主水之介(もんどのすけ)。退屈男ときたもんだ。

 「この眉間(みけん)の三日月傷が目に入らぬか。天下御免の三日月傷」
と見得(みえ)を切る「旗本退屈男」こと早乙女主水之介(さおとめもんどのすけ)は、パッ! 市川右太衛門だ。

 右太衛門が退屈だった頃、子どもは欣也だった。
 わかるかな、わかんねえだろうなァ、イエーッ!

 退屈男の息子はいまじゃ、日本語を話せる犬だ。
 ソフトバンクのCMで「お父さん犬」の声をやっている北大路欣也のお父さんが市川右太衛門だ、わっかるかな、わかんねえだろうなァ。

 いかん、話が大映から東映に移って島田正吾。
 島田正吾は新国劇。
 新国劇出身の東映スターといえば、大友柳太朗。
 大友柳太朗と云えば、東映だ。いかん、また東映にいってしまった。


ペンギン葉山いやペギー葉山の話だった

 ペギー葉山は、バタくさい顔とバタくさい声に特徴があったが、それがかえってよかった。
彼女の歌う「南国土佐を後にして」(昭和34年/1959年)は大ヒット。映画にもなった。

ペンギンから連想してしまうのは、サンスターの古~いCMですな。

♪ 氷のお山で すまし顔
   いつも気取って 燕尾服……
   ペンギン ペンギン かわいいな

 そういえば、昔、サンスターの塩野義製薬にえらく態度のでかい宣伝課長がいた。
 年も私より下でありながら、すこぶる横柄。
 さほど大きくもない会社の社員でありながら、いばりくさっていた。
 広告会社あたりからチヤホヤされて、それが自分の実力と勘違いしていたのではないか。
 ユンケルの宣伝課長は、もっと態度がでかかった。

 そういう器の小さい人間は、定年退職してはじめて「己の真の価値・評価」に気づくことになるが、時すでに遅し、だ。

 「あんな大きな会社の社員なのに、腰が低い」
 と思われてこそ、企業価値も高まるのだ。
 (この一言に共感した人には、12月に発売された『広報がダメだから社長が謝罪会見する!』という本がおススメだ。誰が書いた本かって? うへぇ、オイラでごんす)


正月に見たDVDの話……「ヴィクトリア女王」「狂女フアナ」「ブーリン家の姉妹」

 あっちへよろよろ、こっちへふらふら、もとに戻って、正月に見たDVDの話だ。
 借りたDVDは、「ヴィクトリア女王~世紀の愛~」「ブーリン家の姉妹」「狂女フアナ」そして白黒の日本映画「風の視線」。洋画ばかりで飽きるだろうと、変化をつけたつもりが、これが大失敗。
 前に借りて見ていた。原作松本清張で、監督は川頭義郎(俳優川津裕介のお兄さん)。

 原作者の松本清張が何シーンかに出演していて、しっかりしたセリフもいっている。

しかし、この日本映画は音楽がいけません。「風」という題名を妙に意識したあまり、ヒュードロドロの怪談に近い効果音風の音楽が随所にふんだんに盛り込まれていて興を削ぎまくる。

 誰が音楽を担当したかといえば、木下忠司。あの天才にして、この駄作あり。


王朝ものはカネがかかっている

 西洋の王朝もののDVDは、本来なら、もっと早く見るべきだった。

 年末に執筆していた「世界の名家・大富豪」に登場する英王室とかスペイン王室の話と関連していたからだ。
 書く前に見ておけばイメージがもっとふくらんだはずだが、そのときは見ているだけの余力はなかった。

 王朝ものだけに、
 「オー、チョーッ!」 
 と、ブルース・リーも、あの世で叫んでいる?

 「ブーリン家の姉妹」というのは、姉妹で暴君ヘンリー8世の妃・愛妾となった話で、実際にあった話に基づいて描かれている。

 ヘンリー8世は、男の子を産まなかったといって王妃を処刑にするなど、暴虐非道の王だった。

 衣装とか居住していた城などの時代考証がきちんとされており、面白かったが、いかんせん、話が暗すぎ、後味が悪い映画だった。

 「狂女フアナ」はスペイン映画で、何十年にもわたって監禁されていた王女の話である。
 これも見ごたえがあったが、歴史的事実を踏まえているが、独自の解釈も多く、違和感を覚えたところもあった。

 3回見たのは、内容が明るい「ヴィクトリア女王」。
 ヴィクトリア女王は、英王朝史上最長在位期間を誇る君主だ。
 18歳のときにハノーバー王朝の女王について以来、63年もの長い間、在位し、「大英帝国」の黄金期を築く女帝だが、映画は、彼女が恋愛結婚し、子供を生むあたりまでの若き日々を描いていた。

 エリザベス女王は2013年で在位61年を迎えるが、それより在位期間が長く、まだまだ元気なので、ヴィクトリア女王の記録を抜く可能性は高い。

 今日が返却日だ。これからDVDを返しにいくと駿河台(するがだい)。

(城島明彦)

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