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2011/12/29

お正月は、家族一緒に遊びませう

 「リズミカルな無意味で奇妙なカタカナ」をつないで遊びませう。
 子どもたちは知らなくても、大人が知っている言葉もOK。
 その逆もOK。

 ポンポコリンのスッポンポン
 スッポンポンのスッテンテン
 スッテンテンのチューリンス

 チューリンスのチューリップ
 チューリップのアップップ
 アップップのアッパッパー

 アッパッパーのクルクルパー
 クルクルパーのチューリンガー
 チューリンガーのポッカポカ

 ポッカポカのパンパラパン
 パンパラパンのチンチラチン
 チンチラチンのオッペケペー

 オペケペーのドッチラケー
 ドッチラケーのプースーブー
 プースーブーのゲーロゲロ

 ゲーロゲロのピーヒャララ
 ピーヒャララのドンジャラホイ
 ドンジャラホイのメンタンピン

 メンタンピンのツーレロレロ
 ツーレロレロのケロパッパー
 ケロパッパーのエロガッパー

 エロガッパーのスットンパー
 スットンパーのツンツルテン
 ツンツルテンのピーヒャラドン

 ピーヒャラドンのハゲチョロケ
 ハゲチョロケのイガイガドン
 イガイガドンのオッタマゲ

 オッタマゲのクッシャクシャ
 クッシャクシャのバーラバラ
 バーラバラのポンポコリン (※はじめにもどる)

 (城島明彦)

なぞかけとダジャレ小咄(こばなし)でござる(NHK大河「江」「清盛」ほか)

 ◆来年のNHK大河ドラマ「清盛」とかけて、
 
  「更年期障害に悩む女性」と解く。
 
  そのこころは? 閉経(平家)

  中年女性に話したら、「余計なお世話だ」と怒られてしまった。


  2011年の大河ドラマ「江~姫たちの戦国」 ダジャレ小咄(こばなし)と参ろう

 ◆主役の江姫を演じた上野樹里が挨拶したいと首相官邸に来ていると聞いて、総理は大きく首を振った。
  「のだめ? ノー、ダメ。野田ダメ」

 ◆2011年12月26日、官房長官が日経新聞朝刊を手にして首相に駆け寄った。
  「世論調査によると、総理、支持率が36%に急落しています」
  「『家政婦のミタ』がうらやましい」
  「みたこっちゃない。い、いや、視聴率40%だそうですね」
  「支持率と視聴率か。痔と腸の違いだな」
  「はっ?」
  「平仮名にすると、よくわかる。『しじりつ』と『しちょうりつ』」
  「お言葉を返すようですが、総理、じ・ちょう(自重)してください」

 ◆野田総理に幹事長が迫った。
  「強行採決か否か、ご決断を!」
  「私の答えは、いつもひとつ。よし、引こう(佳彦)」

 ◆野田総理に幹事長が迫った。
  「消費税値上げを断行してよろしいのですね」
  「馬鹿なことをいってはいけない。私の答えは、いつもノーだ」

(城島明彦)

2011/12/28

内山ら民主脱党議員はバカか! 党すら変えられない者が、国を変えられるわけがない

鳩山の失政のツケ+小沢派の陰謀

 年末のドサクサを狙って、民主党の内山晃ら9人の議員が離党届を出した。
 鳩山派の斎藤恭紀以外は、全員、小沢派だ。これだけで造反の意味はわかる。

 野田首相は、党内融和という美名のもとに、小沢派を懐柔するために同派に大臣ポストを与えたが、山岡賢次(国家公安委員長)が問責決議されるなど、そいつらが足を引っ張っている。

 挙句のはてが脱藩だ。恩を仇で返されたというしかない。

 脱藩には大義名分がいる。
 「民主党は、2009年の選挙で掲げたマニフェストに反することを次々とやり、嘘つき呼ばわりされたくない」
 という理由で離党したと内山らはいうが、いまさら何をいうか。

