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2012/02/27

NHK大河ドラマ「平清盛」(2/ 26)は、清盛が日宋貿易に目覚めるという中途半端なお話

盛り上がりに欠けた中途半端な第8回 

 低空飛行中の「平清盛」第8回は、清盛が日宋貿易に目覚めるお話だった。
 
 崇徳(すとく)天皇、鳥羽上皇の時代だが、実権は天皇ではなく、上皇が握って「院政」を執(と)り行っている頃のお話。

 ドラマ全体が、毎回、もって回ったような演出というか、ストーリー展開が多く、今回も面白いとか、グイグイと引き込まれるということがなかった。

 面白いと思ったのは、田中麓奈扮する「熱田神宮の大宮司藤原季範(ふじわらのすえのり)の娘」が源義朝(頼朝・義経の父)を好きになり、積極的にモーションをかけるという設定。
 そのかいあって、やがて彼女は頼朝の正室となり、頼朝を生むことになるのだ。


〝叔父子〟崇徳天皇の顔は、辛坊治郎そっくり!?

 肖像画によると、崇徳天皇は、テレビキャスターの辛坊治郎とそっくりの顔をしており、のちに、血で呪いの経文を書いた〝日本最大の怨霊〟と呼ばれるような恐ろしげな顔ではないが、息子の崇徳天皇は鳥羽上皇の実子ではなく、正室の璋子(たまこ)が祖父白河上皇と通じてはらんだ子だったから、鳥羽上皇も崇徳天皇も怨念がらみである。


〝平安時代を代表するオカマ〟藤原頼長 

 ドラマでは、摂関家藤原家の弟頼長(よりなが)が内大臣になるエピソードも描いていた。
 頼長が内大臣になるのは1136年のことなので、ドラマはそのあたりの時代ということになる。
 頼長は1149年に左大臣に昇進し、1156年に起きる「保元の乱」では、兄忠通を敵に回して戦死するが、ドラマではまだ先の話。

 ドラマでは、頼長が清盛を自邸に呼びつけて、清盛の父忠盛が偽造した日宋貿易を認める「院宣」という動かぬ証拠を突きつけて、チクチクやっていた。

 この男、「有名なオカマ」で、なんでもかんでも、「台記」と呼ぶ日記にこまめにつけていたから、几帳面というよりは不気味だった。


骨肉の争い「保元の乱」(1156年)

 いま描かれている皇室・藤原家・源平の人間模様のドラマは、やがて血みどろの骨肉の争いに発展していく。それが「保元の乱」。
 保元の乱は、保元元年(1156年)夏に起きた骨肉の覇権争いで、その対立構造といくさの結果は、次のようになっていた。

         勝ち組 ⇔ 負け組
 皇室    後白河天皇⇔鳥羽上皇
 藤原家  忠通(兄) ⇔頼長(弟)
 平家    清盛(甥) ⇔忠正(おじ)
 源氏    義朝(子&兄)⇔為義(父)・為朝(弟)

精彩を欠く女優(壇れい)の不可解な表情 
 
 鳥羽上皇は、祖父と内通して子(崇徳天皇)を生んだ奔放な〝魔性の女〟璋子(たまこ)を避け、〝男をとろけさす肉体の持ち主〟得子(なりこ)にどっぷりつかっている。

 得子を演じている松雪泰子、璋子ともに、どっちもイメージが違う気がする。

 第8回では、璋子が、自分が好きだった「水仙」を得子にとっぱらわれ「菊」に植え替えられたことを嘆く場面が描かれていた。

 壇れいは、やる気のない中途半端な表情をしている。
 サントリービールのCMで明るいキャラを演じている姿とのイメージとのギャップが大きすぎて、この役をやるメリットはなく、イヤイヤやっているのではないのかとさえ思わせる。

 得子は、その肉体で上皇をトリコにした女なのだから、ぎすぎすした体の松雪泰子というのはどうなのか。もっと「グラマラスな肉体派+コケティッシュな女優」にすべきだったのではないか。
 壇も松雪も、どちらも〝貧乳派〟という配役ではあまりに能がなさすぎる。


