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2013/01/30

「愛のムチ」は「愛の無知」? シゴキとイジメは紙一重

女子選手とセックス

 オリンピックに出場した選手を含む女子柔道選手たちが「園田隆二監督の体罰」「セクハラ」「パワハラ」問題をJOCに訴えた。

 そのことを知って、口の悪い男どもは、
 「あいつら、女だったのか」
 と思わず口走り、「えっ!」と驚いた。

 今回彼女らが「決起」したのは、「いじめ撲滅」へと国全体が動き出したという状況の変化があるのと、もうひとつ、裁判にまで発展した北京五輪の金メダリスト内柴正人の強姦事件があるからだ。

 女子柔道界に限らずスポーツ界では昔から「シゴキ」は常識だ。

 どこまでが許され、どこからが暴力になるのかの線引きは難しい。


「シゴキ」と「パワハラ」は紙一重

 昔の運動部では、監督が選手を殴ったり、先輩が後輩を殴ったりするのは常識だった。
 運動部では、指導教官や先輩の「シゴキ」を「愛のムチ」といってきた。

 それが通用しなくなったのは、一言でいえば「時代の変化」だ。

 大相撲では、昔は、部屋の親方が片手に竹刀(しない)をもって、力士の尻をぶっ叩いたものだった。
 稽古と称して兄弟子に必要以上にいびられ、シゴカレ続ける毎日に嫌気がさして、夜逃げした者は数知れない。

 しかし、いまではそういうことをやると大問題になる。
 
 白鵬が頻繁に使う「張り差し」も、下位の力士が横綱に対しては用いづらい手であり、明らかなパワハラだと私は以前から繰り返し主張してきたが、相撲協会は知らん顔だ。
 相撲協会は公表していないが、「張り差し」や「張り手」をくらって耳の鼓膜に損傷を受けた力士は何人もいるはずである。
 時代が変わったのだから、相撲の48手も見直さないといけない。

 プロ野球でも、「鉄拳制裁」という名のパワハラが公然と行われていた。
 あの長島茂雄だって人目につかないところでやっていた。しかし、いまでは、制裁を受けた選手にとって、長島茂雄に殴られたということが勲章とさえなっている。

 鉄拳制裁の代表格は、星野仙一。
 彼は、テレビではニコニコと笑顔で接しているが、中日の監督時代には、さんざん選手をぶん殴っていたが、社会問題化したことは一度もなかった。
 それが彼の一種のトレードマークであり、マスコミは「闘将」などという言葉でむしろ賞賛さえしてきた。

 野球には「千本ノック」と称するシゴキもあるが、これも見方を変えれば、イジメに通じるから厄介な時代である。

 地位が上の者が権威を利用して行う暴力「パワハラ」は、地位が下の者が抵抗できないし、文句をいえば、待遇などで仕返しを受ける点に問題がある。


女子アスリートとセクハラ

 女子スポーツ選手にとって、「禁男」は大事だ。
 フィギュアスケート選手の安藤美姫は、よりによってロシア人コーチと恋仲になり、一時的にはそのことがモチベーションとなってプラスに働いたが、やがて感情のもつれが微妙に練習や大会での演技に影を落とすようになり、ついには練習する気力もなくし、いつのまにか引退同様となってしまった。

 国が期待するような大型選手は、男女ともに、心身に変調をきたすような恋愛は慎まないといけない。特に女子はホルモンのバランスが狂ってくるので、未婚の選手の恋愛や性交渉は御法度なのだ。

 秋元康は、そういう点を「AKB」というビジネスに用い、「恋愛御法度」を謳い文句にした。その発想力はすごい。


「内柴正人事件」が女子柔道選手の考え方を変えた

 北京五輪の金メダリストだった内柴正人が引き起こした〝ハレンチ事件〟が明るみに出たとき、
 「柔道女子選手=ブス」
 と考えていた世間の男どもの反応は2つだった。

 「あんな連中にちょっかい出す物好きな男がいたのか」
 「女子選手は、みんな処女じゃなかったのか」

 女がセックスするとホルモンのバランスが代わってくる。
 選手として決してプラスにはならないし、精神面でも余計なことに悩み、集中力を欠く。

 そういう話は昔からいわれてきた。

 1968年に公開された大映映画「セックス・チェック 第二の性」というのがある。
 監督は名匠増村保造で、原作は作家の寺内大吉「すぷりんたあ」だ。
 尾形拳扮するコーチは、愛弟子の女子スプリンター南雲ひろこ(安田道代。のち大楠道代に改名)をメキシコ五輪で入賞させるための秘策として、毎日ひげを剃るなどして男っぽくなるよう指導する。

 ところが、彼女はセックスチェックで「半陰陽」(=おとこおんな)と診断される。
 そのままではオリンピックに出られないので、コーチは彼女を完全な女にするため、性的関係を結び、完全な女にしようとする。
 そのもくろみは成功するが、彼女は平凡な記録しか出せなくなり、引退するしかなくなる。
 そういう映画だ。

 内柴は、その映画と同じようなことをやっている点だけ取り上げても、コーチ・監督として失格である。

 内柴がパワハラによって女子選手に強姦同然のセックスを強要したのは、氷山の一角。
 泣き寝入りした選手は、過去に山のようにあるはずだ。

 だからこそ、ロンドン五輪出場女子柔道選手たちが連名で、パワハラ、セクハラを告発したのである。


「東洋の魔女」とシゴキ

 1969年10月に開催された「東京オリンピック」では、〝東洋の魔女〟と呼ばれた日本の女子バレーボールチームが金メダルを取り、その名を世界に轟かせたが、日本中を熱狂させたその栄誉は、〝鬼の大松〟といわれた大松博文監督の猛特訓に耐え抜いた結果、得られたものだった。

 当時、大松が考案した「回転レシーブ」のことを知らない国民はいなかったが、それを体で覚えさせるには、「常軌を逸した猛練習」が必要だった。
 それは言葉を変えれば「シゴキ」である。

 明治、大正、戦前の昭和に生まれた女は、
 「女はじっと耐え忍ぶもの」
 という教育を家でも学校でも受けて育った。

 「父に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従い、じっと耐え忍ぶ」
 それが「日本の女の鑑(かがみ)」とされてきた。

 「東洋の魔女たち」は、そういう時代を象徴する女だった。

 彼女たちは、国のために女であることを捨てていた。
 
 まさに「やまとなでしこ」であった。
 しかし、時代は変わった。

 そういう生き方が時代錯誤とされる世になった。
 喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか。


スポーツは結果がすべてだ 

 スポーツや勝負事は、結果がすべてである。
 やがて半世紀にもなろうというのに、「東洋の魔女」の名がいまだに燦然と輝いているのは、頂点を極めたからだ。

 勝った者だけ、勝ち続けたものだけが記録に名を刻まれ、人々の記憶に残る。

 どんなにいい試合をしても、敗者となれば、何かの折に「こんな名試合があった」といったニュアンスでたまに取り上げられるだけだ。

 何をしようが、勝てば文句をいわれない。
 勝てないから非難されるのだ。

 江戸時代の剣豪宮本武蔵は、60数戦して無敗だったから、今日も「剣聖」と讃えられるのである。
 
 安藤美姫が男にウツツを抜かそうが、結果を出せば誰も文句をいわなかった。
 
 遊びたい盛りの青春時代に、国民の期待を一身に集めて練習に励み、メダルを取るために自分の楽しみを捨てなければならない苦痛は当人にしかわからないが、その道に賭けた以上、一般人と同じ感覚で快楽や娯楽をエンジョイすることは許されないのである。

 一方、選手を管理・指導・育成する任務を負ったオリンピックの監督もまた、選手以上に日の丸という重圧を負っている。
特に日本の国技である柔道では、
「メダルを取るのは当たり前。何個取れるかが問題」
とされるから、いきおい、指導も〝獰猛(どうもう)〟になる。
 
 監督の身になって考えると、「よかれ」と思って厳しく接した結果、選手に恨まれてはかなわないということになるが、相手がどう思っているかは別問題である。

 どこまでなら「強要」が許され、どこからが「許されない」「パワハラになるのか」といった線引きは、これが正解という答えがないから厄介だ。

 Photo_2
 宮本武蔵『五輪書』(現代語訳:城島明彦/致知出版社)

 武蔵は、生きるか死ぬかの勝負に知恵を絞った。
 乱世を生き抜いた彼の生き方・戦い方は、いまの時代をどう生きるかに通じるものがある。
 その意味で、「戦い方の心得を説いた本」にとどまらず、生き方を示唆してくれる「人生のノウハウ本」といえる。


(城島明彦)

2013/01/28

NHK大河ドラマ「八重の桜」の視聴率が微妙なのは、なぜ!? ~人気を左右する「10のプラス要素」と「10のマイナス要素」を探る~

「八重の桜」は2月・3月の視聴率が大事

 2013年の「八重の桜」は、ドラマとしては脚本もよく練れているし、演出も悪くないが、視聴率は微妙である。

 「八重の桜」は、通常の放送時間より長くした初回の視聴率こそ21.4%を記録。前年の「平清盛」の17.3%をかなり超えて期待させたが、2回目以後、伸びていない。

 1回目21.4%(平清盛17.3%) 参考:江~姫たちの戦国~21.7%、龍馬伝23.2%、天地人24.7%、篤姫20.3
 2回目18.8%(平清盛17.8%)
 3回目18.1%(平清盛17.2%)
 4回目18.2%(平清盛17.5%)

 初回だけで比較すると、「篤姫」より高い。「篤姫」は2月、3月に入ってから視聴率をあげたから、「八重の桜」もそうなる可能性もなくはないが、いずれにせよ、2月・3月の視聴率が正念場となり、そこで出た数字が前途を暗示することになる。

 前年の大河「平清盛」は、2月に入ると、第1週に16.0%を記録した後、第2週に一気に13.3%にまで下落、そこから低視聴率の道を歩み始めた。つまり、視聴者にソッポを向かれたのだ。


「八重の桜」の視聴率に「プラスに働く10の要因」

 ①主役の綾瀬はるかは、風邪薬ほか複数のCMに出ているので、顔が茶の間に浸透し、知名度が全国的に高い。

 ②綾瀬はるかが出演した連続ドラマ「仁」は高視聴率を記録したが、綾瀬の貢献度大とされ、その演技力も高評価を得ており、女優としての好感度も高い。

 ③笑福亭鶴瓶の番組(「鶴瓶の家族に乾杯」)に綾瀬はるかが2週連続で登場し、会津を訪ねたが、素(ス)の彼女の「気取らない、のほほんとした性格」は好意的に視聴者に映ったはず。

