「ほん怖2011『夏の特別編』」(フジテレビ9月3日)の問題点
ずいぶん長い間ブログを更新しなかった。仕事が忙しかったのと体力が弱っていたからだが、ブログを書くぐらいの時間や体力はあった。書くのがおっくうで、書く気になれなかったのである。定期的に読んでもらっていた人には申し訳ないと思ってきた。
「物書きのくせに、書くのがおっくうだなんて」と思う人もいるだろうが、医者の不養生みたいなものだというのが私の言い分である。
暑い夏もようやく終わって、過ごしやすくなったこともあり、また少しずつ駄文を書いていきたい。
久しぶりのブログは、フジテレビで9月3日夜(PM9:00~11:00)放映された怪奇ドラマ「ほん怖」こと「ほんとうにあった怖い話2011『夏の特別編』」についての感想である。見なかった人もいるだろうから、あらすじも載せておく。
私は、子どもの頃から怪談が好きで、この手のドラマも好んで見る。
今夏の「ほん怖」は、CMを含めて2時間ドラマではあるが、5話からなるオムニバス。
ドラマがフィクションということなら面白かったといえるが、「本当にあった怖い話」つまり「実話」として流すにはいろいろ問題があった。かといって、「うそ怖」に変えるのも難しいだろうというのが、私の単純な感想。
第1話 奇怪な最終バス (舞台:バスの車中)
◆ストーリー
部活で夜遅くなった男子高校生(主演:中山優馬)が、遅れてきた最終バスに乗る。車内は込んでいたが、みんな降りて乗客は彼1人だけになる。しばらくして後ろで奇妙な泣き声がし、振り向くと誰もいないはずの車内の通路を挟んだ最後部の席に、膝の上にカバンを置いた、長い髪のセーラー服の少女が乗っている。うつむいて座っているので顔は見えない。
再び振り向くと、いないのでギョッとし、確かめるともっと前の席に移り、近づいている。怖くなって「降ります、降ります」と叫び、ボタンを押す。バスが止まり、降りようとしたが、それより早く女の子が先に降りる。その子は降りると、バス停留所の横で足を止め、こちらを向く。やはり顔は見えない。
バスが動きだし、ほっとして近くの席に座ると、女の子が横に座っている。その子が彼を見た。その黒目は白く、恐ろしげだった!
◆不自然なところ
運転手はどうしているのかという疑問がわく。女の子の亡霊が見えているのは主人公だけなのか、それとも運転手もバックミラーで確認しているのか、そのあたりがぼかしてある。バス停では、運転手は乗客が降りたのを確認してからドアを閉めるのが常識。ドラマでは、主人公の高校生がなかなか降りないのにドアだけが不自然に長く開いている。そういう場合、「降ります」と叫んだ乗客に対し、運転手が「降りないんですか」と必ず声をかけるはずだが、それがなく、ドラマの時間にして50秒くらいもドアは開いたままだった。それからドアが閉まり、バスは発車した。
◆コメント
どの話も「架空の話」とすると、つまり「つくり話=創作ドラマ」ということにすれば面白いが、「本当にあった怖い話」とすると矛盾点や無理なところがいくつも出てくる。
本当にあった怖い話が若者に受けるからという単純な理由だけで、タイトルを「ほん怖」としているところにテレビ局の安易さとジレンマがある。
第2話 同窓会の知らせ (舞台:車・ドライブ)
◆ストーリー
芸大を受験して落ちて上京し、一般校受験に切り替えて勉強している予備校生(主人公役:武井咲)が部屋へ帰り、留守電を聞くと、子どものような声で「小学校の同窓会案内」のメッセージが入っていた。
当日、彼女は、地元にいる小学校時代からの友人の運転する車で、一緒に同窓会会場へと向かう。そのとき、友人は行き先をカーナビにインプットしてガイドどおりにドライブしたが、着いたところは霊園。何度行き先を入れなおしても、そこにたどり着く。