 八ッ場ダム建設中止のために、どれくらい国民にアピールしたというのか。

 TPP参加に反対するのは誰でもできる。危険があっても新しいことに挑戦しないで、未来の飛躍はありえない。

 消費税増税に反対するのは簡単。反対するなら、誰もが納得する「赤字財源を救うための代案」を出せ。

 こういう馬鹿議員たちを選んだ選挙民もバカだ。

 マイナス点にばかり目をやって、どうすればマイナスをプラスに変えられるかを考えずに、闇雲の反対するような国会議員は、いまの日本に必要ない。

 大阪新市長の橋下は過激だが、少なくとも日本を変えようという気概に満ちあふれ、しかも説得力があり、実行力がある。

 彼のようなタイプの政治家の出現を日本人は待ち望んでいるのだ。

 民主党政権に望んだのは、橋下のような新しい発想と実行力だった。

 ところが民主党は、いまや議員のほとんどが政権の上にあぐらをかく〝腐った党〟になった。

 内山らは、政権ほしさのために、やれもしないことをでっち上げた党の尻馬に乗って当選しておきながら、自分に都合が悪くなったからといって離党する前に、党を改革したらどうか。

 同僚たちすら説得できず、党すら改革できない者に何ができる。

 議員辞職して、とっとと下野せよ。

 ところで、普天間問題で国を混乱させた鳩山は、なぜ責任を取って議員を辞めないのか?
 鳩山が派閥の領袖として存在すること自体が、日本にとって百害あって一利もない。
 鳩山が引退することが、即、国民のためになるということが、どうしてわからないのか。

 (城島明彦)

2011/12/22

「家政婦のミタ」の第2弾企画は、これで決まり?


「家政婦のミタ」で、日本語のお勉強ざんす!

 家政婦のマタ……「股」の意。がに股で、両脚の間に隙間があるために、その間から向こうの景色を眺められ、子どもたちが大喜びし、「またやって」とせがむ毎日である。彼女はといえば、最初のうちは「またですか」と嫌がっていたが、いつしかMっ気に目覚め、子どもたちにそうせがまれるのを心待ちするようになる。

 家政婦のキタ……「北」からやって「来た」のでそう呼ばれる。彼女の出身は、福島県の喜多方とも北海道ともいわれている。

 家政婦のヨタ……デタラメな話とかつまらない話をヨタ話というが、そんな話が大好きな家政婦。
 
 家政婦のカタ……漢字で書くと「型」、パターンのことで、どんなことを頼んでも「うけたまわりました」のワンパターンに特徴がある。それ以外に次のような用語使用例もある。
 ①家政婦の方はいらっしゃいますか? 
 ②なんでもやるために労働「過多」になり、「肩」を痛めている。
 ③堅物(かたぶつ)のこと。

 家政婦のエタ……名字の「江田」に由来するが、カタカナにすると放送禁止用語になるので題名には不向き。
 
 家政婦のブタ……「♪五匹の子豚が 五匹の子豚が ラジオを聞くと」というチャールストンの歌が大好きな家政婦は、実際に家で豚を飼い、自分自身も豚に負けない立派な体格をしている。

 家政婦のバタ……本名は「田端」だが、派遣先の子どもと一緒に見る「アンパンマン」のバタコさんが好きなので、最初は「バタちゃん」と呼ばれたが、本人が「敬称はつけないで」というので、そう呼ばれるようになった。

 家政婦のハタ……子どもがいたづらしたときの口ぐせが「ハタ迷惑なことをしてはいけません」に由来するあだな。そんな家政婦も、時折、ハタと思い悩むことがあるそうな。

 家政婦のモタ……のろまな人間が大嫌いで、「もたもたしないで、さっさとやりなさい」と子どもにいうきつい性格の女である。

 家政婦のイタ……家政婦ながら家事が大の苦手で、包丁でしょっちゅう指を切り、そのつど、おおげさに「イタッ」というところから、そう呼ばれるようになった。

 家政婦のワタ……魚のワタ(はらわた)をとるのはうまくないが、布団の綿をフカフカにするのが特技だとか。

 家政婦のシタ……家政婦の下は「家政婦見習い」。そのなかに、何かにつけて、舌ったらずなしゃべり方で「招致しました」というプライドの高い女がいた。祖父が昭和39年の東京オリンピックを招致した功労者の一人だったことを鼻にかけているのだが、掃除していなくても「掃除しました」などという虚言癖があり、派遣先で必ず問題を起こす厄介者(やっかいもの)として嫌われているらしい。

