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2012/11/09

冬に向かう晩秋の空に、こうもりが飛んでいた

ドラキュラ伯爵の使い「蝙蝠(こうもり)」が、薄暮の空に

 昭和30年代は、町のまんなかでも、夕方になると、どこからともなくこうもりが飛んできて、独特の飛び方をしていた。

 少年だった日々、遊んでいて、あたりが次第に暗くなり、何匹も空に舞うので、あるとき、叩き落そうとしてやろうと竹ざおをぶんまわしてみたが、すばしっこくてとても無理だった。

 いつだったか覚えていないが、夜、家の風呂の換気扇から飛び込んできたのがいた。
 入口はわかっても出口がわからず、浴室内を飛んでいるので、タモで捕獲してみると、案外小さかった。

 それでも、羽を広げた格好や顔つきは、いかにも「悪魔の化身」という雰囲気だった。
 
 しかし、そんなこうもりちゃんも、いつの頃からか、街中では見かけなくなった。


小学唱歌 ♪われらの村の 道ぶしん エンヤラホーイ ヤレホーイ

 こうもりを見ると、頭に浮かぶ歌詞がオイラにはアルマゲドン。
 オイラが小学6年生だった冬のある月に、毎朝、クラス全員で歌っていた唱歌でアルコール。
 こうもりを見ると、その歌詞の一部が条件反射的に頭に浮か分度器。
 それは、幸田露伴。

 ♪ われらは励む われらの村の 道ぶしん
   エンヤラホーイ ヤレホーイ

 この歌は「道ぶしん」という歌デルモンテ。
 大正末期から昭和にかけて歌われていたら椎名悦三郎。
 それが、どういうわけか、戦後の昭和30年代の小学校でなぜ歌われたのカザフスタン?
 どうにも不思議じゃノートルダム女子大。

 作詞者は誰かといえバッテラ、
「葛原(くずはら)しげる」(1886~1961年)
 という人でアルパカ。

 青木繁、吉田茂、水木しげる、若葉が繁る、葛原しげる。
 この人がつくった歌は、誰でも知ってイルクーツク。

 ♪ 村の鎮守の    神様の
    今日はめでたい お祭日
 の「村祭」がそうでおじゃルンバ。

♪ ぎんぎん ぎらぎら 夕日が沈む
   きんきん きらきら 日が沈む
の「夕日」も早大(そうだい)。

 驚いちゃいかんゾウリムシにコクゾウムシにフンコロガシ。

♪ 飛べ 飛べ とんび 空高く
   鳴け 鳴け とんび 青空に
 も、この人の作品じゃんけんぽんとちょう(先斗町)
 
 さて、「村の道ぶしん」の正式な歌詞はといえバッテラ、こんなふう出町柳(でまちやなぎ)。
 
♪溝をさらい    草を刈りて
  われらは励む  われらの村の道ぶしん
  村のために   国のために
  つくしたる    我らの年寄りの
  歩み安かれと  朝な夕な
  われらは励む  われらの村の道ぶしん
  エンヤラ ホイ ヤレホイ ホイヤレ ホイ
  エンヤラ ホイ ヤレホイ ホイヤレ ホイ

 「草を刈りて」とか「尽くしたる」なんざ、とてもきれいな古語じゃあ~りまセンザンコウ。

 道普請は、江戸時代からあって、昭和30年代はそれが形を変えて、町内や村内で、ドブさらいとか草むしりとかをやって潮来笠(いたこがさ)。
 家から誰か一人が出て行ったモンダミン。


「エンヤラホイ」という掛け声

 ♪ エンヤートット 松島~ァ
 ♪ エンヤラ エンヤラ 櫓拍子(ろびょうし)そろえて
    朝日の港を 漕ぎ出す 漁船

 確か、美空ひばりの歌にも「エンヤラヤレホ」のなんとかという歌詞もあったゲロ温泉。
 漫画で覚えているのは「えんや こらさの助」だ。えんやは「塩冶」「塩谷」があるからいいとしても「こらさの助」はいかがなモンテンルパ。


 「ホイヤレ ホイ」といえば、こんな歌があったな。

 ♪ ホーイ ホイ、ホーイ ホイ、ホーイ ホイのホイなんだ
 
 なんじゃ、これは? というなかレンゲ草。
 あの小林旭が歌って板垣退助。

 「ホーイ」「ホイ」とくれば、これジャマイカ。

 ♪ ホホイのホイと もう一杯 
   渡辺のジュースの素です もう一杯


替え歌2連発、お見舞いするざんす

 ▼「夕日」の替え歌 
 ♪ぎんぎん ぎらぎら 下着が透ける
   ぎんぎん ぎらぎら エロおやじ
   まっかっかっか   スケベ顔
   おサルのオケツも  まっかっか
   ぎんぎん ぎらぎら エロおやじ
 
 ▼「村祭」の替え歌
 ♪ 村の珍念の     かみさんの
    今日はめでたい  出産日
    どんどんひゃらら  どんひゃらら
    朝から食べてる  明太子

(城島明彦)

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