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2011/09/22

中日の来期監督は、どうして高木守道なの!?

 
 高木守道は70歳。

 じいさん使って、どうするのさ?

 やめといた方がよかったんじゃないの?

 高木は名選手だったが、地味すぎる。

 前に監督をやったときは、暗かった。

 ジメッとした暗さで、嫌だった。

 経営陣は、それを忘れたのかな?

 ドラゴンズは明るくなくっちゃ。ドアラのように。

 爽やかでなくっちゃ。ドラゴンズブルーのように。

 落合博満はリップサービスがないが、勝っている。

 1点取って勝つ。

 1対0なんて試合はサッカー並みだが、優勝回数も勝率も歴代中日監督でダントツの1位だ。

 そういう勝ち方ができる監督は、そうはいないぞ。

 落合は名監督だ。

 それにしても、高木以外にいなかったのかな?

 中日も人材不足だな。

 首位が狙えるこの時期に、来期の監督人事発表をしなくてもよさそうなものだ。

 契約金問題? 派閥? 

 来期、もしBクラスだったら、経営陣は責任とらなくっちゃね!

(城島明彦)

2011/09/19

偏(かたよ)った人物描写が気になった「江~姫たちの戦国」(第36回「男の覚悟」)

     
冒頭の演出はうまかったが、「なつ」という側室はいたのか? 

 関が原の合戦の模様を描かずに、ドラマの冒頭で「関が原の合戦大勝利の知らせが早馬で江戸に届いた」とナレーションで片づけ、場面を江戸城から始めた演出手法は秀逸だと思った。

 江が妊娠したといっている間に、「なつ」という女が懐妊、男子を出産して江はショックを受けるというドラマ設定だったが、それ以前は、秀忠がほかの女に手を出しているそぶりも描いていないのだから、今回の演出は唐突すぎ、驚いた視聴者も多かったのではないか。

 
秀忠の子を生んだ側室の名は、「なつ」ではなく「静」(志津) 

 秀忠が、怖い江に隠れて、たった一度だけ浮気をし、妊娠させた女は「お静(志津)」という名の女で、「おなつ」ではない。
 彼女が産んだ男の子は、のちに名君といわれる会津藩主になる保科正之(ほしなまさゆき)である。

 長男家光が生まれたのは慶長9年(1604年)で、次男忠長と保科正之は慶長11年(1606年)。

 保科正之の誕生日は5月7日で、家光もその前後。

 江が怒り狂ったのは、自分以外の女と同時並行でセックスしていたことがわかったからである。


江がお静は江戸城から追い出した

 お静の名字は「神尾」(かんお)。
 天正12年(1584年)生まれで、天正7年生まれの秀忠より5つ年下である。

 父は神尾栄加(かんおさかよし)といい、元は北条氏の家臣だったが、天正18年(1590年)の秀吉の北条攻めで失職。浪人となって江戸に出てきて、板橋に移り住んでいた。

 そんなときに、お静は、加賀まり子が演じている将軍家の大姥局(おおうばのつぼね/)の下女として奉公した。
 大姥局は、若い頃、秀忠の乳母をしていた女である。

 江は天正元年(1573年)生まれだから、お静より10歳以上年上だ。

 江の尻に敷かれていた秀忠にとっては、大姥局は気軽にグチがこぼせる唯一の相手だった。
 しばしば彼女の部屋へ行ってグチっているうちに、5つほど年下の器量のよいお静を見初め、江の目を盗んで肉体関係を結んだ。

 江に疑われるといけないと思って、秀忠は、江との夜の夫婦生活もきちんと務めた。
 秀忠は若かったから精力もあり、江は幾度も妊娠した。

 お静が妊娠したことがわかると、大姥局は隠すのに躍起になったが、江にばれてしまった。

 30歳をすぎてから男子を産んで、肉体の魅力がなくなってきた江に比べて、お静はまだ20代前半。若くてピチピチしている。

 そんな女に秀忠が手を出していたのみならず、妊娠させていたと知って、プライドを傷つけられ、江は怒り狂った。

 お静の妊娠はそれが初めてではなかったという説もあり、最初のときは中絶していたという話もあるから、もしそれが事実なら、秀忠はよほどお静に執心だったということになる。

 めらめらと燃えさかるお静への嫉妬心は、江の胸の奥で、どす黒い憎しみへと変わって行く。


お静が明神に打ち明けた苦しい思い

 氷川神社に安産を祈願したときのお静の願文が残っている。
 そこには、「江の嫉妬心が深くて、もはや城中にいられなくなった」という辛くて悲しい心境が綴られている。

 お静は、腹が目だってくると、男子を生めない江の怒りと嫉妬を買うことになるので、江戸城を出て、神田にある姉の嫁ぎ先に身を寄せ、そこで男子を出産するのだ。これが保科正之である。

 男子出産の知らせを聞いて秀忠は喜び、「幸松」(ゆきまつ)と命名するよう伝え、葵の御紋入りの着物を与えた。

 「幸松」という名前には、秀忠の思いが込められているのではないか。
 「松」は常盤木(ときわぎ)であり、「末永く幸せに」の「末」ともかけたと解釈できる。末とつけると、先細りになるので避けている。

 江は、そういう夫の気持ちをまったく理解できず、「お静憎けりゃ、袈裟(けさ)まで憎い」のたぐいで、「お静の子どもをどうにかしよう」とする恐ろしい動きを見せた。

 怖くなったお静は、大姥局に相談した。秀忠の気持ちを知っている大姥局は、老中土井利勝や本多正信に相談し、江の手が及ばない尼寺(見性院)に幸松を預けた。

 江は、家臣を差し向けて、「幸松を差し出せ」としつこく迫ったが、差し出せば殺されるかもしれないから、見性院は「養子にした」と嘘をついて突っぱね、難を逃れたのである。