 ④歴史好きな人が見るNHKの番組「ヒストリア」で「白虎隊」を取り上げるなど、NHKは昨年の轍(てつ)を踏まないよう、番組宣伝に相当力を入れた。

 ⑤「龍馬伝」や「平清盛」では気負いすぎた結果、気をてらったような演出をして失敗し、視聴者にソッポを向かれた反省もあり、「八重の桜」の演出は、重厚でオーソドックスな手法にし、反発要素をなくした。

 ⑥会津という江戸から遠い藩を扱ってはいるが、徳川将軍家ときわめて近い藩であり、国政と大きく関わった動きをしていた点も、普通の藩とは違い、興味を引く。

 ⑦日本人で「白虎隊の悲劇」を知らない者はいないといっていいくらい、知名度が高い。

 ⑧「八重」という女性はこれまでテレビドラマの主役として取り上げられたことはなく、素材としてきわめて新鮮である。

 ⑨女子サッカーの「なでしこジャパン」に代表されるように、近年、日本の女子選手の活躍がめざましく、そうした「男まさりのやまとなでしこたち」が脚光を浴びているが、八重はその先駆者の一人であり、時代に受け入れられる要素がある。

 ⑩NHKは「『八重の桜』は視聴率を狙ったものではない。『被災地福島への応援歌』である」と公言し、視聴者にアピールしている。

 以上のような点が視聴率にプラスに働いていると思われるが、プラス要素と考えられた事柄もちょっと視点を変えると一転してマイナス要素に転じるケースも出てくる。
 たとえば、「八重」を主人公にしたドラマや映画がないとう新鮮さは、「知名度が低い」ということになり、関心を呼ばないといった按配である。


「八重の桜」の視聴率に「マイナスに働く10の要因」

 「八重の桜」の視聴率の足を引っ張ると思われる要因は、私の考えるところでは、以下の10である。

 ①新島八重という人物の知名度が低い。

 ②NHKの大河ドラマそのものへの視聴者ばなれが進んでいる。「紅白歌合戦」は長期低落傾向にあった視聴率を上昇させために新しい試みを断行し、一定の成果を収めたが、大河ドラマでは白黒画像の時代と大差のないやり方を続けており、工夫の跡が見られないと視聴者に思われている。

 ③昨年の「平清盛」の演出がひどすぎて、大河ドラマ史上の最低視聴率記録を次々と更新したことで、「大河ドラマ」への失望感が急拡大し、イメージも失墜。視聴者ばなれが加速した。それが尾を引いている。

 ④八重の二度目の夫になる新島襄は同志社大学の創設者だが、早稲田大学の大隈重信や慶應義塾大学の福澤諭吉と比べると知名度の点で劣る。

 ⑤薩長を中心とした「革命派・維新断行勢力」である官軍と、徳川将軍家に近い会津・桑名両藩を中心とする「守旧派・抵抗勢力」の戦いである「戊辰(ぼしん)戦争」での「白虎隊の少年たちの悲劇」は、よく知られてはいるが、彼らも所詮、時代の流れに逆行した「賊軍」。日本そのものが衰退期にある当今、「敗者の美学」は身につまされ、歓迎されにくい時代状況になっている。

 ⑥会津の藩の「白虎隊」の少年や多数の家臣を戦死・自害に追いやった最高責任者は藩主・松平容保(かたもり)にあるが、彼自身は自害もせず、処刑もされず、長生きしたことに対する反感が日本国民にある。

 ⑦「白虎隊の悲劇」は、何度も映画やドラマになったが、いまさらという思いを抱く人も多い。

 ⑧NHKは「福島への応援歌」として「八重の桜」をつくったというが、会津藩は藩士のみならず、市民も含めておびただしい死者を出したことから、その悲惨なイメージはむしろ東日本大震災と重なり、「応援歌」にはならないという皮肉な見方をする人も結構いる。

 ⑨「会津なまり」を忠実に再現しているが、言葉がわからずセリフを理解できない会話がときどきあり、興を削ぐ。

 ⑩八重は新島襄と結婚し、キリスト教の信者となり、洗礼を受けているが、日本人は仏教徒が多く、宗教的な面で反感を抱く視聴者もいる。

 個人的な話になるが、私は、会津藩と最後まで一緒に戦った桑名藩(三重県)があった桑名市で産湯を使った。そこが母の実家で、私の先祖は、三重県の員弁(いなべ)というところに住んでいた郷士だった。
 一方、別れた嫁の母方の先祖は会津藩の足軽だった。
 そんなわけで、わが娘には会津と桑名の血が流れている。
 ということで、「八重の桜」に対する私の思いは複雑である。

 ところで、桑名藩の藩主・松平定敬(さだあき)は、会津藩主松平容保の弟で、京都所司代も務めた。
 つまり、会津藩と桑名藩は親戚。
 だから、最後の最後まで徳川家に忠誠を尽くし、賊軍となったのである。
 当初は兄容保に付き従うが、のちに意見が対立し、一橋慶喜(15代将軍徳川慶喜)と行動をともにする。

 と、ここで拙著のPR。1月発売の以下の1冊、ぜひお買い求めくださいませ。
 
 Photo
 城島明彦著『世界の名家と大富豪』(750円/徳間書店) 写真などがいっぱい入ったムックです。

 ダイアナ妃と彼女の実家の名がついたヴァイオリン「ストラディバリウス」の秘話や、江戸時代にロシアのロマノフ王朝の女帝に謁見した日本人漁師(大黒屋光太夫)の話も書いてあり、盛りだくさん。

 『広報がダメだから社長が記者会見をする!』(阪急コミュニケーションズ)、宮本武蔵『五輪書(ごりんのしょ)』現代語訳(致知出版社)も、発売中。
 前書では、先日の「アリジェリアの人質事件」のような出来事に際した場合の広報の対応姿勢などについても書いています。
 後書は、76分で読める「乱世を生き抜くためのノウハウ書」という面も強く、これまでも時代の変わり目によく読まれてきた。その意味では、昨今のご時勢にピッタリといえる。
 これまでにたくさんの訳書が出ているが、今回の拙訳が一番わかりやすいのではと自負している。

 ――と、さんざん手前味噌なPRをしたところで、幕でございます。

※以上が1月28日に書いたものだが、アクセスが多いので、その後の「八重の桜」の視聴率(関東地区/ビデオリサーチ調べ)を3月24日放送の第8回「ままならぬ思い」まで追記しておきます。(2月25日)

 5回目18.1%(平清盛16.0%)
 6回目15.3%(平清盛13.3%)
 7回目17.5%(平清盛14.4%)
 8回目15.6%(平清盛15.0%) 参考:江~姫たちの戦国~20.9%、龍馬伝22.3%、天地人23.1%、篤姫22.4%
 9回目  ? (平清盛13.4%) 3月3日放送

 「八重の桜」は、演出も重厚で時代劇としてはとてもよくできているが、いかんせん、前年の大河ドラマの悪評がマイナス要素としてかなり影響しているのではないか。

(城島明彦)

2013/01/25

天知る、地知る、我知る、汝知る

 
いい言葉ですなあ

 楊震(ようしん)という名の官僚がおりましたぞ。
 時代は、いまを遡ること2000年近い昔、中国は「後漢」の時代のお話ですな。

 政治を動かしていたのは、「宦官」(かんがん)。
 キン○マを抜かれた官僚ですな。
 (このようなお下劣なお言葉を使うのは、「汗顔」のいたりではありますが、わかりやすくいうには、この表現が一番でしてな)

 世は乱れ、賄賂(わいろ)が横行しておりましたが、楊震はどこまでも人格高潔。
 そんなものには見向きも致しません。

 そんな楊震のところへ、昔、取り立ててやった部下がやって参ります。 
 それがきっかけで、この男、いい暮らしをしており、
 「これは賄賂ではありません。恩返しの気持ちをこめたお礼です」
 といって、お金を渡そうとしたのですな。

 すると楊震、その金を押し返し、厳しい声でこういったのですな。

 「天知る、地知る、我知る、汝知る」

 誰にもわからないと思っているのかもしれないが、天が知っているし、大地も知っている。それだけではない。私も知っているし、誰よりも君自身が知っている。いつか必ず世間に知られることになる。秘密とはそういうものだ。 人の上に立つ者は、いつも気持ちを引き締め、慎まねばならない。

 いい言葉じゃありませんか。Eの上のFかGカップの評価をあげたいですな。


宦官時代だけに、こんないい言葉をほっておく手はナイチンゲール

 「天知る、地知る、我知る、汝知る」は、「四知」(しち)と申しますな。
 しかし、そんな「しち面倒くさいこと」をいっていると「はち」(蜂)がやってきて刺されかねませんから、先を急ぐことにしますかな。

 おっと、ぼんやり読み飛ばしてなりませんぞ。
 「先を急ぐ」の「急」は「きゅう」、つまり「九」ということですからな。
 こういう漢字を当てるというのは苦渋の選択ではありますがな。
 もうおわかりですな。
 苦渋=九・十。
 七、八、九、十は小さな子どもでも「四知」ております。
 
 ――と、やわらか頭にしたところで、さっそくレッスンと参りますかな。

 問題 「天知る、地知る、子知る、我知る」をお手本にして含蓄のある諺(ことわざ)を創作せよ

 まともに考えてはいけませんぞ。
 創作というのは、クリエイトですからな。
 「栗が8個」でクリエイト。

 日本語力を磨くには、これに限りますな、

 模範解答をいくつか挙げておくので、各自、自習しておくんなまし。

 【解答例】

 ①天知る、地知る、我知る、天知茂

 ②チルチル、ミチル、チルド食品、桜散る

 ③とん汁、煮汁、だし汁、味噌汁

 ④いじる、ほじる、くじる、鼻汁

 だんだん情けなくなって参りましたゆえ、これでおしまいと致しまする。

 
 (城島明彦)

2013/01/22

わが青春の大島渚――大島渚にあこがれて助監督になった青春の日々

あの世へ旅立った大島渚と「松竹ヌーベルバーグ」

 大島渚の訃報に接して、真っ先に頭に浮かんだのは、昭和30年代半ばの日本である。
 あの頃の日本は、どこもかしこも貧しかったが、不思議な熱気があった。
 
 映画は、そんな時代の娯楽であり、文化だった。
 東宝、松竹、東映、大映、日活が毎週2本立ての映画をやっていた。

 フランスで「ヌーベルバーグ」(と呼ばれる新しい映画がつくられ、世界中で話題になった。
 その新しい波は日本にも押し寄せ、当時、大手映画会社の若い助監督連中はその洗礼をもろに受けた。

