« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011/11/28

NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」も、昨晩(11月27日)で終わった

「江」はドラマとしては面白かった

 「史実と違う」とか「ご都合主義だ」などと、ぶつくさいいながらも、「江」を初回から最終回まで見続けてきたのは、創作ドラマとして見れば面白かったということかもしれない。
 
 正確にいうと、体調不良で床につき、その時間眠っていて2回見落とし、1回は再放送で見たので、見なかったのはたった1回だけということになる。

 「ご都合主義」という点では、最終回まで改まらず、江の最初の結婚相手(政略結婚させられたうえ、無理やり離縁させられた)佐治一成(さじ かずなり)と、夫秀忠が家を留守にした間に二人きりで会うというような設定は、視聴者へのサービス過剰というか、どう考えても「つくり話」としか思えず、不自然で嘘っぽかった。

 大河ドラマでは、「源義経」(2005年)のときは、私自身が義経の本(『裏・義経本』主婦の友社)を執筆したこともあって、毎回見るようにし、見ることができない日はビデオに録ってあとで見たが、それ以外の大河ドラマを熱心に見たのは、今回が初めてだ。

 「江」をビデオに録ってまで見なかったのは、年のせいかもしれない。

 「江」の最終回は、いつもより放送時間が長く、回想シーンを多用して総集編的な感じにまとめていたこともあり、視聴率(関東地区)は19.1%。19%台に載せたのは実に半年ぶり(5月30日の19.1%以来)である。

 とはいえ、同じ最終回を「龍馬伝」(21.3%)「天地人」(22・7%)「篤姫」(28.7%)と比べると見劣りがする。

 好意的に見れば、NHKの大河ドラマ自体が、じりじりと人気が落ちているということなのかもしれない。

 細かいことをいうと、最終回の「江」で気になったのは、セリフに「されど」が多すぎたことである。いろんな登場人物が何度も何度も「されど」を口にした。


江の「静」の部分や人間味をもっと前面に押し出すべきだった

 「江」というタイトルをつけながら、全編を通じて江自身をじっくり描いたという印象は薄かったが、最終回や家康が死ぬその前の回のドラマでは、人としての江を全面に押し出し、よく描いていた。

 しかし、大河全体では、NHKの演出家は、主演の上野樹里の魅力を出し切れていなかった。
 演出家は、彼女の出世作「のだめ」のイメージが頭にあったからか、彼女に「動」の芝居を求める場面が多く、その結果、男まさりの性格で、何にでも頭を突っ込みたがり、「盗み聞きの常習者」といったマイナス面が強調され、人間的な魅力を視聴者に伝えられなかった。

 ところが、最終回やその前の回では、彼女は、「動」ではなく、「静」の演技をし、いい芝居をした。
 なぜこういうしっとりした描き方をなぜ全編でやらなかったのか、と惜しまれる。

 江が不平・不満・疑問を口にする場面も結構多かったが、そのときの彼女の表情は妙にケンがあり、セリフ回しも単調で、よくなかった。

 相手のセリフを語尾をあげて繰り返しというセリフも鼻についた。これは脚本家がもっと気をつかうべきだったし、撮影現場で演出家が臨機応変にセリフを変えなければいけなかった。

 江には男まさりといわれる面があったといわれているが、(時代は違うが)木曽義仲の愛妾巴御前(ともえ ごぜん)のように、〝女だてら〟に鎧兜(よろいかぶと)に身を固めて馬にまたがり、義仲とともに戦場にうって出て闘うといったような女丈夫(じょじょうぶ)ではない。

 戦乱の世を描こうとすると、どうしても男、それも信長、秀吉、家康の3英傑(えいけつ)が中心にならざるを得ず、女は男に振り回される道具のような存在として描かれることになるが、そうした運命に翻弄されながらも女は女で懸命に生きたという姿は、ドラマから伝わってきた。

 茶々、初、江の浅井3姉妹以外にも、おね(ねね)や京極龍子など何人もの女にスポットを当てた分、江の性格描写に費やせなかったきらいはある。放送時間を正味1時間に増やさないとじっくり描けないのかもしれない。


