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2012/03/27

もうじき81歳〝完璧の婆(ばば)〟二葉百合子の「岸壁の母」に拍手!


これぞプロ!

 昨晩(3月26日)夜7時からのTBSテレビ「あなたが聴きたい歌の4時間スペシャル」で、「岸壁の母」を歌った二葉百合子の張りのある声を聞いて驚き、涙が出そうになった。

 今年の6月がくれば81歳という高齢で去年引退したといいながら、声がまったく衰えていなかった。浪曲で鍛えた喉は、衰えないのか。それとも、節制がすごいのか。

 「おそるべきプロ根性」
 と、ただただ感じ入った。

 喉を痛める酒やタバコを平気でやっている歌手や俳優は、見習うべきだ。
 
(城島明彦)

2012/03/25

NHK大河「平清盛」(第12回「宿命の再会」)は、盛り上がりに欠ける中途半端なドラマだった

意図がよくわからない演出が多い

 清盛(松山ケンイチ)の妻明子(加藤あい)が疫病で死に、彼女から琵琶の手ほどきを受けた時子(深田恭子)が残された2人の子の世話をするうちに後妻となる。

 「宿命の再会」というタイトルにある「再会」を果たしたのは、平清盛と源義朝(みなもとのよしとも/玉木宏)。

 御所では、出家した待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ/壇れい)が病に倒れ、それまで冷たくしていた鳥羽上皇(三上博史)は、突然狂ったようになって彼女の好きな水仙を探させ、それを持って見舞いに訪れるが、臨終となる。

 それまで彼女をいびり倒し、女の戦いを制してきた美福門院得子(びふくもんいんなりこ/松雪泰子)だったが、彼女に侘びる心境になる。(そのあたりの心境の変化は、見ている者には理解不可能)

 鳥羽上皇が璋子に届けた季節はずれの水仙を見つけた出したのは、清盛のライバル源氏の御曹司(おんぞうし)源義朝だった。

 義朝は、熱田神宮の大宮司の娘由良姫(ゆらひめ/田中麗奈)を正室に迎え、やがて嫡男頼朝が生まれる。

 義朝は鳥羽上皇の覚えめでたく、源氏と平家の対立が深まって行く。

 武士を見下す摂関家の藤原頼長(ふじわらのよりなが/山本耕史)や出家して信西となった高階通憲(たかしなのみちのり/阿部サダヲ)も登場する。 

――ぶつ切りのいくつかのエピソードをつなぎ合わせた話が展開されたのが、3月25日放送の大河ドラマ。

 感想を一言でいうと、
 「相変わらず、面白いのか面白くないのかよくわからない、中途半端な印象」
 ということになろうか。

 ★(以下、26日追記)25日放送の「宿命の再会」の視聴率は、ついに13%のラインを割って12.6%(関東地区)となり、最低視聴率を更新した。わけのわからない〝ひとりよがりの大河ドラマ〟を放送している「みなさまのNHK」に対する風当たりは、ますます強くなるだろう。
   
(城島明彦)

鶴龍は本割で豪栄道に、決定戦で白鵬に二度「張り差し」で負けた

 また「張り差し」か

 大相撲春場所は、優勝決定戦で白鵬が鶴竜を破って優勝を決めた瞬間、テレビの電源を切った。

 同じ日に同じ力士が二度も顔面を張られて負け、優勝を逸したという例は、長い大相撲史のなかで今回が初めてではないか。

 「張り差し」は禁じ手ではないが、見ていて気持ちのいい手ではないし、横綱はやるべきではないと何度も何度も書いてきた。しかし、白鵬は、優勝決定戦で格下相手の鶴竜相手に「張り差し」を敢行した。