 助監督から監督に昇進するには、書いた脚本を本社の社長なり映画担当役員が認めてくれることだった。

 松竹では、5社の先陣を切って新しい波に乗ってみようと判断し、助監督を次々と監督に昇進させた。

 その旗手として登場したのが大島渚で、1959年の「愛と希望の街」で監督デビューした。
 光るものを持った作品だった。これはDVDになっている。
 
 私は、大島渚というまるで芸名のような美しい名前の響きにまずひかれ、彼の若さにも関心をもった。


「イオン」発祥の地のミニシアター

 大島渚が注目されたのは、第2弾の「青春残酷物語」だ。
 この作品は興行的にも大ヒットした。
 
 私は当時、中学生で小遣いが少なく、封切館では見れず、一年ぐらい遅れて、四日市駅前の「岡田屋」(現イオン。本社があった店)の2階だったか3階だったかにあった(今風にいうと)ミニシアターで見た。
 50人も観客が入ると満席になる小さな劇場。そこが、私の「思春期の別世界」だった。

 最初、ニュース映画のみを上映する映画館(「ニュース館」と呼んでいた)としてつくられたが、2本立ての劇映画を上映する〝3番館〟に変更したので、小遣いをためて土曜日に学校が終わった帰り道に寄って見ていた。

 3番館のいいところは、東宝映画も松竹映画も日活映画も一緒に見られることだった。洋画も上映し、「天地創造」はここで見た。
黒澤明の「用心棒」や彼の弟子にあたる堀川弘通の「青い野獣」などは、中学時代にここで見た。


日本映画史に残る傑作「青春残酷物語」

 「青春残酷物語」は、川津裕介、桑野みゆきがよかった。
 その後、ビデオやDVDで何度も見たが、これは戦後日本映画史に残る傑作である。
 大島作品で「青春残酷物語」の次に私が好きなのは、第3弾の「太陽の墓場」だ。
 当時〝新人類〟と騒がれた炎加世子が主演に抜擢され、話題を呼んだ。
 大阪のドヤ街を舞台にした猥雑なストーリーだが、斬新な内容で、色彩がすごい。撮影監督は名カメラマンの川又昴である。

 20代半ばの新人監督大島渚が成功したので、松竹の首脳は、斬新な手法のシナリオを書ける篠田正浩、吉田喜重らの若手助監督を年功序列を無視して次々と抜擢した。

 そうした情報を私は立ち読みした映画雑誌や新聞の映画欄の記事から得ていたのだった。
 山田洋次は、才人ではあっても、オーソドックスなシナリオしか書かなかったという理由で注目されなかったという事情を後になって知った。。

 しかし、監督昇進2年目の大島は「日本夜と霧」(1960年)を撮るが、安保反対の反体制派学生たちの政治思想をテーマにしたことから松竹首脳陣の逆鱗に触れ、松竹を辞めてフリーになった。


主演クラスの女優と結婚

 大島ら松竹の若手助監督は、20代で映画監督に抜擢されただけでなく、当時の松竹の人気若手女優をも嫁にした。
 大島渚は小山明子、吉田喜重は岡田茉莉子、篠田正浩は岩下志麻を嫁にし、その嫁を主演に使った映画を次々と撮った。

 外国でも、ロジェ・バディムが愛人ブリジット・バルドーを主演にした映画を撮るなどしていたことから、その頃の私は、若くして映画監督になり、女優と結婚し、自分の思い描く世界を演じてもらいたいなどと、バカなことを考えるようになった。


映画雑誌の立ち読み

 私は、中学校からの帰りに頻繁に駅近くにあった2軒の本屋に立ち寄り、何時間もかけて何種類もの映画雑誌をむさぼり読んでは映画への憧れを強くしていた。

 春休み、夏休み、冬休みが来ると、母の実家である桑名市へ出かけた。
 そこには、2人の従姉妹が購読している「平凡」「明星」といった雑誌が置いてあり、私はそれらを読んだ。


高校時代は本屋と映画館のスチール写真のはしご

 高校生になると勉強が忙しくなり、映画を見る時間がなくなったが、1週間で上映映画が変わると、住んでいた四日市市内の8つある映画館をはしごした。
 といっても、映画を見るのではなく、映画館の前に客寄せのために展示してあるスチール写真を見物して回り、それらの写真から映画のストーリーを想像して楽しんでいたのだ。

 京都の叔母が時々送ってくれる日活の株主優待券を使って、妹と一緒に吉永小百合が主演する映画などを見に行った。

 その頃になると、映画現場を知りもしないのに、「このアングルで取ると、よくない」などと偉そうなことを考えるようになっていた。


気に食わなかった早稲田の映研

 大学生になったときは、早稲田の映研(映画研究会)部を訪ねたが、この部は過激派の根城だったことから「お前、どこから来た」といわれたのに嫌気がさして、入部を断念した。
 (私の知人に早稲田の〝シナ研〟(シナリオ研究会)出身者がおり、彼の話を聞いて私が訪ねたのもそこだと勘違いしていたが、よく考えて見れば、「映画」という字にひかれて私が訪ねたのは「映研」だった。何しろ半世紀近くも昔のことである)

 当時の大学生のほとんどは、映画を論じていた。
 その時代の大島渚は、「悦楽」(1967年)「日本春歌考」(1968年)「絞首刑」(1968年)「新宿泥棒日記」(1969年)といった作品をつくっていた。
 それらの作品は、新宿の伊勢丹の向かいにあった「アートシアターギルド」で上映され、見にいったが、頭でっかちな作品としか私には思えなかった。


東宝の映画助監督

 1970年4月、私は東宝に入社し、映画助監督になったが、本社採用の助監督は10年ぶりだといわれ、驚いた。

 新人研修がすんで、成城学園駅から徒歩10分のところにある東宝撮影所の演出助手として配属されたが、そこは、かつて黒澤明が「七人の侍」などを撮った時代の雰囲気はなかった。

 前都知事の石原慎太郎は、東宝に就職し、助監督として撮影所に配属されることになっていたが、芥川賞を受賞したため、作家になったなどという話を先輩から聞いた。
 
 その後、石原慎太郎が自作を映画化し、監督として東宝撮影所に来るといういう話が浮上したときは、
 「助監督経験もない人間が映画を撮るなど許さない」
 と助監督絵画猛反対したという話も聞いた。

 助監督の入社試験の成績は、石原慎太郎は2番で、1番は後に監督になる西村潔。
 西村と石原慎太郎は一橋大学の同期生で中がいいという話だったが、西村は過日、自殺した。

 私は西村の作品に助監督としていたことはなかったが、東宝撮影所が本社から分離されるというときに、何度か話をする機会があった。
 個性派の俳優になれるような顔立ちをしていたが、心根が優しく、訃報に接したときは寂しい思いにかられた。


酒井和歌子主演映画を撮りたいと思った愚かな日々

 小学生から中学生の頃は東宝の司葉子が好きだったが、私が新人助監督時代の1970年代前半の東宝専属の若手主演女優はといえば、酒井和歌子と内藤洋子ぐらいだった。
 しかし、内藤洋子は結婚して引退し、「結婚するならこの女優しかない」と私が勝手に思った酒井和歌子の出番もなくなっていた。

 「映画の製作本数を減らして外注作品を増やす」
 という経営方針が打ち出され、助監督部、撮影部、照明部などのスタッフの配置転換が発表され、労使紛争が激化した。

 撮影に入る映画の数が減ったため、仕事を割り振られない助監督は自宅待機となり、何をしていようが文句をいわれなかったので、会社の独身寮でシナリオを書いたり、映画館をはしごする〝グータラにして優雅な日々〟を送っていた。

 大島渚の監督デビューした頃とは時代が激変してしまっていたにもかかわらず、私は相変わらず、
 「助監督は、シナリオを書いて評価されるのが若くして監督に昇進する近道」
 と、ひたすら信じ、シナリオや企画書を書きまくっていた。

 いま読み返すと行間から熱い思いが伝わっては来るが、客観的な評価を下すなら「未熟」の一言。
 自己の力を過信し、ひたすら夢を追いかけていた。その愚かさが若さというものだったのだろう。


昔の修行スタイル

 今日と違ってビデオもDVDもなく、映画は映画館かテレビの名画劇場で放送されるものを見るしかなかったから、名画座めぐりもした。

 映画館では、メモ用紙片手に印象的なカットの絵やセリフや書いた。ペン先に電燈がともるシャープペンを「王様のアイデア」で見つけ、それも使って勉強した。

 いまなら、そんなことをしなくても、DVDを静止画像にすれば、いくらでもアングルやカットつなぎの勉強ができる。


映画とソニーの創業者井深大
 
 私の助監督人生は、3年で終わった。

 閉塞的な状況下では、どうあがいても、どう努力しても、20代で映画監督になるのは無理だと考え、それ以前に自分は能力的にも体力的にも演出家には向いていないと考え、普通のサラリーマンになるべく、1973年にソニーへ転職したのだ。

 私を採用してくれた宣伝部の部長が、ソニーの創業者の井深大に、
 「井深さんの早稲田の後輩で、東宝で助監督をしていた異色の男が今度入社しました」
 と報告すると、うれしそうだったという。

 井深は、東宝の前身であるPCLの役員をしていたこともあり、東宝とは関係が深かったからだ。

 その時代、大島渚は、あまり作品をつくらなくなっていた。
 映画監督大島渚の名が復活したのは、私がソニーに転じて3年目の「愛のコリーダ」(1976年)だったが、私は関心がなかった。
 猟奇事件の阿部定を扱った映画ということと、劇中のSEXシーンで取り上げられているという思いが強かったからだ。

 1983年に「戦場のメリークリスマス」が封切られた年に、私は「オール讀物新人賞」を受賞し、翌年、ソニーを辞めて物書き専業になった。
 この映画も私は評価していない、というより、私自身のなかで大島渚という人物への関心がなくなっていた。

 その理由は簡単だ。私の感性が変わっていたのと、「愛のコリーダ」も「戦場のメリークリスマス」も「青春残酷物語」を超える作品にはなっていないと思ったからである。
 
 「歌は世につれ、世は歌につれ」というが、私の青春時代は「映画は世につれ、世は映画につれ」だった。挫折はしたが、その映画の道に進む大きなきっかけを与えてくれたのが大島渚だった。

(城島明彦)

相撲協会に公開質問状! 横綱が下位力士に「張り差し」を頻発するが、その逆がなぜないのか?

推奨する手なら、子ども相撲でマネするよう指導せよ

 大相撲初場所10日目で、白鵬は、自分より下位の豪栄道相手に、また「張り差し」をやった。
 「張り差し」をしないと勝てない相手なのか!?