 江には、気象が激しいだけでなく、こういう執念深い面もあるが、NHKは誤魔化してきれいごととして描いている。


「江が秀忠を吊るし上げる」のが通説

 昔、フジテレビでやっていた連続ドラマ「大奥」では、江(高島礼子)はそれを知って怒り心頭、夫秀忠をヒステリックに吊るし上げた。秀忠は、ただおろおろし、二度とほかの女を相手にできなくなるという描写になっていた。

 こちらの描写の方が、江の実像に近いのではなかろうか。

 NHKでは、「江」という名前で通しているが、昔は「お江与(えよ)」と呼ぶことがほとんどで、ドラマ「大奥」でも「お江与」だった。

 江が長男竹千代(のちの3代将軍家光)を出産するときには、将軍家が「乳母」(うば。めのと)を募集する。そのとき、自ら応募して選ばれたのがおふく(お福。のちの春日局)である。

 徳川家の命運を担う男の子のしつけをするのにふさわしい乳母であるかどうかということで、最終面談は家康自身がやった。


3代将軍指名騒動は〝乳(ちち)争い〟が原因

 おふく役(春日局役)は、NHKでは富田靖子が演じるが、フジテレビでは松下由樹が演じた。
 松下と富田ではイメージがぜんぜん違う。

 「大奥」での松下は、「武士の元妻ではあったが、ふっくらした田舎のおばさん」といった顔つきでありながら、ひと皮むけば、権力志向のやたら強い執念深そうな女で、「夫と離縁された屈辱をバネに、辛酸をなめながらも、ひたすら耐え忍びつつ、生きていく強い女」として演じていた。

 江が長男の家光ではなく、次男の忠長を溺愛したのは、家光には自分の乳を与えることが許されなかったのに対し、忠長には授乳し、しかもそばに置いて母としての愛情を注いだことが最大の原因である。

 一方、春日局には、分かれた夫との間に3人の息子がいたが、乳母として乳を与えた江の長男家光に対し、まるで実の母のような愛情を注ぐようになり、それが江との確執につながっていくのだ。

 江は、自分の乳を与えた忠長かわいさのあまり、「長幼の序」「長子相続」を無視して、忠長を将軍につけようとする。

 これを阻止しようと動いたのが、春日局である。
 彼女は「一介の乳母」にすぎない身であるから、そんなところに頭を突っ込める身分ではないが、ファーストレディ(将軍夫人)の江に盾つき、伊勢参りと称して、その途中でこっそり大御所さま(家康)を訪ね、直訴に及ぶのだからすごい。
 秀忠は家康に頭が上がらないのを知っていての行動で、常識的にいえば〝禁じ手〟である。

 ドラマ「大奥」では、直訴に来た春日局と会う家康役を藤田まことがやっていた。
 家康は「たぬき」と陰口されていたように丸顔系だったが、藤田まことは「馬づら」で知られた役者。「どうも違う」と思いながらドラマを見たが、セリフは家康らしいものだった。

 「乳母の分際で、次期将軍問題で直訴とは何事か」と一喝しておいて、「平和な時代は、長幼の序が大事」と家康が名古屋弁でいうところがおもしろかった。それを聞いている松下由樹は名古屋出身なので、なんとなくおかしかった。


3代将軍は家康が指名

 家康が後継指名をする逸話は有名だ。

 まだ幼い家光をそばへ招いて、菓子を与える。
 次男の忠長も家康のそばへ行こうとすると、「おまえは、そこに控えおれ」といって制する。

 その場には2代将軍秀忠や江もおり、3代将軍は家光ということが、その時点で決定したのである。

 できすぎたエピソードだが、これが通説。

 そして、家光が将軍になると、家光の威光を背景にして「大奥総取締役」という地位に君臨する。
 しかし家光は、男狂いで、女に目を向けない。

 困った春日局は、美しい女をいっぱい集め、よりどりみどりにして家光を女好きにしようとした。
 こうして、大奥は誕生するのである。

 そういう女春日の局を演じる富田靖子は、デビュー時から都会的な顔だちの美少女というイメージが強い。
 映画「南京の基督(キリスト)」では娼婦役を演じ、ヌードにもなったが、そのときですら「薄幸の美女」という印象が強く、権謀術数にたけた「春日局」のイメージとは違う感じがするが、上野樹里と同じ事務所ということで選ばれたのかもしれない。

 なにしろ、江と春日局は、秀次の後の3代将軍の座をめぐって〝女の暗闘〟を繰り広げることになるから、「気心の知れた女優の方がやりやすいだろう」という配慮もあったのかもしれない。


浅井3姉妹はそんなに偉いのか? 初の家康に対する態度
 大河ドラマの第36回「男の覚悟」に話を戻すと、浅井3姉妹は、いずれも家康に対する態度がでかい女として描かれている。

 江は、養父になった秀吉に対しても〝でかい態度〟で接していたが、第36回では、関が原の合戦で東軍が勝利後に、家康が初の嫁ぎ先である京極高次(きょうごくたかつぐ)の居城(大津城)に足を運び、「高次は頭を丸めて城を出たが、勲功あり」として「若狭8万5000石を加増」と口にするが、それに対して初は「それぐらいは当然」と、家康に対等に近い言い方で苦言を呈する。

 これはおかしい。初の夫高次は、家康の家臣である。課長クラスの社員の妻が社長に「夫のベースアップ額は少なすぎる」と偉そうな口をきくのと同じで、まずありえない。描き方がおかしいということだ。

 ドラマでは、初の言い方に対し、家康が「浅井3姉妹は強うございますなあ」といわせているが、残っている数少ない手紙から推して、初はそういう無礼な口のきき方はしない女だったのではないか。


