こんなにあるぞ! 歴代屈指の酷評大河「平清盛」 7つの失敗点
「いま、なぜ「平清盛」か」が伝わってこず、大失敗
「平清盛」が「NHK大河ドラマ50回記念作品」と聞くと、
「?」
と思う人がほとんどではないか。
いま、なぜ「清盛」がふさわしいのかよくわからないし、NHKの説明を聞いてもわからない。
一度も見たことがない人に見ない理由を聞くと、口裏を合わせでもしたかのように、
「関心がない」
という返事が返ってくる。
大河ドラマの主人公は、たとえば「節約」という言葉の意味を大事にする時代であれば、「二宮尊徳」を取り上げるとか、その時代時代の風潮とか世相などに合致した人物が、視聴者の関心や興味を引き、理解されやすいが、今の時代に清盛といわれてもピンとこない。
「日宋貿易を開いた人」「世界に目を向けた人」といわれても、誰もピンとこないのだ。
要するに、ごく普通の人にとって、平清盛は関心がない部類に属する人物なのだから、その人物を扱ったドラマにも興味がない、見たくないということになる。
単なる娯楽作品として見ても、面白くないテーマなのだ。
それがモロに視聴率に反映していると私は思っている。
50回記念なら、なぜ「明治天皇」をやらないのか
私がプロデューサーなら、大河ドラマの「第50回記念作品」は「明治天皇」にした。
人間明治天皇を、維新・日清・日露戦争などを経て崩御まで描く。
こういうものこそが、「50回記念」と銘打てるのであって、国民に人気の薄い「清盛」を取り上げても、話題性に事欠く。
同じ明治時代が舞台の『坂の上の雲』をやっているというかもしれないが、あれは天皇が主役ではないし、視点を変えれば、ダブってもいっこうに構わないではないか。
今上天皇は、混迷する今日の時代を救おう思っておられるが、明治天皇もまたそうであった。
明治天皇を主役にしたドラマは、これまで描かれてこなかった新しい視点で描けば、素晴らしい人間ドラマになる。私はそう考える。
「明治天皇」がダメというなら、「西郷隆盛」あたりにすればよかった。
勝海舟ほかの明治の逸材たちが声をそろえてベタほめした男、天皇の信望厚かった男、悲劇性、人間味、リーダーシップ……西郷は、ドラマに欠かせない要素を数え切れないくらい備えており、いまの時代にぴったりではないのか。
大河ドラマでは、NHKの一部の人間が見たいもの、演出したいものをやるのではなく、
「NHKでしかできない、国民が見たがっているもの」
をやるべきではないのか。
大震災後に〝滅びの美学〟では間が悪すぎる
「平清盛」という名前から最初にイメージする言葉は、「平家」か『平家物語』といっていいだろう。
源氏や平家、『平家物語』は、言葉として小学校のときに習う。
中学では、『平家物語』のなかの有名な場面が国語の教科書に載る。
祇園盛者の 鐘の声
諸行無常の 響きあり
沙羅双樹の 花の色
盛者必衰の 理(ことわり)をあらわす
冒頭のこの言葉は、日本国民のほとんどは知っている。
『平家物語』は、「滅びの美学」に貫かれた文学作品である。
あんなに栄えていた平家一門が、都落ちして、最後は壇ノ浦の合戦で滅ぼされたという「悲劇」が売り物の文学だ。
琵琶法師がひくもの悲しい琵琶の音とともに物語が語られる。それが『平家物語』。
小泉八雲の『耳なし抱一』も怪談の形は取っているが、そこに描かれているのは「滅びの美学」である。
東日本大震災につながるイメージのある「滅びの美学」はいかにも間が悪い。
天皇家を「王家」と呼んで、どうする
天皇を「帝」(みかど)、天皇は自分を「朕」(ちん)という言い方はポピュラーであり、見ている方もすんなり聞けるが、皇室を「王家」などというと、「どこの国の話をしているのか」ということになる。
テレビを見ている人間は、学術会議に出席しているのではない。
大河ドラマに、芸術色の香り高い高尚で難解な番組を期待しているわけでもない。
右翼が怒る云々のレベルの問題ではない。
時代考証は大事だが、それを勘違いしてはいけない。
史実に忠実というなら、「おれ」などというセリフもNGということになりはしまいか。
「天皇家」を「王家」などという表現をNHKでは「当時の資料にそうある」といっているが、人々が違和感を覚えるような表現は使ってはいけないのだ。
当時そういっているとNHKが強弁するなら、放送禁止用語になっている「穢多」(えた)「非人」(ひにん)のたぐいや「チャンコロ」とか「メッカチ」「ツンボ」といった言い方も、NHK大河ドラマのなかで堂々と使わなければならない理屈につながる。
一事が万事、基本的ルールを無視したドラマづくりだから、そっぽを向かれて当然である。
松山ケンイチで失敗
なぜ松山ケンイチがNHK大河に出られたのか?