 「張り差し」を横綱が使うのは、みっともいいことではないし、使うべきではない。

 その理由は「子供相撲では使えない手だということ」「顔面は鍛えられないということ」の2つだ。

 顔面をバンバン張り合い、下手をすると脳震とうを起こすようなスポーツを見て、子供が憧れるかどうか、考えなくてもわかる。

 もうひとつ加えるなら、横綱や大関が相手に使うと無礼だという思いが格下の力士にあるということだ。

 
 NHKは「張り差し」が立派な手だと思っているなら、放送中に「素晴らしい」と繰り返せ 

 鶴竜は、勝てば初優勝が決まる対戦相手の豪栄道に「張り差し」をされ、一気に寄り切られた。

 白鵬は、土俵下でそれを見ていて、自分が勝って優勝決定戦に持ち込んだら、鶴竜をその手でやってやろうと決めたのではなかったか。

 支度部屋で白鵬の本割を気にする鶴竜をNHKのカメラが映していたが、頬が真っ赤になっていた。
 NHKのアナウンサーも頬が赤いことを口にしたが、その時点では、まさか優勝決定戦でも鶴竜が「張り差し」でやられるとは思わなかったろう。

 鶴竜は作戦を誤った。白鵬が脳震とうを起こすように、左右どちらかの耳に狙い定めて渾身の力を込めて張るべきだった。

 ほかの力士も、どこをどう張れば相手が脳震とうを起こすかを医者に教えてもらえ。

 引退した朝青龍が格下の相手に「張り差し」を多用して以来、モンゴル勢はそれをまねたのか、「張り差し」が多い。

 日馬冨士もよく使うが、千秋楽では張り差しはせず、でかい体の琴欧州を上手投げでブン投げた。
 小柄な力士が大きな力士を投げ飛ばすところに大相撲の醍醐味がある。

 把瑠都も、でかい手でバンバン張りたがるが、突っ張りで勝った勝負は素晴らしかった。「張り差し」にいかなくても、やればできるのだ。
 
 「顔を張らなければ勝てないような相撲なら、やめてしまえ」
 と私はいいたい。

(城島明彦)

2012/03/22

介護関係のこんな本を書いた

 『ケアマネなら知っておきたい 社会知識ナビ』という本を書いた。
 
 4月から変わる「介護保険法制度」の最新情報を詳細に盛り込んだ本として、先陣を切って書店に並んだ。これは、版元(秀和システム)と担当編集者の好判断である。

 2月23日の課長会で発表された新しい単位数を反映させただけでなく、独自の分析・解説までしてことと、週刊誌並みのそのスピードぶりに介護関係の本を出している出版社は驚いたのではないか。
 
 著者は私、城島明彦(+ケアマネ向上委員会)で、監修は都庁で福祉畑を歩んだ学生時代からの友人の大津佳明が担当した。
 大津は、都庁を退職後、施設長も経験している。

 この種の本は、文章力のないその道の専門家が書くことが普通なので、どうしてもわかりづらい書き方になっているものが多いが、この本の執筆を手伝ってくれたケアマネ主任の女性が、

 「一般人が読んでもわかりやすいし、こんな内容の本は、これまでなかった。画期的だ」
 
 と褒めてくれた。

 Photo

 私も60代半ばという「いつ死んでもおかしくない年齢」に達し、学生時代の友人たちのなかには親の介護をしている者だけでなく、自分自身が病に倒れ、介護を受けている者もいる。

  高齢化社会→高齢社会→超高齢化社会→超高齢社会

 という順に高齢者の比率が高くなっていくが、いまの日本は最高レベルの「超高齢社会」である。

 一方で、少子化が長く続いてきたために、日本の労働人口は減って国の活力が失われている。

 介護は、介護される人間も大変だが、世話をする家族など、まわりの人間の方がもっと大変だ。
 私の亡父も、「重介護4」と認定され、介護施設の世話になった。
 
 しかし、介護を受ける人間は、家族と一緒に住みたいと願い、臨終の場所は病院ではなく、自宅で迎えたいと希望している。

 今回の改正では、そうした点も配慮された。

 介護に携わる人間への報酬が少ないことも問題となっていたので、今回の改定では報酬アップが図られたが、それでもまだ十分とはいえない。
 
 ケアマネほか、介護関係の仕事に携わる人だけでなく、家族を介護する人が、そばに置いて活用してもらえたらと思っている。

 (城島明彦)

2012/03/20

不評をかこつ大河ドラマ「平清盛」をNHKは、どう立て直すのか?

