« もうじき81歳〝完璧の婆(ばば)〟二葉百合子の「岸壁の母」に拍手! | トップページ | ノウハウ本(実用書)の嘘に騙されるな! »

2012/04/02

低視聴率にあえぐ、NHK大河「平清盛」(第13回「祇園乱闘事件」)

清盛は鳥羽法皇のおじさん

 「祇園乱闘事件」というのは、清盛が30歳の頃、現在の八坂神社(当時、祇園社)で久安3年(1147年)に実際に起きた事件で、大河ドラマではその史実を重視する形で描いていた。
 京都が大火に包まれ、祇園社も炎上する前年の出来事だ。

 田楽(でんがく/大衆芸能)を祇園社に奉納するというので、清盛の家来が芸人を護衛してついていったが、神人(じにん/神社の雑役夫)に「境内に入るときは、佩(お)びている武具をはずせ」といわれたのがきっかけで乱闘になった。

 そのとき、平家の家臣の放った矢が宝殿にあたったため、祇園社の本寺である比叡山延暦寺の僧侶が怒って、「忠盛・清盛親子を流罪にせよ」と強訴(ごうそ)し、内大臣藤原頼長(ふじわらのよりなが)らはそうすべきと主張したが、僧侶の横暴を快く思っていなかった鳥羽法皇は、それを聞き入れず、罰金刑ですませた。

 ドラマでは、清盛自身が矢を射たという設定になっていたが、実際には家臣だったといわれている。それ以外は、ドラマは史実に沿って描かれていた。

 鳥羽法皇は、ワンマンだった白河法皇ですら手を焼いた僧侶を抑えたのだから、なかなかのものだ。

 鳥羽法皇は、白河天皇の孫。
 清盛は、白河法皇のご落胤(NHKは、この説を採っている)
 ※『平家物語』の「祇園女御」(ぎおんのにょうご)に「又ある人の申しけるは、清盛は忠盛の子にはあらず、まことには白河院の皇子なり」

 鳥羽法皇が清盛をかばったのは、おじさんだったから?  というほど、人間関係は単純ではなかった。

 NHKは、出生の秘密にかなりこだわったドラマづくりをしている。実際、あの時代を動かした天皇や貴族や武士には出生にまつわる悩みや苦しみを背負って生きていた者が多かったから、それはそれで正しい。

 しかし、そのことが視聴者に理解できるかどうか。
 その点が視聴率に跳ね返っているのではないか。


顔が皇太子殿下と似ていた鳥羽法皇

 鳥羽法皇を演じているのは三上博史だが、京都市左京区の岡崎にある満願寺が所蔵している「鳥羽天皇の肖像画」に描かれた顔は、目元が皇太子殿下にとてもよく似ている。
 ただし、宮内庁蔵の晩年の肖像画(藤原為信・豪信父子画)は似ていない。

 鳥羽法皇は、最初は「鳥羽天皇」と呼ばれていたが、天皇を退くと「鳥羽上皇」となり、その後、出家して「鳥羽法皇」と呼ばれるようになったが、ドラマを見ている人のなかには「上皇」がいつのまに「法皇」になったのかわからない人もいるから、NHKは誰かのセリフのなかで説明した方がいい。

 鳥羽上皇が出家し法皇となったのは、近衛天皇が即位した永治元年(1141年)3月。祇園乱闘事件の6年前である。崩御は保元元年(1156年)。
 鳥羽法皇が崩御した直後に保元の乱が起こったことを考えると、対立する連中を抑えるだけの力があった権力者といえる。


美福門院に操られていた鳥羽法皇 

 ドラマでは、鳥羽法皇のそばに控えている美福門院得子(松雪泰子)が何度か映し出されていたが、この女性はしたたかな女で、鳥羽法皇を操る才にたけていた。

 美福門院は、法皇を肉体的なとりこにしたことから推測すると、彼女を演じる女優はグラマラスな肢体の持ち主がふさわしいと私は思っているが、「権謀術数を駆使した女」という意味では、ノッペリとした顔立ちで何を考えているのかわからないように見える松雪泰子は適任かもしれない。

 美福門院は鳥羽法皇をも手玉に取るすごい女だったが、上には上があるもので、昔からいわれてきたことだが、彼女は信西(高階通憲 たかしなのみちのり)に操られていたのである。

 NHKドラマでの信西の描き方は、よくわからない。
 阿部サダヲというクセのある俳優が、博識かつ権謀術数にたけた人物として知られる信西を演じていることに違和感を覚えている人は多いのではないか。

 ※以下、4月2日追記
 ★第13回視聴率(関東地区) 11.3%(1963年の大河ドラマ開始以来の歴代最低は10.1%)
   13.2%(前々回)→12.6%(前回)→11.3%(今回) 

(城島明彦)

« もうじき81歳〝完璧の婆(ばば)〟二葉百合子の「岸壁の母」に拍手! | トップページ | ノウハウ本(実用書)の嘘に騙されるな! »