そのうち山中で道に迷い、車を止めた。「同窓会の連絡が留守電だけというのは変じゃない? 留守電の相手って誰?」ということになり、主人公が運転している友人のケータイに残っていた留守電のメッセージを聞き返すと、「痛いよう」と泣く子どもの声が入っている。ふと外を見ると、林のなかに半そでの白いワンピースを着た少女が立っていて、その子が「痛いよう」といいながら近づいてくるので、必死で車を発進させた。車窓から振り向くと、その子は道路に立ちつくしていた。
ひたすら車を飛ばして、やっと山を抜け出して町に出、ほっとして床に落としていた携帯用の写真ファイルを拾い上げる。「誰だか知らない子だったし、思いあたらない」といいながら、その写真を見直していた主人公は、はたと思い当たる。同じクラスの女の子が夏休みに交通事故で死んでおり、その日は彼女の命日だったのだ。そのことをすっかり忘れていたことに気づき、彼女の実家を訪ね、仏壇に手を合わせる。
その子の母親が、1枚の画用紙を主人公に見せる。それは主人公が小学生だったときにその子を描いてプレゼントした絵だった。亡くなった子は、生前、彼女に好意を寄せていたのである。
◆不自然なところ
ドラマのなかでは、車が山中から脱出できた後、運転していた友人が主人公に「同窓会通知が留守電だけというのはおかしい、どうして気づかなかったのか」と発言してはいるが、同窓会を告げる留守電の声はどう聞いても子どもの声であり、不審に思うのが普通。しかし、それを妙だと思わず、問い合わせも何もせずに出かけていくという設定には無理がある。
小学校の同級生が交通事故で死んだというような事件は、何十年もたっていれば忘れているということもありうるが、予備校生の年齢では忘れずに覚えていることがほとんど。もし忘れていたとしても、車の外の林のなかに立っている姿や顔を見た時点で思い出すはず。
◆コメント
昔の怪談と近年の怪談の決定的な違いは、鈴木光司のホラー小説『リング』で「貞子がテレビから這い出てくる」という奇想天外な設定をして話題になって以後、ホラー映画やドラマでやたら電子機器を小道具として使う安易な傾向が増えてきた。
このドラマもそうだが、どんな霊力を使っても、留守電に声が録音されるということはまずありえず、設定自体が説得力に欠け、現実離れしている。電話が混線することは現実問題としてありえる。混線は、私も昔何度か経験しているが、そうなるのは、電話会社の機械の故障や回線の接続ミス、あるいは盗聴器を仕掛けられるなどが原因であって、怪奇現象ではない。
スペインのホラー映画「ダークネス」のなかにも、夜中に電話が鳴り、主人公の若い女性が出ると、呪文のような子どもの声が聞こえる場面があったが、俳優の演技力と演出力でそう思わせないようにしてあった。映画はフィクションだから、そういうありえないことも許されるが、「本当にあった怖い話」などと銘打つと、インチキっぽいと映り、一歩間違えると「やらせ」と思われる。
第3話 悪夢の十三日 (舞台:いわくつきのアパートの部屋)
◆ストーリー
大学を出た後、就職先をいくつも変わった青年(主演:向井理)の4社目の勤め先は、倉庫会社。住むところも紹介されるが、そこはボロアパートの1階。恋人に手伝ってもらって部屋を掃除し、浴槽を洗っていると、排水口に長い女の毛が詰まっていた。彼女が帰って行くのを見送った直後、散歩している杖をついた老人と会い、挨拶をする。
その夜、青年が寝ているとギシギシと鳴る物音で目を覚ます。時計を見ると午前2時過ぎ。
