あの西行法師がダジャレ奉仕していた? オー、シャレ神戸?
西行の最後の行(ぎょう/修行)を「西行」(さいぎょう)という?
「東海道中膝栗毛」を続けるヤジさん、キタさんの会話から。
ヤジさん「うわっ! 肩の骨が落ちているっ」
キタさん「生前は、丈夫な人だったようだな」
ヤジさん「どうしてそこまでわかる?」
キタさん「けんこう骨っていうだろ」
と、まあ、お粗末なダジャレが枕ではありまするが、以下は、まじめな西行のお話でございます。
清盛と武を競った北面の武士
西行は、NHK大河「平清盛」にも登場している歴史上の人物である。
西行の旧名は、佐藤義清(さとうのりきよ)。
佐藤義清は、「北面の武士」(御所の北側を守る武士)で、清盛が一目も二目も置いていた文武両道に優れた人物だった。
だが彼は、まだ若かったにもかかわらず、出家し、西行と名を改めて全国遍歴の旅に出るのだ。
出家した最大の原因は、性的に奔放だった待賢門院璋子(たいけんもんいん たまこ/鳥羽天皇の女御→中宮で、後白河法皇の母)と関係を持ったことを悔いたからだといわれている。
西にある冥土は、メイド・院・ジャパン?
西へ行くから、西行。
東へ行けば東行(とうこう)で、これは幕末の志士、髙杉晋作の号。(これは本当のこと)
北へ行けば「北帰行」で、小林旭。(♪窓は夜露に濡れて~)
南へ行けば南行、「なんこう」といえば楠木正成か、オロナイン軟膏。オロナインは痔にも効きます。
さて、頭を丸めた西行は、都をあとにすると、西へ向かい、讃岐国(香川県)へ行った。
そこには、この世にすさまじい怨念を残して配流先(はいるさき)で死んだ崇徳院(すとくいん)の御陵(白峯陵/しらみねりょう)があった。
西行が西行(さいこう)したのは、崇徳帝の菩提をねんごろに弔うためである。
この事実に想を得て、江戸時代の作家上田秋成は、『雨月物語』の冒頭の一篇『白峯』を書くのである。
『雨月物語』の崇徳院、知っとく?
『雨月物語』の、ワンセンテンスが長めの上田秋成の文体が、怪奇色を盛り上げる。
「木立わづかに間(すき)たる所に、土たかく積(つみ)たるが上に、石を三(み)かさねに畳(たた)みなしたるが、荊蕀薜蘿(うばらかづら)にうづもれてうらがなしきを、
『これなん御墓にや』
と心もかきくらまされて、さらに夢現(ゆめうつつ)をもわきがたし」
木々が少しまばらになった場所に土饅頭が盛ってあり、土の上にには石が三つ重ねてあるだけという、あまりにも粗末な墓だったので、西行は「これが元天皇の墓なのか」と茫然とし、夢を見ているのではないかと疑うのである。
そして、崇徳院の怨霊が現れる場面は――
「日は没しほどに、山深き夜のさま常(ただ)ならぬ、石の床(ゆか)木葉(このは)の衾(ふすま)いと寒く、神清(しんすみ)骨冷(ほねひえ)て、物とはなしに凄まじきこゝちせらる。
月は出(で)しかど、茂きが林(もと)は影をもらさねば、彩なき闇にうらぶれて、眠るともなきに、まさしく、
「円位、円位」
と呼ぶ声す」
怨霊が現れたのである。こ、怖っ……。
いや、怖いのは、ここから先であるが、今回はここまで。
西行のダジャレは「最高ですかァ」?
西行の性格は、きまじめと思われているが、実は、ダジャレも大好きだったのである。
江戸時代初期に編まれた『古今夷曲集』(ここんいきょくしゅう)という狂歌本に、彼の残した狂歌が収載されている。
聖徳太子の時代から江戸期までの狂歌を1000種以上も集めたケッタイな本だ。
西行の狂歌は、こんな塩梅(あんばい)である。
桑名より くわで来たれば ほし川の 朝けは過ぎて 日ながにぞ思ふ
東海道五十三次の桑名(地名)から、(何も)食わないできたものだから、(何か)ほしいと星川あたりで感じながら、朝方、朝明(地名の「あさけ」)を過ぎ、日永(地名「ひなが」)を通過するとき日が長いなあと思った。
桑名(三重県桑名市)は、私の母の実家があるところで、私が誕生した場所。
星川もその桑名にある。
桑名から東海道を西へ向かうと、朝明(あさけ)があり、やがて日永というところを通過する。
朝明という地名は、子どものころ、「朝明ヒュッテ」という名前で知っていたが、一度も行ったことはない。
日永(三重県四日市市)には、小学5年の冬から高1の秋まで住んでいた。
西行の狂歌は、ダジャレに告ぐダジャレなのだ。
というわけで、私はさらに西行のパロディーと参りマスカット。
桑名では 食わな日干し皮 あゝさけ飲んで 日永(≒気長)にいこう
(乾し皮≒星川がいまひとつだが、まっ、どうでもいいか)
哲学者 ショーペンハウエル「イエス、アイ、キャン!」
同じく哲学者 カント「ノー、アイ、カント!」 レベルか? さぶっ。
(城島明彦)
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