 「張り差し」については、これまで何度も何度も文句をいったから、もういいたくないが、一向に改まらないので、もういっぺん、いわせてもらう。

 NHKの実況アナウンサーは何人かでやっているが、その日のアナウンサーは、
 「立派相撲だ。豪栄道の上体が浮いた」
 と、白鵬が豪栄道に「張り差し」をかましたことを絶賛するかのような口ぶりだった。

 白鵬は、3日目に妙義龍と対戦して、やはり「張り差し」にいっって黒星を喫しているが、その日の担当だった別のアナウンサー(大坂敏久)は、張り手に対して否定的とも思えるクールな見方をし、取り組み後に、
 「張り手をしてことで、白鵬が状態が浮き、不利な態勢になって押し出された」「取り組み途中でも張りにいった」
 と解説した。
 その言葉には、解説者の感想を求める響きがあった。

 ところが、解説者の北の富士も(元)琴錦も、この言葉に対して沈黙したままでコメントを口にしなかった。
 
 かつて、「張り手」を問題にしたNHKのアナウンサーなどいなかった。
 私は、この大坂アナウンサーを褒めたい。「よくぞいった」と絶賛したい。

 考えてみるまでもない。そんなに立派な手なら、部屋の稽古場で、脳震とうを起こす者が続出するくらい激しく「張り手」の稽古をすればいいではないか。
 どの力士も顔がはれ、耳の鼓膜が破れるまで、徹底的に稽古したらいい。

 
「張り差しが横綱の特権」と化している現状をどう説明するのか

 「張り差し」は技として認められているが、横綱が何度も用いる「堂々たる手」とは思えない。

 下位力士は、横綱に遠慮して「張り差し」や「張り手」を使いたがらないし、実際に使わない。
 たまに使う力士が出ると、取り組み後、横綱は「何をするのか」というような表情で相手を睨みつける。
 朝青龍などその典型だった。

 横綱は、ただ勝てばいいというものではない。
 圧倒的に強いという印象を残す相撲で、美しく勝つ。
 立ち合いで体をかわすといった手を使わず、真正面からぶつかり合い、堂々と勝つ。それが横綱相撲だ。
 先日亡くなった大鵬の相撲はそれだった。強かった。美しかった。
 「乱暴な」という形容詞とは無縁な、横綱相撲を取った。
 双葉山にも同じことがいえた。

 白鵬時代を築いた大鵬のライバル柏戸は、柔の大鵬に対し、豪の柏戸といわれたが、荒っぽい相撲では決してなかった。

 白鵬が大鵬や双葉山にあこがれるなら、下位力士相手に「張り差し」などやるなといいたい。

 「張り差し」はパワハラの一種のようになっている。

 白鵬は、なぜこういうことがわからないのか。「真の相撲道」を知らないからではないのか。

 本人が気づかないなら、相撲協会の人間か、彼と親しいひいき筋の者が話してやるべきだ。


相撲協会はデータを調べ、公表せよ

 相撲協会は、過去何年かにわたって、横綱が下位力士に対して「張り差し」を行った回数と、横綱と対戦した下位力士が「張り差し」にいった回数を調べ、発表してもらいたい。
 と同時に、全国の相撲ファンのアンケートも取ってみたらどうか。

 「張り手」は頬を張るだけにとどまらない。力士の手のひらは大きいので、耳を直撃する。
 この文章を目にした人は、一度、自分の手で耳を張って、どういうことになるか試してもらいたい。
 弱く張っても、決して気持ちのいいものではない。
 強く張りすぎると、鼓膜が破れるので要注意である。

 ◆追記(1月25日記) 相撲協会は「八百長体質」をまだ引きずっている

 このブログがネットに流れた当日(11日目)、白鵬は、このブログをあざ笑うかのように、2日続けて「張り差し」をやった。

 繰り返し何度もいってきたが、下位の力士がなぜ横綱相手に次々と「張り差し」をしないのか。

 下位の力士もだらしがない。
 どうせ負ける相手なら、思いっきり「張り差し」で横綱の耳の鼓膜破りをねらったらどうか。
 
 横綱の「張り差し」はみっともないし、下品で乱暴な手と観客には映る。

 耳を狙った「張り差し」を認めるなら、「顔面への頭突き」も認めたらどうか。

 力士が「張り差し」を受けて、脳震とうを起こし、土俵に崩折れるというみっともない出来事が過去に何度もあるが、「相撲協会」は知らん顔をしてきた。

 相撲協会は、過日の八百長事件で、「大相撲存亡の危機」といわれるほど大揺れに揺れたが、「八百長」については昭和40代から週刊誌などが何度も取り上げていた。しかし、そのつど、すっとぼけてきた。

 いや、それ以前から、金で星のやりとりをしていた。
 7勝7敗で千秋楽を迎えた力士は、ほぼ勝ち越すなどしてきたのだ。それが「伝統」だった。

 角界を代表する横綱が、一場所に4回も5回も、あるいはそれ以上も「張り差し」にいくことに対し、すっとぼける相撲協会は、そういう「世間の常識的な感覚」と違っているのではないか。

 日馬富士は、「張り差し」を自粛しているのか、このところ出ていないが、白鵬はひどすぎる。
 同じ「張り差し」をやっても、白鵬と日馬富士とでは、軽量な日馬富士の方がまだ大目に見られるだろうが、日馬富士の今場所の相撲は、完璧な横綱相撲だ。11日目の相撲で足をいためたのが気になる。

 大相撲は「国技」だ。相撲ファンが「おかしい」と思って疑問を呈していることに対しては、きちんとした答えを示さなければならない。
 すっとぼけるのは、都合が悪いから。そう思われても仕方あるまい。

 NHKには、放送のなかで「横綱が『張り差し』を頻発することの是非」を論じることを要望したい。 

(城島明彦)


2013/01/19

スケールが違う! 『世界の名家と大富豪~華麗な一族の絢爛たる世界~』

昨日・今日の成り上がり者はお呼びじゃない華麗な世界

 安倍政権誕生で、株価も上がり、日本も長い不況を脱しそうな勢いだ。

 暗い気持ちを吹き飛ばすには、浮世離れしたスケールのでっかい世界にしばし浸るのも、また一興。

 世界史を彩った「華麗な一族」の波乱に満ちたお話のテンコ盛り。

 昨年の晩秋から書き始めた拙稿が、2013年1月18日に新発売(税込み750円)でございます。
 12月に発売になった宮本武蔵の『五輪書』現代語訳本とビジネス書『広報がダメだから社長が謝罪会見する!』の校正と重なって、しんどかったが、面白い仕事だった。

 本の内容は、以下のとおり。

  歴史に名を残す名家……ハプスブルグ家、ブルボン家ほか11家

  世界の王家と皇室……英王室、モナコ皇室、日本の皇室14王家・皇室(財産比較もオマケだ)

  世界の華麗なる一族……ロスチャイルド家、ケネディ家ほか6家(一族比較はオマケ)

  日本の名家と名門……徳川家、近衛家など5家(家族制度がオマケ)

  その他コラム……歴史に名を刻んだ女性たち(読んでのお楽しみ)

  Photo

 「世界の名家・大富豪」(徳間書店より発売)
 表紙の肖像画は、その美貌から〝バイエルンの薔薇〟といわれたエリザベート皇妃(愛称「シシィ」)。

 豪華絢爛、永久保存版でございます。

 編集を担当した小西眞由美さんは、働き過ぎて、クリスマスもなく、正月からダウンしてしまった。
 すみませんでした。
   
(城島明彦)

 


 

2013/01/18

〝ニッポンの恥〟〝史上空前のバカ!〟鳩山由紀夫につけるクスリを誰か開発してくれ!

「国賊!」鳩山由紀夫は、豆腐の角(かど)に頭ぶつけて中国で死ね

 政界を引退しておきながら、紛争問題をかかえている中国へノコノコ出かける神経もまともでないが、「尖閣は係争地」と発言したうえに、南京大虐殺記念館を訪問するに至っては、「国賊」以外の何者でもない。

 昔なら、暗殺がふさわしい。
 しかし、いまはそういうことができない時代だから、
 「豆腐の角に頭をぶつけるか、糸コンニャクで首をくくって死ね!」

 こういう男を党首にしていた民主党が、夏の参院選挙で議員数を増やせるはずもない。

(城島明彦)

2013/01/16

日本の相撲は喧嘩じゃないぞ! 白鵬は2日連続の「張り差し」、日馬富士は「頭を張った」


日馬富士の相撲は荒っぽすぎる

 大相撲の初場所が始まったが、新横綱の日馬富士は、2日目の取り組み中、左手で相手力士の頭を張っていた。
 これは動きを見る限り、意識したものではなく、無意識に出たもののようだし、反則ではないが、横綱として美しい相撲ではない。

 問題は、こういう手が無意識のうちに出てしまうという点だ。
 そういう戦い方は、入門以来、体に染み込んでしまった「荒っぽい取り口」「乱暴な取り口」なのであろうが、平幕の力士なら大目に見られても、横綱となるとそうはいかない。

 横綱には「品格」が求められる。
 品格ある相撲とは、双葉山や大鵬のような堂々とした美しい横綱だ。

 日馬富士は、横綱昇進後の最初の先場所で9勝しか上げられなかった焦りも加わって、「何が何でも勝たなければ」という気持ちが先に立つのは仕方がないにしても、横綱となった以上は、「自分は日本の神事に端を発する国技の横綱である」という厳しい自覚が必要である。


白鵬はもっとひどい。意識して耳を張っている

 白鵬は、連日の「張り差し」だ。
 2日目の相撲では、右手で相手の「耳」に当たるように狙った。

 普段、どんなに礼儀正しく、どんなに立派なことをいっていても、土俵上でそう評価できないことをやっては意味がない。

白鵬は、3日目の取り組みでも張り差しにいった。
対戦相手は、先場所、立ち合いで肘(ひじ)をしたから上に押し上げて顎に命中させる「かちあげ」で「脳震とう」を起こさせた妙義龍である。

そういうことを知っていて「張り差し」にいったのだから、明らかに計画的である。

あれだけのことをやって物議もかもしたのだから、続けて乱暴なことはしないだろうと普通は考える。

しかし、白鵬は逆だった。
その行為をよく解釈すれば、「まさか二度続けて、相撲ファンのひんしゅくを買うような行為はしてこないだろう」という常識的な考え方の「裏をかいた」、つまり「意表を突いた」ということになるが、表現を変えれば「確信犯」ということである。

白鵬が負けた相撲は、「張り手」を使ったときが結構ある。
張り手をすれば、その分、張り手をした手の動きは攻撃力が鈍る。
その間隙を突かれて相手にふところに飛び込まれたら、本来の力を発揮できなくなる。


「相手の懐に飛び込んで先手を取れ」と宮本武蔵は『五輪書』でいっている

 昨年、私は、宮本武蔵の『五輪書』を現代語訳したが、彼は、そのなかで、
 「相手に力を発揮させないようにするには、相手の懐にすばやく飛び込んでいき、敵の力を封じ込めることだ」
と繰り返しいっている。

