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2011/05/03

「茶々の愛を得るために秀吉は関白になった」とするNHK大河「江」(第16回)の解釈は、あまりにマンガ的すぎないか

第16回「関白秀吉」のストーリー

 ゴールデンウィーク(5月1日)放送の「江~姫たちの戦国」は、「関白秀吉」というタイトルが示すように――

 百姓の倅(せがれ)にすぎなかった男が、手練手管(てれんてくだ)を弄(ろう)して戦国乱世を巧みに世渡りし、どんどんと出世してついには内大臣の地位にまで登りつめた。
 だが、彼の出世欲はとどまるところを知らず、さらなる上をめざすと江や茶々たちに宣言する。

 武士の最高位といえば、征夷大将軍である。
 秀吉は、織田信長が将軍の座から引きずりおろした前将軍足利義政に目をつけ、得意の養子縁組作戦で野望の実現をめざす。

 しかし、「百姓あがりの分際で」と一蹴されてしまい、困り果てた秀吉は、
 「どうすればいいのだ。アイデアを出せ」
 と江に相談する。
 「将軍より上の者になればいい」
 と江がいったことが発端となり、秀吉は発想を転換、関白太政大臣を狙うことになる。

 摂政・関白になれるのは、平安時代の藤原良房に源流を発する5公家(近衛、九条、一条、二条、鷹司)と決まっていたが、近衛家と二条家の間で関白の地位争奪戦が起きているのを知った秀吉は、そのどさくさに乗じて近衛前久(このえさきひさ)に近づく。
 
 そして秀吉は、「金銀財宝攻撃」という成り上がり者にふさわしい手法で近衛前久を陥落させ、「猶子」(ゆうし/親子関係)の縁結びを承諾させ、ちゃっかり関白という地位を手に入れるのだ。

 武士が関白になった例は、日本史上、それまで例がなかった。その関白になったという報告を秀吉は、いの一番に茶々にするのである。
 
 「自分の関心を引こうとして関白になった」という話を聞いて、宮沢りえ扮する茶々の顔が紅潮する。さて、どうなりますか? 続きは次週。

 ――といった内容だった。

 しかし、茶々の関心を引こうとして関白になったというのは、いかにもマンガチックで、説得力に欠ける。


「江」は、ご都合主義のお手軽ドラマなのか?

 生前やってもいなかったことを、あたかもやっていたかのように死後語られることは多い。

 テレビドラマでいうと、水戸光圀がモデルの「水戸黄門」にしても、吉宗の「暴れん坊将軍」にしても、歴史上の本人とはまったく異なる話、別人の話になっている。

 誰もその場にいたわけではないから、昔のことは想像するしかないが、その想像がありえる範囲なのか、まったくありえない範囲なのかを、作り手は考えながらやるしかない。

 NHK大河ドラマは、脚本家が好き勝手に書いているわけではない。
 時代考証をチェックする立派な専門家がついていて、「その程度ならいいでしょうとか」「それはマズイ」などとアドバイスしている。

 そういうシステムを考えると、まったくありえないことを描いているは思えない。

 しかし、これまでのドラマづくりを見ていると、どうもその一線を超えまくっているように思えてならない。


歴史を無視したらドラマづくりは簡単 
 
 小説でもドラマでも、実在の人物を登場させるときの制約になるのは、歴史上の事実である。
 事実というしばりが多ければ多いほど、作者の想像力が入り込む余地はなくなる。
 
 逆の言い方をすると、歴史的事実が少なければ少ないほど、作者は想像力をふくらませることができ、自由奔放な設定や展開を楽しむことができる。

 小説やドラマでは、歴史的事実を無視して歴史を捏造するというやり方も、よく行われる。
 その最たる例のひとつがが「義経は生きていて蒙古に渡ってチンギスハーンになった」である。
 「天草の乱の首謀者天草四郎時貞は女だった」などというのもそのたぐいだ。

