「江には盗聴癖あり」とせざるを得ないNHKの苦しいドラマづくり(「江~姫たちの戦国」第17回)
実の姉を離縁させて家康の後妻に
第17回「家康の花嫁」のストーリーは――
「秀吉が関白になっても、家康が挨拶に来ないので、何度か催促するが無視される。
そこで、秀吉は、正室に死なれて独身だった家康に自分の身内を継室(けいしつ/後妻)として送りこむ。
身内とは、40代の秀吉の実の妹旭姫(あさひひめ)で、結婚していたが、離縁させたのである。夫はショックで家を出、行方不明になる。
しかし、それでも挨拶にやって来ないので、秀吉は「これでもか」とばかりに実母を人質として送る。
さすがの家康もこれには仰天し、実母を返しがてら大阪城へ挨拶にやってくる。
秀吉は家康に、家臣の前で自分に頭を下げてほしいと頼む。
家康はそれに従うが、秀吉が愛用している大切な陣羽織(じんばおり)を所望(しょもう)する。
その陣羽織は、秀吉が信長からもらった大事なもので誰にも渡したくなかったが、与えざるを得なかった。
秀吉は、茶室に茶々を招く。
江も勝手についていくと、秀吉は、母と妹に犠牲を強いたので、好きな茶を断っていた。再会する最初の茶は茶々に出そうと思っていたと憎いことをいう。
――といった内容であった。
敵に回せない力を家康は備えていた
秀吉は、家康を恐れていた。
小牧長久手(こまきながくて)の合戦で家康の力を思い知らされているので、力で屈服させるのは無理と考え、実姉や実母を政治の道具にしたのだ。
「利用できるものは何でも使え」が秀吉の考え方だったのである。
家康は、秀吉の実母を人質として送られたとき、自分が幼少時代に今川義元(いまがわよしもと)のところへ人質として送られたことを思い浮かべたに違いない。
そして、明智光秀が人質として送った実母を殺された例も頭に浮かんだだろう。
光秀は、丹波国の八上(やかみ)城を攻めたとき、信長の命で、和睦を結ぶ条件として実母を人質として送ったが、敵の送った人質を信長が殺したために、その仕返しとして実母は磔(はりつけ)にされているのだ。
本能寺の変は、この事件が遠因といわれている。
家康は、秀吉が母親を人質として送ってくるくらい自分を恐れていると知って満足し、顔も立ち、大阪城へ出かけていったのだ。
江姫には「盗聴癖」があるという設定
ドラマを見ていると、NHKと脚本家が、江姫を歴史的事件の現場に居合わせるか、目撃者ないしはそれに近い立場にするために、「江には盗聴癖がある」という強引な設定にしている。
第17回「家康の花嫁」では、隣室で盗み聞きしていると襖を開けられて見つかり、秀吉に「盗み聞きする癖がある」といわれていた。
好意的に考えれば、「好奇心旺盛」ということになるが、あまり関心できる癖ではない。
彼女は「知恵が働く」という人物設定にもなっていて、秀吉は彼女にアイデアを出せと迫る場面が何度もある。
第17回でも、秀吉に「何か知恵を出せ」といわれて、江は、
「おのれの大事なものを差し出してこそ、相手は考えようという気にもなる」
と答え、それが母親の人質につながったという演出になっている。
こういう展開はかなり無理がある、と多くの視聴者はみているはずだ。
江は天正元年(1573年)生まれなので、第17回のドラマが進行している段階では12~13歳くらいの年齢だからである。
その年齢で、そのような知恵を出せるようなら、のちに3代将軍争いで春日局に負けるようなことにはならないのではないか。
江姫と秀勝は〝できちゃった婚〟か
「秀吉にずけずけものをいえるのは江と秀勝の二人だけだ」とNHKはいわせているが、この2人はやがて結婚するのだから、〝似た者同志〟ということになる。
NHKドラマでは、2人が結婚するのは文禄元年(1592年)としている。
しかし夫の秀勝は出征し、同年秋に死ぬ。
2人の間に誕生した姫完子(さだこ)が誕生したのも同じ年であるとされている。
江は18歳か19歳で出産ということになる。
完子は早産で生まれた可能性もなくはないが、江が普通に出産していたとすると、1月か2月に挙式し、子づくりしていないと年内誕生は難しい。
ということは、〝できちゃった婚〟か!?
(城島明彦)
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