 3月18日放送「もののけの涙」(第11回)を、私は仕事で外出していて見ることができなかったので、ストーリーに関するコメントはさし控えるが、視聴率(関東地区)は13・2%で、放送開始以来の最低記録を0.1ポイントではあるが更新してしまった。

 それにしても、国民の受信料で制作されているドラマが、これだけ見放されるのは「ゆゆしき事態」であり、不人気の原因究明や責任は誰にあるのかがNHK内部でも問われなければならない。

 そしてその結果を、公表すべきである。

 大河ドラマは、夏場にはもっと下がる傾向があるので、NHKも頭を抱えているのではないか。

 ※以下は、3月24日(土)の再放送を見た感想。(3月24日15時27分追記)
  ストーリーは、御所では鳥羽上皇と崇徳天皇が、ともにわが子を次の天皇にしようとして対立している様子や、鳥羽上皇の中宮(待賢門院)璋子(たまこ)をいびる皇后得子(なりこ)の様子などが描かれ、清盛の屋敷では正室の明子が助からない疫病にかかって寝込む話が展開する。
  そのほか、源頼朝の父義朝の正室由良姫が、夫が自分のところにこないのを嘆いているエピソードも出てくるなど盛りだくさんだが、話そのものが盛り上がりに欠けたせいか、私は途中で居眠りしてしまった。
  
(城島明彦)

2012/03/15

キムタク事件「車のCMキャラが2度もスピード違反で摘発」ではシャレにならない

ジャニーズ事務所は「たかがスピード違反」「バレなければいい」と考えた 

 〝キムタク〟木村拓也が昨年9月と今年の1月の2回、スピード違反で摘発され、反則金を払っていたことが判明した。

 「週刊文春」が昨年8月の事故を報じたので、それにあわてた所属事務所のジャニーズ事務所が、
 「実は昨年9月だけでなく、今年の1月にも」
 という形でマスコミにファックスを流したことで広く世間に知られることになったが、「週刊文春」が報じなければ、すっとぼけていたに違いない。

 キムタクは、最初の摘発時(10月15日)からオンエアされたでビートたけしとの共演CMに出ている。
 そのCMは、トヨタのCMである。

「CMキャラがスピード違反」を軽く考るな、トヨタ

 事件が表沙汰になったことで、トヨタは、
 「二度とも代理店から報告を受けている」
 と発表し、
 「本人が反省していると聞いているので、CMは続行する」
 とした。

 トヨタは「スピード違反」を軽く考えているとしか思えない。
 トヨタは「日本のリーディーング企業」であることを自覚していない。

 「交通ルール違反」というと軽く聞こえるが、「道路交通法違反」という立派な法律違反なのであるから、ここは、たとえ1週間でも、CMのオンエアを自粛するというような姿勢を見せるべきである。

 暴走族に示しがつかないということが頭から抜けているのではないか。
 青少年への影響を、トヨタはどう考えているのか。

 「せっかくつくったCM制作費がもったいないと思っている」
 とか、
 「各界に隠然たる影響力を持っているジャニーズ事務所に配慮した」
 と勘ぐられても弁明できない。

(城島明彦)

2012/03/13

昨晩のテレ朝「たけしのTVタックル」のヤラセは度を越えていた

電波の私物化を放置していいのか

 3月12日(月)夜のテレ朝番組「たけしのTVタックル」(野田政権のあいまい外交に喝!)、あれは何だ。

 完全に偏向した韓国擁護論者の韓国人女性大学準教授が、かん高い声でヒステリックに日本を痛罵しまくり、三宅の爺さまがしゃべろうとしても、それを妨害するかのようにキンキンとした声でなおも延々としゃべり続けた。

 その光景は「独演会」そのもの。

 街宣車が多数押しかけても不思議ではない話を延々と垂れ流し続けたが、たけしや阿川はそれにストップをかけるわけでもなく、ただ黙って放置し続ける光景は異様だった。

 よほどのバカでないかぎり、見ている者には「完全なヤラセ」「電波の私物化」と映った。

 「話を止めるな」と事前にテレ朝の上層部から指示が出ていたのではないかと勘ぐられても仕方なかろう。

 見ていて不愉快さを通り越した視聴者は少なくないはずで、広義の電話が殺到しているのではないか、と思った。

(城島明彦)

2012/03/11

一般人の感覚とズレているNHK大河「平清盛」(第10回「義清(のりきよ)散る」)

清盛の前で、髪をおろして出家?

