NHK大河ドラマ「八重の桜」(第1回・第2回)は、「平清盛」の反省が生きて、よくできていた
「龍馬伝」「平清盛」と違って、演出がうまい
大河ドラマの難しさは、次から次へと出てくる歴史上の人物の多さだ。
まだ2回目の放送が終わったばかりなので、断言はできかねるが、2回見た限りでは連続ドラマとしては、よかったのではないか。
佐久間象山、吉田松陰、勝麟太郎(海舟)、西郷吉之助(隆盛)ら、幕末の日本を動かした人間を、さらっと紹介している手口は巧みで、見せ方をよく知っていると思わせた。
「龍馬伝」や「平清盛」では、青臭い青年が実験映画でも撮っているかのような「奇をてらった演出技法」が嫌味で、不快ささえ感じたが、その点、「八重の桜」の演出手法はきわめてオーソドックスで、巧み。好感が持てた。
ナレーションも、伝説的なNHK番組「光子の窓」の主役だった大ベテランの草笛光子を起用し、難しい言葉や歴史的な出来事を丁寧に説明させているところも評価できた。
ただ、会津弁に忠実なあまり、何をいっているのか理解できない場面が何度かあった。
「ならぬものはならぬのです」といわれてもなあ。
音楽は美しいが、不必要に挿入しすぎ
当今の映画やドラマは、アメリカ映画も日本映画も、やたら音楽を入れたがる。
芝居だけでは見せられないとでも思っているのだろうか。
「八重の桜」では、いい音楽をつけているが、本来ならセリフを聞かせなければならない場面でも不必要に音楽を加えている。
音楽が邪魔してセリフを殺しては本末転倒。
今後の演出では改善してもらいたいものだ。
日本の四季を美しく撮り、美しく見せた
高精細度のカメラを駆使して日本の四季を描く以上、美しく撮影し、感動できるような絵柄に仕上げないと意味がないが、「「平清盛」では、頭でっかちな演出家がひとりよがりの妙な演出をし、小汚い画面にしたことで、視聴者から総スカンを食った。
今回、日本の国花である「桜」をタイトルにつけたからには、それにふさわしい美しい映像が求められたが、それに応える映像に仕上げており、評価できるのではないか。
「八重の桜」の2回目に、出戻ってきた会津藩主松平容保の姉が和歌を詠むシーンがあったが、美しく描かれていてよかった。
こういう場面に接すると、「平清盛」の同様の場面の演出のヘタクソ加減が改めてわかって、おもしろい。
八重の「男まさりな性格」を子役が好演
八重の幼少期を演じた子役が、いい表情といい演技をし、生まれついての「男まさりの性格」をよく伝えていた。
子役の登場シーンをもっと見ていたいと思った視聴者は多かったのではないか。
しかし、そうもいかず、2回目の後半では、綾瀬はるかが演じる大人の八重が登場した。
「江~姫たちの戦国」では、宮沢りえら3姉妹に少女時代まで演じさせるという無理があったが、その反省が生かされたのかもしれない。
「家政婦のミタ」でも「悪夢ちゃん」でも子役が魅力的で、ドラマを守り立てたが、八重の子役も同様だった。
気の強い性格が顔に出ていた本物の八重
篤姫も同様だったが、映画やドッラマでは、特殊なケース以外は、女の主人公はみな美女と相場が決まっている。
同志社大学の創設者・新島襄の妻だった八重は、残された写真で見ると、男まさりの性格がそのまま顔に出た面相で、綾瀬はるかとは似ても似つかない顔で、好意的に見ても美人とはいいがたい。
2回目では、綾瀬はるかが米俵を軽々と担いで運ぶ場面があったが、怪力女だったと想像できる。
八重は女性であり、しかも、のちに賊軍となる藩の武士の娘であるから、歴史的な資料はほとんど残っておらず、描きやすいかもしれない。
これから先どうなるのかはわからないが、初回、第2回目に限っていえば、高く評価できるのではないか。
(城島明彦)
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