翌朝、同僚に「住む心地はどう? 前に住んでいた者は失踪した」といわれる。夜帰宅すると、アパートの前の道で老人と出会う。挨拶すると、ぎょっとした表情を浮かべ、杖を思わず手放す。青年の後ろに立つ白装束の髪の長い女を見たからだった。しかし、青年は何のことかわからなかった。
その晩も、前夜と同じように天井の方で不気味な物音がしたので、階上に住む住人に文句をいいに行くが、相手にされない。
翌日、恋人に電話していると、「受話器から女の人の声が聞こえた」といわれる。隣の部屋から誰かが覗き込んでいる夢を見たといわれた。
その晩も激しい物音がし、「やめてくれ」と叫んで目を覚ますと、うめき声とも泣き声ともとれる声がし、その方向をみると、青い服を着た髪の長い女が立っている。
恋人がネットで調べた情報を教えてくれた。そのアパートの部屋は、ネットの「いわくつきの物件大図鑑」に載っているそのあたりでは有名なお化け屋敷だったのだ。
30年前、その部屋に住んでいた女が上司と不倫して妊娠、女は自殺。しかし会社は事故といってその部屋を寮のようにして使い続けた。そのことを知った青年は、そういうことが書かれたページをコピーして上司に突きつけ、即会社を辞め、そのアパートも出た。
そしてその晩、カプセルホテルに泊まった。ところが、深夜、恐ろしげな女の声で目を覚ますと、閉めた足元のブラインドの隙間から長い髪の毛がじわじわと現れ、続いて頭が出、女が這い出てきた。女は壁を伝って天井へよじ登っていく。
青年の脳裏に、ボロアパートの鴨居にヒモをかけてその女がぶら下がって、ギシギシと音を立てるイメージがだぶる。青年は怖くなって耳をふさぎ、目をつぶる。やがて声は消えた。ほっとして目を開くと、さかさまになった恐ろしげな女の顔が目の前にいきなりぶら下がってきて気を失った。
翌朝、青年は恋人のマンションに転がり込む。迎えに出た恋人と青年が寄り添って部屋の奥に行くのを、青い服の女が壁際に立って見ていたが、2人は気づかない。
◆不自然なところ
ラスト近くで、ネットの「いわくつきの物件大図鑑」にそのアパートの部屋が載っているページをプリントアウトした用紙を、青年が上司に突きつけるシーンがある。その情報を教えたのが恋人であることが、彼女との電話でさらっと明かされるが、このあたりも中途半端である。もっと早い段階で視聴者に明らかにしておけば、散歩中の老人の奇妙な行動もわかりやすくなった。ほかの作品も含めて、全体的に伏線の張り方がよくない。構成と演出に難があるということだ。
女子社員が上司との不倫関係を苦にして自殺した事件が表沙汰にならないよう、会社がそのまま社宅がわりにそこを使い続けているという設定だが、30年も前の事件ということであり、きわめて不自然である。
◆コメント
髪の毛が出、女がブラインドの隙間から這い出てくるシーンなど、描写の仕方が「貞子」そのままで、これはいただけない。女の霊がカプセルホテルにまで現れるというのは無理がある。霊がこの青年にとりついたという設定だろうが、それならそれで、もっと早い段階で登場人物にそういわせないといけない。背後から「わっ」と脅かすパターンは、見ている人はドキッとするだろうが、とってつけけたようで、ドラマのクオリティを落とすだけだ。
老人の散歩(あるいは、何か用があって、ただ歩いているだけか?)が最初は昼間なのに、二度目は夜である。
老人が唐突に出てくるので、その老人は何者なのかと視聴者は考えてしまうし、老人が青年の背後に女の亡霊を一瞬見るシーンももっと長く見せないと意味がない。
恋人との仲の説明に妙に時間を割きすぎて、ムダに長くなり30分近いドラマになってしまった。怪奇ドラマなのだから、もっとホラーに徹すべきだった。
第4話 深淵の迷い子 (舞台:病院)
◆ストーリー