茶々は時代が読めなかった女

 3姉妹の長女茶々(淀君)は、いわば〝女帝〟。イメージ的には、自民党から民社党に転んだ田中真紀子に近い。

 田中真紀子は、自分自身はちっとも偉くないし、政治家としての能力もほとんどないのに、父角栄の偉さを自分の偉さと錯覚して、偉そうに振舞っている。

 見る人が見れば、人間が小さいということになる。

 そういえば、田中角栄は〝今太閤〟(いまたいこう)と呼ばれた人だった。真紀子も秀吉とは縁がある。

 茶々は、おじが信長といっても、昔の話。戦国時代は、下克上の社会。だからこそ、百姓の秀吉が「天下人」(てんかびと)にまで登り詰めることができた。

 境遇が変わったら、そのように身を処していかないといけない。

 その点、秀吉の正室だった北政所(きたのまんどころ)こと「おね」は偉い。

 秀吉の死後、淀君が大阪城西の丸に移ったのに対し、北政所は大阪城を出て尼になり、高台院(こうだいいん)となって秀吉らの菩提を弔うのである。
 欲得を顔に出さず、糟糠(そうこう)の妻役を淡々と演じていた大竹しのぶは、「適役」だったのではないか。

 しかし、茶々にはその真似はできなかった。わが子かわいさのあまり、幼い秀頼の後見役として、秀吉に代わって五大老を差配し続けようとした。
 「時代も勢力構造の変化も読めない女」だったのである。

 彼女は、秀吉が死んで立場が変わっても、家臣は同じようについてくると安易に考え、家康に立ち向かっていって、結局、自分自身も息子の秀頼も自害せざるを得ないハメに陥ってしまうのである。

 政局を読めなかった女ということになる。

 秀忠と江の娘「千姫」(せんひめ)が秀頼の正室なのだから、家康に敵対せずに生き残る方法を模索すべきだったが、妙なプライドが邪魔をして権力を手放そうとしなかったために、身の破滅、家の破滅、忠臣たちの破滅を招いてしまった。その意味では、おろかな女ともいえるだろう。


江の「つわり」演出がワンパターン

 江は「つわり」がひどいという設定で、秀忠との4人目の子を妊娠したときも、周囲の者に察知させるために、それまでの三度の妊娠と同様、毎度毎度、気持ちが悪くなるというNHKのワンパターン演出はいただけない。

 すっぱいものをやたらほしがるとか、変わったものを食べたがるとか、食べ物の好みが変わったというようにするなど、「もしや」と周囲に思わせる演出もあるのではないか。

(城島明彦)

2011/09/15

ヤクルトが強すぎて、中日の優勝はダメか?

 ドラゴンズの主砲ブランコがケガで長く休んでいる間に、ヤクルトに独走されてしまった。

 ドラゴンズファンのオイラとしては、ついグチも出る。


  ブランコの ブランクが痛いと 
    ブランコを 揺すりつつドラファン ぶつくさ言い (かなり字余り)


 天才打者にして名監督の落合さんよ、なぜ打てないグスマンという助っ人にこだわったのか。

 彼が三振したり、凡退するたびに、
 『グスマン帰れ』
 という昔読んだ本のタイトルが、何度、いや何十回、何百回とオイラの頭をかすめたことか。

 去年も今年も、ヤクルトの餌食というのでは、情けないぞ。

 ヤクルトとの残り試合を全部勝つつもりで、昨年の覇者の意地をみせてほしい。

 落合さん、頼みます!

(城島明彦)

2011/09/12

「江~姫たちの戦国~」、いよいよ佳境に――「姫の十字架」(第34回)「幻の関が原」(第35回)

女優寸評

 上野樹里は、戦国の姫の髪型や衣装がよく似合い、目がパッチリとした文句の受けられない美人顔で、さすが女優と思わせる。惜しむらくは、声質のせいか、時代劇のセリフ回しに難がある。NHK大河で主役を張れる機会はめったにないのだから、存在感を見せつけるチャンスだが、そこまでの余裕はないのかもしれない。

 京極高次(きょうごくたかつぐ)の正室となった次女の初役の水川あさみは、色白の面長な顔にブルー系の着物が映えて、これまた戦国時代の髪型がよく似合っている。裏返ったような声が気になるときもあるが、「こんなにきれいだったのか」と思う表情をすることがよくある。

 豊臣秀頼(ひでより)の母である淀殿役の宮沢りえは、映画やドラマに出るたびに、だんだん演技が上手になってきた。彼女の着物姿は、3姉妹の長女にふさわしい貫禄がある。

 修羅場をかいくぐってきた浅井3姉妹に対し、流れに身をまかせるタイプの女である京極龍子(初の義姉)を演じている鈴木砂羽は、NHKらしからぬ色気を全身からまき散らしている。

 細川ガラシャを演じた女優ミムラは、「細面(ほそおもて)で、清らかでありながら、芯の強さを秘めた」ガラシャのイメージにかなっているが、ミムラという芸名は何とかならないか。
 前々から思っていたことだが、小雪とか優香とか、名前だけの女優が増えている。幼稚園児ではあるまいに、いや、芸者とかキャバクラあたりのおねえちゃんの源氏名とか犬や猫のようなペットの愛称ならそれでもいいが、きちんとした役者をめざすなら名字もつけたらどうか。


細川ガラシャの死
 
 9月4日放送の「姫の十字架」(第34回)では、キリシタン細川ガラシャの死が描かれた。

 三成は、秀吉ひとすじの能吏タイプの男である。
 秀吉にひたすら尽くしたが、天下人(為政者)としての力量はなく、いくさは上手ではなかった。

 その三成が徳川家康との直接対決が迫るのを察知し、豊臣家の家臣だった諸大名が裏切らないように、彼らの妻子を人質として一か所に集めようとした。
 
 妻子狩りのような三成のやり方は反発を買う。
 細川忠興の正室となっていた明智光秀の娘ガラシャもその対象となったが、彼女は拒み、屋敷を包囲され、死を選ぶことになった。

