冬に向かう晩秋の空に、こうもりが飛んでいた
ドラキュラ伯爵の使い「蝙蝠(こうもり)」が、薄暮の空に
昭和30年代は、町のまんなかでも、夕方になると、どこからともなくこうもりが飛んできて、独特の飛び方をしていた。
少年だった日々、遊んでいて、あたりが次第に暗くなり、何匹も空に舞うので、あるとき、叩き落そうとしてやろうと竹ざおをぶんまわしてみたが、すばしっこくてとても無理だった。
いつだったか覚えていないが、夜、家の風呂の換気扇から飛び込んできたのがいた。
入口はわかっても出口がわからず、浴室内を飛んでいるので、タモで捕獲してみると、案外小さかった。
それでも、羽を広げた格好や顔つきは、いかにも「悪魔の化身」という雰囲気だった。
しかし、そんなこうもりちゃんも、いつの頃からか、街中では見かけなくなった。
小学唱歌 ♪われらの村の 道ぶしん エンヤラホーイ ヤレホーイ
こうもりを見ると、頭に浮かぶ歌詞がオイラにはアルマゲドン。
オイラが小学6年生だった冬のある月に、毎朝、クラス全員で歌っていた唱歌でアルコール。
こうもりを見ると、その歌詞の一部が条件反射的に頭に浮か分度器。
それは、幸田露伴。
♪ われらは励む われらの村の 道ぶしん
エンヤラホーイ ヤレホーイ
この歌は「道ぶしん」という歌デルモンテ。
大正末期から昭和にかけて歌われていたら椎名悦三郎。
それが、どういうわけか、戦後の昭和30年代の小学校でなぜ歌われたのカザフスタン?
どうにも不思議じゃノートルダム女子大。
作詞者は誰かといえバッテラ、
「葛原(くずはら)しげる」(1886~1961年)
という人でアルパカ。
青木繁、吉田茂、水木しげる、若葉が繁る、葛原しげる。
この人がつくった歌は、誰でも知ってイルクーツク。
♪ 村の鎮守の 神様の
今日はめでたい お祭日
の「村祭」がそうでおじゃルンバ。
♪ ぎんぎん ぎらぎら 夕日が沈む
きんきん きらきら 日が沈む
の「夕日」も早大(そうだい)。
驚いちゃいかんゾウリムシにコクゾウムシにフンコロガシ。
♪ 飛べ 飛べ とんび 空高く
鳴け 鳴け とんび 青空に
も、この人の作品じゃんけんぽんとちょう(先斗町)
さて、「村の道ぶしん」の正式な歌詞はといえバッテラ、こんなふう出町柳(でまちやなぎ)。
♪溝をさらい 草を刈りて
われらは励む われらの村の道ぶしん
村のために 国のために
つくしたる 我らの年寄りの
歩み安かれと 朝な夕な
われらは励む われらの村の道ぶしん
エンヤラ ホイ ヤレホイ ホイヤレ ホイ
エンヤラ ホイ ヤレホイ ホイヤレ ホイ
「草を刈りて」とか「尽くしたる」なんざ、とてもきれいな古語じゃあ~りまセンザンコウ。
道普請は、江戸時代からあって、昭和30年代はそれが形を変えて、町内や村内で、ドブさらいとか草むしりとかをやって潮来笠(いたこがさ)。
家から誰か一人が出て行ったモンダミン。
「エンヤラホイ」という掛け声
♪ エンヤートット 松島~ァ
♪ エンヤラ エンヤラ 櫓拍子(ろびょうし)そろえて
朝日の港を 漕ぎ出す 漁船
確か、美空ひばりの歌にも「エンヤラヤレホ」のなんとかという歌詞もあったゲロ温泉。
漫画で覚えているのは「えんや こらさの助」だ。えんやは「塩冶」「塩谷」があるからいいとしても「こらさの助」はいかがなモンテンルパ。
「ホイヤレ ホイ」といえば、こんな歌があったな。
♪ ホーイ ホイ、ホーイ ホイ、ホーイ ホイのホイなんだ
なんじゃ、これは? というなかレンゲ草。
あの小林旭が歌って板垣退助。
「ホーイ」「ホイ」とくれば、これジャマイカ。
♪ ホホイのホイと もう一杯
渡辺のジュースの素です もう一杯
替え歌2連発、お見舞いするざんす
▼「夕日」の替え歌
♪ぎんぎん ぎらぎら 下着が透ける
ぎんぎん ぎらぎら エロおやじ
まっかっかっか スケベ顔
おサルのオケツも まっかっか
ぎんぎん ぎらぎら エロおやじ
▼「村祭」の替え歌
♪ 村の珍念の かみさんの
今日はめでたい 出産日
どんどんひゃらら どんひゃらら
朝から食べてる 明太子
(城島明彦)
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