次男家盛との「平家の跡目相続」

 清盛の弟家盛は、歴史上、以下の2つの点で重要である。

 家盛は、清盛より5歳年下の忠盛次男(1123年生まれ)という扱いだが、正室藤原宗子(のち池禅尼)との間に生まれた実子である。
 清盛(1118年生まれ)は、好色だった白河上皇が遊女に生ませた子という説をNHKは取っているので、清盛と家盛の相続争いという問題が出てくる。

 家盛は、乱暴者の清盛と違って物静かな男であり、鳥羽上皇(のち)法皇に気に入られ、家督を継ぐ最有力者という見方もされていたが、20代半ばの1149年に病没。
 家盛の死によって平氏棟梁の跡目は清盛が継ぎ、血で血を洗う相続争いの可能性は回避されたのだ。

 保元の乱の後に起きた「平治の乱」(1160年)では、源平が闘うことになる。
 そのいくさで、玉木宏が演じている源頼朝の父義朝は死に、頼朝も捕われて殺されそうになるが、清盛の母(義母)池禅尼(宗子)が「死んだ家盛に面影が似ているから、助けてやってほしい」と清盛に懇願する。
 清盛は、その言葉を受け入れ、頼朝を伊豆への「島流し」に減刑する。この情けが、やがて平家を滅ぼすことにつながるのだ。

 家盛の死がもたらした2つの出来事が平家の運命を変えたのだ。


義朝は由良姫(熱田神宮の大宮司の娘)と結婚

 源頼朝は、玉木宏が演じている源義朝と熱田神宮の大宮司の娘「由良姫」(ゆらひめ)と結婚し、生まれた源氏の棟梁の嫡子である。

 田中麗奈が演じている由良姫は、義経の義母にあたる。
 頼朝と義経は異母兄弟で、「チビ・色白・出っ歯」だった義経の母は、武井咲が演じる常盤御前。

 常盤御前は、本邦初のミスコンで選ばれた絶世の美女で、近衛天皇の中宮藤原呈子(ていし)の雑用係をしていたときに義朝に見初められ結婚した。

 どれくらい美人だったかというと、容姿端麗な女子をまず千人撰び、それを100人に絞り、そこからさらに10人に絞って最後の1人に残ったのが常盤御前である。そのとき彼女は13歳。

 常盤御前を演じる武井咲も、「全日本国民的美少女コンテスト」で選ばれた美少女なので、共通点はある。


清盛はライバルの妻を自分の愛妾にした

 義朝のライバルだった清盛は、平治の乱で、源氏を破ると、義経ら3人の幼な子を連れて自首してきた常盤御前に、
 「おれの女になるなら、義経たちの命は助けてやる」
 といい、彼女をわがものにした。

 常盤御前は、やがて清盛との間に姫を生む。頼朝・義経の異父妹ということになる。

 常盤御前の美貌で命を助けられた義経は、京都の鞍馬山にあるお寺にあずけられるが、全国各地に逃亡して決起の機会をうかがっていた源氏ゆかりの者たちに説得されて、ついに平家打倒のために決起することになる。

 義経が山を降りて頼ろうとしたのは、遠縁にあたる奥州平泉の藤原氏。
 そこへ向かう途中で義経は、〝おばさんの実家〟である熱田神宮に立ち寄って元服式を行ってもらい、それまでの名「遮那王」(しゃなおう)を「左馬九郎(さまくろう)義経」に改めたと、『義経記』(ぎけいき)に書いてある。

 ちょっとした出来事で大きく狂ってしまう。それが歴史なのだ。

 (PR)義経を中心にして頼朝・常盤御前・清盛なども絡めて「真実はどうだったのか」を推理した〝裏返し日本史〟は、城島明彦『裏・義経本』(主婦の友社)に書かれています。2005年夏の発売と古いですが、絶版にならず、アマゾンでまだ売っているようですので、興味のある方はぜひご一読を。

(城島明彦)

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