上野樹里の演出に失敗したことが低視聴率の原因

 江の描き方については、違和感を覚えた場面がしばしばあった。

 全編を通して、視聴者が共感できる彼女の描き方をしていれば、「江」の人気、上野樹里の人気はもっと高くなったのではないか。

 総じて視聴率が低迷気味だったのは、上野樹里の魅力を引き出せなかったNHKの演出家の責任であり、脚本のせいではないか。

 不運な面もあった。
 人気に弾みがつく時期に東日本大震災が起こり、日本中がドラマどころではないという雰囲気になったのも災いした。2月27日20.9%、3月6日20.0%と続いた視聴率が、3月14日には放送されなず、翌週3月20日には16.9%と急落し、そこから人気が回復しなかったのだ。

 沢りえ、水川あさみ、上野樹里が、どう見ても不自然でムリのある「幼女時代ないしは少女時代」を演じさせるというキャスティングミスで、視聴者をシラケさせたことも人気下落の原因となった。
 撮影に入る準備段階で芦田愛菜のような人気子役が3人そろっていたら、「おかしい」という声は出なかっただろうし、人気下落もなかったかもしれない。
 

オーソドックスで落ち着いた演出はよかった

 昨年の「龍馬伝」は奇をてらいすぎた演出が鼻についた。
 演出家も音楽監督も、「変わったことをやれば、斬新だ」とカン違いしている節が感じられ、それがこれでもかこれでもかと出て嫌味だった。

 坂本龍馬という国民的人気の高い人物が主人公とあって、放送開始前から期待が高かったこともあり、私自身は大学の先生の龍馬本を手伝ったこともあって、興味深くドラマを見たが、画面展開やカメラアングルなどの演出があざとく、おまけに音楽もうるさくて、見ていると疲れ、早々に見る興味をなくした。

 「江」では、最終回の最後に来年から始まる「平清盛」の予告編が流れたが、それを見るかぎりでは、「龍馬伝」の演出を思わせるように、カメラがせわしげに動き回り、CMのようにめまぐるしくカットが変わる展開だった。

 「江」は女性を主人公にしたためか、「オーソドックスな静的演出」が行われ、その点は高く評価したいが、「平清盛」ではまた「龍馬伝」のように騒々しいドラマになるのかと思うと、うんざりする。

 CMは秒数が短いから、ポンポンとカットが変わっても不自然に感じられないし、疲れないが、ドラマや映画にその手法を用いると、見ているほうは疲れてしまう。若い連中はついていくかもしれないが、年寄り連中やおばさんたちは、違和感を感じるだろう。

 NHKの大河では、芝居やセリフをじっくり見せる落ち着いた正攻法の演出でやってほしいものだ。


NHKの変節に文句あり

 近年のNHKは、公共放送である意識が希薄になり、思わずチャンネルを確認したくなるような情けない番組が多すぎる。

 朝から性の問題を扱ったり、見苦しい髪形のアナウンサーが登場したり、(フリーのアナウンサーなのかもしれないが)正しい日本語を使えないアナウンサーを平気で起用している。

 昨今のNHKは何をカン違いしているのか、大衆に迎合することで視聴率を上げようとするあまりか、民放と見まがうような番組づくりをし、しばしば物議をかもしている。
 起用するタレントも番組内容も、特に深夜に近づくにつれて、デタラメになっている。

 たとえ不評を買い、批判を受けたとしても、NHKはNHK本来のカタブツ的放送局であってほしい。

 かつてのNHKは、髪形、化粧、衣装などに厳しい規律を求めていた。
 少しでも問題を起こした俳優、歌手、タレントはいっさい起用しなかった。

 そういうやり方に対する反発の声も当然あったが、それでよかったのだ。それ「NHKらしさ」だったのだ。

 しかし、NHKは、そういう美徳をいつのまにか自ら放棄し、民放まがいの〝淫(みだ)らで、だらしのない社会風俗〟を、取り入れることが最先端であると錯覚してしまった。

 NHKがナンパ化してどうする。
 民放のような番組をつくりたいなら、視聴者からカネをとらず、CMを流してカネを取れといいたい。

(城島明彦)


2011/11/21

日本シリーズ3勝はよくやったというべきか、ドラゴンズ!