 キリシタンは自殺を禁じているので、彼女は自刃できず、家臣に槍で胸を突かせて死んだのである。

 忠興とガラシャの仲を取り持ったのは、織田信長である。
 その信長を父光秀が討った日から彼女の人生は一変した。

 彼女がキリシタンとなって信仰に救いを求めたのは、「主君を討った反逆者の娘」という重い十字架を背負って生きなければならなくなったことと深く関係している。
 

関が原の合戦に遅刻する秀忠 

 慶長5年(1600年)6月、家康は、謀反の疑いがあるとの口実で、アンチ家康の急先鋒である会津120万石の大名上杉景勝を攻める。いわゆる「上杉攻め」である。

 このとき江の3番目の夫となった家康の跡取り息子秀忠は、総大将を任ぜられ、出陣する。

 それを見た三成は、ここぞとばかりに挙兵、家康の留守居役がこもる伏見城を攻めた。
 状況が急変したことを知った家康は、ただちに引き返して、三成との対戦に向かう。

 秀忠も家康に命じられて方向転換し、西国を通って三成との決戦場へ向かうが、途中で上田城の真田昌幸(さなだまさゆき)・幸村(ゆきむら)親子を攻める。
 上田勢3千に対し、秀忠勢3万と兵力では圧倒していたが、いくさ慣れしていない秀忠は、いくさ巧者で策略家の真田親子に翻弄されてしまって、落城できず、とうとう諦めて家康の本軍に合流すべく、西へと向かった。

 初の夫京極高次は、居城の大津城で大奮戦して西軍の進攻を食い止め、関が原の合戦後、家康から働きぶりを賞賛されることになり、男を上げる。

 秀忠はといえば、真田攻めに手間どったことに加え、木曽路でも難渋し、秀忠は天下分け目の関が原の合戦に大遅刻することになる。それが、「幻の関が原」(第35回)である。

※関東地区視聴率(この項のみ 9月15日追記)
   第34回 17.8%(やや健闘)  第35回 15.4%(8月の低水準に逆戻り)
 
(城島明彦)

大相撲秋場所、大型力士は醜い「張り差し」をするな!

 先週、仕事の打ち合わせで浅草方面へいった。
 道を左折すると、前方はるかにタワーが見えた。
 2つついた輪っかの下のほうで、赤いクレーンが作業していた。

 じかにタワーを見るのは初めてだったが、まったく感激はなかった。それどころか、失望した。

 テレビなどでは素晴らしいということばかりが報道されているが、グレーの汚い色で、なんとも味気ない奇妙な建物だと思った。

 こういう建物を日本人は美しいと思うようになったのか?

 8月に両国へいったときには、そこから見えなかった。
 その両国で、大相撲秋場所が始まった。

 テレビで初日の取り組みの後半を見たが、把瑠都は立ち合いざま、対戦相手の豊真将に張り差しにいった。
 でっかい体の大関が、格下の自分より小さい体の力士の顔面を力まかせに張りに行く。

 情けないというより、醜い!

 何をカン違いしているのか、把瑠都は、よく張り差しに行く。

 今場所も、初日から張り差しにいって、負けた。

 大関で、しかもでっかい体なのだから、堂々とぶつかるなり、突っ張るなり、組むなりして、もっときれいな相撲を取れ!

 先場所も、連勝街道を驀進していた白鵬が、張り差しに行って初黒星を喫し、結局優勝を逃した。
 
 八百長事件の反省から、敢闘した関取にマークをつけるシステムが導入されている。秋場所初日の第1位が把瑠都が張り差しにいった豊真将というのは、皮肉である。

(城島明彦)

2011/09/11

「江~姫たちの戦国~」の視聴率は、今後どうなるのか?

 視聴率回復は一時的なものか、上向く予兆か? 

 関東地区の8月の視聴率は、17.6%(8月7日)でスタートしたが、翌週14日には13.1%に落ち込み、近年の最低を記録し、前途が危ぶまれたが、21日15.4%、28日15.6%と戻し、9月の声を聞くと、豊臣・徳川の間がキナ臭くなり、細川ガラシャが自害した第34回「姫の十字架」は17.8%と8月頭の数字に回復した。

 9月11日の第35回「幻の関が原」の視聴率は、これからの視聴率を占う意味で要注目というところか。
 
 脚本家の田渕久美子は、「篤姫」で高視聴率を稼いだことで評価され、「江~~姫たちの戦国~」にも起用されたが、「篤姫」は宮尾登美子原作というすぐれた下敷きがあったから、脚本の人物造形もしっかりし、エピソードなども信憑性があるように描けた。
 しかし、今回は田渕久美子のオリジナル脚本で、ありえないような人物造形をしている。そこに大きな違いがある。

 田渕シナリオによる「江~姫たちの戦国~」は、相変わらずのレディースコミックタッチで、主要な登場人物がパターン化されているので、わかりやすいといえばわかりやすい。
 
 ただし、ご都合主義も多く、江がやたら政治に頭を突っ込んだり、「歴史的な事件には、必ずといっていいほど江が証言者として立ちあった」という無茶な設定になっており、視聴者が共感しづらい性格の女として描かれているところも問題である。

 江の3人目の夫である徳川秀忠も、父家康を批判したり、面と向かって反発したり口答えする人物として描いており、違和感を覚える場面が多い。

 しかし、ドラマはこれから関が原の合戦となり、浅井3姉妹が敵味方に分かれる見せ場になるので、描きやすいのではないか。

 ※9月15日追記:注目の9月11日(日)「第35回「幻の関が原」の関東地区の視聴率は、8月の15%台(15.4%)に逆戻りしてしまった。視聴者の心は水ものだ。

(城島明彦)

鉢呂経産相の「死の町」という表現のどこがおかしいのか! マスコミは、いいかげんにしろ!