 妙義龍は、先場所、ひどいことになって、どうやればいいか懸命に考えたのだろう。
 肘(ひじ)を使った「かちあげ」は無論、「張り差し」も当然、計算に入れて対戦したはずだ。

 その結果、バカのひとつ覚えのように横綱としての品位を欠く「張り差し」をかましてきた白鵬を、ものの見事に倒した。

 この一戦は、先場所のひじでの脳震とうによる敗戦と並べて日本の相撲史に長く語り継がれる勝負と評価していいのではないか。


何度もやる白鵬の「張り差し」は「虚を突く」とはいわない

 宮本武蔵は、「相手の虚を突け」ということも繰り返し述べているが、白鵬のように自分より格下の相手に何度も何度も同じ「張り差し」を繰り返せば、もはや「虚を突く」とはいわない。

 角界(相撲界)は新弟子が集まらなくて困っているが、日馬富士や白鵬の荒っぽい勝負を見せられて、「相撲取りになりたい」「入門したい」などと思う子供など現れるはずがない。

 本日(4日目)の相撲は、白鵬も日馬富士も、堂々と正面から戦い、横綱にふさわしい相撲を取って勝った。
 そういう立派な横綱相撲ができるのだから、横綱としての品性を疑いたくなるような「張り手」のような手は心して封印すべきである。

 もし白鵬が、今後も下位の力士相手に「張り差し」を繰り返すのであれば、たとえ何度優勝しようと、真の賞賛には値しない。
 もし改めるつもりがないのなら、そういう力士は一刻も早く角界を去れといいたい。

 日馬富士も同様である。

(城島明彦)

2013/01/14

NHK大河ドラマ「八重の桜」(第1回・第2回)は、「平清盛」の反省が生きて、よくできていた

「龍馬伝」「平清盛」と違って、演出がうまい

 大河ドラマの難しさは、次から次へと出てくる歴史上の人物の多さだ。
 まだ2回目の放送が終わったばかりなので、断言はできかねるが、2回見た限りでは連続ドラマとしては、よかったのではないか。

 佐久間象山、吉田松陰、勝麟太郎(海舟)、西郷吉之助(隆盛)ら、幕末の日本を動かした人間を、さらっと紹介している手口は巧みで、見せ方をよく知っていると思わせた。

 「龍馬伝」や「平清盛」では、青臭い青年が実験映画でも撮っているかのような「奇をてらった演出技法」が嫌味で、不快ささえ感じたが、その点、「八重の桜」の演出手法はきわめてオーソドックスで、巧み。好感が持てた。

 ナレーションも、伝説的なNHK番組「光子の窓」の主役だった大ベテランの草笛光子を起用し、難しい言葉や歴史的な出来事を丁寧に説明させているところも評価できた。

 ただ、会津弁に忠実なあまり、何をいっているのか理解できない場面が何度かあった。

 「ならぬものはならぬのです」といわれてもなあ。


音楽は美しいが、不必要に挿入しすぎ

 当今の映画やドラマは、アメリカ映画も日本映画も、やたら音楽を入れたがる。
 芝居だけでは見せられないとでも思っているのだろうか。

 「八重の桜」では、いい音楽をつけているが、本来ならセリフを聞かせなければならない場面でも不必要に音楽を加えている。

 音楽が邪魔してセリフを殺しては本末転倒。
 今後の演出では改善してもらいたいものだ。


日本の四季を美しく撮り、美しく見せた

 高精細度のカメラを駆使して日本の四季を描く以上、美しく撮影し、感動できるような絵柄に仕上げないと意味がないが、「「平清盛」では、頭でっかちな演出家がひとりよがりの妙な演出をし、小汚い画面にしたことで、視聴者から総スカンを食った。

 今回、日本の国花である「桜」をタイトルにつけたからには、それにふさわしい美しい映像が求められたが、それに応える映像に仕上げており、評価できるのではないか。

 「八重の桜」の2回目に、出戻ってきた会津藩主松平容保の姉が和歌を詠むシーンがあったが、美しく描かれていてよかった。
 こういう場面に接すると、「平清盛」の同様の場面の演出のヘタクソ加減が改めてわかって、おもしろい。


八重の「男まさりな性格」を子役が好演
 
 八重の幼少期を演じた子役が、いい表情といい演技をし、生まれついての「男まさりの性格」をよく伝えていた。
 子役の登場シーンをもっと見ていたいと思った視聴者は多かったのではないか。
 
 しかし、そうもいかず、2回目の後半では、綾瀬はるかが演じる大人の八重が登場した。

 「江~姫たちの戦国」では、宮沢りえら3姉妹に少女時代まで演じさせるという無理があったが、その反省が生かされたのかもしれない。

 「家政婦のミタ」でも「悪夢ちゃん」でも子役が魅力的で、ドラマを守り立てたが、八重の子役も同様だった。


気の強い性格が顔に出ていた本物の八重

 篤姫も同様だったが、映画やドッラマでは、特殊なケース以外は、女の主人公はみな美女と相場が決まっている。

 同志社大学の創設者・新島襄の妻だった八重は、残された写真で見ると、男まさりの性格がそのまま顔に出た面相で、綾瀬はるかとは似ても似つかない顔で、好意的に見ても美人とはいいがたい。

 2回目では、綾瀬はるかが米俵を軽々と担いで運ぶ場面があったが、怪力女だったと想像できる。

 八重は女性であり、しかも、のちに賊軍となる藩の武士の娘であるから、歴史的な資料はほとんど残っておらず、描きやすいかもしれない。
 
 これから先どうなるのかはわからないが、初回、第2回目に限っていえば、高く評価できるのではないか。

(城島明彦)

2013/01/09

犯罪者(木村剛)と組んだ竹中平蔵の起用は、安倍政権のアキレス腱

  
    
「一度失敗した人間でも、成功できるかどうか」の試金石

 日本国民は、民主党政権のあまりのひどさを味わったこともあって、安倍自民党政権への期待をふくらませている。

 安倍首相自身が、前回の〝第一次おともだち内閣〟を途中でブン投げたことへの国民の怒り・失望・批判の声はまだ完全に払拭されたわけではないが、安倍リタイアの主要原因が病気にあり、志半ばでリタイアしたのだから「リベンジの機会」を与えてもいいとの思いもある。

 安倍自身も口にしていたが、多くの人間は「人生で失敗」しており、もし安倍晋三という男が再チャレンジして成功すれば、一度の失敗で他人からスポイルされたり、自身が諦めたりするのは間違いであるということを実証し、人々に勇気と希望を与えることになる。

 そういう点が、安倍晋三への期待要素となっている。
 しかし、第一次安倍内閣あるいは小泉政権時代に国民を欺いた「ゴースト」を、再び日の当たる場所に復帰させようとするのであれば、話は別だ。

 日本をダメにしたA級戦犯・竹中起用で、安倍への「不信感の芽」が生じた
 その象徴的な出来事の一つは、小泉政権下で犯罪者(木村剛)と結託した竹中平蔵金融相だ。

 安倍晋三は、内閣の目玉として金融政策・財政政策・成長戦略を「3本の矢」として前面に押し立てたが、そのブレーンの一人に竹中を起用したところに、安倍内閣の裏の危険な顔が見え隠れし始めた。

 竹中をブレーンとして起用したことで、安倍への失望感が生じたことを本人は気づいているのか。


安倍内閣は「焼き直し免罪符内閣」なのか?

 竹中平蔵は、「何でもかんでも民営化路線論者」であるだけでなく、今日の「日本人の貧富の格差」を生んだ張本人であり、いわば「A級戦犯」である。

 竹中は、調子よく、ぺらぺらとしゃべることで「白を黒といいくるめる典型」で、日本経済の再生を不可能にしてしまった元凶の一人である。

 そんな男がまたぞろ出てくるのを国民のほとんどは望んではいない。
 「竹中の我田引水理論」で煮え湯を飲まされた企業の怨念の声は、まだ収まっているわけではない。
 竹中起用によって、安倍内閣は不信感を背負うことになる。
 どんな強力な布陣であっても、無用な失点を防がないと内閣への不信感が少しずつ増えていく。

 竹中のような「爆弾」をかかえた時点で、安倍晋三に対する信頼度への失望感を抱いた人間は決して少なくなく、安倍内閣というのは、昔の古い自民党体勢を厚化粧して誤魔かすなどして、さも新しいことをやっているように見せかけているのではないか、という思いを国民に抱かせた。

 つまり、安倍内閣の政策は、「旧自民党時代の単なる焼き直し政策」だけなのではないかと思わせるきっかけを竹中起用人事は国民に抱かせたのである。

 このことは、下手をすると、民主党政権同様の「口先だけ」という印象を与えかねない。
 新しい酒は新しい皮袋に詰めるべきである。
 古い皮袋を引っぱり出せば失点を招く。


犯罪者・木村剛の「任命責任」はどうした!?

 民主党政権時代、自民党は「任命責任」と声高に叫んで、失言した大臣を次々と失脚に追い込んだ。
 だが、竹中が金融庁顧問に起用し、犯罪者として逮捕された木村剛を「任命した責任」を取っていない。

 木村剛は日本振興銀行を破綻に追い込み、刑事責任を問われた。
 だが、その裏で自身は一生困ることがないくらい私腹を肥やしまくった。

 木村に日本振興銀行をつくらせたのは竹中だ。
 その「任命責任」を問われなければならない危険な人物が、なぜ再び桧舞台で出てくるのか。
 そんな男を安倍晋三はなぜブレーンにしたのか。しなければならなかったのか。
 人材がいないと思われても仕方がない。
 それとも、互いの古傷をなめ合うには最適と考えたのか。

 安倍内閣は、「失言の少ない実力者」をそろえているが、古傷をかかえた竹中のようなブレーンが表に出てくると、安倍晋三への評価におおきくマイナスに働く。

 安倍晋三が「リベンジ」を唱えるのと、「竹中に汚名を挽回する機会を与える」のとは意味が本質的に違っている。
 安倍のセンスが問われる。


新浪・三木谷は今風のイメージだが、額に汗する感覚ではない

 同じく安倍のブレーンのローソンの新浪剛史社長(慶応大経済学部⇒三菱商事⇒ハーバード大大学院)、楽天社長の三木谷浩史(一橋大⇒興銀⇒ハーバード大大学院)も、小泉時代の「IT」「イケイケドンドン」「ニュービジネス」といったバブルイメージである。

 MBA取得が一時ブームになり、企業人が会社のカネで留学する例が多かったが、彼らは頭でっかちになって帰国後、一国のあるじになりたがり、留学させてくれた会社を裏切って辞めていく者が多かった。
 