中日ドラゴンズは、ここまでよく来た

 1、2戦に敵地でソフトバンクを連破したときは、日本シリーズ経験のあるドラゴンズ有利と思ったが、地元で3連敗したときは、もうダメだと思った。
 
 しかし、再び敵地に乗り込んで初戦を制したので、今度は「この貧打で、よく勝てた」と妙な感心の仕方をしてしまったが、打線にまったく勢いがなく、シリーズの覇者にはなれないと感じた。

 1番荒木は頑張っていたが、2番井端、3番森野が打てなさすぎた。

 谷繁も7試合で1本のヒットもない。こんな例は、過去になかったのではないか。

 監督最後の落合は、谷繁をスタメンからはずそうとしなかった。1日休ませてもよかったのではないか。

 どんなに投手力があっても、1点も入れられなくては勝てない。

 あまりの貧打ぶりに、「これでよく日本シリーズに出られた」と思ったものだった。


飛ばないボール
 
 「飛ばない球」に変わった今シーズンが終わって思うことは、

 「いままでのホームランや打率の記録って、一体なんだったのか」

 ということだ。

(城島明彦)

 

 

NHKはおかしい? 竹千代(3代将軍家光)は「女嫌い」(=「オカマ」)だった。

 「江~姫たちの戦国~」も次回(第46回)がいよいよ最終回。

 日本シリーズの中継と途中からだぶったので、あっちを見、こっちを見した。


「南極大陸」のキムタクの眉毛はおかしい 

 年をとったせいか、録画してまで見たいと思わなくなった。というより、録画してまで見たいと思う番組がなくなった。ここ5年近く、そういう状態が続いている。

 いいかげんなドラマが多すぎる。
 鳴り物入りで登場したTVドラマ「南極大陸」も、昭和30年代前半を描いていながら、主演のキムタクの眉毛は細く、当時とまったく違っている。

 時代考証という点では、前に長髪の兵隊が出てくるデタラメな映画があって驚いたことがあるが、それに近い。
 
 たった一人そういう登場人物が出てくるだけで、映画やドラマ全体が嘘っぽく見えてしまうことを制作サイドは考えないといけない。

 キムタクがどんなに熱弁をふるおうと、眉毛が昭和30年代の男ではない彼の顔を見ると、
 「いつの時代の男を演じているつもりなのか」
 と、しらけてしまうのだ。

 昭和30年代は、太い自然な眉が凛々しく男らしいといわれていた時代で、眉尻を細く女のように整えていたのは歌舞伎の女形か当時〝シスターボーイ〟と呼ばれていた三輪明宏(現美輪明宏)のような「オカマ」くらいなものだった。

 眉毛を育毛し太くする「ミクロゲンパスタ」という塗り薬が、男性誌などでさかんに太い眉の男のイラストを使った広告を打っていた。そんな時代は昭和40年代に入ってもまだ続いていたのだ。


竹千代が女嫌いだったのは有名な話

 話は変わって、大河ドラマ「江~姫たちの戦国」だ。

 前回(第44回)のドラマでは、竹千代が口紅をつけているのを江が見て驚き、秀忠ともども落胆するシーンが描かれていたが、 今回(第45回「息子よ」)は、江に冷たくされて寂しかったからという理由で、母の愛用している口紅をつけていたという解釈をNHKはしていた。

 NHKは、歴史をねじ曲げて、きれいごとにしてしまった。

 歴史的にいって、家光の女嫌いは有名な話で、それに困った乳母の春日局が大勢の女を集めた大奥をつくったのである。

 「たくさんの美女を集めたら、1人ぐらい気にいる女がいるだろう」
 という目論見からだ。

 今風にいえば、
「男好きなら、宝塚の男役のような女を用意すればいいかもしれない」
 とも考えただろう。


脚本家と演出家が上野樹里を殺した
 
 病に倒れた家康が人払いをして、息子秀忠と二人きりになる場面があった。

 そういう場合、ほかの者たちは、別の部屋へさがって控えているのが普通だが、江は例によって廊下に控え、二人の話を漏れ聞くという設定になっていた。

 ドラマを盛り上げるには、そうするのが一番と考えただろう。

 そういう安易さはあるにしろ、二人の話を聞いている上野樹里の表情の演技はよかった。

 ここ何回か、そういう表情だけの芝居があったが、なかなかよかった。

 そういう芝居ができるのなら、脚本家や演出家は、そういう場面をもっと多くしてやるべきだったのではないか。

 脚本家は、どうも上野樹里を好いていなかったのではないかと疑われるような、おかしなセリフが多かった。

 脚本家も演出家も、どうすれば主演女優の魅力を最大限引き出せるかという努力を怠ったのではないのか。

 得をしたのは、初役の水川あさみだ。出番は少なめだったが、悪いイメージは与えなかったのではないか。


上野樹里の所属プロダクションが無能
 
 女性が主人公ということで、上野樹里は「篤姫」の宮崎あおいの人気と比較されがちだが、〝かえる顔〟の宮崎だからというわけでもなかろうが、「アフラック」のCMでアヒルと競演し、子どもやお母さんに人気があり、コマーシャル効果にも支えられた。