小学一年生の女の子(主演:芦田愛菜)は、難病で1か月前から入院している。母親は彼女を生むのと同時に死に、父親と2人暮らしである。父親が女の子にお守りを渡して出張に出かけた夜、寂しくてなかなか寝つかれず、真夜中に父に電話しようと病室を抜け出し公衆電話のところへいくと、見かけない車椅子の少女に声をかけられた。どこにいるのかと聞くと「旧舘」にいるから遊びにおいでと誘われる。
病院の配置図を見ると、別棟の旧舘の部屋には、ほかの棟には書かれている部屋の番号などが何も書かれていない。
翌朝、女の子は担当看護師に旧舘の場所を尋ね、車椅子のおねえちゃんのことを口にしたが、「いつ会った?」と不審がられたので、「会ってない。夢」と嘘をついて誤魔化した。
深夜、女の子がこっそり旧舘に行くと、鍵がはずれており、入っていく。すると、車椅子の少女と会え、「おちゃらかほい」をし、かくれんぼもする。鬼になって逃げた車椅子の少女の影が、踊り場の壁に写っていたので、そこにいると思って近づいていくと、そこにはおらず、上の階のフロアにいた。
翌朝、女の子は、若い担当看護師に車椅子の少女のことを話してしまう。不審に思った看護師が上司に告げ、2人で旧舘の入り口へ行くが、施錠されている。上司はそこで若い看護師に昔話をする。
――昭和40年(1965年)頃、病院の旧オーナーの娘が難病で車椅子に乗っていたが、その病気を苦にしたオーナーの妻が娘と無理心中した事件があり、以後、旧舘を建て替えるときに工事関係者が事故に遭うなどしたので、そのままに放置されているということだった。
その晩も女の子はベッドを抜け出し、旧舘へいく。鍵ははずれていて自然になかに入れ、車椅子の少女とまた会う。途中で車椅子とそれを押す女性二人と出会う。「お母さんだよ」と少女はいうが、女の子は「違う」といい、怖くなって逃げる。逃げるが、車椅子の2人は追いかけてくる。
逃げてやっとドア口までたどり着くが、入れたはずのドアには鍵がかかっている。車椅子の2人がすぐ背後に迫ったとき、ドアが開いた。担当看護師が外から鍵を開けてくれたのだった。
彼女は、「胸騒ぎがする」と深夜に女の子の父親が出張先から電話してきたので、病室の様子を見に行ったが、ベッドが空だったため、旧舘の鍵をもって駆けつけてきたのである。
その後、少女の病状は回復し、迎えに来た父親に連れられて退院する。後から看護師が追いかけてきて、「旧舘に落ちていた」といって女の子にお守りを手渡す。
◆不自然なところ
最初に行ったときにはかかっていた鍵が、二度目に行くとはずれている。誰がはずしたのか。自然とはずれるのか。逆に、入って逃げるときには鍵はかかっている。小説なら霊力でそうなるとしても不自然ではないが、「本当にあった」とするときわめて不自然である。
車椅子とそれを押す母親が病院の廊下をどこまでも追いかけてくる。そのとき、行き止まりになっていても、ガラクタが積み上げてあっても、車椅子はどんどん追いかけてくる。そういう動きができる幽霊であれば、神出鬼没。車椅子のまま突然前に回り込むこともできるはずだし、空を飛べる力もあるのではないかと思われる。ただ怖がらせるために、うしろから「あそぼ」といいながら車椅子で追ってくるという設定には無理がある。
名前を尋ねると、女の子は答えるが、車椅子がぎしぎし鳴って聞こえない場面がある。そういう場合、普通は聞き返すはずなのだが、そうしないのは不自然である。小学1年生が午前1時を過ぎた真夜中に連日起き出して、誰にも目撃されることなく、別棟の旧舘へいくという設定も現実離れしている。「胸騒ぎがする」といって父親が出張先から真夜中に電話してくるのも不自然だが、その電話を担当看護師が病院にいて受けるのも不自然。当直だったのか?