 商社もネット商店も、モノを右から左に流す物流で稼ぐ商売である。
 「いかに額に汗せずにガバッと稼ぐか」
 の代表格が新浪であり、三木谷だ。

 そういうやり方は、「長い年月かけて汗水流して育て、収獲した米や野菜を売って生計を立てる」農耕民族としての日本人の伝統的な生き方や考え方ではなく、弱肉強食の西欧的肉食民族の生き方・考え方である。

 そうした生き方には「要領のよさ」という言葉が似合うが、それは、日本人本来の精神であり美徳である「愚直」な生き方の対局にあるアメリカ流の生き方である。

 愚直さを捨て、より安易で手っとり早い道を是とする風潮は、日本人を堕落させることにつながった。

 第一次安倍内閣は、「美しい日本」というスローガンを掲げたが、そのなかにはそういう考え方もあったのではないか。

 
安倍内閣への高評価は「期待値バブル」 

 民主党があまりにもバカすぎたために、国民の安倍内閣への期待値は実体以上に膨らんで見える。
 その構図は、自民党から民主党に政権が移ったときと同じだ。

 しかし、自民党議員は、一度政権を失ったことですこぶる謙虚になり、先の衆議院選挙で大勝したときも、自分たちの力であると誇示することはなかった。
 民主党政権時代の雌伏している間に、そうしたことを考え続けてきたのだろう。
 その点を国民は高く評価した。

 安倍が健康を回復し、元気が出る発言を繰り返し、しかもスピーディに次々とわかりやすい政策を打ち出したことで、株価も上昇し、国民の気持ちも明るくなりつつある。

 その点は高く評価できる。

 安倍自身が昔やり残したことをやるのは大いに結構だが、「国民に甚大なる被害を与え、日本という国家の威信も大きく失墜させた張本人として厳しく指弾」された竹中のような人間にまでリベンジの機会を与えるとなると話が違ってくる。

 竹中の場合は、リベンジではない。
 安倍晋三は、敵失に乗じてシャシャリ出てきた戦犯の開き直りの機会まで提供している。
 そういう目で見られることになった。
 国民やマスメディアが重箱の隅を突つき始めると、内閣には決してプラスには働かない。


何でもかんでも「公共事業投資」の時代ではない。昔と今では事情も規模が違う 

 安倍晋三は、自民党お得意の「公共投資路線」に活路を見いだそうとしている。

 「公共投資で需要創出路線」は、1929年の世界恐慌でアメリカが実施して以来の伝統的経済政策であり、不況突破の基本策ではあるが、時代が違う。

 「焼け野原から始まった日本再建」と、「豊穣時代の今日の再建」とでは事情が大きく異なる。
 1969年の東京オリンピック招致は、敗戦国日本が国家的維新をかけた壮大なプロジェクトだった。

 東海道新幹線、東名高速道路、全国の道路の舗装化、都市圏での地下鉄など交通網の拡張、ガス・水道・下水(水洗便所の普及)など近代都市になるための大規模なインフラ整備のための公共投資をし、それが日本の高度経済成長路線の起爆剤となった。

 何もないところに次々とインフラを大構築していったのだから、経済効果は目を奪うものがあった。
 近年の中国と同じだ。 

 ところが今は、どうか。
 全国各地を新幹線や高速道路が結び、農道まで舗装がゆきとどいている。
 ガス・水道・下水道も驚くほど整備されている。

笹子トンネルでの事故が教えているように、その当時、破竹の勢いで構築された公共工事が耐用年数に達し、ガタピシしてきているのを、補修するために投資する必要があるというのが、今日の公共投資である。

 これまで公共投資を抑制するといって、途中で放棄されていた道路工事を何十年ぶりかで再開すると行った程度では、効果は一時的なものでしかない。1960年代とはスケールそのものが違っている。

 安倍晋三が総裁選に出るといったときは批判したが、健康であり続けるのなら、その手腕に期待する。
 しかし、結果がすべてである。
 もしまたコケたら、そのときは、安倍晋三は土下座して日本国民に謝らなければならなくなる。

 ◆2012年12月発売の城島の著作物(PR)

 宮本武蔵『五輪書』現代語訳(致知出版社)と『広報がダメだから社長が謝罪会見する!』(阪急コミュニケーションズ)

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(城島明彦)

2013/01/05

新年の初映画は恋愛物DVD4作。ペネロペ・クルスからカトリーヌ・ドヌーブまで。

        
恋愛物にも種類がある

 2013年のお正月は、くだらない番組を垂れ流しているテレビなど見ずに、TSUTAYAから借りてきた映画を見て暮らしたのでございます。

 元旦は西洋の王朝物を見たので、2~3日は恋愛物にしましたぞ。
 借りたDVDは4本。どれも面白かった。
面白かった順に並べると、

 「コレリ大尉のマンドリン」(2001年アメリカ映画)
 「パリジェンヌ」(1961年フランス映画。白黒映画)
 「ハモンハモン」(1992年スペイン映画)
 「恋するモンテカルロ」(2011年アメリカ映画)

①「コレリ大尉のマンドリン」(2001年アメリカ映画)
(主演は、1974年生まれのペネロペ・クルス。共演はニコラス・ケイジ)

 原作がありますな。第二次大戦中のギリシャの小さな島で実際にあった出来事をベースにして創作した原作は、1994年にイギリスで発売され、ロングセラーとなっておりますぞ。
 映画では1940年から1947年までが描かれておりますが、必ずしも原作どおりではなく、主人公の島娘をめぐる婚約者と新しく現れる恋人との関係などをうまく造形してありますな。

 監督は、「恋するシェイクスピア」で有名になったジョン・マッディン。
 
 この映画での演出力は群れを抜いておりますぞ。
 カメラワーク・編集力も秀逸。
 日本の演出家は、こういう映画の技法を学ぶべきですな。
 
 第2次世界大戦中の話で、イタリアとドイツに占領されたイオニア海に浮かぶ小さな美しい島が舞台ですな。
 島の名は、ケファロニア島。カリフォルニアと似ておりますが、ギリシャ語の悲劇の島ですな。

 この島では、ドイツ軍がイタリア兵や島民らを数千人規模で殺戮したという悲しい歴史がありましてな。
 それだけではございません。戦争が終わって平和が戻ったと思ったら、1953年に島を大地震が襲い、大被害が発生したという歴史的事実があるのですな。
 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の生まれ故郷の島(レフカダ島)が、ケファロニア島のすぐ近くにあるというのも興味を引きますな。

 映画は、中立を守っていたギリシャが、ムッソリーニのイタリア軍が隣接するアルバニアとの国境に迫るに及んで、出兵。兵力で圧倒するドイツ軍に勝利するあたりから、お話が始まりますな。

 しかし、イタリア軍には買っても、同国と同盟を結んでいるドイツ軍が黙ってはおりません。援軍を送り、やがて首都アテネなどを占領してしまい、島にも駐留軍がやってくるのですな。

 そのなかに、背中にマンドリンをしょったイタリア人大尉(ニコラス・ケイジ)がおりましたな。
 音楽大好きで陽気なこのコルレ大尉は、婚約者のいる美しい娘ペラギア(ペネロペ・クルス)と出会って恋に落ちてしまうのでございます。

 17歳の島娘を演じる黒髪・黒い瞳のペネロペ・クルスの顔は、TBSテレビのアナウンサー小林悠(はるか)(「朝ズバッ!」に出ている)と面影が似ておりますぞ。悠嬢は日米のハーフですが、ラテン系の先祖が混じっているのですかな。

 島娘は医者のひとり娘で、父ひとり娘ひとりという設定もなかなかよろしい。
 彼女は、父の後を次いで医者になろうとする知的な女性。

 大尉は、村人を招いての慰安会で、彼女に捧げるマンドリン曲を演奏します。
 堂々たる愛の告白ですな。

 いたってまじめな映画ではありますが、監督はサービス精神旺盛。ペネロペ・クルスはラブシーンでは胸を出しての大サービスがありますぞ。

 ドイツ軍は、イタリアが連合軍に降伏すると武器を供出させた上、駐留兵を銃殺しますな。
 大尉も撃たれますが、奇跡的に助かります。死んでしまっては話が続きませんので、小説や映画では、これでいいのですな。

 ナチスに狙われ、大尉に危険が迫ると、ペネロペ・クルス扮する島娘の婚約者でレジスタンスのリーダーが、大尉を夜陰に乗じて船で逃がしてやります。

 やがて戦争が終ったと思ったら、今度は大地震に襲われます。
 医師と娘は無事。ある日、イタリアから小包が届きますな。
 明けるとレコード。コレリ元大尉がマンドリンではなくギターで弾く彼女に捧げた曲でありました。

 地震に遭っても島娘はめげることなく、医師になって頑張り、
 「あの人は、いつ来るす?」
 とペネロペ・クルス。

 その思いが通じたのか、コレリ大尉は、思ったより早く来(こ)れり!? 
 復興なった島へ、ある日、ひょっこり訪ねて来たではありませんか。

 しっかと抱き合う2人。愛は国籍を超えて――いい年をして、また泣いてしまったのでありますな。

 ものわかりのいい医師の父親を演じたジョン・ハートが何ともいえず、いいですな。ジョン・ハートは、「エレファント・マン」で有名になったイギリス人俳優ですな。

 婚約者がいる娘が異国の男に恋した娘に、恋や愛について語って聞かせる場面が印象的ですな。
 
 「恋というものは、一時(いっとき)の狂気に過ぎない。まるで地震のように突然生じ、やがておさまる。おさまったとき、決めなければならない。ゆっくりと考えて、互いの根っ子が切り離せないほどしっかりと絡み合っているかどうか、答えを出さねばならない。なぜなら、それが愛というものだからだ」

 音楽は全編を通して美しく、大尉が彼女のために作曲し、マンドリンで演奏する「ペラギアの歌」の哀愁をおびた旋律は、胸を打ちます。

 二度、三度と見ても、そのつど感動するいい映画でございます。


②オムニバス映画「パリジェンヌ」(1961年フランス映画。白黒映画)
 第1話:主演は、1940年生まれのダニー・サヴァル
 第2話:主演は、1927年生まれのダニー・ロバン
 第3話:主演は、1931年生まれのフランソワ・アルヌール
 第4話:主演は、1943年生まれのカトリーヌ・ドヌーブ。共演は、同年生まれの歌手ジョニー・アリディ。

 いいですなあ、1960年代の花の都パリは!