 上野樹里を家庭的なCMに何本も出させるべきだった。
 
 茶々、初、江の3姉妹を演じた女優3人の出ているCMでは、主演の上野樹里のCMが一番見劣りがする。

 NHKの主演が決まりそうなあたりから、CMへの起用を売り込んでいれば、もっと人気も出ただろう。
 売込みを怠った所属プロダクションの責任は大きい。

 ついでに毒づくと、アフラックのCMにはアヒルや猫が出てくるが、どういう商品なのかまったくわからない。
 保険を単なるイメージだけで売っていいのかと、あのCMを見るたびに考えるのは私だけか?

(城島明彦)

2011/11/18

初回に点をやるなといっているのに、 ドラゴンズ!

5-0で完封されてドラファンの胸に寒風

 チェンよ、おまえもか。また初回に1点献上だ。

 1回の守りになぜ全力を傾けないのか。

 2度、3度と同じミスを繰り返すようでは、日本シリーズの覇者にはなれぬ。


敵地で2勝後、地元で3連敗

 地元球場では圧倒的に有利なはずなのに、ドラゴンズはまさかの3連敗。

 ソフトバンクが地元で2連敗したのはわかる。

 初出場で勝手がわからず、地元ファンの声援がプレッシャーとなり、点を与えない中日の投手陣にも手間どり、負けたのだ。

 問題はドラゴンズだ。

 地元で2連敗し、オタオタして名古屋に移動したソフトバンクを第4戦で叩いておけば、流れは一気にドラゴンズに傾いたはず。
  
 にもかかわらず、第1戦・第2戦の殊勲選手森野が1回にエラーして先取点献上。
 これがすべてだった。

 第4戦は落としたものの、第5戦に死力を尽くして勝っていれば、ソフトバンクは「昨日の勝ちはまぐれだった」と思い、士気が下がったはずなのに、初回にいきなり1点献上。その時点で、与えなくてもいい力をシフトバンク選手に与えてしまった。

 攻めてもノーアウト満塁で、まともに攻めて0点。こんな戦い方をしていたら、絶対に勝てない。

 
敵地福岡で勝つには奇策奇襲しかない 
 
 ソフトバンクを勢いづかせたまま、福岡へ帰すことになったのはまずかったが、第6戦では逆に初回に全力を傾注して先制点をもぎ取れば、状況が一変する可能性はある。

 初回が勝負だ。

 谷繁の配球も、打者に読まれてきた。

 義経も信長も、奇襲戦法で勝利をつかみとった。

 ドラゴンズは、第5戦までの戦法と一変した常識破りの攻め方で、ソフトバンクを揺さぶり、動揺させまくって、倒せ!

(城島明彦)

  
 

 

2011/11/17

ドラゴンズよ、今日の第5戦は勝て!

ドラゴンズは1回2回に注意

 ドラゴンズのスロースターターぶりには、困ったものだ。

 テレビ中継で見ていても、先発川井の投球内容は「危ない」と思わせるものがあった。

 16日の第4戦では、初回にいきなり2点を先制され、許した得点はそれがすべて。

 しかし、川井もその後は立ち直っているのだから、試合開始直後の「緊張状態」を何とかして入れば、と悔やまれる。

 ドラゴンズは、5回に1点返して2-1とし、6回にはノーアウト満塁で、「最低でも同点、あわよくば逆転」と期待したが、1点も取れず、結局2-1で惜敗。

 1アウト満塁となったところで、スクイズでもやればよかったのだが、無策だった。

 前日15日の第3戦でも、試合開始早々に1点を先取され、ソフトバンクを勢いづかせている。

 16日の第4戦を、押せ押せで勝てなかったドラゴンズ。

 第5戦からはまた福岡ドームだが、今度は1、2戦のようにはいかないぞ。

 今日は大差で勝って、ソフトバンクをおびえさせるしかない!

