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2011/11/28

NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」も、昨晩(11月27日)で終わった

「江」はドラマとしては面白かった

 「史実と違う」とか「ご都合主義だ」などと、ぶつくさいいながらも、「江」を初回から最終回まで見続けてきたのは、創作ドラマとして見れば面白かったということかもしれない。
 
 正確にいうと、体調不良で床につき、その時間眠っていて2回見落とし、1回は再放送で見たので、見なかったのはたった1回だけということになる。

 「ご都合主義」という点では、最終回まで改まらず、江の最初の結婚相手(政略結婚させられたうえ、無理やり離縁させられた)佐治一成(さじ かずなり)と、夫秀忠が家を留守にした間に二人きりで会うというような設定は、視聴者へのサービス過剰というか、どう考えても「つくり話」としか思えず、不自然で嘘っぽかった。

 大河ドラマでは、「源義経」(2005年)のときは、私自身が義経の本(『裏・義経本』主婦の友社)を執筆したこともあって、毎回見るようにし、見ることができない日はビデオに録ってあとで見たが、それ以外の大河ドラマを熱心に見たのは、今回が初めてだ。

 「江」をビデオに録ってまで見なかったのは、年のせいかもしれない。

 「江」の最終回は、いつもより放送時間が長く、回想シーンを多用して総集編的な感じにまとめていたこともあり、視聴率(関東地区)は19.1%。19%台に載せたのは実に半年ぶり(5月30日の19.1%以来)である。

 とはいえ、同じ最終回を「龍馬伝」(21.3%)「天地人」(22・7%)「篤姫」(28.7%)と比べると見劣りがする。

 好意的に見れば、NHKの大河ドラマ自体が、じりじりと人気が落ちているということなのかもしれない。

 細かいことをいうと、最終回の「江」で気になったのは、セリフに「されど」が多すぎたことである。いろんな登場人物が何度も何度も「されど」を口にした。


江の「静」の部分や人間味をもっと前面に押し出すべきだった

 「江」というタイトルをつけながら、全編を通じて江自身をじっくり描いたという印象は薄かったが、最終回や家康が死ぬその前の回のドラマでは、人としての江を全面に押し出し、よく描いていた。

 しかし、大河全体では、NHKの演出家は、主演の上野樹里の魅力を出し切れていなかった。
 演出家は、彼女の出世作「のだめ」のイメージが頭にあったからか、彼女に「動」の芝居を求める場面が多く、その結果、男まさりの性格で、何にでも頭を突っ込みたがり、「盗み聞きの常習者」といったマイナス面が強調され、人間的な魅力を視聴者に伝えられなかった。

 ところが、最終回やその前の回では、彼女は、「動」ではなく、「静」の演技をし、いい芝居をした。
 なぜこういうしっとりした描き方をなぜ全編でやらなかったのか、と惜しまれる。

 江が不平・不満・疑問を口にする場面も結構多かったが、そのときの彼女の表情は妙にケンがあり、セリフ回しも単調で、よくなかった。

 相手のセリフを語尾をあげて繰り返しというセリフも鼻についた。これは脚本家がもっと気をつかうべきだったし、撮影現場で演出家が臨機応変にセリフを変えなければいけなかった。

 江には男まさりといわれる面があったといわれているが、(時代は違うが)木曽義仲の愛妾巴御前(ともえ ごぜん)のように、〝女だてら〟に鎧兜(よろいかぶと)に身を固めて馬にまたがり、義仲とともに戦場にうって出て闘うといったような女丈夫(じょじょうぶ)ではない。

 戦乱の世を描こうとすると、どうしても男、それも信長、秀吉、家康の3英傑(えいけつ)が中心にならざるを得ず、女は男に振り回される道具のような存在として描かれることになるが、そうした運命に翻弄されながらも女は女で懸命に生きたという姿は、ドラマから伝わってきた。

 茶々、初、江の浅井3姉妹以外にも、おね(ねね)や京極龍子など何人もの女にスポットを当てた分、江の性格描写に費やせなかったきらいはある。放送時間を正味1時間に増やさないとじっくり描けないのかもしれない。


