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2011/09/11

鉢呂経産相の「死の町」という表現のどこがおかしいのか! マスコミは、いいかげんにしろ!

 
政治記者の思いあがりが日本を滅ぼす

  「福島が〝死の町〟になってしまった」とは、現地の人間も含めて誰もが思っていることではないのか。
 問題ありとするのは、マスコミの完全な「言葉狩り」「揚げ足取り」「こじつけ」である。

 新聞やらテレビやらは、日本を不安に陥れたり、政治を混迷にしたりすることばかりやっている。

 人っ子一人いない街を「ゴーストタウン」というが、幽霊が出るわけでもない。
 太平洋戦争で原爆を投下された当時の広島、長崎は「死の町」と化した「原爆の町」ではないのか。


言葉尻をとらえるな

 民主党もだらしがない。新聞やテレビの糾弾を受けて、藤村官房長官は「言葉の使い方が非常に不穏当、不適切」と認めてしまった。
 藤村官房長官は、鉢呂発言のすべてをビデオなどで全部確認したのか。おそらく見てはいまい。

 鉢呂当人はもっと情けない。袋叩きにされると、あっさり辞表を提出。野田首相もあっさり受理してしまった。
 「どこがおかしいのか」
 と、鉢呂はなぜ反駁しないのか。
 反駁するどころか、「あの言葉はよくなかった」と認めてしまっている。

 問題になった記者会見の模様がyou tubeにアップされているから、チェックしてみるといい。
 目くじらをたて、引責辞任するような言い方はしていない。被災地のことを真剣に思いやっているような話し方であり、話す表情もきまじめである。

 彼は、昨日、野田総理と一緒に原子力発電事故の福島県第一の事故の現場にいったという話をし、
 「事故現場の作業員、そしてまた、管理している方々、予想以上に前向きで明るく活力を持って取り組んでおると。まあ、3月4月に入った肩もおられたんですが、雲泥の差と知らされているところでございます」
 といった後で、「死の町」といった。

 そのくだりは次のようになっている。
 「残念ながら周辺の町村の市街地は、人っ子一人いない、まさに、まあ『死の町』というカタチでございました。私からも、もちろんでありますが、野田総理からも『福島の再生なくして日本の元気な再生はない』と、これを第一の柱に野田内閣としてやって行くということを至るところでしたところでございます」

 全体を読めば悪意などどこにもなく、問題などないことがわかるが、単語だけ取り出してこじつけようとすれば、いくらでもこじつけられる。

政治家は記者とは一線を引くべき

 鉢呂経産相辞任は、〝放射能すりすり〟発言があったからか?
 被災地の視察から都内の議員宿舎に戻ったときに、非公式の場で、記者の体に触れるようなしぐさをして「放射性物質がうつった」といった発言をしていたということである。

 こっちの発言は、一般人なら問題にならないが、大臣クラスではまずい。
 しかし、非公式の場での発言である。大臣になったばかりということで、気を許した鉢呂番の記者たちを前にサービス精神を発揮したつもりの、いわば、オフレコ発言である。

 それを「鬼の首でもとったかのようにひけらかす」記者の根性が情けない。
 そいつらは、大臣を公器で批判できることで、「自分が偉くなった」と錯覚している。
 「その新聞社やテレビ局をやめて背広のバッチをはずしたら、ただの人で、誰も相手にしてくれない」
 ということを知らないバカである。

 オフレコの話をすっぱ抜かれてひどい目に遭った政治家の例は、枚挙にいとまがない。
 ちょっとしたことでも記事にして手柄にしようと鵜の目鷹の目で狙っている連中が増えているのだから、政治家も用心してかからないとダメだ。政治家のレベルも落ちているが、記者のレベルも落ちていることを政治家も知るべきである。

 大臣辞任の記者会見では、「説明しろっていってんだよ!」と無礼な物言いをした記者がいたようだが、自分を偉いと思っていない限り、このような言葉づかいはできない。
 こういう記者は、私憤を記事として書く危険性がある。この手の輩は、実名を明らかにしてやった方が後々のためだ。
 こんな礼儀知らずの記者を採用しているマスコミもマスコミだ。一刻も早く配置転換した方がいい。

 (城島明彦)

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