(城島明彦)

2011/11/16

日本シリーズは、本日の第4戦が天王山

本拠地意識が自滅を招く

 本拠地の球場での日本シリーズでは、「勝って当たり前」「有利」という心理が選手によけいな重圧をかけ、それがミスにつながる。

 1、2戦の福岡ドームでの闘いでは、「負けてもともと」の中日選手に比べ、ソフトバンク選手は萎縮し、それが敗戦につながった。

 敵地で思わぬ2勝した中日は、「あと1つで優勝に王手」という気持ちが出、さらに地元の応援・声援がプレッシャーを呼び、森野のエラーがきっかけで、ソフトバンクに先制点を与えてしまう結果となった。

 第3戦のネルソンは、2メートル強の大男でありながら〝ノミの心臓〟。そこをつけこまれた。

 地元名古屋での初戦で中日は星を落としたことで、1、2戦の接戦を落として「ドラゴンズ、強し」と萎縮していたソフトバンク選手をよみがえらせるきっかけを与えてしまった。

 それが、第4戦でどう出るか!?

 「あれは、まぐれだったのか」
 とソフトバンク選手に思わせるには、第4戦が勝負!

第4戦の勝敗がシリーズの優勝を決める

 ドラゴンズが第4戦で、いつものように、ねちっこく勝てば、ソフトバンクは再び萎縮してしまい、ドラゴンズが一気に優勝を決める可能性が高い。

 逆にソフトバンクが勝つようだと、形勢逆転し、ソフトバンクが優勝することになる。

 すべては、本日16日の第4戦にかかっている。

 中日は、〝不発大砲〟和田と〝不振大王〟谷繁の2人のおやじの活躍いかんだ。
 
 谷繁も捕手としてのリードは絶賛モノだが、そろそろ打ってくれないか!

 (城島明彦)

2011/11/08

「江~姫たちの戦国」というタイトルが視聴者をまどわせている! (第43回「淀、散る」)

物語の山場(クライマックス)が終わった

 大阪夏の陣で、淀殿と秀頼が城を枕に自決。
 
 浅井3姉妹が死別することで、連続ドラマのクライマックスが終わった。

 大河ドラマは、カットバックの使い方がうまかったという印象を受けたが、江の印象は弱かった。


奇妙なタイトル

 長い間、気づかなかったが、よく考えてみると、「江~姫たちの戦国」というタイトルはおかしい。

 「江」が主役であれば、サブタイトルは「姫たち」と複数ではなく、「姫」と単数にすべきだったのではないか。

 つまり、「江~姫の戦国」。

 しかし、ドラマでは、江だけを描いてはおらず、初・茶々を含めた浅井3姉妹を中心にして描いているので、正確にいうなら、

「茶々・初・江~姫たちの戦国」
 または、
「浅井3姉妹~姫たちの戦国」

 とすべきだった。

 メインタイトルに「江」と記されているので、視聴者は江が主人公だと思って見ているが、そのわりに出番が少なすぎるので、欲求不満がつのる。


江は共感を呼びづらい

 性格や考え方にしても、3姉妹のなかでは茶々が最も鮮明で、次が初。
 主人公であるはずの江は、性格描写も考え方も、あいまいなまま終盤に突入している。
 
 江については、2代将軍秀忠の正室であり、3代将軍家光の母だったといったこと以外にはほとんど歴史的記録がなく、知名度も低く、乱世を動かした信長、秀吉、家康らの英傑とは比べものにならず、女性として見ても、春日局お福とのバトルや夫を尻に敷いたといわれている点を除くと、母親のお市の方や長姉の茶々(淀)に比べて、存在感がどうしても劣る。

 江役に抜擢された上野樹里は、演技うんぬんという以前に、貧乏くじを引いてしまったというべきかもしれない。それでも、NHK大河ドラマの主役を張ったという事実は、生涯、彼女の履歴の上に燦然(さんぜん)と輝くのだから、「実を捨てて名を取った」といえるかもしれない。


千姫と坂崎出羽守

 大河ドラマでは、淀殿が自決を前に、千姫と初に門外に出るように指示するシーンがあったが、千姫は、祖父家康の命令で、炎上する大阪城から助け出されたといわれている。

 家康は、
 「助け出した者には千姫を与える」
 と命じ、坂崎出羽守(さかざき でわのかみ)がこれに応じ、燃えさかる大阪城に飛び込んで、無事、千姫を救出した。

 だが出羽守は、全身に大火傷を負い、醜い顔になった。

 その顔を見て、千姫は出羽守と再婚することを拒んだ。

 家康は、坂崎出羽守との約束を無視し、大阪夏の陣の翌年、死ぬ。

 大阪城から救出された千姫は、江戸へ向かう途中、三重県の桑名(くわな)で小休止した。

 
千姫、桑名で元気になる

 桑名藩の藩主は本田忠政(ほんだ ただまさ)。
 長男の忠刻(ほんだ ただとき)は、ハンサムボーイ。
 千姫は次第に忠刻にひかれていき、忠刻もまた千姫を憎からず思うようになる。