 第10回は、清盛のライバルで、文武両道に秀(ひい)で、しかもハンサムだった佐藤義清(さとうのりきよ)が、こともあろうに鳥羽上皇の中宮である待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)とできてしまい、それが原因で出家するという話である。
 
 義清は、平清盛の前で、武士のしるしである髻(もとどり)を切って俗世に別れを告げたという設定であった。


タイトルの「散る」が気に食わない

 いまはほとんど使われなくなったが、電報がまだ普通に使われていた時代には、大学受験に失敗したときに受験生に送られてくる電報の文章の文面は、
 「サクラチル」
 だったから、「散る」は「無念の思い」とか「残念な結果」を意味しなくもないが、人が散るの「散る」は、ふつう、人の死を意味する。

 しかし、佐藤義清は死んだわけではない。出家して「西行」(さいぎょう)と改名しただけである。
 
 「散華」という古くから使われている言葉もある。仏を供養するために花びらや蓮の花びらの形をした紙をまく法要をいう。

 したがって、「義清散る」というタイトルをつけるNHKの感覚が理解できない。 「義清、出家」では不足なのか。
  

満月の晩、桜の下で死にたい 

 西行の和歌で最も有名なのが、NHK大河のあとでも紹介されていた辞世の一首だ。

   願わくば 花の下にて 
             春死なん 
               その如月(きさらぎ)の 望月(もちづき)の頃

 もし叶(かな)うなら、空に青白く満月が輝く春の夜、満開の桜の花がはらはらと舞い散る下で私は死にたい。

 私はこの歌が好きで、自分もできることならそうしたいと思い、数年前に「顔」という題の短編小説を書いた。(扶桑社文庫『怪奇がたり』に収載。その後、電子書籍になっている)
 
 
NHKは芸術ドラマを撮っているのか

 大河ドラマでは、満開の桜が舞い散る下で、出家したいと告げる義清を清盛が男の友情から殴りつけるというシーンがあり、その後も、出家する心境を語らせていた。
 それは、「願わくば」の和歌を匂わしてのことなのだろうが、その歌を知らない人にはチンプンカンプンだったろう。
 そのあたりのNHKのスタンスが気になった。

 黒澤明の映画「七人の侍」「用心棒」がアメリカほかの外国で受けたのは、娯楽作品に徹して観客ににはっきりわかる芝居、セリフ、演出だったからだが、「平清盛」の演出家はその点が違っていて、「わかる人にわかればいい」というスタンスを取っているように思えた。

 待賢門院が御所の庭で、狂ったように草や花をかきわけて自分が好きだった水仙を見つけるシーンも、意味不明。その場所で、義清がはずみで待賢門院の首を絞めるという話であったが、わざとらしく感じられてならなかった。

 「平清盛」の低視聴率は、一般人の感覚とNHKの大河ドラマ制作陣の感覚がズレているところに原因があるのではないか。そう思えてならない。

(城島明彦)

2012/03/05

何がいいたいのか伝わってこなかったNHK大河「平清盛」(第9回「ふたりのはみだし者」)

 
3月4日放送の第9回「平清盛」のストーリーを、簡単にいうと―― 

 ①清盛に男子(重盛)誕生と鳥羽上皇の女御(にょうご)美福門院が男子(のちの近衛天皇)を生む話。
 ②佐藤義清(さとうのりきよ)、のちの歌人西行(さいぎょう)と上皇からうとんじられている后(きさき)璋子(待賢門院)があやまちを犯すに至るエピソード。
 ③雅仁親王(のちの後白河天皇)の狂気に満ちた言動のエピソード。
 ④崇徳天皇と鳥羽上皇の確執。※崇徳天皇は〝叔父子〟。鳥羽上皇の中宮(ちゅうぐう)璋子と白河法皇との間に生まれた不義の子。

 ――それらの話が錯綜して語られるので、事情をよく知っていないと話が入り組んでわかりづらい。
 「ふたりのはみだし者」というタイトルにしても、ドラマには「はみ出し者」がワンサカ登場し、誰と誰が「はみ出し者なのか」すらはっきりせず、結局、何がいいたいのかよく伝わってこなかった。