 
政治記者の思いあがりが日本を滅ぼす

  「福島が〝死の町〟になってしまった」とは、現地の人間も含めて誰もが思っていることではないのか。
 問題ありとするのは、マスコミの完全な「言葉狩り」「揚げ足取り」「こじつけ」である。

 新聞やらテレビやらは、日本を不安に陥れたり、政治を混迷にしたりすることばかりやっている。

 人っ子一人いない街を「ゴーストタウン」というが、幽霊が出るわけでもない。
 太平洋戦争で原爆を投下された当時の広島、長崎は「死の町」と化した「原爆の町」ではないのか。


言葉尻をとらえるな

 民主党もだらしがない。新聞やテレビの糾弾を受けて、藤村官房長官は「言葉の使い方が非常に不穏当、不適切」と認めてしまった。
 藤村官房長官は、鉢呂発言のすべてをビデオなどで全部確認したのか。おそらく見てはいまい。

 鉢呂当人はもっと情けない。袋叩きにされると、あっさり辞表を提出。野田首相もあっさり受理してしまった。
 「どこがおかしいのか」
 と、鉢呂はなぜ反駁しないのか。
 反駁するどころか、「あの言葉はよくなかった」と認めてしまっている。

 問題になった記者会見の模様がyou tubeにアップされているから、チェックしてみるといい。
 目くじらをたて、引責辞任するような言い方はしていない。被災地のことを真剣に思いやっているような話し方であり、話す表情もきまじめである。

 彼は、昨日、野田総理と一緒に原子力発電事故の福島県第一の事故の現場にいったという話をし、
 「事故現場の作業員、そしてまた、管理している方々、予想以上に前向きで明るく活力を持って取り組んでおると。まあ、3月4月に入った肩もおられたんですが、雲泥の差と知らされているところでございます」
 といった後で、「死の町」といった。

 そのくだりは次のようになっている。
 「残念ながら周辺の町村の市街地は、人っ子一人いない、まさに、まあ『死の町』というカタチでございました。私からも、もちろんでありますが、野田総理からも『福島の再生なくして日本の元気な再生はない』と、これを第一の柱に野田内閣としてやって行くということを至るところでしたところでございます」

 全体を読めば悪意などどこにもなく、問題などないことがわかるが、単語だけ取り出してこじつけようとすれば、いくらでもこじつけられる。

政治家は記者とは一線を引くべき

 鉢呂経産相辞任は、〝放射能すりすり〟発言があったからか?
 被災地の視察から都内の議員宿舎に戻ったときに、非公式の場で、記者の体に触れるようなしぐさをして「放射性物質がうつった」といった発言をしていたということである。

 こっちの発言は、一般人なら問題にならないが、大臣クラスではまずい。
 しかし、非公式の場での発言である。大臣になったばかりということで、気を許した鉢呂番の記者たちを前にサービス精神を発揮したつもりの、いわば、オフレコ発言である。

 それを「鬼の首でもとったかのようにひけらかす」記者の根性が情けない。
 そいつらは、大臣を公器で批判できることで、「自分が偉くなった」と錯覚している。
 「その新聞社やテレビ局をやめて背広のバッチをはずしたら、ただの人で、誰も相手にしてくれない」
 ということを知らないバカである。

 オフレコの話をすっぱ抜かれてひどい目に遭った政治家の例は、枚挙にいとまがない。
 ちょっとしたことでも記事にして手柄にしようと鵜の目鷹の目で狙っている連中が増えているのだから、政治家も用心してかからないとダメだ。政治家のレベルも落ちているが、記者のレベルも落ちていることを政治家も知るべきである。

 大臣辞任の記者会見では、「説明しろっていってんだよ!」と無礼な物言いをした記者がいたようだが、自分を偉いと思っていない限り、このような言葉づかいはできない。
 こういう記者は、私憤を記事として書く危険性がある。この手の輩は、実名を明らかにしてやった方が後々のためだ。
 こんな礼儀知らずの記者を採用しているマスコミもマスコミだ。一刻も早く配置転換した方がいい。

 (城島明彦)

「ほん怖2011『夏の特別編』」(フジテレビ9月3日)の問題点

 ずいぶん長い間ブログを更新しなかった。仕事が忙しかったのと体力が弱っていたからだが、ブログを書くぐらいの時間や体力はあった。書くのがおっくうで、書く気になれなかったのである。定期的に読んでもらっていた人には申し訳ないと思ってきた。

 「物書きのくせに、書くのがおっくうだなんて」と思う人もいるだろうが、医者の不養生みたいなものだというのが私の言い分である。
 暑い夏もようやく終わって、過ごしやすくなったこともあり、また少しずつ駄文を書いていきたい。

 久しぶりのブログは、フジテレビで9月3日夜(PM9:00~11:00)放映された怪奇ドラマ「ほん怖」こと「ほんとうにあった怖い話2011『夏の特別編』」についての感想である。見なかった人もいるだろうから、あらすじも載せておく。

 私は、子どもの頃から怪談が好きで、この手のドラマも好んで見る。

 今夏の「ほん怖」は、CMを含めて2時間ドラマではあるが、5話からなるオムニバス。
 ドラマがフィクションということなら面白かったといえるが、「本当にあった怖い話」つまり「実話」として流すにはいろいろ問題があった。かといって、「うそ怖」に変えるのも難しいだろうというのが、私の単純な感想。

 第1話 奇怪な最終バス (舞台:バスの車中)

 ◆ストーリー
 部活で夜遅くなった男子高校生(主演:中山優馬)が、遅れてきた最終バスに乗る。車内は込んでいたが、みんな降りて乗客は彼1人だけになる。しばらくして後ろで奇妙な泣き声がし、振り向くと誰もいないはずの車内の通路を挟んだ最後部の席に、膝の上にカバンを置いた、長い髪のセーラー服の少女が乗っている。うつむいて座っているので顔は見えない。
 再び振り向くと、いないのでギョッとし、確かめるともっと前の席に移り、近づいている。怖くなって「降ります、降ります」と叫び、ボタンを押す。バスが止まり、降りようとしたが、それより早く女の子が先に降りる。その子は降りると、バス停留所の横で足を止め、こちらを向く。やはり顔は見えない。
 バスが動きだし、ほっとして近くの席に座ると、女の子が横に座っている。その子が彼を見た。その黒目は白く、恐ろしげだった!

 ◆不自然なところ
 運転手はどうしているのかという疑問がわく。女の子の亡霊が見えているのは主人公だけなのか、それとも運転手もバックミラーで確認しているのか、そのあたりがぼかしてある。バス停では、運転手は乗客が降りたのを確認してからドアを閉めるのが常識。ドラマでは、主人公の高校生がなかなか降りないのにドアだけが不自然に長く開いている。そういう場合、「降ります」と叫んだ乗客に対し、運転手が「降りないんですか」と必ず声をかけるはずだが、それがなく、ドラマの時間にして50秒くらいもドアは開いたままだった。それからドアが閉まり、バスは発車した。

 ◆コメント
 どの話も「架空の話」とすると、つまり「つくり話=創作ドラマ」ということにすれば面白いが、「本当にあった怖い話」とすると矛盾点や無理なところがいくつも出てくる。
 本当にあった怖い話が若者に受けるからという単純な理由だけで、タイトルを「ほん怖」としているところにテレビ局の安易さとジレンマがある。
 

 第2話 同窓会の知らせ (舞台:車・ドライブ)

 ◆ストーリー
 芸大を受験して落ちて上京し、一般校受験に切り替えて勉強している予備校生(主人公役:武井咲)が部屋へ帰り、留守電を聞くと、子どものような声で「小学校の同窓会案内」のメッセージが入っていた。
 当日、彼女は、地元にいる小学校時代からの友人の運転する車で、一緒に同窓会会場へと向かう。そのとき、友人は行き先をカーナビにインプットしてガイドどおりにドライブしたが、着いたところは霊園。何度行き先を入れなおしても、そこにたどり着く。
 そのうち山中で道に迷い、車を止めた。「同窓会の連絡が留守電だけというのは変じゃない? 留守電の相手って誰?」ということになり、主人公が運転している友人のケータイに残っていた留守電のメッセージを聞き返すと、「痛いよう」と泣く子どもの声が入っている。ふと外を見ると、林のなかに半そでの白いワンピースを着た少女が立っていて、その子が「痛いよう」といいながら近づいてくるので、必死で車を発進させた。車窓から振り向くと、その子は道路に立ちつくしていた。
 ひたすら車を飛ばして、やっと山を抜け出して町に出、ほっとして床に落としていた携帯用の写真ファイルを拾い上げる。「誰だか知らない子だったし、思いあたらない」といいながら、その写真を見直していた主人公は、はたと思い当たる。同じクラスの女の子が夏休みに交通事故で死んでおり、その日は彼女の命日だったのだ。そのことをすっかり忘れていたことに気づき、彼女の実家を訪ね、仏壇に手を合わせる。
 その子の母親が、1枚の画用紙を主人公に見せる。それは主人公が小学生だったときにその子を描いてプレゼントした絵だった。亡くなった子は、生前、彼女に好意を寄せていたのである。

 ◆不自然なところ
 ドラマのなかでは、車が山中から脱出できた後、運転していた友人が主人公に「同窓会通知が留守電だけというのはおかしい、どうして気づかなかったのか」と発言してはいるが、同窓会を告げる留守電の声はどう聞いても子どもの声であり、不審に思うのが普通。しかし、それを妙だと思わず、問い合わせも何もせずに出かけていくという設定には無理がある。
 小学校の同級生が交通事故で死んだというような事件は、何十年もたっていれば忘れているということもありうるが、予備校生の年齢では忘れずに覚えていることがほとんど。もし忘れていたとしても、車の外の林のなかに立っている姿や顔を見た時点で思い出すはず。

 ◆コメント
 昔の怪談と近年の怪談の決定的な違いは、鈴木光司のホラー小説『リング』で「貞子がテレビから這い出てくる」という奇想天外な設定をして話題になって以後、ホラー映画やドラマでやたら電子機器を小道具として使う安易な傾向が増えてきた。
 このドラマもそうだが、どんな霊力を使っても、留守電に声が録音されるということはまずありえず、設定自体が説得力に欠け、現実離れしている。電話が混線することは現実問題としてありえる。混線は、私も昔何度か経験しているが、そうなるのは、電話会社の機械の故障や回線の接続ミス、あるいは盗聴器を仕掛けられるなどが原因であって、怪奇現象ではない。
 スペインのホラー映画「ダークネス」のなかにも、夜中に電話が鳴り、主人公の若い女性が出ると、呪文のような子どもの声が聞こえる場面があったが、俳優の演技力と演出力でそう思わせないようにしてあった。映画はフィクションだから、そういうありえないことも許されるが、「本当にあった怖い話」などと銘打つと、インチキっぽいと映り、一歩間違えると「やらせ」と思われる。


第3話 悪夢の十三日 (舞台:いわくつきのアパートの部屋)

 ◆ストーリー
 大学を出た後、就職先をいくつも変わった青年(主演:向井理)の4社目の勤め先は、倉庫会社。住むところも紹介されるが、そこはボロアパートの1階。恋人に手伝ってもらって部屋を掃除し、浴槽を洗っていると、排水口に長い女の毛が詰まっていた。彼女が帰って行くのを見送った直後、散歩している杖をついた老人と会い、挨拶をする。
 その夜、青年が寝ているとギシギシと鳴る物音で目を覚ます。時計を見ると午前2時過ぎ。
 翌朝、同僚に「住む心地はどう? 前に住んでいた者は失踪した」といわれる。夜帰宅すると、アパートの前の道で老人と出会う。挨拶すると、ぎょっとした表情を浮かべ、杖を思わず手放す。青年の後ろに立つ白装束の髪の長い女を見たからだった。しかし、青年は何のことかわからなかった。
 その晩も、前夜と同じように天井の方で不気味な物音がしたので、階上に住む住人に文句をいいに行くが、相手にされない。
 翌日、恋人に電話していると、「受話器から女の人の声が聞こえた」といわれる。隣の部屋から誰かが覗き込んでいる夢を見たといわれた。
 その晩も激しい物音がし、「やめてくれ」と叫んで目を覚ますと、うめき声とも泣き声ともとれる声がし、その方向をみると、青い服を着た髪の長い女が立っている。