 そのもっと遥か昔から、日本人は、
 「花のパリーかロンドンか、月が啼(な)いたかホトトギス!」
 などと、憧れておりましたな。

 パリといえば、パリジェンヌ。
 「パリのお嬢さん」ですな。
 ジェンヌではなく、ジャンヌ・モローという名の有名なフランス人女優もいましたぞ。
 おっと脱線はいけません。パリジェンヌの話でしたな。

 宝塚は、パリジェンヌをまねて「タカラジェンヌ」と命名しましたな。
 うまい! 
 うまい話にゃ裏がある。ウマイヤ朝は、7~8世紀頃のイスラム圏の王朝でございます。
 
 銀座娘なら銀座ジェンヌで、渋谷娘なら、シブヤジェンヌ。
 う~む、あまりい響きではありませんな。
 しかし、新宿の中年女なら、ジュクジョ。これはピッタリきますぞ。
 
 というわけで、ここで道草少々、ちょいとばかり「フランス語基礎講座」と参りますかな。

 ボンジュール(bonjour こんにちは) 鼻、ジュールジュール。

 サヴァ(Ca,va? やあ) サバ、マグロ?
 
 セ・ボン、セ・ボン(C'est Bon! C'est Bon! いいね、いいね) ウィスキー・ボンボン?

 コマタレブー(Comment allez-vous? 調子はどう?) 困ったね、ブーッ! あっ、失礼

 ケ・ス・クセ?(Qu`est-ce quec`est? これ、何?)  尻(ケツ)くせえ? 失礼ね!
 
 いけませんな、またダジャレに走ってしまった。
 本題の映画「パリジェンヌ」に戻りますぞ。

 ▼第1話
 主演女優ダニー・ロバンは、目バリ、バリバリ。会話も動きも早いテンポの進行具合が、パリのエスプリの香りを漂わせて、なかなかグッドです。
 足をクネクネする踊り「ツイスト」も、随所に出てまいります。
 ツィストは「ねじる」という意味ですな。

 ▼第2話
 主演女優はダニー・ロバン。この映画ではオバンにさしかかりつつあった年齢ですな。結婚していながら元恋人とアヴァンチュールする話ですな。
 
 「アヴァンチュール」というフランス語もいいですな。
 恋の火遊び。
 Aventure

 Aventure(アバンチュール)に、〈d〉を入れると、adventure (アドベンチャー) 

 Aがキス、Bがペッティングで、Cがセックス、Dは腹が出て「妊娠」。は「危険な冒険の匂い」というわけですかな。

 映画の方の主演は、第1話がダニー・サヴァルで、第2話がダニー・ロバン。
 2人のダニーでございます。

 ダニーといえば、アメリカではダニー・ケイ。
 「ダニー・ボーイ」という歌もありましたな。
 日本では、ダニー飯田とパラダイスキングの時代。
 ダニー・ケイを日本風にアレンジした「ガチョーン!」の谷啓もいましたぞ。

 ▼第3話
 主演女優は、「その薬、どこにある塗~る」のフランソワ・アルヌール。
 小悪魔的女を演じ、親友の彼を寝取ってしまう話でございますな。
 アルヌールは、かなり有名なフランス女優でしてな。「フレンチカンカン」、ジャン・ギャバンの「ヘッドライト」、「ダイヤモンドに手を出すな」などに出ていましたな。

 フランス映画は小悪魔とか悪女を描くのが好きですな。
 小悪魔役といえばブリジット・バルドーがハマリ役でしたな。
 悪女役は「マドモアゼル」で田舎教師を演じたジャンヌ・モローが頭をよぎりますが、H・G・ウェルズのSF小説「モロー博士の島」とは何の関係もありませんな。

▼第4話
 第4話は、かのカトリーヌ・ドヌーブの記念すべきデビュー作でございます。
 
 カトリーヌ・ドヌーブは、スターになるべくして銀幕に出現した数少ないパリジェンヌの一人でしょうな。
 この第1作からして、すでにキラキラと輝いておりますぞ。
 この作品の2年後に主演したミュージカル映画「シェルブールの雨傘」で、彼女は一躍、世界スターの仲間入りするのですな。

 ③「ハモンハモン」(1992年のスペイン映画)
 (主演は、1974年生まれのペネロペ・クルス)

 一言でいうと、スペインのド田舎で繰り広げられる「性春映画」。
 いってみれば、1960年代の大島渚風の映画ですな。
 
 主演は、前述したスペインを代表する女優ペネロペ・クルスで、これが記念すべきデビュー作ですな。
 そのデビュー作で、うれしいじゃありませんか、いきなり吸乳シーンとは。
 「オッチッチ」
 と驚いてしまいますな。

 ♪ チューチュー 中外のグロンサン

  DVDの円盤には、パイチュー画像がプリントされているので、借りるとき恥ずかしいかも。

 ♪ ラメちゃんたら ギッチョンチョンで パイのパイのパイ
 
 早とちりしたらイカンがね、まじめな映画だで。

 ペネロペ・クルスは、黒い髪に情熱的な黒い瞳、引き締まった体は、モデル上がりでございます。
 168センチという背丈は、アメリカ女のようにドでかくはなく、しかも小顔とくるので、日本人好みでありますな。

 その肢体は、「カルメン」に象徴されるスペイン女性の理想的体形であり、顔つきでございます。

 恥ずかしいパーツであろうと、一度さらけ出してしまえば、もう怖くはありません。
 ペネロペ・クルスは、その後の作品でも、ペロン、ペネロペと脱ぎまくるのでございます。

 そして脱ぐたびに大きく成長していくのだから、素晴らしいじゃありませんか。
 こういうのを「脱皮」というのだっぴ?

 その度胸のよさはハリウッドからも注目され、トム・クルーズの恋人と騒がれるまでに大出世を遂げ、もはや、
 「クルスうない、近こう寄れ」
 などと軽口を叩ける相手ではなくなったのでございます。

 そして彼女、2008年にはついに、「それでも恋するバルセロナ」で「アカデミー賞」(第81回)の助演女優賞まで手にするのでありました。

 ところで、映画の題名の「ハモンハモン」。
 この「ハモン」は何といえば、「ハム」ですな。
 「ハムは栄養があるから、よく食(は)むのじゃぞ」
 と思わずダジャレが出てしまいますな。

 ハムといえば、スペインの「ハモン・セラーノ」(生ハム)が世界一でございますな。
 それを意識してか、ラストシーンでは、若者二人がペネロペ・クルス演じる娘をめぐって、ハモン・セラーノを棍棒がわりに殴り合うという、「ハモン対ハモンの一騎打ち」で波紋を呼ぶ映画でございます。
 「ハモン、ベイビー!」
 「 は? 文句あるか」
 と、最後はさびしく、なさけないオヤジギャグと相成りましてございます。

 ついでにいうと、「ハモン」はスペイン語では「JAMON」と綴ります。
 よって、JAPANは「ジャパン」ではなく、「ハポン」ですな。


④「恋するモンテカルロ」(2011年アメリカ映画)
 (主演は、1992年生まれのセレーナ・ゴメス主演)

 テキサスの女子高生が、アルバイトして金を貯めて、友だちとパリに旅行に行き、そこからモナコのモンテカルロへ飛び、富豪霊場と間違われ、大騒動というコメディタッチの青春B級映画でございます。

 目鼻口が近距離にある顔立ちは美人ではなく、キュートとでもいうべきでしょうかな。

 B級と評価したり、お顔をけなしたりして、セレーナ・ゴメス、ゴメンなさい。

(城島明彦)

2013/01/02

「OH! 生姜2個だ」(「お~ショウガ・ツーだ」)で「お正月だ」。DVD4本、見てしまった


「日真名氏(ひまなし)飛び出す」と大津美子

 何の因果か、ここ何年も、なぜか年末も正月もない最悪の仕事のスケジュールだったが、旧年末から新年にかけては差し迫った締め切りのある仕事からは解放された。

 何年ブリか、シマアジか?

 ――などと、しょっぱなから、水っぱなを垂らしつつ、オヤジギャグをぶっ放し、旧年中に賀状もなんとか書き終えることができたのでありましたぞ。

 となると、oh! 正月はヒマだ。

 ♪ おヒマなら きてよね
    わたし さびしいの 

 ヒマといえば、懐かしのテレビ番組「日真名氏(ひまなし)飛び出す」か?
 といっても、昭和30年代に放送された番組を覚えているのは、団塊世代以上のジジババだけだ。

 ♪ ジージーバッバ ジーバッバ
   スズメの学校の 先生は

 ジジババといえば、連続ドラマ「白い桟橋」はどうなった。DVDは出ないのか。
 大津美子がテーマ曲を歌っていた「白い桟橋」。

 ♪ 海に突き出た 白い桟橋
   はてしなく はてしなく
   波とたたかう

 話があっち、こっちへ飛ぶのが、オイラの特徴。しんぼうするのだぞ、大五郎。
 
 正月に見るDVDをTSUTAYAで借りたという話をするのに、あっちへ寄り道、高木守道は中日の監督。

 旧作を4本借りたら、「ポイントを使いますか」とレジの店員がいうので、頷くと、代金はたったの200円ぽっきり。
 
 ♪ ぽっきり ぽっきり ぽっきりな。

 うれし恥ずかし、ジジイのレンタルでござった。


大津美子「ここに幸あり」

 そうそう、大津美子の話だった。年をとると、いったそばから忘れてシマダヤのうどん。
 うどんに魯鈍(ろどん)、魯迅(ろどん)にロンドン塔、ロダンとくれば「考える人」。
 そこでオイラも考えた。

 大津美子といえば、「ここに幸(さち)あり」。
 この人、70半ばになって、まだ稼いでおいでだ。
 あんたは、偉い。なが~い目でみてください。

 オイラは、小学生の頃、「ここに幸あり」をラジオで聞いて感動し、いまでも繰り返し聞くことがある。
 若い人で知らない人は、you tube で聞いてごらんなさいな。

 大津美子といえば、

 ♪ 東京アンナ 不思議なアンナ

 というのもあった。

 梅宮アンナも不思議なオンナだが、アンナのお父さんの梅宮辰夫の青春時代には、こんな歌詞の歌謡曲が流行っていたのですな。

 「東京アンナ」
 関西弁の「あんなあ」は関係ありません。

 アンナといえば、
 トルストイの名作「アンナ・カレーニナ」を思い出す。
 林間学校じゃあ、引率の先生に「あんなにカレー煮るな!」と、まぎらわしい叱られた方をした子もいたぞ。
 「あんな可憐な」彼女は、いまどこに?
 ……放置すると、暴走を続けるオイラの脳じゃけんね、このあたりでストップだい。


あんた、泣いてんのね

 はてさて、大津美子といえば、松山恵子だ。
 セリフの「あんた、泣いてんのね」で始まる歌を歌った松山恵子。
 このセリフに続いて歌が始まるが、聞いてビックリ、腰ぎっくり。
 「だから」で始まるじゃありませんか。

 これこれ、かくかくしかじか。だから、という文脈が普通だが、それをいきなり「だから」で始める発想の斬新さ。
 作詞は松井由利夫。さすがですな。
 氷川きよしの「箱根八里の半次郎」も、松井由利夫の作詞。
 残念ながら、この人、数年前に鬼籍に入ってしまいましたな。