 家政婦のフタ……家政婦派遣所長の口ぐせは、「見たこと知ったことを軽々にほかで話してはいけない。家政婦は口にフタをするように」からきているが、「そこまでいわれては身もフタもありません」と反論した家政婦がいたという。

 家政婦のゲタ……顔が下駄(げた)のように四角いだけでなく、子どもが怖がる怪談話が得意で、なかでも「牡丹灯籠」(ぼたんどうろう)を語って聞かせるのが大好き。なかでも、新三郎に恋した幽霊のお露が夜ごと、下駄の音を「カラ~ンコロ~ン」と響かせながら現れる場面を語るときが最高と思っている妙な家政婦。

 家政婦のチタ……出身地が知多半島なので、そう呼ぶことになった。
家政婦のガタ……山形出身ではない。長年真面目に家政婦を務めてきた家政婦が、体のあちこちにガタがくることをいう。

 家政婦のポタ……亀田製菓の「ぽたぽた焼き」が大好物なところから、そう呼ばれるようになった。

 家政婦のネタ……「寝た」ではなく「ネタ帳」のネタ。以前、漫才師になりたかったというだけあって、いつもダジャレをいって派遣先の家庭を明るくしている。常にネタ帳を携帯し、アイデアが浮かぶとこまめにメモしている努力家の家政婦なのだ。

――電車で揺られて身動きが取れないときなどに、こんな調子で頭の体操をするというのは、どうざんしょう。 

(城島明彦)

最終回の視聴率40・0%だって! 「家政婦のミタ」は現実離れしたマンガだから受けた

名字を「三田」にし、題名を「ミタ」にしてパロった節操のなさに問題あり

 「パロディか!? ふざけた題名の番組をよくやるな」
 日テレで「家政婦のミタ」というドラマの予告を最初に目にしたとき、そう思ったものだった。
 むろん、見る気もしなかった。

 ところが、「あれ、面白いよ」という複数の声を耳にしたが、ふざけた題名が邪魔をして見る気が起きなかった。

 「家政婦は見た」は、そもそも、他局(テレ朝系)のシリーズもので、市原悦子の十八番(おはこ)というイメージが視聴者に浸透している。
 1980年代の最初の「家政婦は見た」を「土曜ワイド劇場」で見ているが、発想が新鮮なのと、市原悦子のとぼけた味の芝居に好印象を受け、以後も何回か見たものの、家政婦が雇われた家の様子を覗き見するという設定に次第に疑問を感じるようになり、途中から見なくなった。

 そういう番組のタイトルを平然とパクって茶化すという姿勢そのものがふざけている。
 節操がない。こういうことを平気でやるテレビ局の神経を疑う。
 視聴率が高ければ許されるという問題ではない。志(こころざし)が低すぎる。

 題名は、ただの「家政婦」でも、「家政婦の山本」でも「、家政婦の灯(あかり)」でもよかったのではないか。
 そう思っていると、たいへんな視聴率であるという話が報道され始め、
 「ドラマの最終回には〝本家〟の市原悦子や主演の松嶋菜々子の亭主の反町がゲスト出演するのではないか」
 という噂まで流れ、それが視聴率アップを加速させ、最終回では視聴率40.0%(関東地区)で歴代同率3位を記録したという。

 あまりにも騒がれるものだから、最終回前と最終回のそれぞれ一部だけ見たが、それほど話題になるようなドラマとは思えなかった。

 ホームドラマの象徴だったTBSテレビの「渡る世間は鬼ばかり」が終了したまさにその年に放送された、〝トンデモ話〟の「家政婦のミタ」がとんでもない視聴率を稼ぎ出したのは、象徴的である。