◆コメント
「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた旧舘の入口のドアの鍵は、いっそのこと、「壊れていて、簡単に取り外せることを女の子が知った」という設定にした方が自然だったのではないか。なにしろ、昭和40年頃にすでにあった建物ということになっているわけだから、鍵だけでなく、ドアのたてつけも悪くなっていて、ときどき開かなくなったりすることがあるようにした方がリアリティが出る。
第5話 怒りのルビー (舞台:宝石店)
◆ストーリー
宝石デザイナー(主演:片平なぎさ)の店に水商売風の女が、ルビーの指輪を持参し、でかい態度でリフォームを依頼する。デザイナーは、7年前に夫と死別。深夜まで作業していて疲れてテーブルに突っ伏して眠ってしまい、うっかりして夫の写真立てを床に落とす。ガラスが割れ、何かを予言する。
預かったルビーの指輪を細工しているとき誤って手を切る。血のついた指輪を助手が洗うときに、指輪に刻まれた名字と依頼者の名字が違うことが判明。デザイナーのはめている指輪が彼女の指を締め付け、部屋の電気が消えた。指輪を取ろうとするが取れず「返して」という声。背後に着物姿の老婆がいる。やがて電気がつくが、部屋には誰もいない。
翌日、その老婆が店を訪ねてくる。「あれは主人からの大切な贈り物。それがここにあるはず。返してください」といって帰って行くが、入れ違いに入ってきた店員と出会っているはずなのに、すれ違っていないという。しかも、外は雨なのに、老女は傘も持っていなかったことも思い出し、デザイナーは不思議がる。
デザイナーは不審に思い、ルビーを持ち込んだ女に電話して鑑別書を確認したいと告げる。すると女は怒り、もう頼まない、取りに行くというが、何日たってもこないので、訪ねて行くと、女は死んでいて葬式をやっていた。その帰路、彼女は、老婆が着ていたのと同じような藤色の着物を着ていた女がすぐ前を歩いているのを目撃し、声をかけると、やはり老婆の娘だった。事情を話すと、老婆の娘は、「ルビーの指輪は、母が婚約指輪として父から送られたものだったが、5年前に死んだ自分の夫が愛人に手切れ金がわりに与えたようだ」と話した。
◆不自然なところ
ドラマでは、停電したときに老婆が現れているので、着物が藤色であることまでわからないはずである。その老婆が翌日店に訪ねてきたときも、これは演出上のミスだろうが、老婆の上半身しか映しておらず、視聴者は着物の特徴がわからない。これが老婆の娘と思わせる重要な決め手になるのだから、着物はきちんと映す演出をしないとダメである。長く映すと、視聴者は「この着物は、何かあるのだな」と思い、その先のドラマに期待する。
デザイナーが娘の葬儀会場へいった帰り道で、老婆が着ていたとおぼしき藤色の着物を着た彼女の娘が目の前を歩いているのを見て声をかける場面も、偶然そこを通りかかったとしか思えず、きわめて不自然。老婆の娘が夫の愛人の葬儀にいった帰りという設定だとしたら、そんな派手な格好で行くわけはなく、死んだ老婆の霊の力で偶然出会うように仕向けたという設定だとしても強引すぎて視聴者は不自然だと思うだろう。それ相応の説明が必要である。視聴者が疑問に思わないように、シナリオをもっと綿密に練らないといけない。
◆コメント
老婆役の女優は素人なのか? 「返してください」と何度もいうセリフが棒読みで、しらけた。すでに死んでいる老婆が、生前大切にしていた指輪をリフォームされるそうになるのを阻止しようとして化けて出てきたという設定なのだから、それにふさわしく、どこか不気味な言い方のできる女優を使うべきであった。
宝石デザイナーは、この世にいない老婆が人通りのある道に面した店を訪ねてきて、会って話をしている。物語のネタ、テーマとして「故人が大切にしていた品」というのは悪くないが、これが本当にあった話であるとはどう考えても思えない。
「ほん怖」という題名は浸透してはいるが、羊頭狗肉の感があるだけでなく、オムニバスを構成する各ドラマのそれぞれの時間配分とストーリー(シナリオ、演出)にも無理をきたしている。再考する時期が来ているのではないか。
(城島明彦)
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