松山ケンイチが自分で売り込んだという話も伝わっているが、彼が大手芸能プロダクションの「ホリプロ」に所属しているから起用されたのか!?
もっと好感度な俳優はほかにいるだろうに。
NHKのほかの番組でも、さして人気があるわけでもないタレントがレギュラーで出ていたりするのは、大手芸能プロダクションとの一種の「癒着」である。
同じ源平を扱った「義経」(2005年大河)のときは、義経役のタッキーこと滝沢秀明は男から見ても眉目秀麗で、それなりの演技力もあったから、視聴者の反発を買わなかったが、今回の松山ケンイチは、クセが強すぎて、どう見ても主役を張れるタマではない。
荒々しい芝居をするのはそれで構わないが、たとえば「七人のサムライ」での三船敏郎の荒々しい演技とは月とスッポン。
過日亡くなった緒形拳も個性派だったが、彼が、昔、NHK大河で演じた弁慶は、視聴者から支持された。松山ケンイチの器は、緒形拳に比すべくもない。
松山ケンイチという俳優は、「パナソニックのCMに長く登場し、茶の間によく知られていた小雪と結婚した男」という程度の認識しかない人の方が多いのではないか。いや、そのことすら知らない人の方が多いかもしれない。
顔つき・目つきなどが、松山英樹というプロゴルファーと瓜二つで、元〝小泉チルドレン〟杉村太蔵ともそっくりで、主役を張れる顔ではない。せいぜい準主役の顔である。
汚い画面がいっぱい! で、失敗
兵庫県知事が「汚い」「汚い」「汚い」と三度もいったことの影響も大きい。
兵庫県への経済効果を期待しすぎていたために、実際のドラマを見て、胸算用が狂ったと感じて、トチ狂っての発言だったが、地域起こしは知事の仕事だ。
他力本願でどうする!