 千姫の先夫、豊臣秀頼は、父親秀吉のサル顔に似ず、母淀の血筋をひいたとみえ、整った顔立ちだったといわれている。
 千姫と秀頼との結婚は典型的な政略結婚ではあったが、夫婦仲はよかったと伝えられている。
 千姫は面食いだったのかもしれない。

 ――ということで、千姫と忠刻の婚儀が成立。

 これに激怒したのが坂崎出羽守。

 前々から身分違いの千姫に憧れていたのに加え、将軍様の娘をもらえば出世も望めた。

 「命を張って助けたのに、約束を反故(ほご)にするとは、許せん」

 怒り狂い、血迷った坂崎出羽守は、「輿入(こしい)れ行列を襲撃して千姫を奪」という大胆な計画を立てたが、事前に発覚し、殺されてしまう。


千姫、30歳で夫と死別

 桑名藩は、幕末の動乱期にも、会津とともに江戸幕府にとことん忠誠を尽くし、最後の最後まで官軍に刃向(はむ)かったために、新政府から徹底的にいじめられ、城をぶっ壊された。

 城跡は、現在公園になっている。私はその桑名で生まれた。

 母の実家から徒歩で10分ぐらいのところにある公園で、小学生か中学生の頃、おばから「千姫がここに住んでいた」という話や「坂崎出羽守が横恋慕した」という話を教えられた。

 千姫は、桑名で本田忠刻と2年暮らしたが、本田家が播磨に移封されたことで桑名を離れ、姫路城に移って、今度は幸せに暮らし、一男一女に恵まれる。

 しかし、夫の忠刻とは30歳のときに死に別れ、ふたたび後家になってしまうのだ。

 千姫救出劇には異説もある。
 豊臣家の最後が近づいたと悟った秀頼が、城が炎上する前に、家臣堀内氏久(うじひさ)に命じて千姫を大阪城から脱出させたとも、秀頼の側近大野治長(おおのはるなが)が脱出させたともいわれている。


千姫、色ぐるい 

 30歳でふたたび夫に死なれた千姫を弟の3代将軍家光は気の毒がり、江戸に呼んで五番町に住まわせた。

 人呼んで、「千姫御殿」。またの名を「吉田御殿」といった。
(吉田御殿の方は、屋敷を新築する前に住んでいた武士の名字からとられている)
 
 その御殿に、とんでもない噂が立つのだ。

 千姫が、夜な夜な、男を屋敷に招じ入れて淫蕩(いんとう)のかぎりをつくし、欲望を満足させたその後で、口封じのために殺して捨てさせているという噂だ。
 
 千姫の容貌はというと、増上寺の別院である弘経寺(茨城県常総市城陽市)に彼女の落飾後の肖像画「千姫姿絵」が残っているが、はっとするような美人とはいいがたい。

寺の本堂は千姫が寛永10年(1633年)に寄進しているので、その前後の絵ではないかと思われる。千姫は慶長2年(1597年生まれ)だから、30代半ば。


千姫御殿は怪談「番町皿屋敷」のモデル

 千姫御殿は、有名な怪談「番町皿屋敷」のモデルとなった屋敷だ。

 「番町皿屋敷」の舞台は、青山播磨(あおやま はりま)という旗本の屋敷で、「お菊」という腰元が誤って家宝の皿を1枚割ってしまう。
 怒った殿様はお菊を切り捨て、彼女は庭の井戸に落ちて死ぬ。
 それから毎晩、夜になると、井戸の方から、
 「1枚、2枚……」
 と皿を数える恨めしげな声が聞こえるようになるという怪談が、「番町皿屋敷」だ。
 
 「番町皿屋敷」の前に「播州(ばんしゅう)皿屋敷」という話があった。

 千姫は江戸に移る前は播州に住んでいたし、江戸では五番町に御殿があったことから、いやでも千姫とだぶってしまうのだ。

 「千姫に弄ばれたあげく、殺される」という噂が江戸中に広まってしまったため、人が近寄ってこなくなり、困った千姫は身近にいたハンサムな家来に手を出すが、その男がこともあろうに自分の侍女と恋仲になってしまう。