絵空事だから面白いのか

 ちょっとしたことが原因で、簡単に人を殺す。のみならず、バラバラにして捨てる。

 本来非現実であるはずのそうした出来事が、次々と現実に起こる時代になっている。

 昔は、映画やテレビドラマのなかでしか起こらなかったような事件が、ひんぴんと現実に起こる。
 人々の神経は麻痺しているから、少々の事件を扱ったテレビドラマを面白いと思わなくなっている。

 だから、非現実的なものを映画やテレビに求める傾向は強くなってきたのではないか。

 笑わない人間などこの世にはいないし、何をいわれても「承知しました」などという人間など世界中を探しても一人もいない。

 だからこそ、そうではない人間をおもしろがる時代ということなのか。


時代の節目に現れる現象

 1970年代のマンガ(梶原一騎原作)と映画「愛と誠」、1980年代のテレビドラマ「スチュワーデス物語」、1990年代のテレビドラマ「星の金貨」などは、お涙頂戴シーン満載の非現実的な世界を「おおげさ」で「わざとらしく」描いたことで話題になった。

 「愛と誠」が話題になった時代の1970年代前半にはオイルショックがあり、日本の高成長が止まった。少女(愛)を助けるために少年(誠)が顔に大ケガをしたという設定そのものが現実離れしているし、そのことを互いにその後の人生でもずっと引きずり続けるということも非現実的である。

 1980年代半ばの「スチュワーデス物語」はバブル期へと向かう前兆だった。「私はのろまなカメです」などというセリフが有名になったが、こんなことばを口にする人間など現実にはおらず、いかにも絵空事の世界だった。

 酒井法子主演の「星の金貨」は、1990年のバブル崩壊後の凋落する日本と歩調を合わせていたのではないか。これも、気の毒な身障者をドラマにしてお涙頂戴というわざとらしい設定で視聴率を取ろうという魂胆が見え透いていて、私は見る気がしなかったが、高視聴率をマークした。

 2000年代に入ってITバブルがはじけてから、日本は凋落の一途をたどり、2008年のリーマンショックのとばっちりで、明るい話題に事欠くようになっていたから「なでしこジャパンの優勝」くらいで国中がお祭り騒ぎになってしまう。

 政権が変わっても、かわりばえのしない暗くて前途に希望を持てない現実。

 「家政婦のミタ」を多くの人が見たという現象を、もはや日本人には非現実の世界に遊ぶしか夢がなくなってしまったからだろうか。

(城島明彦)

2011/12/13

万葉恋しや ほーやれほ?

小学生のときに覚えた万葉歌

 小学6年生のときに、万葉集を授業で習った。
 そのとき覚えた歌のひとつに、次の歌がある。

   夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は こよいは鳴かず い寝(ね)にけらしも

 以来、好きな歌になった。


万葉戯れ歌

 プロ野球もストーブリーグに入り、大物選手のFAが話題になっている。
 そこで、今日は、前記の歌を本歌とした野球人の戯(ざ)れ歌というか狂歌(きょうか)を少々。

 (戯歌)
   有(ゆう)去れば 札幌ドーム 鳴く鳥は 歓呼ではなく 閑古鳥かも
   
   佑(ゆう)去れば 神宮球場 泣く早稲田 勝てなくなって あたり散らしも
   
   落(おち)去れば ナゴヤ球場 ファン増える? 優勝争い できたらの話

 注釈不要とは思うが、野球に詳しくない人のために注釈。
 有はダルビッシュ有、佑は斉藤佑樹で、落は前中日監督の落合博満。

 (「鳴く」からの連想で、野球人以外のオマケ)
    鳩去れば 沖縄中に フン争の 種まきちらして はと迷惑
 
(城島明彦)

2011/12/10

おっ、おっ、オイラは老年探偵団? 