 ♪ だから いったじゃないの
   港の酒場へ 飲みに来る
   男なんかの いうことを
   ほんきに ほんきにするなんて……
 
 「港の酒場」などという表現は、当今はまったく流行(はや)りませんが、昭和30年代は「定番」のごとく歌謡曲に使われておりましたな。
 ついでにいえば、「マドロス」なんて語も、いまじゃ「死語」と成り果ててしまいましたな。

 いやいや、そんなことはどうでもいい。
 「だから云ったじゃないの」の話だった。
 この言葉は、いまなら「流行語大賞」ものですな。
 しかし、松山恵子も、先年、あの世へいってしまいました。


そういえば

 そういえば――

 (ジジイになると、「そういえば!」、こればっかしだ)
 と自嘲しつつ、

 あっちへふらふら、♪フーラフープ (伊東ゆかりの「フラフープ」じゃな)
 こっちへふらふら、♪ブラブラ、ブンラ

 この「ブラブラブ~ラ」(ブ~ラが「ブンラ」と聞こえた)は何のCMの一節だったか、忘れてしまった。
 年はとりたくナイチンゲールでありますなあ、ご同輩。

 この「ご同輩」も森繁久彌がラジオ番組で繰り返していたフレーズですな。
 向田邦子が台本を書いていたラジオ番組「重役読本」だった。
 これも古井由吉、いや古いですなあ、ご同輩。


大津美子はまだ歌っていた

 そういえば――大津美子は年末の紅白の裏番組(テレビ東京のナツメロ番組)に出ていたな。
 70代半ばで、まだ現役。元気ハツラツ、オロナミンCだ。

 ナツメロでは、大ヒット曲「ここに幸(さち)あり」を歌っていた。

 ♪ 嵐も吹けば 雨も降る
    女の道よ なぜ険し

 この歌は、昭和31年(1956年)に大ヒットした歌だ。
 当時は、男の道も険しかったが、女が男に頼って生きていた時代だから、女が一人で生きていくのは険しかったのですな。

 女の幸(さち)は どこにある。
 ♪ さっちゃんはね さちこっていうんだ、ほんとはね

 あゝ春や春、春南方のロ~マンス、幸子の幸は、いまいずこ?
 
 「ここに幸あり」がヒットしていた頃のオイラはといえば、毎週毎週、ラジオの歌謡番組のベスト10のような番組を聴きながら、せっせと鉛筆を走らせて歌詞をメモっては、歌詞を覚えていた。

 そういうことを繰り返しているうちに、いつのまにか、歌詞の世界を自分の頭のなかに好き勝手に思い描く創造的習慣が身についってしまったのだから、バカになりませんぞ。
 ラジオだからそうなったのであって、これがテレビだとそうはいきませんわな。

 「ここに幸あり」は同名の松竹映画の主題歌でもあったので、町のあちこちで見かけた映画のポスターを張った立看板の漢字や言葉の使い方も自然と覚えてしまいましたな。

 振り返れば、オイラは小学生にしては、ヒネこびたガキであったけれど、結果的には、それがボキャブラリーの蓄積につながったのでしょうかな。


ペンギン葉山と「おとうさん犬」

大津美子―松山恵子と続くと、ペギー葉山を連想してしまいますな。

初めて彼女の名前を聞いてしばらくは、「ペンギン葉山」と思っておりましたな。

 ペンギン葉山とくれば、根上淳。彼女の夫だった元大映俳優で、すでに鬼籍の人ですな。
大映映画の作品は、めぐりめぐって、いまじゃ角川書店の保有となりました。

 京マチ子、山本富士子、若尾文子、叶順子、野添ひとみ……大映の最後を飾った女優たちは、「銀幕のスター」と呼ぶにふさわしい人たちでしたなあ。
 当時の少年の目には、妙にコケティッシュな「危ない感じ」の印象を受けた叶順子も、いま見ると、結構おみあしも太めで、そんなにグラマーではなかったのですな。


旗本退屈男の三日月傷

 おっと、連想に次ぐ連想で、ホウレン草もビックリするほど、横道・脇道へとどんどん分け入ってしまい困ったもんだ。
 もんだとくれば、肩揉んだ、ではなくて、モンダミンでもなくて、モンドリアンは西洋の画家。
 日本人なら主水之介(もんどのすけ)。退屈男ときたもんだ。

 「この眉間(みけん)の三日月傷が目に入らぬか。天下御免の三日月傷」
と見得(みえ)を切る「旗本退屈男」こと早乙女主水之介(さおとめもんどのすけ)は、パッ! 市川右太衛門だ。

 右太衛門が退屈だった頃、子どもは欣也だった。
 わかるかな、わかんねえだろうなァ、イエーッ!

 退屈男の息子はいまじゃ、日本語を話せる犬だ。
 ソフトバンクのCMで「お父さん犬」の声をやっている北大路欣也のお父さんが市川右太衛門だ、わっかるかな、わかんねえだろうなァ。

 いかん、話が大映から東映に移って島田正吾。
 島田正吾は新国劇。
 新国劇出身の東映スターといえば、大友柳太朗。
 大友柳太朗と云えば、東映だ。いかん、また東映にいってしまった。


ペンギン葉山いやペギー葉山の話だった

 ペギー葉山は、バタくさい顔とバタくさい声に特徴があったが、それがかえってよかった。
彼女の歌う「南国土佐を後にして」(昭和34年/1959年)は大ヒット。映画にもなった。

ペンギンから連想してしまうのは、サンスターの古~いCMですな。

♪ 氷のお山で すまし顔
   いつも気取って 燕尾服……
   ペンギン ペンギン かわいいな

 そういえば、昔、サンスターの塩野義製薬にえらく態度のでかい宣伝課長がいた。
 年も私より下でありながら、すこぶる横柄。
 さほど大きくもない会社の社員でありながら、いばりくさっていた。
 広告会社あたりからチヤホヤされて、それが自分の実力と勘違いしていたのではないか。
 ユンケルの宣伝課長は、もっと態度がでかかった。

 そういう器の小さい人間は、定年退職してはじめて「己の真の価値・評価」に気づくことになるが、時すでに遅し、だ。

 「あんな大きな会社の社員なのに、腰が低い」
 と思われてこそ、企業価値も高まるのだ。
 (この一言に共感した人には、12月に発売された『広報がダメだから社長が謝罪会見する!』という本がおススメだ。誰が書いた本かって? うへぇ、オイラでごんす)


正月に見たDVDの話……「ヴィクトリア女王」「狂女フアナ」「ブーリン家の姉妹」

 あっちへよろよろ、こっちへふらふら、もとに戻って、正月に見たDVDの話だ。
 借りたDVDは、「ヴィクトリア女王~世紀の愛~」「ブーリン家の姉妹」「狂女フアナ」そして白黒の日本映画「風の視線」。洋画ばかりで飽きるだろうと、変化をつけたつもりが、これが大失敗。
 前に借りて見ていた。原作松本清張で、監督は川頭義郎(俳優川津裕介のお兄さん)。

 原作者の松本清張が何シーンかに出演していて、しっかりしたセリフもいっている。

しかし、この日本映画は音楽がいけません。「風」という題名を妙に意識したあまり、ヒュードロドロの怪談に近い効果音風の音楽が随所にふんだんに盛り込まれていて興を削ぎまくる。

 誰が音楽を担当したかといえば、木下忠司。あの天才にして、この駄作あり。


王朝ものはカネがかかっている

 西洋の王朝もののDVDは、本来なら、もっと早く見るべきだった。

 年末に執筆していた「世界の名家・大富豪」に登場する英王室とかスペイン王室の話と関連していたからだ。
 書く前に見ておけばイメージがもっとふくらんだはずだが、そのときは見ているだけの余力はなかった。

 王朝ものだけに、
 「オー、チョーッ!」 
 と、ブルース・リーも、あの世で叫んでいる?

 「ブーリン家の姉妹」というのは、姉妹で暴君ヘンリー8世の妃・愛妾となった話で、実際にあった話に基づいて描かれている。

 ヘンリー8世は、男の子を産まなかったといって王妃を処刑にするなど、暴虐非道の王だった。

 衣装とか居住していた城などの時代考証がきちんとされており、面白かったが、いかんせん、話が暗すぎ、後味が悪い映画だった。

 「狂女フアナ」はスペイン映画で、何十年にもわたって監禁されていた王女の話である。
 これも見ごたえがあったが、歴史的事実を踏まえているが、独自の解釈も多く、違和感を覚えたところもあった。

 3回見たのは、内容が明るい「ヴィクトリア女王」。
 ヴィクトリア女王は、英王朝史上最長在位期間を誇る君主だ。
 18歳のときにハノーバー王朝の女王について以来、63年もの長い間、在位し、「大英帝国」の黄金期を築く女帝だが、映画は、彼女が恋愛結婚し、子供を生むあたりまでの若き日々を描いていた。

 エリザベス女王は2013年で在位61年を迎えるが、それより在位期間が長く、まだまだ元気なので、ヴィクトリア女王の記録を抜く可能性は高い。

 今日が返却日だ。これからDVDを返しにいくと駿河台(するがだい)。

(城島明彦)

2013/01/01

紅白歌合戦は、まるで「ラスベガス in NHK」――あれだけやれば高視聴率にならないはずがない


ミッキーマウスもミニーマウスも、ディズニー・オン・パレード

 「NNHK紅白なんて、どうせ変わりばえのしないことをまたやるのだろう」
 と思って、番組が始まっても見ずに、テレビ東京のナツメロの方を見ていた。

 昭和30年代のヒット曲、曾根史郎の「若いお巡りさん」(♪ もしもし ベンチでささやく お二人さん……)には驚いた。もうすぐ83歳というのに、声質が衰えていない。

 園まりも、以前はけなしたが、今回は声に張りが戻っていた。

 という調子で見ていると、面白くない歌手が続くので、NHKにチャンネルを変えて、ビックリ。

 紅白もずいぶん変わった。

 白組の演歌歌手の背後でAKB48のメンバーが踊るなど、白組と赤組の垣根を取っ払った。

 これは、NHKらしからぬ大胆な変革。

 映像化時代の舞台の見せ方として、ステージを丸ごとスクリーンにした点も、金はかかったろうが、年に一回のお祭りとしては大成功。

 度肝を抜かれたのは、ディズニーのキャラが総出演的な登場だった。

 わけがわからなかったのは、「特別企画」と称した赤組ラストのMISIA。
 なぜアフリカの砂漠くんだりまで出かけていって中継する必要があるのか。
 これで、それまでの好評かがパーだ。

(城島明彦)

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