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2011/06/17

NHK「江~姫たちの戦国」(「父母の肖像」第22回)に異議あり!

第22回のストーリー

 体調を崩してしまったせいか、第22回(「父母の肖像」)の「江」は、面白くなかった――

 茶々は、出産のために秀吉が新築した淀城で、世継ぎの男子を出産し、秀吉を狂喜乱舞させる。

 しかし、秀吉は、聚楽第の門に悪口を落首(落書き)されたことで怒り心頭に達し、門番などぬかりがあった者を多数処刑するという暴虐なふるまいに及ぶ。

 秀吉の跡継ぎを生んだことで力を得た茶々は、亡き父母の法要を営みたいと秀吉に申し出て、認められ、両親の肖像画を描かせて、それをお寺に奉納することになる。

 父母の顔を知らない江姫は、出来上がった絵を見て、これが父母の顔かと胸を打たれる。

 ――こんなふうなストーリーだった。


茶々は正室ではない。「正室待遇」「準正室の側室」が正しい 

 今回もNHKは「茶々は秀吉の妻=正室」と強調していたが、両親の仇である秀吉に肌身を許し、子を生んだ茶々を「正妻」とすることで、読者の共感を得ようとするNHKの思惑がちらつく。

 「北政所」(きたのまんどころ)と呼ばれたおねだけでなく、茶々も正室という解釈は、ある学者の説に拠っている。

 ある学者とは福田千鶴九州産業大教授で、彼女の説は『淀殿――われ太閤の妻となりて』(ミネルヴァ書房)に書かれており、京極龍子らも正室だったとしている。

 「佐竹古文書」と呼ばれるものに「両御台所」とあるのを根拠にしているが、この学者は、「家光も江の子ではない」との異説というか珍説も提唱しており、小説家や市井の歴史研究家ならまだしも、学者としては問題が多い。

 たった一つ、そう判断できる資料があるからといって、強引に決め付けてしまうのが学者の悪いところ。

 いまでも、その女性が正妻ではなく妾であっても、その家の使用人は「奥様」と呼ぶし、親しい人は手紙で「奥様」と書く。
 
 そういう感覚で、茶々を正室のように呼んだ可能性があると考えないといけない。
 学者はどうも頭が硬くてイカン。

 同様に、使用人は、愛人宅を訪れる男が夫ではなくても「旦那様」と呼び、近所の人は「ご主人」と呼ぶ。

 したがって、茶々は、「正室」とはいわずに、、「正室に準じる地位」という意味で、
 「準正室」
 とでもいうべきである。

  正室と正室補は違うのだ。


一夫多妻制とはいえ、序列社会――おね・江は従一位、茶々は従三位クラス

 当時は、上下の身分、序列に厳しかった。序列を無視すると、秩序が保てなくなるからである。

 女性の官位は、江戸時代になると、将軍の生母が従一位で、江は2代将軍秀忠の継室(先妻が死んで後妻となった正室)だったから、死後「従一位」を追贈されている。

 北政所ことおねについては、後陽成(ごようぜい)天皇が聚楽第に行幸した天正16年(1588年)に従一位に叙せられた記録があるが、茶々についての記録はない。これは、茶々が出産する前年のことである。
 (天皇は、天正20年にも聚楽第に行幸した。)

 「2人の正室」というなら、官位も高くないとおかしい。
 
 時代は違うが、家光の側室で5代将軍綱吉を生んだ側室玉(桂昌院)は、〝江の天敵〟春日局の侍女で、生前、従一位。彼女は商人の娘だったといわれている。

 茶々の息子の秀頼は、正二位右大臣だったから、茶々は、せいぜい従三位どまりで、正室おねとは格が違う。

 秀吉は、あの手この手の奇策を考え、天皇を利用しまくった人間だから、世継ぎを生んだ茶々を「正式な2人目の正室」としたいのであれば、官位を高めるための手段をあれこれ講じたはずだが、そういう話は伝わっていない。

 気ぐらいの高い茶々に、秀吉は、
 「お前も正室じゃ」
 といって、ご機嫌を取っていたという程度の話ではないのか。


茶々は政治にシャシャリ出るタイプだった

 「茶々は、『寝間でのおねだりがうまい、したたかな女』、いわゆる〝床上手な女〟だったのではないか」
 と私は推理している。

 そう解釈すると、茶々が秀吉に「準正室」の地位を求めた可能性が高い。

 正室はあくまでも従三位(最終的には従一位)に叙せられている北政所(きたのまんどころ)である「ねね」(おね)であり、茶々は世継ぎの男子を産んだことで「正室に近い扱いの側室」という扱いになっただけだ。
 

秀吉が3姉妹の父母の法要を許したのは、「呪い」を恐れたから

昔の人は、何かよくないことが続くと「誰かの怨霊が祟った」と考えた。

 秀吉は、自分が滅ぼした敵の城主の娘や妻を何人も側室にしているから、「恨まれている」という思いは強かったはずだ。

 いくら戦国時代とはいえ、自分に目をかけてくれた恩人信長が可愛がっていた妹お市の方の夫(浅井長政と柴田勝家)を、二人とも自刃させたばかりか、お市の方も自刃に追い込んでいる。

 秀吉が茶々を側室にしてから、長政かお市の方が夢に出てきたこともあったのではないか。

 特に長政については、「髑髏盃」事件がある。
 信長が、長政の髑髏に金を塗って盃にしたといわれる事件だ。
 もしそれが事実だとしたら、その盃で秀吉も酒を飲むことを強いられただろう。

 そういうことがあれば、ろくな夢は見ない。

 長政の夢を見たとすれば、秀吉は「呪われている」と怯えたろうが、何か口実がなければ法要などできない。

 茶々との間にできた世継ぎが元気に育つためには、長政やお市の方の菩提を弔う必要もあり、また茶々の歓心を買うためにも、秀吉は、浅井長政とお市の方の法要を営ませたのではないか。

 ――というのが私の推理である。

(城島明彦)

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