あの発言は知事の立場でいうべきことではないが、感想自体は的をハズレてはいない。
「あのバカ知事がいっていたけど、実際に見てみると確かに汚かった」
と思った視聴者は多かったはずで、青少年時代の清盛も、あまりにも汚い格好をしている。
御所へ伺候するときぐらい、もっとまともな格好でいっているはずであり、貴族に対する口のきき方も、あまりにも乱暴すぎる。
「ぼろは着てても 心は錦」
とでもいいたいのかもしれないが、臭気が画面から伝わってきそうな衣服はダメだ。
平安京は下水設備がでたらめで、飢饉や天災に襲われた後など、糞尿や死体が川、河川敷などにあふれかえった。道ばたも同様で、晴れた日など臭くて歩かなかった場所がいっぱいあった。
リアルさに凝っているとNHKがいうのなら、そういう情景もきちんと描くべきである。
がらんどうのような御所・貴族邸は、意味不明
御所のシーンを見ても、せいぜい、どこかの田舎の郡司あたりの家のようなイメージしか受けない。
これが民放なら、「予算がないのだろうな」と妙な納得の仕方をするが、国民の皆様からいただいた視聴料をドド~ンと投入して唐船まで建造しているNHKとなるとそうはいかない。
もう少し華やかな感じを出せないものなのか。
NHKにないのは、カネではなく、知恵だ。
いや、知恵はあっても、「王家」をわざわざ使って物議をかもし出すような知恵しかないのかもしれない。
日本人は、『源氏物語』とか『源氏物語絵巻』その他の絵巻物や、『百人一首』などを通じて、貴族の館や武士の屋敷のおおよそは知っている。
そういうイメージを完全にひっくり返すから、「そんなドラマ、見たくない」ということになる。
ついでにいうと、映画でも、昨年封切られた『源氏物語 千年の謎』では、光源氏に扮した生田斗真の眉毛が今風に細く整えてあっただけでなく、出てくる女の眉毛もみな細かった。
男優女優ともに、眉毛を伸ばすとほかの仕事にさしさわるとでもいうのか。『源氏物語絵巻』に描かれた男も女も、みな太い眉をしているし、溝口健二ほかの巨匠たちが徹底的に時代考証して描いた昔の映画を見ろといいたい。
映画の製作総指揮のところに大学時代のゼミの先輩の名前(角川歴彦)があるのを見て、がっかりした。
「角川さん、どこをチェックしているの!」
3Dなどの最新技術に頼ることに気がいって、映画人やNHK大河ドラマの制作スタッフの質が低下しているのではないのか。
演出陣の「妙な好み」と「芸術かぶれ」で〝華〟のないドラマに
昨年の大河もいろいろあったが、上野樹里、宮沢りえ、水川あさみの登場で、画面にはそれなりに〝華〟(はな)があった。
しかし、「平清盛」では、不気味な演技をする女優陣が勢ぞろいだ。
璋子(たまこ。のちの待賢門院)役の壇れいも、お付きの堀川局(ほりかわのつぼね)のりょうも、璋子とt女の戦いを繰り広げる得子(なりこ。のちの美福門院。びふくもんいん)役の松雪泰子も、判で押したように不気味で陰鬱で不健康そうな顔の色をし、不気味で奇怪な演技に終始させている。
そんな演技や女優陣に辟易して、2月12日に13.3%という〝驚異の低視聴率〟を記録したが、その後、キャピキャピと明るい時子(清盛の後妻になる女)役の深田恭子や、やっと普通の平安時代らしいきれいなオベベを着て爽やかな顔をした先妻役の明子に扮した加藤愛、やがて頼朝の母になる由良姫に扮した田中麓奈が登場したことで、画面が華やかになって、視聴者はホッとし、14.4%(2月19日)、15.0%(2月26日)と視聴率もちょっぴり上がったのである。
骨肉間ですさまじい怨念が飛び交う時代のドラマではあるが、これでもかこれでもかといわんばかりに、登場人物が病的すぎるのは問題である。
白河法皇から始まって、鳥羽天皇(上皇)、崇徳上皇など、どれもこれも狂っていると思える人物が錯綜し、(そのことは歴史的事実ではあっても、もっと別の描き方があるというもので、大河の演出はやりすぎの感があり)ドラマを暗くしている。
國村隼が演じている藤原忠実など「おどろおどろしい人物」の典型として描かれており、それはそれで面白いが、肝硬変でも患っているのかと思えるような不気味この上ないメイクや言動は、怪奇映画にそのまま出演しても通じるたぐいである。
まともな芝居をしているのは、清盛のオヤジの忠盛役の中井貴一と家臣役の中村梅雀ぐらいなもので、それ以外のほとんどの俳優陣は、わけのわからない妙な演技をさせられている。
要するに、演出家が芸術的に懲りすぎて、自意識過剰で頭でっかちな演出に終始するあまり、エンターテインメント色を忘れてしまったというわけだ。
今様をアレンジしたテーマ曲にも抵抗感が
もうひとつ付け加えておくならば、テーマ曲として随所に流れる今様(いまよう)の陰音階が、耳に心地よい音楽ではない。
(城島明彦)
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