 タイムスリップして過去の時代に入りこむというSF的手法もあるが、その場合は、現実には起こりえない設定で話を進めていることを読者や視聴者は知っていて、ドラマなり小説を楽しんでいるのだから、ある程度の嘘は許されるが、歴史上の事実を次から次へと否定するような描き方はありえない。

 一時、実は日本は太平洋戦争で負けていない設定し、日本軍が米軍をやっつけてしまうという「シミュレーション小説」が流行ったことがあるが、私の感覚ではありえない世界である。

 「江」の制作陣がどういう考え方をしているのかが視聴者側によく伝わってこないので――たとえば、秀吉の描き方なら、ドタバタ喜劇調と思ってみていると、突然シリアスドラマのような描き方になるといったような――そういう中途半端さが視聴率にも影響しているのではないか。

 秀吉の決断に実際に江が絡んだかどうかは誰も知らないし、資料も残っていないから、どう解釈しても勝手だが、ドラマだから何をやってもいいということにはならない。


初にはキリスト教徒だった時期があった

 ドラマのなかでは、初が大福を食べまくるところだけが強調され、がさつな感じの女性として描かれているが、彼女の遺言に書かれている内容から考えると、もっとやさしくて、繊細な女性に描くべきではないのか。

 初は、いとこと結婚した。お父さん(浅井長政)の姉の息子京極高次が夫である。
 お父さんの姉の名は、京極マリア。長女龍子は秀吉の側室になっている。京極龍子は京極家を救うために秀吉の側室になった。

 マリアは、洗礼名である。
 熱心なキリスト教の信者だったマリアは、大勢の人を信者にさせている。
 彼女の説教には説得力があったのだろう。

 当時の女性のキリシタンというと、明智光秀の娘で細川忠興(ただおき)に嫁いでいる細川ガラシャ(たま)が有名だが、水川あさみ扮する初もキリシタンだった時期があるのだ。

 初は、嫁ぎ先の義母マリアの影響で、マリアの息子である夫高次ともども洗礼を受けるのである。


細川ガラシャ

 細川ガラシャは、夫に隠れて洗礼を受けている。
 
 彼女は、悲劇的な女性として語り継がれている。

 秀吉は、関が原の合戦に臨んで、家臣が徳川方につくのを恐れ、彼らの妻子を人質として大阪城に集めようとしたが、ガラシャはそれを拒み、死を決意するのである。

 しかし、キリスト教では自害を認めていないので、自分を殺すように家臣に指示したという逸話は有名である。

 細川ガラシャが人質になることを拒否して死んだ理由は、2つあると推測される。
 ひとつは、大阪城に行けば好色な秀吉に目をつけられ、側室にされてしまう危険性を感じ、キリスト教の一夫一婦制の教えにそむくことになるからだ。
 もうひとつは、徳川につくか秀吉につくかという夫の判断を誤らせてしまうことを恐れたからだ。

 
初は心やさしい女性

  茶々――関白秀吉の側室となり、世継ぎの子秀頼を生む
  初――いとこの京極高次と結ばれ、若狭小浜藩の城主の正室となる
  江――徳川2代将軍秀忠の継室(後妻)となる

 流転の浅井3姉妹の妻としての地位を並べて見ると、初だけがただの大名夫人でおわっており、見劣りがする。

 初は、夫の高次が関が原の合戦で手柄を立てたと評価され、加増されて若狭の大名になり、そこへ移るが、大阪冬の陣・夏の陣では、姉茶々のもとへ家康の使いとして派遣されるなど重要な任務もこなしている。

 やがて高次が死ぬと、出家して「常高院」(じょうこういん)と名乗り、66歳まで生き、父母や茶々らの菩提を弔うのである。

 初が死を前にして書いた遺言には、自分の回りにいた女性たちの一人ひとり実名を挙げて、先々のことをこまごまと息子に頼んでいる。

 実に心やさしく気くばりのできる女性だったのである。

 そういう性格は、子どもの頃からのものだから、NHKのドラマでも、食い意地がはったところばかり強調せず、もっとそういう点を強調しておくべきだったのではないか。

(城島明彦)

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