俳優田中実の死を嘆くグルメレポーターの浅はかさ
「死ぬ前になぜ相談してくれなかった」と軽々にいうべきではない。その程度にしか思われていなかったのだ
田中実という俳優が自殺したことを報じたネットニュース(「シネマトゥデイ」)に、彼と親交があったらしい男のお笑い系グルメリポーターが、
「何で相談してくれなかったんや」
「オカンに謝れ! 奥さんに謝れ! 子供達に謝れ! ファンに謝れ! そして… そして、自分に謝れ! 実~ッ!」
などと自身のブログで絶叫していると書かれていた。
そのレポーターのブログで確認してみると、確かに言葉は乱暴で常軌を逸した書き方がしてあったが、それはそれで、その男なりの弔意であり、悲しみの表現であることは理解できた。
だが、考え方があまりにも短絡的で浅はかである。
私は、その男に家族のことで幾度となく相談したことがある人を知っているが、親身になってあれこれ相談に乗ってくれたと聞いている。
しかし、彼には大いなる誤解がある。完全に勘違いしているところがある。
「どうして自分に相談してくれなかったのか」
という文言である。
相談できる相手ではないと判断されただけの話
誰かが自殺すると、必ず、
「そんなに悩んでいたのなら、どうして自分に相談してくれなかったのか」
というたぐいの言葉を口にする者がいる。
バカなことをいってはいけない。
どこの誰が愛する妻や子どもや両親を残して先に死にたいと思うか。
死ななければならない、やむにやまれぬ事情があったのだ。
人間関係、仕事、金銭問題、異性問題……死を選ばざるを得ない理由はさまざまだが、思いとどまるだけの希望が見つからなかったから自死を決行したのである。
誰かに相談したいと思い、それとなく電話したり、実際に会って話もしているはずだが、そのときの相手の反応をみて、
「この人は相談できる相手ではない」
と失望し、
「やはり死ぬしかない」
と思い至ったから、相談しなかっただけのことだ。
できることなら生きていたいと思いながら死んでいく
両親や妻や子供には相談できない悩みが原因の場合もある。
自ら死を選んだ人間は、決行する前にさんざん悩み、考える。
残された妻や子どものこと、両親のこと、友人のことなど、すべて考える。
できることなら生きていたいと願う。
だが、そうすることができないという結論に思い至り、死んで行くのだ。
死ぬ前に、誰にもまったく相談しないというケースはまずない。
それとなく相談しているが、相手が気づかないだけだ。
気づかない言葉で話をしながら、相手の反応を探り、
「この人に話してもムダだ」
という結論になるから、打ち明けないだけの話だ。
したがって、
「なぜ自分に相談してくれなかったのか」
という言葉を口にするような人間は、きわめて鈍感だといえる。
そういう感覚の人間だから、死ぬ前に相談できなかったのだ。
そのグルメレポーターは、「一緒に仕事をしたとき、毎晩のように飲んだ」といったようなことを書いているが、そんなに密なつきあいがあって、なお、なぜ相談されなかったのかを考えるべきである。
死んでいこうとする人間の気持ちは、自分が死のうとしてはじめてわかることである。
(城島明彦)
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