ジジイ、ここにきわまれり

 ああ、郷愁ってか。白黒映画「青銅の魔人」をセルDVD(2000円)で見た。 

 江戸川乱歩原作で、怪人二十面相、明智小五郎と少年探偵団が出てくる昔の松竹映画だ。
 
 ストーリーが第1部から第4部で構成してあり、1本約30分の続きものになっていて全部で2時間6分という長尺。「さあ、このあと、どうなるのか」という趣向で、当時の子供向け映画では、こういうものが結構多かった。

 1955年に封切られた白黒映画だから、特撮の技術レベルが低く、かなりいいかげんなところもあったが、以前、渋谷のTSUTAYAで借りて見た「児雷也」の忍術映画や吉川英二原作の映画化「神州天馬侠」が鑑賞に耐えず、子供時代の思い出をぶち壊されたことに比べると、「青銅の魔人」の演出はそれなりにきちんとしていて落胆はしなかった。


ソバカス顔の〝外米〟(がいまい)先生

 オイラは、小学3年の夏休みに、ド田舎から地方都市のど真ん中の住宅街に引越し、学校も街の学校に移った。

 9月になって母に付き添われて初登校し、戦時中は兵舎に使われていたらしい古い木造校舎の職員室に入ると、顔に少しソバカスのある優しそうな中年の女の先生が、あれこれと世話を焼いてくれたので、
 「この先生が担任なんだ」
 と思った。

 あとでわかったのだが、その先生には、
 「がいまい」(外米)
 というあだながついていた。

 なぜそんなあだななのかは、いまに至るもわからない。

 母も「優しい先生だね」といい、オイラも、
 「いい先生が担任でよかった」
 そう思いながらついて行くと、二階の階段を上がったすぐのところの教室へ案内してくれた。
 
 教室に入ると、教壇のところには別の若い女の先生が立っていた。
 外米先生は、若い先生に「転校生です」と告げると教室から出ていった。
 オイラの担任ではなく、隣のクラスの担任たったのだ。

 若い先生は美人だったが、きつい感じがして、オイラはがっかりした。

 この先生には、少したってから、オイラがケンカして相手をケガをさせたとき、教壇の前でビンタされた。
 痛かったかどうかは覚えていないが、よろけたことを覚えているので、相当きつく張り飛ばされたに違いない。

 いまなら大問題だが、当時はそういうこともあったのだ。


「胴馬」と「せいどろ魔人ごっご」

 その先生に促されて自己紹介したと思うが、記憶に残っていない。
 記憶にあるのは昼休みのことだけだ。

 そのクラスの男の子たちは、その日、給食を食べ終えると、運動場ではなく、校舎の裏の校庭へ飛び出して行き、「胴馬」(どうま)と呼んでいた遊びをした。
 関東では「長馬」(ながうま)と呼ばれていたらしい遊びだ。

 馬側と乗る側の二手に分かれて遊ぶ。

 まず、1人が木造校舎の外壁に背中をくっつけて立つ。
 次の子は、腰を曲げ上体を前に倒す。
 頭は立っている子の腰の横。つまり、馬の胴というわけだ。

 次の子は、最初に胴になった男の子の腰に手を回して同じようにつながる。
 そうやって数人つながると長い馬の胴のようになるという趣向だ。

 これで準備完了。乗る側の男の子は、順番に走っていって、跳び箱の要領で、なるべく前の方の胴にまたがるようにする。

 次も同様。
 何人かが乗ると、その重みに耐えかねて馬の胴の部分が崩れ、騎乗している者が落馬する。

 そうなると、馬側と乗る側が入れ替わる。

 その繰り返しである。

 きわめて単純な遊びだが、この遊びは、何十年か後に「危ない」「首の骨を折り危険性がある」という理由で禁止されたらしい。

 オイラが所在なげにそれを眺めていると、サツマイモを連想するゴリラ顔をした浜田君という男の子が、声をかけてきた。

「せいどろまじんごっこしよう」

 オイラには、そう聞こえた。
 そういって、彼は、フランケンシュタインが人を襲うときのように両手を前方に突き出した。

 「せいどろまじん」ではなく「青銅の魔人」と彼はいっていたらしいと気づいたのは、それから1年ぐらい経ってからだった。
 近所のおじさんに古い映画を3本立てで上映している3番館へつれていってもらったら、上映していた映画の1本が「青銅の魔人」だったのだ。

 以来、もう一度見たいと折に触れて思ってきた。


明智小五郎は「ノッペリ顔」?