 嫉妬に狂った千姫は、男と侍女を殺して井戸へ放り込む。

 そしてそこから先は、お定まりの怪談話となり、2人の幽霊が千姫の前に現れるのである。

 「千姫、男ぐるい」――この手の話には尾ひれがつき、どこまでが真実でどこまでが嘘かよくわからないところがあるが、疑わしいことをまったくしていなければ、このような噂が立つはずもない、ということなのか。

(城島明彦)

2011/11/05

デタラメもここまでやるか、「江~姫たちの戦国」(第42回「大阪冬の陣」)

横浜高島屋が「江」の内掛けを展示

 10月の最終土曜日、修理に出していたメガネをとりに横浜高島屋へでかけると、階上の展示場で「大河ドラマ50の歴史展」というのをやっていたので、覗いてきた。

 決して広くはない会場ではあったが、「江~姫たちの戦国」のなかで上野樹里が着た豪華な打ち掛けや甲冑(かっちゅう)なども展示してあって、結構楽しめた。

 衣装には、ずいぶん金をかけていることがわかる。

 展示会は11月6日(日)が最終日なので、近在の方はどうぞ。


デタラメすぎて興味がそがれる「江」
 
 NHK大河ドラマも、あと数回で終わり。

 明日の「江」(11月6日で)は、淀殿と秀頼が自害し、豊臣の時代は名実ともに終わる。

 「江」は、フィクションとしては面白いかもしれないが、歴史ドラマとしては首をかしげたくなる設定や場面が多すぎて問題がある。
 
 大阪冬の陣でも、2代将軍徳川秀忠が、単身、大阪城に籠城(ろうじょう)している秀頼のところへ出向いて、城を出るよう説得する。
 しかし、失敗に終わり、帰ろうとして廊下で真田幸村(さなだゆきむら)と鉢合わせする場面があった。

 常識で考えると、天下の将軍がたった一人で行動するなどということはありえず、つくり話だとわかる。
 ましてや、因縁のある敵将真田幸村と廊下で出会う、それも互いに一人で――などということは、100%ありえない。


ドラマだから、好き勝手にやってもいい?

 「ドラマなのだからフィクションで構わない」
 という見方もあろうが、「ひどいな」と思った人の方が多いのではないか。

 きつい言い方をすると、「デタラメすぎる」という感想を持つ人が多いのではないかということだ。

 「ドラマなのだから、歴史的事実は関係ない。どう描こうと、おもしろければいい」
 という考え方をいったん受け入れてしまうと、小説にしてもドラマづくりにしても、きわめて楽である。

 極端な例でいうと、「実は秀忠は女だった」としても構わないし、伊賀越えに江が加わっていたとするようなNHKの考え方であれば、「大阪冬の陣や夏の陣に、実は江も変装して参戦していた」とやってもよくなってくる。

 筋書きに困ったら、
 「ちょっと事件を起こそうか。何かおもしろい仕掛けはない?」
 と、やればいいのである。

 家康が、家臣に「淀殿はどのあたりにいる」と尋ね、そのあたりに威嚇(いかく)砲撃を命じる場面があった。これはフィクションかもしれないが、「ありえる」「老獪(ろうかい)な家康ならやりかねない」と思わせる。

 視聴者がNHKに求めているのは、そういう説得力のある設定でありドラマづくりではないか。


「さすがNHK」と、読者がうなる新解釈を!

 史実は史実できちんと押さえたうえで、「こういうこともありえるのではないか」という推理をしてドラマづくりをしないと、「つくり方が安直すぎる」とか、「視聴者を小馬鹿にしている」と受けとられかねない。

 たとえフィクションでも、視聴者が納得できるような「説得力」があればいいが、「江」には全体を通じてそう感じる場面がとても少ない。逆の言い方をすると、「いいかげんだな」と感じる場面が多すぎるということだ。

 話全体が、たとえば「真田十勇士」(さなだじゅうゆうし)に霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)とか猿飛佐助(さるとびさすけ)が出てきて忍術を使うなどといった設定なら、見る方も最初から完全なフィクションとして楽しめるが、あるところだけは史実に忠実にやっておきながら、別のところでは話を面白くするためだけに史実を無視したありえない描き方をするというのでは、視聴者はとまどう。

 そういう手法を「ご都合主義」という。

 「江」の視聴率がふるわないのは、そういう点にあるのではないか。

(城島明彦)

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »