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2011/09/19

偏(かたよ)った人物描写が気になった「江~姫たちの戦国」(第36回「男の覚悟」)

     
冒頭の演出はうまかったが、「なつ」という側室はいたのか? 

 関が原の合戦の模様を描かずに、ドラマの冒頭で「関が原の合戦大勝利の知らせが早馬で江戸に届いた」とナレーションで片づけ、場面を江戸城から始めた演出手法は秀逸だと思った。

 江が妊娠したといっている間に、「なつ」という女が懐妊、男子を出産して江はショックを受けるというドラマ設定だったが、それ以前は、秀忠がほかの女に手を出しているそぶりも描いていないのだから、今回の演出は唐突すぎ、驚いた視聴者も多かったのではないか。

 
秀忠の子を生んだ側室の名は、「なつ」ではなく「静」(志津) 

 秀忠が、怖い江に隠れて、たった一度だけ浮気をし、妊娠させた女は「お静(志津)」という名の女で、「おなつ」ではない。
 彼女が産んだ男の子は、のちに名君といわれる会津藩主になる保科正之(ほしなまさゆき)である。

 長男家光が生まれたのは慶長9年(1604年)で、次男忠長と保科正之は慶長11年(1606年)。

 保科正之の誕生日は5月7日で、家光もその前後。

 江が怒り狂ったのは、自分以外の女と同時並行でセックスしていたことがわかったからである。


江がお静は江戸城から追い出した

 お静の名字は「神尾」(かんお)。
 天正12年(1584年)生まれで、天正7年生まれの秀忠より5つ年下である。

 父は神尾栄加(かんおさかよし)といい、元は北条氏の家臣だったが、天正18年(1590年)の秀吉の北条攻めで失職。浪人となって江戸に出てきて、板橋に移り住んでいた。

 そんなときに、お静は、加賀まり子が演じている将軍家の大姥局(おおうばのつぼね/)の下女として奉公した。
 大姥局は、若い頃、秀忠の乳母をしていた女である。

 江は天正元年(1573年)生まれだから、お静より10歳以上年上だ。

 江の尻に敷かれていた秀忠にとっては、大姥局は気軽にグチがこぼせる唯一の相手だった。
 しばしば彼女の部屋へ行ってグチっているうちに、5つほど年下の器量のよいお静を見初め、江の目を盗んで肉体関係を結んだ。

 江に疑われるといけないと思って、秀忠は、江との夜の夫婦生活もきちんと務めた。
 秀忠は若かったから精力もあり、江は幾度も妊娠した。

 お静が妊娠したことがわかると、大姥局は隠すのに躍起になったが、江にばれてしまった。

 30歳をすぎてから男子を産んで、肉体の魅力がなくなってきた江に比べて、お静はまだ20代前半。若くてピチピチしている。

 そんな女に秀忠が手を出していたのみならず、妊娠させていたと知って、プライドを傷つけられ、江は怒り狂った。

 お静の妊娠はそれが初めてではなかったという説もあり、最初のときは中絶していたという話もあるから、もしそれが事実なら、秀忠はよほどお静に執心だったということになる。

 めらめらと燃えさかるお静への嫉妬心は、江の胸の奥で、どす黒い憎しみへと変わって行く。


お静が明神に打ち明けた苦しい思い

 氷川神社に安産を祈願したときのお静の願文が残っている。
 そこには、「江の嫉妬心が深くて、もはや城中にいられなくなった」という辛くて悲しい心境が綴られている。

 お静は、腹が目だってくると、男子を生めない江の怒りと嫉妬を買うことになるので、江戸城を出て、神田にある姉の嫁ぎ先に身を寄せ、そこで男子を出産するのだ。これが保科正之である。

 男子出産の知らせを聞いて秀忠は喜び、「幸松」(ゆきまつ)と命名するよう伝え、葵の御紋入りの着物を与えた。

 「幸松」という名前には、秀忠の思いが込められているのではないか。
 「松」は常盤木(ときわぎ)であり、「末永く幸せに」の「末」ともかけたと解釈できる。末とつけると、先細りになるので避けている。

 江は、そういう夫の気持ちをまったく理解できず、「お静憎けりゃ、袈裟(けさ)まで憎い」のたぐいで、「お静の子どもをどうにかしよう」とする恐ろしい動きを見せた。

 怖くなったお静は、大姥局に相談した。秀忠の気持ちを知っている大姥局は、老中土井利勝や本多正信に相談し、江の手が及ばない尼寺(見性院)に幸松を預けた。

 江は、家臣を差し向けて、「幸松を差し出せ」としつこく迫ったが、差し出せば殺されるかもしれないから、見性院は「養子にした」と嘘をついて突っぱね、難を逃れたのである。

 江には、気象が激しいだけでなく、こういう執念深い面もあるが、NHKは誤魔化してきれいごととして描いている。


「江が秀忠を吊るし上げる」のが通説

 昔、フジテレビでやっていた連続ドラマ「大奥」では、江(高島礼子)はそれを知って怒り心頭、夫秀忠をヒステリックに吊るし上げた。秀忠は、ただおろおろし、二度とほかの女を相手にできなくなるという描写になっていた。

 こちらの描写の方が、江の実像に近いのではなかろうか。

 NHKでは、「江」という名前で通しているが、昔は「お江与(えよ)」と呼ぶことがほとんどで、ドラマ「大奥」でも「お江与」だった。

 江が長男竹千代(のちの3代将軍家光)を出産するときには、将軍家が「乳母」(うば。めのと)を募集する。そのとき、自ら応募して選ばれたのがおふく(お福。のちの春日局)である。

 徳川家の命運を担う男の子のしつけをするのにふさわしい乳母であるかどうかということで、最終面談は家康自身がやった。


3代将軍指名騒動は〝乳(ちち)争い〟が原因

 おふく役(春日局役)は、NHKでは富田靖子が演じるが、フジテレビでは松下由樹が演じた。
 松下と富田ではイメージがぜんぜん違う。

 「大奥」での松下は、「武士の元妻ではあったが、ふっくらした田舎のおばさん」といった顔つきでありながら、ひと皮むけば、権力志向のやたら強い執念深そうな女で、「夫と離縁された屈辱をバネに、辛酸をなめながらも、ひたすら耐え忍びつつ、生きていく強い女」として演じていた。

 江が長男の家光ではなく、次男の忠長を溺愛したのは、家光には自分の乳を与えることが許されなかったのに対し、忠長には授乳し、しかもそばに置いて母としての愛情を注いだことが最大の原因である。

 一方、春日局には、分かれた夫との間に3人の息子がいたが、乳母として乳を与えた江の長男家光に対し、まるで実の母のような愛情を注ぐようになり、それが江との確執につながっていくのだ。

 江は、自分の乳を与えた忠長かわいさのあまり、「長幼の序」「長子相続」を無視して、忠長を将軍につけようとする。

 これを阻止しようと動いたのが、春日局である。
 彼女は「一介の乳母」にすぎない身であるから、そんなところに頭を突っ込める身分ではないが、ファーストレディ(将軍夫人)の江に盾つき、伊勢参りと称して、その途中でこっそり大御所さま(家康)を訪ね、直訴に及ぶのだからすごい。
 秀忠は家康に頭が上がらないのを知っていての行動で、常識的にいえば〝禁じ手〟である。

 ドラマ「大奥」では、直訴に来た春日局と会う家康役を藤田まことがやっていた。
 家康は「たぬき」と陰口されていたように丸顔系だったが、藤田まことは「馬づら」で知られた役者。「どうも違う」と思いながらドラマを見たが、セリフは家康らしいものだった。

 「乳母の分際で、次期将軍問題で直訴とは何事か」と一喝しておいて、「平和な時代は、長幼の序が大事」と家康が名古屋弁でいうところがおもしろかった。それを聞いている松下由樹は名古屋出身なので、なんとなくおかしかった。


3代将軍は家康が指名

 家康が後継指名をする逸話は有名だ。

 まだ幼い家光をそばへ招いて、菓子を与える。
 次男の忠長も家康のそばへ行こうとすると、「おまえは、そこに控えおれ」といって制する。

 その場には2代将軍秀忠や江もおり、3代将軍は家光ということが、その時点で決定したのである。

 できすぎたエピソードだが、これが通説。

 そして、家光が将軍になると、家光の威光を背景にして「大奥総取締役」という地位に君臨する。
 しかし家光は、男狂いで、女に目を向けない。

 困った春日局は、美しい女をいっぱい集め、よりどりみどりにして家光を女好きにしようとした。
 こうして、大奥は誕生するのである。

 そういう女春日の局を演じる富田靖子は、デビュー時から都会的な顔だちの美少女というイメージが強い。
 映画「南京の基督(キリスト)」では娼婦役を演じ、ヌードにもなったが、そのときですら「薄幸の美女」という印象が強く、権謀術数にたけた「春日局」のイメージとは違う感じがするが、上野樹里と同じ事務所ということで選ばれたのかもしれない。

 なにしろ、江と春日局は、秀次の後の3代将軍の座をめぐって〝女の暗闘〟を繰り広げることになるから、「気心の知れた女優の方がやりやすいだろう」という配慮もあったのかもしれない。


浅井3姉妹はそんなに偉いのか? 初の家康に対する態度
 大河ドラマの第36回「男の覚悟」に話を戻すと、浅井3姉妹は、いずれも家康に対する態度がでかい女として描かれている。

 江は、養父になった秀吉に対しても〝でかい態度〟で接していたが、第36回では、関が原の合戦で東軍が勝利後に、家康が初の嫁ぎ先である京極高次(きょうごくたかつぐ)の居城(大津城)に足を運び、「高次は頭を丸めて城を出たが、勲功あり」として「若狭8万5000石を加増」と口にするが、それに対して初は「それぐらいは当然」と、家康に対等に近い言い方で苦言を呈する。

 これはおかしい。初の夫高次は、家康の家臣である。課長クラスの社員の妻が社長に「夫のベースアップ額は少なすぎる」と偉そうな口をきくのと同じで、まずありえない。描き方がおかしいということだ。

 ドラマでは、初の言い方に対し、家康が「浅井3姉妹は強うございますなあ」といわせているが、残っている数少ない手紙から推して、初はそういう無礼な口のきき方はしない女だったのではないか。


茶々は時代が読めなかった女

 3姉妹の長女茶々(淀君)は、いわば〝女帝〟。イメージ的には、自民党から民社党に転んだ田中真紀子に近い。

 田中真紀子は、自分自身はちっとも偉くないし、政治家としての能力もほとんどないのに、父角栄の偉さを自分の偉さと錯覚して、偉そうに振舞っている。

 見る人が見れば、人間が小さいということになる。

 そういえば、田中角栄は〝今太閤〟(いまたいこう)と呼ばれた人だった。真紀子も秀吉とは縁がある。

 茶々は、おじが信長といっても、昔の話。戦国時代は、下克上の社会。だからこそ、百姓の秀吉が「天下人」(てんかびと)にまで登り詰めることができた。

 境遇が変わったら、そのように身を処していかないといけない。

 その点、秀吉の正室だった北政所(きたのまんどころ)こと「おね」は偉い。

 秀吉の死後、淀君が大阪城西の丸に移ったのに対し、北政所は大阪城を出て尼になり、高台院(こうだいいん)となって秀吉らの菩提を弔うのである。
 欲得を顔に出さず、糟糠(そうこう)の妻役を淡々と演じていた大竹しのぶは、「適役」だったのではないか。

 しかし、茶々にはその真似はできなかった。わが子かわいさのあまり、幼い秀頼の後見役として、秀吉に代わって五大老を差配し続けようとした。
 「時代も勢力構造の変化も読めない女」だったのである。

 彼女は、秀吉が死んで立場が変わっても、家臣は同じようについてくると安易に考え、家康に立ち向かっていって、結局、自分自身も息子の秀頼も自害せざるを得ないハメに陥ってしまうのである。

 政局を読めなかった女ということになる。

 秀忠と江の娘「千姫」(せんひめ)が秀頼の正室なのだから、家康に敵対せずに生き残る方法を模索すべきだったが、妙なプライドが邪魔をして権力を手放そうとしなかったために、身の破滅、家の破滅、忠臣たちの破滅を招いてしまった。その意味では、おろかな女ともいえるだろう。


江の「つわり」演出がワンパターン

 江は「つわり」がひどいという設定で、秀忠との4人目の子を妊娠したときも、周囲の者に察知させるために、それまでの三度の妊娠と同様、毎度毎度、気持ちが悪くなるというNHKのワンパターン演出はいただけない。

 すっぱいものをやたらほしがるとか、変わったものを食べたがるとか、食べ物の好みが変わったというようにするなど、「もしや」と周囲に思わせる演出もあるのではないか。

(城島明彦)

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