 DVDのパッケージには、明智小五郎に扮した若杉英二という俳優がピストルを構えた写真がある。
 
 長谷川一夫にちょっと似ている、いや、長谷川一夫の息子の林成年(はやし なるとし)によく似た風貌を見て、日本初の全裸シーンが話題になった新東宝映画「海女の戦慄」にメバリばっちりの厚化粧で出ていた天城龍太郎という俳優とよく似ているなと思ったが、似ているどころか同一人物だった。

 若杉英二は、松竹では何本も主役を演じていた売れっ子だったのだ。

 それから半世紀以上もの歳月が流れ、改めてDVDを見ると、原っぱにある煙突に魔人が登って行く場面だけしか覚えていなかった。

 怪人二十面相ものは、その後、数えきれないほど映画やテレビドラマになったが、「青銅の魔人」は一度もリメイクされていない。

 「青銅の魔人』の正体は最後に明かされるが、あまり説得力はない。

 のちにテレビドラマで天知茂が明智小五郎に扮していたときもそうだが、いくら二十面相が変装の名人とはいえ、背丈や顔の輪郭の違いまでどうやって化けるのかと考えると、話そのものが成り立たなくなってしまうので、そこには目をつむるというのが、この手の映画やドラマ鑑賞時のお約束である。

(城島明彦)

2011/12/06

談志が死んだ。ダンスはすんだ。檀家は神田?

 昨晩、風呂に入っていたら、先日亡くなった立川談志のことが頭に浮かんだ。

   談志が死んだ

 上から読んでも下から読んでも同じ「だんしがしんだ」。

 これは昔からよくいわれた回文で、談志自身も生前よくいっていたダジャレだ。

 立川談志に限っては、回文というより「怪文」がふさわしい。そこで――

   dancing 軍神だ!(ダンシングぐんしんだ)

   痛い痛い(いたいいたい)

   庭に鰐(にわにわに)

   ダンスはすんだ
 
   檀家は神田?(だんかはかんだ?)
 
 談志死去の報道では、彼が残した自身の〝ウンコくさい〟戒名が紹介されていた。

   立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわ・うんこくさい・いえもと・かってこじ)

 談志が死んで、毒舌も死んだ。だから、談死

 ダジャレを「さぶっ」という程度ならまだしも、「おやじギャグ」などと小馬鹿にする時代だから、日本も元気を失う。

 「しゃらくさい」の東洲斎写楽、「くたばってしまえ」の二葉亭四迷。

 昔、山茶花究(さざんかきゅう)という役者(名バイプレーヤー)がいた。3×3=9をもじったらしい。

 ダジャレ結構。紅茶ならダージャリンじゃ。ん? ダージリンだって?


石原慎太郎と立川談志

 立川談志(本名松岡)の長男の名は「慎太郎」。は、石原慎太郎からとったのではないか。

 そう考えると、2人の関係が想像できるが、談志は、

 「いや、そうじゃない。幕末の志士、中岡慎太郎だ」

 と答えるかもしれない。


戒名の見本

 誰でも使える戒名は、

   冥土院

 海外で死んで現地で荼毘(だび)に付されたり、オイラのように駄文(だぶん)ばかり書いているものは、

   冥土院邪版 (メイド・イン・ジャパン) 


風呂に長く入りすぎて、頭がフロフロする?

 おかしなもので、頭のスイッチがダジャレモードに入ってしまうと、入浴中にあまりレベルの高くないヘンな連想が次々と浮かんできた。

   赤ちゃん、ダッコで
   わしゃ、脱肛(だっこう)
   ラッコは、おなかで貝を割る

   貝割れ大根、葉が双葉
   二葉といえば、二葉亭四迷
   指名手配で、おどおど暮らす
   クラス会で、赤ちゃんダッコ
   (はじめに戻る)

 脳の回線がどこかショートしたのかもしれない、と思いながら風呂を出ーた晩く。

 (城島明彦)

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