 恋人がネットで調べた情報を教えてくれた。そのアパートの部屋は、ネットの「いわくつきの物件大図鑑」に載っているそのあたりでは有名なお化け屋敷だったのだ。
 30年前、その部屋に住んでいた女が上司と不倫して妊娠、女は自殺。しかし会社は事故といってその部屋を寮のようにして使い続けた。そのことを知った青年は、そういうことが書かれたページをコピーして上司に突きつけ、即会社を辞め、そのアパートも出た。
 そしてその晩、カプセルホテルに泊まった。ところが、深夜、恐ろしげな女の声で目を覚ますと、閉めた足元のブラインドの隙間から長い髪の毛がじわじわと現れ、続いて頭が出、女が這い出てきた。女は壁を伝って天井へよじ登っていく。
 青年の脳裏に、ボロアパートの鴨居にヒモをかけてその女がぶら下がって、ギシギシと音を立てるイメージがだぶる。青年は怖くなって耳をふさぎ、目をつぶる。やがて声は消えた。ほっとして目を開くと、さかさまになった恐ろしげな女の顔が目の前にいきなりぶら下がってきて気を失った。
 翌朝、青年は恋人のマンションに転がり込む。迎えに出た恋人と青年が寄り添って部屋の奥に行くのを、青い服の女が壁際に立って見ていたが、2人は気づかない。

 ◆不自然なところ
 ラスト近くで、ネットの「いわくつきの物件大図鑑」にそのアパートの部屋が載っているページをプリントアウトした用紙を、青年が上司に突きつけるシーンがある。その情報を教えたのが恋人であることが、彼女との電話でさらっと明かされるが、このあたりも中途半端である。もっと早い段階で視聴者に明らかにしておけば、散歩中の老人の奇妙な行動もわかりやすくなった。ほかの作品も含めて、全体的に伏線の張り方がよくない。構成と演出に難があるということだ。
 女子社員が上司との不倫関係を苦にして自殺した事件が表沙汰にならないよう、会社がそのまま社宅がわりにそこを使い続けているという設定だが、30年も前の事件ということであり、きわめて不自然である。

 ◆コメント
 髪の毛が出、女がブラインドの隙間から這い出てくるシーンなど、描写の仕方が「貞子」そのままで、これはいただけない。女の霊がカプセルホテルにまで現れるというのは無理がある。霊がこの青年にとりついたという設定だろうが、それならそれで、もっと早い段階で登場人物にそういわせないといけない。背後から「わっ」と脅かすパターンは、見ている人はドキッとするだろうが、とってつけけたようで、ドラマのクオリティを落とすだけだ。
 老人の散歩(あるいは、何か用があって、ただ歩いているだけか?)が最初は昼間なのに、二度目は夜である。
 老人が唐突に出てくるので、その老人は何者なのかと視聴者は考えてしまうし、老人が青年の背後に女の亡霊を一瞬見るシーンももっと長く見せないと意味がない。
 恋人との仲の説明に妙に時間を割きすぎて、ムダに長くなり30分近いドラマになってしまった。怪奇ドラマなのだから、もっとホラーに徹すべきだった。


 第4話 深淵の迷い子 (舞台:病院)
 
 ◆ストーリー
 小学一年生の女の子(主演:芦田愛菜)は、難病で1か月前から入院している。母親は彼女を生むのと同時に死に、父親と2人暮らしである。父親が女の子にお守りを渡して出張に出かけた夜、寂しくてなかなか寝つかれず、真夜中に父に電話しようと病室を抜け出し公衆電話のところへいくと、見かけない車椅子の少女に声をかけられた。どこにいるのかと聞くと「旧舘」にいるから遊びにおいでと誘われる。
 病院の配置図を見ると、別棟の旧舘の部屋には、ほかの棟には書かれている部屋の番号などが何も書かれていない。
 翌朝、女の子は担当看護師に旧舘の場所を尋ね、車椅子のおねえちゃんのことを口にしたが、「いつ会った?」と不審がられたので、「会ってない。夢」と嘘をついて誤魔化した。
 深夜、女の子がこっそり旧舘に行くと、鍵がはずれており、入っていく。すると、車椅子の少女と会え、「おちゃらかほい」をし、かくれんぼもする。鬼になって逃げた車椅子の少女の影が、踊り場の壁に写っていたので、そこにいると思って近づいていくと、そこにはおらず、上の階のフロアにいた。
 翌朝、女の子は、若い担当看護師に車椅子の少女のことを話してしまう。不審に思った看護師が上司に告げ、2人で旧舘の入り口へ行くが、施錠されている。上司はそこで若い看護師に昔話をする。
 ――昭和40年(1965年)頃、病院の旧オーナーの娘が難病で車椅子に乗っていたが、その病気を苦にしたオーナーの妻が娘と無理心中した事件があり、以後、旧舘を建て替えるときに工事関係者が事故に遭うなどしたので、そのままに放置されているということだった。
 その晩も女の子はベッドを抜け出し、旧舘へいく。鍵ははずれていて自然になかに入れ、車椅子の少女とまた会う。途中で車椅子とそれを押す女性二人と出会う。「お母さんだよ」と少女はいうが、女の子は「違う」といい、怖くなって逃げる。逃げるが、車椅子の2人は追いかけてくる。
 逃げてやっとドア口までたどり着くが、入れたはずのドアには鍵がかかっている。車椅子の2人がすぐ背後に迫ったとき、ドアが開いた。担当看護師が外から鍵を開けてくれたのだった。
 彼女は、「胸騒ぎがする」と深夜に女の子の父親が出張先から電話してきたので、病室の様子を見に行ったが、ベッドが空だったため、旧舘の鍵をもって駆けつけてきたのである。
 その後、少女の病状は回復し、迎えに来た父親に連れられて退院する。後から看護師が追いかけてきて、「旧舘に落ちていた」といって女の子にお守りを手渡す。