西行の話が入るからややこしくなる

 佐藤義清は、のちの歌人西行。
 文武両道に優れた北面の武士で、清盛や頼朝の父義朝とは旧知の仲。

 義清は、鳥羽上皇の祖父の子を生んだことで上皇にうとまれている璋子(待賢門院)を慰めているうち、過ちを犯し、煩悶。
 この世の無常を感じて、妻子を置いて20代の若さで世捨て人となり、全国を放浪するなどして数々の歌を残した。

 (関東地区視聴率 13.4%  2月12日の13.3%に肉薄。このまま、わけのわからない演出を続けていけば、NHK大河史上初の10%割れもありうる)

(城島明彦)

2012/03/04

こんなにあるぞ! 歴代屈指の酷評大河「平清盛」 7つの失敗点

「いま、なぜ「平清盛」か」が伝わってこず、大失敗

 「平清盛」が「NHK大河ドラマ50回記念作品」と聞くと、
 「?」
 と思う人がほとんどではないか。

 いま、なぜ「清盛」がふさわしいのかよくわからないし、NHKの説明を聞いてもわからない。

 一度も見たことがない人に見ない理由を聞くと、口裏を合わせでもしたかのように、
 「関心がない」
 という返事が返ってくる。

 大河ドラマの主人公は、たとえば「節約」という言葉の意味を大事にする時代であれば、「二宮尊徳」を取り上げるとか、その時代時代の風潮とか世相などに合致した人物が、視聴者の関心や興味を引き、理解されやすいが、今の時代に清盛といわれてもピンとこない。
 「日宋貿易を開いた人」「世界に目を向けた人」といわれても、誰もピンとこないのだ。

 要するに、ごく普通の人にとって、平清盛は関心がない部類に属する人物なのだから、その人物を扱ったドラマにも興味がない、見たくないということになる。

 単なる娯楽作品として見ても、面白くないテーマなのだ。

 それがモロに視聴率に反映していると私は思っている。


50回記念なら、なぜ「明治天皇」をやらないのか

 私がプロデューサーなら、大河ドラマの「第50回記念作品」は「明治天皇」にした。
 人間明治天皇を、維新・日清・日露戦争などを経て崩御まで描く。
 こういうものこそが、「50回記念」と銘打てるのであって、国民に人気の薄い「清盛」を取り上げても、話題性に事欠く。

 同じ明治時代が舞台の『坂の上の雲』をやっているというかもしれないが、あれは天皇が主役ではないし、視点を変えれば、ダブってもいっこうに構わないではないか。

 今上天皇は、混迷する今日の時代を救おう思っておられるが、明治天皇もまたそうであった。

 明治天皇を主役にしたドラマは、これまで描かれてこなかった新しい視点で描けば、素晴らしい人間ドラマになる。私はそう考える。

 「明治天皇」がダメというなら、「西郷隆盛」あたりにすればよかった。

 勝海舟ほかの明治の逸材たちが声をそろえてベタほめした男、天皇の信望厚かった男、悲劇性、人間味、リーダーシップ……西郷は、ドラマに欠かせない要素を数え切れないくらい備えており、いまの時代にぴったりではないのか。

 大河ドラマでは、NHKの一部の人間が見たいもの、演出したいものをやるのではなく、
 「NHKでしかできない、国民が見たがっているもの」
 をやるべきではないのか。


大震災後に〝滅びの美学〟では間が悪すぎる

 「平清盛」という名前から最初にイメージする言葉は、「平家」か『平家物語』といっていいだろう。
 源氏や平家、『平家物語』は、言葉として小学校のときに習う。
 中学では、『平家物語』のなかの有名な場面が国語の教科書に載る。

  祇園盛者の 鐘の声 
  諸行無常の 響きあり
  沙羅双樹の 花の色
  盛者必衰の 理(ことわり)をあらわす

 冒頭のこの言葉は、日本国民のほとんどは知っている。

 『平家物語』は、「滅びの美学」に貫かれた文学作品である。
 あんなに栄えていた平家一門が、都落ちして、最後は壇ノ浦の合戦で滅ぼされたという「悲劇」が売り物の文学だ。

 琵琶法師がひくもの悲しい琵琶の音とともに物語が語られる。それが『平家物語』。
 小泉八雲の『耳なし抱一』も怪談の形は取っているが、そこに描かれているのは「滅びの美学」である。

