60数戦して無敗。宮本武蔵の「勝利の方程式」は「奇襲・奇策による先手必勝戦法」!
『五輪書』は人の生き方を教えてくれる実用書
人と同じことをしていては勝てない
宮本武蔵の『五輪書』の現代語訳をという話をといわれたとき、これまでに何冊も出ているので、いまさらという気もしたが、改めて原典にざっと目を通し、何冊かの先達の現代語訳を読んでみると、意味がわかりにくいところにかなり出くわした。
武蔵の文章そのものが悪文に属するので、現代語にするときはその点に注意する必要がある。
武蔵の絵画や書道は、上に「超」の字がつく腕前である。
しかし、文筆の法の腕前は素人同然だ。
『五輪書』は江戸時代に書かれたもので、そうわかりにくい文章ではないが、宮本武蔵が文筆を専門にしていた人ではないので、井原西鶴とか近松門左衛門を読むようにはいかない。
武蔵自身もそのことを自覚していて、前後があべこべだったり、同じことを繰り返すかもしれないと断っている。
武蔵が『五輪書』を書いたのは最晩年。執筆のために、長く洞窟にこもっているうち、体調を崩し、最後はがんに蝕まれた。
そういう事態も重なって、意識が半ばもうろうとしながら書いたのではないかと推測できるような個所も多々見受けられる。
しかし、彼がいっていること、あるいは伝えようとする内容やテーマは、さすがに「剣豪」とか「剣聖」といわれただけのことはある。
剣の道について書かれているだけでなく、
「人生をどう生きるか」
「どうすれば、敵に勝てるか」
といったことを教えてくれる内容になっている。
生きるか死ぬか――だから、武蔵の奇襲・奇策戦術には説得力がある
武蔵の「勝利の方程式」は、敵に先んじることだった。
彼の戦術は、奇襲・奇策ばかりである。
『五輪書』を読むと、それらはすべて計算しつくされた上でのことがわかる。
斬るか斬られるか、殺すか殺されるか――「修羅場の剣法」が武蔵の剣法
『五輪書』には、「人をどうやって斬るか」などという物騒なことが書かれている。
だから武蔵は強かったのだ。
彼が中年から晩年になった頃は、もういくさはなかった。
武士は帯刀してはいるが、戦争することなどなかったし、互いに斬り合う必要もなくなっていた。
剣術も、次第に形式化し、実戦剣法から離れていく。
そういうなかで、武蔵は、あくまでも「殺すか殺されるか」の「真剣勝負」にこだわり続けた。
だからこそ、書かれている内容にも凄みがあるのだ。
1冊76分で読めるようだ
出版社が若い人(20代・30代)に読んでもらって時間を計ったようで、それによると、1冊読了するのに76分だったそうだ。
原典はそんなに厚い本ではないが、これだけ早く読んでもらえたということはうれしい。
「わかりやすく」「読みやすく」という2点に心を傾けた甲斐があったというものだ。
といいつつ、最後はPR。
もうひとつ、オマケ。こちらもPR。これも12月発売。
ぜひご一読を――
(城島明彦)
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