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2011/06/01

「茶々も秀吉を好いていた」というNHKの設定では、視聴者の共感を得られない


第20回「茶々の恋」は安っぽいメロドラマだった

 茶々が秀吉の側室になっていなかったら、日本の歴史は大きく変わっていただろう。
 炎上する大阪城内で息子の秀頼と一緒に自害する必要もなかった。

 その意味では、5月最後の週に放送された「江~姫たちの戦国」の内容は、連続ドラマの前半の大きな山場だったといえる。

 第20回のストーリーは、ドラマのタイトルに集約されている。
 「茶々の恋」

 このタイトルだけ見た時点での解釈は、2通りになる。
 ①「そうか、よかった。茶々はヒヒジジイの秀吉の手を逃れて、別の若い男に恋するんだ」
 ②「茶々が、ハゲネズミの秀吉に恋するというのか? かんべんしてよ」

 その第20回のハイライトシーンは――

 京極高次(きょうごくたかつぐ)のもとに輿入(こしい)れした新婚の初から、幸せいっぱいの心境を綴った手紙がどんどん届き、江は喜んだが、秀吉に側室(妾)になってほしいと迫られている茶々の顔色はさえなかった。

 江は、例によって、側室と戯れていた秀吉のほっぺたをひっぱたいた茶々の心境を、京極龍子ら何人かの人に取材して回る。
 「殿下を憎からず思うておいでじゃ」
 と千宗易らにいわれ、江はショックを受ける。

 茶々は、愛を受け入れてくれと秀吉から繰り返し迫られるが、断り続けていた。
 すると、秀吉は、
 「あなたを諦めるために、公家の名門万里小路(までのこうじ)家へ輿入れしてほしい」
 と話す。

 諦めるといわれて茶々は動揺し、
 「幾度か断られたぐらいで諦めていいのか」
 といったり、
 「なぜ力づくで奪おうとしないのか」
 と自分の方から愛を告白し、秀吉と抱きあう……。

 ――といった内容だった。

 「『親の仇』だの『死ぬまで許すことはない』などと、それまでさんざん秀吉に毒づいておきながら、あの茶々の心がわりはいったい何なのか!?  そんなのあり!? 納得がいかない」

 と、反発を覚えた視聴者は、全国にわんさかいたのではなかろうか。


茶々はなぜ秀吉の側室になったのか

 秀吉を「親の仇」といい続けてきた茶々が、なぜ秀吉の側室になったのか、疑問に思っている視聴者は多いようで、私のブログへのアクセスは、29日は4000を越えていた。

 茶々が、なぜ秀吉の妾である側室(妾)になったのかという理由は、おおげさな言い方をすれば、歴史のなぞである。

 徳川政権下の江戸時代に書かれた『太閤記』とか『絵本太閤記』などは、徳川家に都合の悪い点は書かないから、必ずしも真実を伝えてはおらず、実際にどういう経緯があり、茶々がどういう心境の変化で秀吉の側室になったのかを記録した歴史的資料は存在しないといえる。

 したがって、どう推測しようと自由である。しかし――

 茶々は秀吉の子どもを2人も生んでいるという歴史的事実があるので、
 「そういうことはあったかもしれない」
 と制作側が考えても、説得力のある描き方をしなければ、視聴者側はそうは思わず、
 「嘘っぽい」
 「ご都合主義的なつくり話じゃないか」
 と思ってしまうことになる。

 茶々が「親の仇」とさんざん口にしてきた秀吉に恋したという解釈は、レディース・コミックならそれでもいいが、NHK大河ドラマともなると人々を納得させるのは難しい。


茶々の心境を、八代亜紀「雨の慕情」の心境としたNHKの安易さ

 「秀吉に力づくで処女を奪われ、死のうかと思いつめたが、思いのほか秀吉がやさしくしてくれるので、だんだん憎く思わなくなり、そのうちに女としての性的な喜びも感じるようになり、年月を重ねているうちに妊娠し、子供を生むに及んで真の夫婦として意識するようになった」 
 という解釈も成り立つ。

 つまり、「初めに体の関係ありき」という設定だが、これでドラマをつくるとこれまた視聴者の反発をくらうし、秀吉だけでなく、茶々への反発も起きるから、NHKはそういう解釈はしづらい。

 秀吉が力づくで茶々を犯さなくても、
 「3姉妹が面倒をみてもらってきたという負い目が茶々にはあるのだから、茶々は秀吉の要請を断りづらい立場になっている」
 という解釈も不自然ではない。

