おっ、おっ、オイラは老年探偵団?
ジジイ、ここにきわまれり
ああ、郷愁ってか。白黒映画「青銅の魔人」をセルDVD(2000円)で見た。
江戸川乱歩原作で、怪人二十面相、明智小五郎と少年探偵団が出てくる昔の松竹映画だ。
ストーリーが第1部から第4部で構成してあり、1本約30分の続きものになっていて全部で2時間6分という長尺。「さあ、このあと、どうなるのか」という趣向で、当時の子供向け映画では、こういうものが結構多かった。
1955年に封切られた白黒映画だから、特撮の技術レベルが低く、かなりいいかげんなところもあったが、以前、渋谷のTSUTAYAで借りて見た「児雷也」の忍術映画や吉川英二原作の映画化「神州天馬侠」が鑑賞に耐えず、子供時代の思い出をぶち壊されたことに比べると、「青銅の魔人」の演出はそれなりにきちんとしていて落胆はしなかった。
ソバカス顔の〝外米〟(がいまい)先生
オイラは、小学3年の夏休みに、ド田舎から地方都市のど真ん中の住宅街に引越し、学校も街の学校に移った。
9月になって母に付き添われて初登校し、戦時中は兵舎に使われていたらしい古い木造校舎の職員室に入ると、顔に少しソバカスのある優しそうな中年の女の先生が、あれこれと世話を焼いてくれたので、
「この先生が担任なんだ」
と思った。
あとでわかったのだが、その先生には、
「がいまい」(外米)
というあだながついていた。
なぜそんなあだななのかは、いまに至るもわからない。
母も「優しい先生だね」といい、オイラも、
「いい先生が担任でよかった」
そう思いながらついて行くと、二階の階段を上がったすぐのところの教室へ案内してくれた。
教室に入ると、教壇のところには別の若い女の先生が立っていた。
外米先生は、若い先生に「転校生です」と告げると教室から出ていった。
オイラの担任ではなく、隣のクラスの担任たったのだ。
若い先生は美人だったが、きつい感じがして、オイラはがっかりした。
この先生には、少したってから、オイラがケンカして相手をケガをさせたとき、教壇の前でビンタされた。
痛かったかどうかは覚えていないが、よろけたことを覚えているので、相当きつく張り飛ばされたに違いない。
いまなら大問題だが、当時はそういうこともあったのだ。
「胴馬」と「せいどろ魔人ごっご」
その先生に促されて自己紹介したと思うが、記憶に残っていない。
記憶にあるのは昼休みのことだけだ。
そのクラスの男の子たちは、その日、給食を食べ終えると、運動場ではなく、校舎の裏の校庭へ飛び出して行き、「胴馬」(どうま)と呼んでいた遊びをした。
関東では「長馬」(ながうま)と呼ばれていたらしい遊びだ。
馬側と乗る側の二手に分かれて遊ぶ。
まず、1人が木造校舎の外壁に背中をくっつけて立つ。
次の子は、腰を曲げ上体を前に倒す。
頭は立っている子の腰の横。つまり、馬の胴というわけだ。
次の子は、最初に胴になった男の子の腰に手を回して同じようにつながる。
そうやって数人つながると長い馬の胴のようになるという趣向だ。
これで準備完了。乗る側の男の子は、順番に走っていって、跳び箱の要領で、なるべく前の方の胴にまたがるようにする。
次も同様。
何人かが乗ると、その重みに耐えかねて馬の胴の部分が崩れ、騎乗している者が落馬する。
そうなると、馬側と乗る側が入れ替わる。
その繰り返しである。
きわめて単純な遊びだが、この遊びは、何十年か後に「危ない」「首の骨を折り危険性がある」という理由で禁止されたらしい。
オイラが所在なげにそれを眺めていると、サツマイモを連想するゴリラ顔をした浜田君という男の子が、声をかけてきた。
「せいどろまじんごっこしよう」
オイラには、そう聞こえた。
そういって、彼は、フランケンシュタインが人を襲うときのように両手を前方に突き出した。
「せいどろまじん」ではなく「青銅の魔人」と彼はいっていたらしいと気づいたのは、それから1年ぐらい経ってからだった。
近所のおじさんに古い映画を3本立てで上映している3番館へつれていってもらったら、上映していた映画の1本が「青銅の魔人」だったのだ。
以来、もう一度見たいと折に触れて思ってきた。
明智小五郎は「ノッペリ顔」?
DVDのパッケージには、明智小五郎に扮した若杉英二という俳優がピストルを構えた写真がある。
長谷川一夫にちょっと似ている、いや、長谷川一夫の息子の林成年(はやし なるとし)によく似た風貌を見て、日本初の全裸シーンが話題になった新東宝映画「海女の戦慄」にメバリばっちりの厚化粧で出ていた天城龍太郎という俳優とよく似ているなと思ったが、似ているどころか同一人物だった。
若杉英二は、松竹では何本も主役を演じていた売れっ子だったのだ。
それから半世紀以上もの歳月が流れ、改めてDVDを見ると、原っぱにある煙突に魔人が登って行く場面だけしか覚えていなかった。
怪人二十面相ものは、その後、数えきれないほど映画やテレビドラマになったが、「青銅の魔人」は一度もリメイクされていない。
「青銅の魔人』の正体は最後に明かされるが、あまり説得力はない。
のちにテレビドラマで天知茂が明智小五郎に扮していたときもそうだが、いくら二十面相が変装の名人とはいえ、背丈や顔の輪郭の違いまでどうやって化けるのかと考えると、話そのものが成り立たなくなってしまうので、そこには目をつむるというのが、この手の映画やドラマ鑑賞時のお約束である。
(城島明彦)