「江~姫たちの戦国」というタイトルが視聴者をまどわせている! (第43回「淀、散る」)
物語の山場(クライマックス)が終わった
大阪夏の陣で、淀殿と秀頼が城を枕に自決。
浅井3姉妹が死別することで、連続ドラマのクライマックスが終わった。
大河ドラマは、カットバックの使い方がうまかったという印象を受けたが、江の印象は弱かった。
奇妙なタイトル
長い間、気づかなかったが、よく考えてみると、「江~姫たちの戦国」というタイトルはおかしい。
「江」が主役であれば、サブタイトルは「姫たち」と複数ではなく、「姫」と単数にすべきだったのではないか。
つまり、「江~姫の戦国」。
しかし、ドラマでは、江だけを描いてはおらず、初・茶々を含めた浅井3姉妹を中心にして描いているので、正確にいうなら、
「茶々・初・江~姫たちの戦国」
または、
「浅井3姉妹~姫たちの戦国」
とすべきだった。
メインタイトルに「江」と記されているので、視聴者は江が主人公だと思って見ているが、そのわりに出番が少なすぎるので、欲求不満がつのる。
江は共感を呼びづらい
性格や考え方にしても、3姉妹のなかでは茶々が最も鮮明で、次が初。
主人公であるはずの江は、性格描写も考え方も、あいまいなまま終盤に突入している。
江については、2代将軍秀忠の正室であり、3代将軍家光の母だったといったこと以外にはほとんど歴史的記録がなく、知名度も低く、乱世を動かした信長、秀吉、家康らの英傑とは比べものにならず、女性として見ても、春日局お福とのバトルや夫を尻に敷いたといわれている点を除くと、母親のお市の方や長姉の茶々(淀)に比べて、存在感がどうしても劣る。
江役に抜擢された上野樹里は、演技うんぬんという以前に、貧乏くじを引いてしまったというべきかもしれない。それでも、NHK大河ドラマの主役を張ったという事実は、生涯、彼女の履歴の上に燦然(さんぜん)と輝くのだから、「実を捨てて名を取った」といえるかもしれない。
千姫と坂崎出羽守
大河ドラマでは、淀殿が自決を前に、千姫と初に門外に出るように指示するシーンがあったが、千姫は、祖父家康の命令で、炎上する大阪城から助け出されたといわれている。
家康は、
「助け出した者には千姫を与える」
と命じ、坂崎出羽守(さかざき でわのかみ)がこれに応じ、燃えさかる大阪城に飛び込んで、無事、千姫を救出した。
だが出羽守は、全身に大火傷を負い、醜い顔になった。
その顔を見て、千姫は出羽守と再婚することを拒んだ。
家康は、坂崎出羽守との約束を無視し、大阪夏の陣の翌年、死ぬ。
大阪城から救出された千姫は、江戸へ向かう途中、三重県の桑名(くわな)で小休止した。
千姫、桑名で元気になる
桑名藩の藩主は本田忠政(ほんだ ただまさ)。
長男の忠刻(ほんだ ただとき)は、ハンサムボーイ。
千姫は次第に忠刻にひかれていき、忠刻もまた千姫を憎からず思うようになる。
千姫の先夫、豊臣秀頼は、父親秀吉のサル顔に似ず、母淀の血筋をひいたとみえ、整った顔立ちだったといわれている。
千姫と秀頼との結婚は典型的な政略結婚ではあったが、夫婦仲はよかったと伝えられている。
千姫は面食いだったのかもしれない。
――ということで、千姫と忠刻の婚儀が成立。
これに激怒したのが坂崎出羽守。
前々から身分違いの千姫に憧れていたのに加え、将軍様の娘をもらえば出世も望めた。
「命を張って助けたのに、約束を反故(ほご)にするとは、許せん」
怒り狂い、血迷った坂崎出羽守は、「輿入(こしい)れ行列を襲撃して千姫を奪」という大胆な計画を立てたが、事前に発覚し、殺されてしまう。
千姫、30歳で夫と死別
桑名藩は、幕末の動乱期にも、会津とともに江戸幕府にとことん忠誠を尽くし、最後の最後まで官軍に刃向(はむ)かったために、新政府から徹底的にいじめられ、城をぶっ壊された。
城跡は、現在公園になっている。私はその桑名で生まれた。
母の実家から徒歩で10分ぐらいのところにある公園で、小学生か中学生の頃、おばから「千姫がここに住んでいた」という話や「坂崎出羽守が横恋慕した」という話を教えられた。
千姫は、桑名で本田忠刻と2年暮らしたが、本田家が播磨に移封されたことで桑名を離れ、姫路城に移って、今度は幸せに暮らし、一男一女に恵まれる。
しかし、夫の忠刻とは30歳のときに死に別れ、ふたたび後家になってしまうのだ。
千姫救出劇には異説もある。
豊臣家の最後が近づいたと悟った秀頼が、城が炎上する前に、家臣堀内氏久(うじひさ)に命じて千姫を大阪城から脱出させたとも、秀頼の側近大野治長(おおのはるなが)が脱出させたともいわれている。
千姫、色ぐるい
30歳でふたたび夫に死なれた千姫を弟の3代将軍家光は気の毒がり、江戸に呼んで五番町に住まわせた。
人呼んで、「千姫御殿」。またの名を「吉田御殿」といった。
(吉田御殿の方は、屋敷を新築する前に住んでいた武士の名字からとられている)
その御殿に、とんでもない噂が立つのだ。
千姫が、夜な夜な、男を屋敷に招じ入れて淫蕩(いんとう)のかぎりをつくし、欲望を満足させたその後で、口封じのために殺して捨てさせているという噂だ。
千姫の容貌はというと、増上寺の別院である弘経寺(茨城県常総市城陽市)に彼女の落飾後の肖像画「千姫姿絵」が残っているが、はっとするような美人とはいいがたい。
寺の本堂は千姫が寛永10年(1633年)に寄進しているので、その前後の絵ではないかと思われる。千姫は慶長2年(1597年生まれ)だから、30代半ば。
千姫御殿は怪談「番町皿屋敷」のモデル
千姫御殿は、有名な怪談「番町皿屋敷」のモデルとなった屋敷だ。
「番町皿屋敷」の舞台は、青山播磨(あおやま はりま)という旗本の屋敷で、「お菊」という腰元が誤って家宝の皿を1枚割ってしまう。
怒った殿様はお菊を切り捨て、彼女は庭の井戸に落ちて死ぬ。
それから毎晩、夜になると、井戸の方から、
「1枚、2枚……」
と皿を数える恨めしげな声が聞こえるようになるという怪談が、「番町皿屋敷」だ。
「番町皿屋敷」の前に「播州(ばんしゅう)皿屋敷」という話があった。
千姫は江戸に移る前は播州に住んでいたし、江戸では五番町に御殿があったことから、いやでも千姫とだぶってしまうのだ。
「千姫に弄ばれたあげく、殺される」という噂が江戸中に広まってしまったため、人が近寄ってこなくなり、困った千姫は身近にいたハンサムな家来に手を出すが、その男がこともあろうに自分の侍女と恋仲になってしまう。
嫉妬に狂った千姫は、男と侍女を殺して井戸へ放り込む。
そしてそこから先は、お定まりの怪談話となり、2人の幽霊が千姫の前に現れるのである。
「千姫、男ぐるい」――この手の話には尾ひれがつき、どこまでが真実でどこまでが嘘かよくわからないところがあるが、疑わしいことをまったくしていなければ、このような噂が立つはずもない、ということなのか。
(城島明彦)
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