 東日本大震災につながるイメージのある「滅びの美学」はいかにも間が悪い。
 

天皇家を「王家」と呼んで、どうする
 
 天皇を「帝」(みかど)、天皇は自分を「朕」(ちん)という言い方はポピュラーであり、見ている方もすんなり聞けるが、皇室を「王家」などというと、「どこの国の話をしているのか」ということになる。

 テレビを見ている人間は、学術会議に出席しているのではない。
 大河ドラマに、芸術色の香り高い高尚で難解な番組を期待しているわけでもない。

 右翼が怒る云々のレベルの問題ではない。
 時代考証は大事だが、それを勘違いしてはいけない。
 史実に忠実というなら、「おれ」などというセリフもNGということになりはしまいか。

 「天皇家」を「王家」などという表現をNHKでは「当時の資料にそうある」といっているが、人々が違和感を覚えるような表現は使ってはいけないのだ。

 当時そういっているとNHKが強弁するなら、放送禁止用語になっている「穢多」(えた)「非人」(ひにん)のたぐいや「チャンコロ」とか「メッカチ」「ツンボ」といった言い方も、NHK大河ドラマのなかで堂々と使わなければならない理屈につながる。

 一事が万事、基本的ルールを無視したドラマづくりだから、そっぽを向かれて当然である。


松山ケンイチで失敗 

 なぜ松山ケンイチがNHK大河に出られたのか?

 松山ケンイチが自分で売り込んだという話も伝わっているが、彼が大手芸能プロダクションの「ホリプロ」に所属しているから起用されたのか!?

 もっと好感度な俳優はほかにいるだろうに。
 
 NHKのほかの番組でも、さして人気があるわけでもないタレントがレギュラーで出ていたりするのは、大手芸能プロダクションとの一種の「癒着」である。

 同じ源平を扱った「義経」(2005年大河)のときは、義経役のタッキーこと滝沢秀明は男から見ても眉目秀麗で、それなりの演技力もあったから、視聴者の反発を買わなかったが、今回の松山ケンイチは、クセが強すぎて、どう見ても主役を張れるタマではない。

 荒々しい芝居をするのはそれで構わないが、たとえば「七人のサムライ」での三船敏郎の荒々しい演技とは月とスッポン。
 過日亡くなった緒形拳も個性派だったが、彼が、昔、NHK大河で演じた弁慶は、視聴者から支持された。松山ケンイチの器は、緒形拳に比すべくもない。

 松山ケンイチという俳優は、「パナソニックのCMに長く登場し、茶の間によく知られていた小雪と結婚した男」という程度の認識しかない人の方が多いのではないか。いや、そのことすら知らない人の方が多いかもしれない。
 
 顔つき・目つきなどが、松山英樹というプロゴルファーと瓜二つで、元〝小泉チルドレン〟杉村太蔵ともそっくりで、主役を張れる顔ではない。せいぜい準主役の顔である。


汚い画面がいっぱい! で、失敗 

 兵庫県知事が「汚い」「汚い」「汚い」と三度もいったことの影響も大きい。
 兵庫県への経済効果を期待しすぎていたために、実際のドラマを見て、胸算用が狂ったと感じて、トチ狂っての発言だったが、地域起こしは知事の仕事だ。
 他力本願でどうする!

 あの発言は知事の立場でいうべきことではないが、感想自体は的をハズレてはいない。
 「あのバカ知事がいっていたけど、実際に見てみると確かに汚かった」
 と思った視聴者は多かったはずで、青少年時代の清盛も、あまりにも汚い格好をしている。

 御所へ伺候するときぐらい、もっとまともな格好でいっているはずであり、貴族に対する口のきき方も、あまりにも乱暴すぎる。
 「ぼろは着てても 心は錦」
 とでもいいたいのかもしれないが、臭気が画面から伝わってきそうな衣服はダメだ。

 平安京は下水設備がでたらめで、飢饉や天災に襲われた後など、糞尿や死体が川、河川敷などにあふれかえった。道ばたも同様で、晴れた日など臭くて歩かなかった場所がいっぱいあった。