上野樹里の演出に失敗したことが低視聴率の原因

 江の描き方については、違和感を覚えた場面がしばしばあった。

 全編を通して、視聴者が共感できる彼女の描き方をしていれば、「江」の人気、上野樹里の人気はもっと高くなったのではないか。

 総じて視聴率が低迷気味だったのは、上野樹里の魅力を引き出せなかったNHKの演出家の責任であり、脚本のせいではないか。

 不運な面もあった。
 人気に弾みがつく時期に東日本大震災が起こり、日本中がドラマどころではないという雰囲気になったのも災いした。2月27日20.9%、3月6日20.0%と続いた視聴率が、3月14日には放送されなず、翌週3月20日には16.9%と急落し、そこから人気が回復しなかったのだ。

 沢りえ、水川あさみ、上野樹里が、どう見ても不自然でムリのある「幼女時代ないしは少女時代」を演じさせるというキャスティングミスで、視聴者をシラケさせたことも人気下落の原因となった。
 撮影に入る準備段階で芦田愛菜のような人気子役が3人そろっていたら、「おかしい」という声は出なかっただろうし、人気下落もなかったかもしれない。
 

オーソドックスで落ち着いた演出はよかった

 昨年の「龍馬伝」は奇をてらいすぎた演出が鼻についた。
 演出家も音楽監督も、「変わったことをやれば、斬新だ」とカン違いしている節が感じられ、それがこれでもかこれでもかと出て嫌味だった。

 坂本龍馬という国民的人気の高い人物が主人公とあって、放送開始前から期待が高かったこともあり、私自身は大学の先生の龍馬本を手伝ったこともあって、興味深くドラマを見たが、画面展開やカメラアングルなどの演出があざとく、おまけに音楽もうるさくて、見ていると疲れ、早々に見る興味をなくした。

 「江」では、最終回の最後に来年から始まる「平清盛」の予告編が流れたが、それを見るかぎりでは、「龍馬伝」の演出を思わせるように、カメラがせわしげに動き回り、CMのようにめまぐるしくカットが変わる展開だった。

 「江」は女性を主人公にしたためか、「オーソドックスな静的演出」が行われ、その点は高く評価したいが、「平清盛」ではまた「龍馬伝」のように騒々しいドラマになるのかと思うと、うんざりする。

 CMは秒数が短いから、ポンポンとカットが変わっても不自然に感じられないし、疲れないが、ドラマや映画にその手法を用いると、見ているほうは疲れてしまう。若い連中はついていくかもしれないが、年寄り連中やおばさんたちは、違和感を感じるだろう。

 NHKの大河では、芝居やセリフをじっくり見せる落ち着いた正攻法の演出でやってほしいものだ。


NHKの変節に文句あり

 近年のNHKは、公共放送である意識が希薄になり、思わずチャンネルを確認したくなるような情けない番組が多すぎる。

 朝から性の問題を扱ったり、見苦しい髪形のアナウンサーが登場したり、(フリーのアナウンサーなのかもしれないが)正しい日本語を使えないアナウンサーを平気で起用している。

 昨今のNHKは何をカン違いしているのか、大衆に迎合することで視聴率を上げようとするあまりか、民放と見まがうような番組づくりをし、しばしば物議をかもしている。
 起用するタレントも番組内容も、特に深夜に近づくにつれて、デタラメになっている。

 たとえ不評を買い、批判を受けたとしても、NHKはNHK本来のカタブツ的放送局であってほしい。

 かつてのNHKは、髪形、化粧、衣装などに厳しい規律を求めていた。
 少しでも問題を起こした俳優、歌手、タレントはいっさい起用しなかった。

 そういうやり方に対する反発の声も当然あったが、それでよかったのだ。それ「NHKらしさ」だったのだ。

 しかし、NHKは、そういう美徳をいつのまにか自ら放棄し、民放まがいの〝淫(みだ)らで、だらしのない社会風俗〟を、取り入れることが最先端であると錯覚してしまった。

 NHKがナンパ化してどうする。
 民放のような番組をつくりたいなら、視聴者からカネをとらず、CMを流してカネを取れといいたい。

(城島明彦)


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