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2011/05/24

茶々は女謀略家? 〝ある野望〟があって秀吉の女になった!? ――NHK大河(「江~姫たちの戦国」)には出てこない話

第19回「初の縁談」(5月22日)のストーリー

 タイトルからわかるように、次女の初姫が恋を実らせ、京極龍子(秀吉の側室の一人)の弟高次に嫁いで行くまでの話が中心だが――

 好きになったからといってそのまま嫁げるわけではなく、江の養父であり、茶々や初の後見人でもある秀吉の許可がいる。
 そこで、茶々が秀吉に頼むと、秀吉は、
 「初の縁談をまとめる見返りは何か」
 と自分の側室になることを暗ににおわし、
 「わしに何をくださるおつもりか」
 と迫る。
 「私を。私の身をお好きになさってくださいませ」
 と茶々は答えたが、
 「ただひとつ、側室にだけはなりたくありませぬ」
 と付け加える。
 それを聞いて秀吉は、戯れでいったのだとその場をごまかす。そして、こういうのだ。
 「もしもわしが仇でなかったら、思いを受け入れていただけるのか」
 茶々の心は揺れるが、一夜あけると、秀吉は廊下で新しい若い側室から頬にキスマークをつけてもらっている。
 その光景を見て、茶々は秀吉に駆け寄り、平手打ちを見舞い、
 「私にもわからぬ」
 そう呟いて、よよと泣き崩れるのだった。

 ――さて、来週はどうなりますかといった内容だった。


NHKはなぜ、茶々が秀吉の側室になる経緯を引っ張り続けるのか?

 NHKが、茶々という女性を凛(りん)とした高潔な人間であると美化すればするほど、女好きな秀吉の愛人になった理由を説明しづらくなり、視聴者は理解できなくなる。
 
 引っぱらざるを得なくなったのは、「秀吉を親の仇」と茶々に何度もいわせたドラマ設定に無理があるからであり、そんなことを繰り返しいってきた女が、いかなる理由があるにしろ、突然、秀吉の女になってしまっては視聴者が茶々に反発を覚えるからだ。

 それが怖くて、NHKは少しずつ茶々の気持ちに変化が芽生えるようにしようと考え、話を伸ばしてきたのだ。


NHKは「秀吉は3姉妹の憎むべき仇」と強調するなら、信長も仇にしないとおかしい

 NHK大河ドラマでは、茶々や江が何度も「秀吉は親の仇」と口にしている。
 茶々や江は、秀吉本人にも面と向かっていっている。

 茶々ら浅井3姉妹は、実父浅井長政、母お市の方と楽しく暮らしていた居城を秀吉の指揮する軍に攻められ、父は自害し、母子はおじである信長に庇護された。

 その後、本能寺の変で信長が死んだことで、後継者争いが浮上、母は3姉妹を連れて柴田勝家に嫁いだが、秀吉といくさになり、義父となった勝家は自刃。今度は母であるお市の方も自害したが、3姉妹は助けられて秀吉の庇護を受けることになる。

 おおざっぱにいうと、こういうことになる。

 茶々、初、江の3姉妹にNHKは、折に触れて「秀吉は親の仇」といわせているが、果たしてそうなのか。

 3姉妹の実父浅井長政を滅ぼしたのは、彼女らのおじ信長である。
 秀吉は信長に命じられて動いた駒に過ぎない。

 親の仇、親の仇というのなら、信長もそういわなければおかしい。いや、信長こそが3姉妹の「父の仇」である。 それなのにそのことを完全に無視しているのは、ご都合主義としかいえない。


信長から見たら、茶々の父は裏切り者

 信長から見ると、3姉妹の父浅井長政の方こそ裏切り者である。
 信長が浅倉義景(あさくらよしかげ)を攻めるとき、信長にはつかず、古い付き合いのある浅倉義景についたからだ。
 長政は信長の妹お市の方を嫁にし、縁戚関係を結んでおきながら、裏切ったというわけである。

 姉川(あねがわ)の合戦と呼ばれるこのいくさ戦いが発端となって、浅井長政は追いつめられ、落城する小谷(おだに)城で自刃することになる。

 そのとき、信長に命じられて城を攻める指揮をとっていたのが、信長の家臣だった秀吉。
 長政の正室お市の方とその娘3姉妹は、助けられ、そこから彼女らの波乱の人生がスタートするのである。

 秀吉だけを親の仇というのは偏った見方だ。秀吉を仇呼ばわりするなら、信長も仇といわなければならない。


「茶々はどうやって秀吉の女にされたのか!?」を推理する

 茶々が秀吉の側室になった理由は、以下の9パターンのうちのいずれかであると推理できる。

  ①「肩でももんでくれ」と寝室に呼ばれ、力づく(暴力)で犯された。
  ②茶々の意志とは無関係に、眠り薬を仕込まれるなどして体の自由を奪われ、女にされた。
  ③「側室になるのはYESかNOか。嫌なら殺す」と脅されて、泣く泣く愛人になった。
  ④権力と金に目がくらみ、側室になった。
  ⑤「父親がわりに、わしに甘えなさい」と洗脳され、その気になった。
  ⑥プレゼント攻撃に参った。「ほしいものは何でもあげる」といわれ、割り切った。
  ⑦生きていくために、「もうどうでもいいや」と半ばヤケになって処女を与えた。
  ⑧自分の子を生んで、その子に自分の夢や将来を託そうと考え、秀吉の思いを受け入れた。
  ⑨秀吉に「自分が憧れ続けた唯一の女性お市の方の血を引く男の子を生んでもらえないか」と諭され、その気になった。
 
 どれが正解かは、本人たちに聞くしかない。

 そういうことなので、小説にしたりドラマにする場合は、好き勝手にやればいいということになる。
 

茶々は秀吉のスケベ心を刺激した
 
 秀吉の正室ねねは、昔から苦労をともにしてきた「糟糠(そうこう)の妻」だから、秀吉も軽んじることはできなかったし、頭も上がらなかった。
 しかし、彼女との間には子どもができなかった。

 世継ぎをつくらないことには不安でならないから、秀吉は、いろんな女を側室にして子づくりに励んだが、それでも子どもはできなかった。

 そんなところへピチピチした茶々が現れたから、秀吉は目の色を変えた。
 しかも、茶々は、秀吉が憬れていたマドンナお市の方の美貌を引き継いでいる。

 お市の方は、畏敬してやまなかった信長の妹だったが、もうこの世にはいないから、娘の茶々で代償満足しようという気持ちになった。


「秀吉は子種なし」説を裏づける例

 例① 秀吉は、信長の実の娘も側室(三の丸殿と呼ばれた女性)にしていたが、子どもはできなかった。もし生まれていたら信長の孫になる。

 三の丸殿は、秀吉の死後、公家と結婚し、妊娠している。

 例② 秀吉は、「香(こう)の前」と呼ばれた美人の側室を、気に入っていた伊達政宗の家臣に与えた。その家臣は彼女を主君正宗に献上すると、彼女は正宗の子をすぐに身ごもった。彼女は、2人の子を生んでいる。

 例③ 京極龍子は秀吉の側室になる前の結婚相手との間に3人の子供を生んでおり、子どもができやすくなっていたにもかかわらず、秀吉の子を妊娠することはなかった。

 これだけ例をあげるだけで、「秀吉、子種なし」を証明するのは十分ではないか。
 子種なしと断言できなくても、「子どもが極めてできにくい精子」の持ち主だったことは100%間違いなかろう。


人前で女の争いを繰り広げた茶々の性格

 京極龍子と茶々の関係は、京極龍子の方が茶々より側室の先輩であるし、年齢も上。

 この2人が、慶長3年(1598年)春、徳川家康ら諸大名を招いて行われた京都の醍醐寺(だいごじ)での花見の宴席で、秀吉から受け取った杯の順番をめぐって、醜い口争いを繰り広げたというエピソードが伝わっている。

 盃の順番としては、正室のおねが最初で、秀頼の母となっている茶々、龍子という順番が普通だが、龍子が異を唱え、いさかいが起きたことになっている。
  
 京極龍子と茶々はいとこどうしであり、しかも茶々の妹初は龍子の弟高次と結婚している。
 茶々の生まれた浅井家は、もとは京極家の家臣筋。下克上で立場が逆転したとはいえ、京極家は名門。
列席した大名たちも、そういうことをよく知っていた。

 京極龍子は、「自分の方が茶々より身分が上」ということで2番を主張したらしい。
 しかし、茶々は譲らなかったので、ひと悶着あったのだ。

 龍子ら側室たちは、なぜほかの側室が妊娠すらしないのに、茶々だけが2度も妊娠・出産したのか、おかしいと思っていたはずだ。

 茶々が生んだ最初の子は死んだが、次男秀頼は秀吉の後継者として花見の席に来ている。
 
 (その子は誰の子なのか!? この子さえ生まれていなかったら、私の方が大切にされていたはずだ)

 そういう複雑な思いが龍子のなかで錯綜し、盃の順位争異になったのではないかという推理も成り立つのである。
 
 この事件が事実だったとすると、茶々はプライドも権力志向も強い女だったことになる。


茶々は「腹にイチモツ」あって、子種のない秀吉の女になった!?

 戦国時代の側室は「後継者を生むための正室(妻)公認の愛人」であり、「側室に生ませた娘や養女にした娘を敵に嫁がせるのは、同盟を結ぶための手段」であった。

 側室自身もそのことを自覚して生きていかなければならなかった。

 秀吉には正室や側室がいっぱいいたが、子どもができなかった。

 秀吉に子種がなく、
 「茶々が生んだ世継ぎの秀頼は別の男の子ども」
 という説が昔から根強くいわれてきた。

 江戸時代の大奥を舞台にしたテレビドラマが好んで取り上げるテーマは、将軍のお世継ぎを生もうとする女たちの暗闘である。
 そのなかの典型的なパターンが、別の男と密通して子供をつくり、その子を世継ぎと称して大奥の権力を掌握するというやり方。
 
 今日なら遺伝子チェックで簡単に「アウト」と判定されるが、当時は誰の子か見分ける方法がなかった。
 
 茶々が、その手を使わなかったという証拠はない。
 つまり、茶々は秀吉以外の男の子を生んで、秀吉を踏み台にして将軍のご生母になろうとした可能性があるということだ。


茶々がなぜ「女好きな秀吉の愛人になるのか」と視聴者は疑問に思っている

 秀吉には、正式に伝っているだけでも16人もの妻妾がいた。それ以外にもたくさんの女がいたといわれる好色家だが、家康にも同じくらいの数の側室がいたのに、世間からは好色家といわれない。

 なぜなのか。

 秀吉は、敵将が愛した妻やかわいがっていた愛人を犯すことで、あの世の敵将をあざ笑う魂胆なのか、いくさでやっつけた敵の城主の妻(正室)やら娘たちを次々と自分の側室にしてしまったが、家康はそういうあざといことはしなかった。そこが違っている。

 秀吉流は、戦って勝った相手に小便をひっかけるような動物的で野蛮なやり方のようにも見えるが、秀吉には秀吉の言い分があったのだろう。

 敵将の娘を側室にしたのは、滅ぼした敵ではあるが、その遺訓をたたえるべく、その城主の遺伝子と自分の遺伝子をミックスさせようという魂胆だったのか。

 いずれにしろ、悪趣味であることに変わりはない。

 (城島明彦)

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