 リアルさに凝っているとNHKがいうのなら、そういう情景もきちんと描くべきである。


がらんどうのような御所・貴族邸は、意味不明

 御所のシーンを見ても、せいぜい、どこかの田舎の郡司あたりの家のようなイメージしか受けない。

 これが民放なら、「予算がないのだろうな」と妙な納得の仕方をするが、国民の皆様からいただいた視聴料をドド~ンと投入して唐船まで建造しているNHKとなるとそうはいかない。

 もう少し華やかな感じを出せないものなのか。

 NHKにないのは、カネではなく、知恵だ。
 いや、知恵はあっても、「王家」をわざわざ使って物議をかもし出すような知恵しかないのかもしれない。
 
 日本人は、『源氏物語』とか『源氏物語絵巻』その他の絵巻物や、『百人一首』などを通じて、貴族の館や武士の屋敷のおおよそは知っている。
 そういうイメージを完全にひっくり返すから、「そんなドラマ、見たくない」ということになる。

 ついでにいうと、映画でも、昨年封切られた『源氏物語 千年の謎』では、光源氏に扮した生田斗真の眉毛が今風に細く整えてあっただけでなく、出てくる女の眉毛もみな細かった。

 男優女優ともに、眉毛を伸ばすとほかの仕事にさしさわるとでもいうのか。『源氏物語絵巻』に描かれた男も女も、みな太い眉をしているし、溝口健二ほかの巨匠たちが徹底的に時代考証して描いた昔の映画を見ろといいたい。
 映画の製作総指揮のところに大学時代のゼミの先輩の名前(角川歴彦)があるのを見て、がっかりした。
 「角川さん、どこをチェックしているの!」

 3Dなどの最新技術に頼ることに気がいって、映画人やNHK大河ドラマの制作スタッフの質が低下しているのではないのか。


演出陣の「妙な好み」と「芸術かぶれ」で〝華〟のないドラマに

 昨年の大河もいろいろあったが、上野樹里、宮沢りえ、水川あさみの登場で、画面にはそれなりに〝華〟(はな)があった。
 しかし、「平清盛」では、不気味な演技をする女優陣が勢ぞろいだ。

 璋子(たまこ。のちの待賢門院)役の壇れいも、お付きの堀川局(ほりかわのつぼね)のりょうも、璋子とt女の戦いを繰り広げる得子(なりこ。のちの美福門院。びふくもんいん)役の松雪泰子も、判で押したように不気味で陰鬱で不健康そうな顔の色をし、不気味で奇怪な演技に終始させている。

 そんな演技や女優陣に辟易して、2月12日に13.3%という〝驚異の低視聴率〟を記録したが、その後、キャピキャピと明るい時子(清盛の後妻になる女)役の深田恭子や、やっと普通の平安時代らしいきれいなオベベを着て爽やかな顔をした先妻役の明子に扮した加藤愛、やがて頼朝の母になる由良姫に扮した田中麓奈が登場したことで、画面が華やかになって、視聴者はホッとし、14.4%(2月19日)、15.0%(2月26日)と視聴率もちょっぴり上がったのである。

 骨肉間ですさまじい怨念が飛び交う時代のドラマではあるが、これでもかこれでもかといわんばかりに、登場人物が病的すぎるのは問題である。
白河法皇から始まって、鳥羽天皇(上皇)、崇徳上皇など、どれもこれも狂っていると思える人物が錯綜し、(そのことは歴史的事実ではあっても、もっと別の描き方があるというもので、大河の演出はやりすぎの感があり)ドラマを暗くしている。

 國村隼が演じている藤原忠実など「おどろおどろしい人物」の典型として描かれており、それはそれで面白いが、肝硬変でも患っているのかと思えるような不気味この上ないメイクや言動は、怪奇映画にそのまま出演しても通じるたぐいである。

 まともな芝居をしているのは、清盛のオヤジの忠盛役の中井貴一と家臣役の中村梅雀ぐらいなもので、それ以外のほとんどの俳優陣は、わけのわからない妙な演技をさせられている。

 要するに、演出家が芸術的に懲りすぎて、自意識過剰で頭でっかちな演出に終始するあまり、エンターテインメント色を忘れてしまったというわけだ。


今様をアレンジしたテーマ曲にも抵抗感が

 もうひとつ付け加えておくならば、テーマ曲として随所に流れる今様(いまよう)の陰音階が、耳に心地よい音楽ではない。
 
(城島明彦)

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