 ◆不自然なところ
 最初に行ったときにはかかっていた鍵が、二度目に行くとはずれている。誰がはずしたのか。自然とはずれるのか。逆に、入って逃げるときには鍵はかかっている。小説なら霊力でそうなるとしても不自然ではないが、「本当にあった」とするときわめて不自然である。
 車椅子とそれを押す母親が病院の廊下をどこまでも追いかけてくる。そのとき、行き止まりになっていても、ガラクタが積み上げてあっても、車椅子はどんどん追いかけてくる。そういう動きができる幽霊であれば、神出鬼没。車椅子のまま突然前に回り込むこともできるはずだし、空を飛べる力もあるのではないかと思われる。ただ怖がらせるために、うしろから「あそぼ」といいながら車椅子で追ってくるという設定には無理がある。
 名前を尋ねると、女の子は答えるが、車椅子がぎしぎし鳴って聞こえない場面がある。そういう場合、普通は聞き返すはずなのだが、そうしないのは不自然である。小学1年生が午前1時を過ぎた真夜中に連日起き出して、誰にも目撃されることなく、別棟の旧舘へいくという設定も現実離れしている。「胸騒ぎがする」といって父親が出張先から真夜中に電話してくるのも不自然だが、その電話を担当看護師が病院にいて受けるのも不自然。当直だったのか?

 ◆コメント
「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた旧舘の入口のドアの鍵は、いっそのこと、「壊れていて、簡単に取り外せることを女の子が知った」という設定にした方が自然だったのではないか。なにしろ、昭和40年頃にすでにあった建物ということになっているわけだから、鍵だけでなく、ドアのたてつけも悪くなっていて、ときどき開かなくなったりすることがあるようにした方がリアリティが出る。


第5話  怒りのルビー (舞台:宝石店)

 ◆ストーリー
 宝石デザイナー(主演:片平なぎさ)の店に水商売風の女が、ルビーの指輪を持参し、でかい態度でリフォームを依頼する。デザイナーは、7年前に夫と死別。深夜まで作業していて疲れてテーブルに突っ伏して眠ってしまい、うっかりして夫の写真立てを床に落とす。ガラスが割れ、何かを予言する。
 預かったルビーの指輪を細工しているとき誤って手を切る。血のついた指輪を助手が洗うときに、指輪に刻まれた名字と依頼者の名字が違うことが判明。デザイナーのはめている指輪が彼女の指を締め付け、部屋の電気が消えた。指輪を取ろうとするが取れず「返して」という声。背後に着物姿の老婆がいる。やがて電気がつくが、部屋には誰もいない。
 翌日、その老婆が店を訪ねてくる。「あれは主人からの大切な贈り物。それがここにあるはず。返してください」といって帰って行くが、入れ違いに入ってきた店員と出会っているはずなのに、すれ違っていないという。しかも、外は雨なのに、老女は傘も持っていなかったことも思い出し、デザイナーは不思議がる。
 デザイナーは不審に思い、ルビーを持ち込んだ女に電話して鑑別書を確認したいと告げる。すると女は怒り、もう頼まない、取りに行くというが、何日たってもこないので、訪ねて行くと、女は死んでいて葬式をやっていた。その帰路、彼女は、老婆が着ていたのと同じような藤色の着物を着ていた女がすぐ前を歩いているのを目撃し、声をかけると、やはり老婆の娘だった。事情を話すと、老婆の娘は、「ルビーの指輪は、母が婚約指輪として父から送られたものだったが、5年前に死んだ自分の夫が愛人に手切れ金がわりに与えたようだ」と話した。

 ◆不自然なところ
 ドラマでは、停電したときに老婆が現れているので、着物が藤色であることまでわからないはずである。その老婆が翌日店に訪ねてきたときも、これは演出上のミスだろうが、老婆の上半身しか映しておらず、視聴者は着物の特徴がわからない。これが老婆の娘と思わせる重要な決め手になるのだから、着物はきちんと映す演出をしないとダメである。長く映すと、視聴者は「この着物は、何かあるのだな」と思い、その先のドラマに期待する。
 デザイナーが娘の葬儀会場へいった帰り道で、老婆が着ていたとおぼしき藤色の着物を着た彼女の娘が目の前を歩いているのを見て声をかける場面も、偶然そこを通りかかったとしか思えず、きわめて不自然。老婆の娘が夫の愛人の葬儀にいった帰りという設定だとしたら、そんな派手な格好で行くわけはなく、死んだ老婆の霊の力で偶然出会うように仕向けたという設定だとしても強引すぎて視聴者は不自然だと思うだろう。それ相応の説明が必要である。視聴者が疑問に思わないように、シナリオをもっと綿密に練らないといけない。

 ◆コメント
 老婆役の女優は素人なのか? 「返してください」と何度もいうセリフが棒読みで、しらけた。すでに死んでいる老婆が、生前大切にしていた指輪をリフォームされるそうになるのを阻止しようとして化けて出てきたという設定なのだから、それにふさわしく、どこか不気味な言い方のできる女優を使うべきであった。
 宝石デザイナーは、この世にいない老婆が人通りのある道に面した店を訪ねてきて、会って話をしている。物語のネタ、テーマとして「故人が大切にしていた品」というのは悪くないが、これが本当にあった話であるとはどう考えても思えない。
 「ほん怖」という題名は浸透してはいるが、羊頭狗肉の感があるだけでなく、オムニバスを構成する各ドラマのそれぞれの時間配分とストーリー(シナリオ、演出)にも無理をきたしている。再考する時期が来ているのではないか。

 (城島明彦)

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