 弱みにつけいられ、体を自由にされても文句はいえない。茶々はそういう立場にあったのだ。
 しかし、そういう解釈もまた、NHKはしづらい。
 
  ♪ 憎い 恋しい 憎い 恋しい めぐりめぐって 今は恋しい

 これは、よく知られている阿久悠作詞の名曲の一節だが、NHKの解釈はこれである。
 仇の秀吉に対する茶々の心境の解釈としては、あまりに安易ではないか。


秀吉のベッドは史実だが、演技が嘘っぽい

 「江~姫たちの戦国」には、実在した人物がたくさん登場する物語で、史実にのっとってドラマをつくってはいるが、女性陣については資料がきわめて少ないので、当然推測が入る。

 史実にないところをどうやって補うかで、歴史ドラマの重み、リアリティに差が出る。

 大河ドラマに出てきた「大阪城の金ぴかの茶室」や「天蓋のついた秀吉のベッド」などは、実在する歴史的な資料に基づいて復元しているが、秀吉がベッドでドタバタ調の演技をすると、視聴者は「つくり話」ではないかとつい思ってしまう。


万里小路家との縁談はつくり話

 NHK大河では、茶々が秀吉の愛を受け入れようとしないので、秀吉は茶々に、
 「そういうことなら、いっそのこと、公家の名門、万里小路(までのこうじ)家へ嫁に出そう」
 と話すシーンもあった。

 これは古文書に記載されている事実ではないから、つくり話でもあり、実際にあった話かもしれない。

 ドラマとは直接関係ない話だが、万里小路という名字を耳にして、友人の秘書をしていた女性を思い出した。

 「までちゃん」
 と呼んでいたその女性は、正真正銘の万里小路家の血を引くお嬢さんで、電話ではずいぶん話もしたし、事務所を訪ねたときにも雑談したが、ごく普通の明るい人だった。

 彼女は、銀行に行って順番が来て、
 「万里小路さま!」
 と名前が呼ばれると、必ずじろじろ見られるので、いやだという話を聞いたことがある。
 もう20年近くも前の話だ。

 彼女は、その後、「結婚することになったので、名字が変わる」といって喜んでいた、と私の友人が笑っていた。


茶々の心境は、社長に恋するOLの気持ちか

 サラリーマンやOLを経験した人なら、勤務先の会社とか取引先の会社で、役員と秘書の女性が結婚した話のひとつやふたつは知っているだろう。

 何万もの社員を擁する会社の年配の社長を、その会社の若いOLが「素敵!」と感じ、憧れているケースは掃いて捨てるほどある。

 ましてや、その社長がこまめで気配りができ、出張に出れば必ず手紙を送ってきたり、帰ってくれば手みやげを忘れないという人間なら、周囲の女性たちは、たとえその社長の顔がサルっぽくても、次第に憎からず思うようになる可能性はある。

 その社長を知らない外部の人間から見たら、道で会っても「ただの爺さん」に過ぎないが、その会社の関係者から見ると後光がさしているのである。

 金も権力も人事権も持っているので、その社長に目をかけられているというだけで、社内での立場は違ってくる。

 社長の奥さんは美人。若い頃からその社長を公私にわたって支えてきたが、その社長は無類の女好き。しかも、美人の若い娘が大好きときた。次々と愛人にしている。

 奥さんは、
 「こまったものだが、これは病気だ」
 と諦めている。
 いってみれば、それが秀吉である。

 その男の愛人になれば、いい暮らしができるし、権力も手に入り、自尊心を満足させることもできる。

 しかし、その男は、自分の父が経営していたライバル企業をつぶし、父だけでなく母をも死に追いやっている。

 けれど、生きていかなければならないから、その男の世話になるしかなかった。

 そういう男が好きな女性と、どうにも好きになれない女性がいるが、茶々は前者の方だったというNHKの設定だ。


お嬢さま育ちの茶々は贅沢な暮らしに慣れていた

 茶々が「親の仇」である秀吉の妾となり、さらにその子供まで生んだのは、なぜなのか!?
 この問いに対する正解はないのだから、推理するしかない。

 「茶々がお嬢さまで、ぜいたくざんまいの暮らしを望んだ」
 ということが、側室になったかなり大きな理由となるのではないか。

 心底から「親の仇」と憎んでいるのなら、そんな男の妾になどならずに、きっぱりと自害して果てるという手もあったはずだが、茶々はその道は選ばなかった。

 茶々ら3姉妹の父浅井長政(あさいながまさ)は、信長ほどではなかったけれど、一国一城の主(あるじ)だったから、茶々は生まれたときから、
 「花よ、蝶よ」
 と、かしづかれて育った。

その城は滅ぼされ、父が自害しても、信長という権力を握ったおじがいたおかげで、母は生き延び、茶々たち3姉妹はやはり「お姫さま」として遇された。

父を死に追いやった実行犯は秀吉だが、命じたのは信長であるから、本来ならおじ信長に対する3姉妹の感情は、八代亜紀の「雨の慕情」と近いものがあったはずだ。それは――

♪ 憎い 好き 憎い 好き めぐりめぐって 今は好き

 愛憎相半(あいなか)ばする3姉妹のおじだったが、そのおじもやがて部下明智光秀の下剋上に遭って殺害されたが、今度は母の兄の織田信包(のぶかね)という優しい別のおじが母子ともども守ってくれ、やはり「お姫さま」として遇された。


母の再婚先でも茶々はお姫さま

 その後、3姉妹の母が、信長の部下だった20歳も年上の福井の城主柴田勝家(しばたかついえ)に嫁いだので、茶々もついていったが、そこは田舎ではあっても、やはり「お姫さま」として丁重に扱われた。

 ところが、義父勝家は秀吉と戦うことになり、負けてしまい、母と義父は自害してしまった。

 茶々ら3姉妹は年端(としは)もいかない女の子だったから殺されることもなく、炎上する城から秀吉の手によって助けられ、秀吉のもとに引き取られた。

 江は、その年に生まれたばかりで、落城時のことは何ひとつ覚えていないが、茶々はすべてを覚えている。

 母亡き後、茶々は長女である自分が2人の妹を守っていかなければならないと強く思っただろう。

 その責任感が、茶々を苦しめることになる。


秀吉に庇護されたお嬢さま生活

 秀吉は、自分を取り立ててくれた主君信長が死んでも、生前と変わることなく神のごとくに崇拝し、しかも信長の妹だったお市の方にあこがれ続けていた。

 「戦国一の美女」
 といわれたお市の方は、秀吉にとっては〝近寄りがたい永遠のマドンナ〟だったのである。

 彼女の容貌をもっとも引き継いでいると評判だったのが茶々だったから、成人していく茶々を見ていると秀吉のスケベ心は騒ぎだし、何とかして自分の女にし、信長やお市の方の血を引く男の子をもうけたいと考えた可能性が高い。

 「人たらし」といわれるように、秀吉は、男も女も攻め落とすのがうまかった。
 よく働く上に、こまめで、しかも憎めない性格だったから、気難しい信長にも気に入られた。

 ひょうきんな性格で、顔がサルっぽかったから女性に警戒されることもなく、それを逆手に取って美女を次々と陥落させた。

〝若くて世間知らずのお姫さま〟茶々を落とすことなど、秀吉に取ってはお茶の子さいさいだったろう。


愛が憎しみに変わることはあるが、憎しみが愛に変わることがあるのか?

 「愛情」の裏返しが「嫉妬」というかたちをとることは、ままある。
 愛を裏切られたり、誠意が通じなかった場合は、それが怨みや憎しみに変わる場合はよくある。

 茶々の場合は、どうだったのか。

 茶々は秀吉を、
 「どこの馬の骨ともわからない百姓から成り上がった金ピカ男」
 「自分のおじ信長に取り立てられた、一介の武将に過ぎなかった男」
 「口がうまい、女好きの男」
 と軽蔑してはいても、自分たち3姉妹を庇護してくれ、贅沢ざんまいの毎日を送らせてくれている後見人であり、恩人でもある点は否定できないし、感謝する気持ちは当然あったはずである。

 そういう境遇の3姉妹であるから、秀吉に嫌われたら生きてはいけなかったのだ。


 秀吉を憎みながら側室になったとすると、彼女は浮気しただろう

 「十数人もいたほかの側室に子どもができないのに、茶々だけ二度も妊娠したのはおかしい。誰か別の男の子どもだったのではないか」

 という説が根強くあるのは、茶々が秀吉の側室になった理由が釈然としないからであり、茶々は復讐のために秀吉の妾になったという推理も成り立ってくるのである。

 この話は、別の機会に書く。
 
 (城島明彦)

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