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2011/04/30

俳優田中実の死を嘆くグルメレポーターの浅はかさ

 
「死ぬ前になぜ相談してくれなかった」と軽々にいうべきではない。その程度にしか思われていなかったのだ

 田中実という俳優が自殺したことを報じたネットニュース(「シネマトゥデイ」)に、彼と親交があったらしい男のお笑い系グルメリポーターが、

 「何で相談してくれなかったんや」
 「オカンに謝れ! 奥さんに謝れ! 子供達に謝れ! ファンに謝れ! そして… そして、自分に謝れ! 実~ッ!」

 などと自身のブログで絶叫していると書かれていた。

 そのレポーターのブログで確認してみると、確かに言葉は乱暴で常軌を逸した書き方がしてあったが、それはそれで、その男なりの弔意であり、悲しみの表現であることは理解できた。

 だが、考え方があまりにも短絡的で浅はかである。

 私は、その男に家族のことで幾度となく相談したことがある人を知っているが、親身になってあれこれ相談に乗ってくれたと聞いている。

 しかし、彼には大いなる誤解がある。完全に勘違いしているところがある。
 「どうして自分に相談してくれなかったのか」
 という文言である。


相談できる相手ではないと判断されただけの話
 
 誰かが自殺すると、必ず、

 「そんなに悩んでいたのなら、どうして自分に相談してくれなかったのか」

 というたぐいの言葉を口にする者がいる。

 バカなことをいってはいけない。

 どこの誰が愛する妻や子どもや両親を残して先に死にたいと思うか。

 死ななければならない、やむにやまれぬ事情があったのだ。

 人間関係、仕事、金銭問題、異性問題……死を選ばざるを得ない理由はさまざまだが、思いとどまるだけの希望が見つからなかったから自死を決行したのである。

 誰かに相談したいと思い、それとなく電話したり、実際に会って話もしているはずだが、そのときの相手の反応をみて、
 「この人は相談できる相手ではない」
 と失望し、
 「やはり死ぬしかない」
 と思い至ったから、相談しなかっただけのことだ。


できることなら生きていたいと思いながら死んでいく

 両親や妻や子供には相談できない悩みが原因の場合もある。

 自ら死を選んだ人間は、決行する前にさんざん悩み、考える。

 残された妻や子どものこと、両親のこと、友人のことなど、すべて考える。
 
 できることなら生きていたいと願う。
 だが、そうすることができないという結論に思い至り、死んで行くのだ。

 死ぬ前に、誰にもまったく相談しないというケースはまずない。
 それとなく相談しているが、相手が気づかないだけだ。

 気づかない言葉で話をしながら、相手の反応を探り、

 「この人に話してもムダだ」

 という結論になるから、打ち明けないだけの話だ。

 したがって、
 「なぜ自分に相談してくれなかったのか」
 という言葉を口にするような人間は、きわめて鈍感だといえる。

 そういう感覚の人間だから、死ぬ前に相談できなかったのだ。

 そのグルメレポーターは、「一緒に仕事をしたとき、毎晩のように飲んだ」といったようなことを書いているが、そんなに密なつきあいがあって、なお、なぜ相談されなかったのかを考えるべきである。

 死んでいこうとする人間の気持ちは、自分が死のうとしてはじめてわかることである。

(城島明彦)

2011/04/29

国家の非常時に派閥抗争する民主党も、政権奪取を画策する自民党も滅べ!

 
国家の非常時に派閥抗争? そんな議員はやめて国に帰れ!

 政権を取ってまだ間もない党でありながら、国家の非常時に派閥抗争を繰り広げる民主党議員たちの政治センスって何だ?

 「俺たちも協力するから、時限で『震災挙国一致内閣』を創ろう」
 と自民の方から働きかけたら、自民党も見直され、
 「もう1回、あいつらに政権を委ねてもいい」
 と国民も考えた。

 しかし、屁理屈をこねて、拱手傍観するばかり。
 政権奪回のためにしか動かないと思われる自民党に、次の選挙で投票する者はいない!
 もし票が入ったとしたら、ほかに入れるものがいなくて、仕方なく記名しただけだと思ったほうがいい。

 「こいつは落としたい」
 という候補者の名前を記入するという新しい投票形態は生まれないものか。ついそんなことを考えてしまう。


一族郎党政治が国をダメにした

 2世だけでなく、3世までウヨウヨしている国会議員って何だ?

 国会中継やニュースで映る顔をみていると、名字が同じであること以外にもオヤジやジイ様とよく似た顔をしているから、すぐに2世議員とか3世議員とわかる。
 
 自民党の安部晋三、福田康夫、麻生太郎だの、民主党の鳩山兄弟だの、田中真紀子だの……一族郎党でやっている政治って何なのだ!?
 
 大学教授の息子が大学教授になるというのとはワケが違う。

 ジイ様やオヤジを超えると評価できる2世、3世が何人いるというのか。
 政治家の子息にも、オヤジやジイ様以上の実力者もいるだろうが、そういう人物が何人いるというのか。

 初代は、銭まみれだったかもしれないが、国のためとか出身地のためとかいう熱い思いがあったが、2代目、3代目は、ぬくぬく育っているから、それがない。

 憂国の気持ちがない2世、3世の政治家どもが日本をダメにしてきた元凶だ。


2世、3世を廃止しないと日本は滅ぶ

 親より能力が落ちても議員の子は議員。
 バカでも大名の子は大名……2世、3世が跋扈する日本国家は、徳川幕府の時代と同じじゃないか。

 バカ将軍の時代は、側近が政治を行った。田沼意次(たぬまおきつぐ)の腐敗政治はその代表格。

 日本でも、バカ内閣のときに官僚が跋扈(ばっこ)して腐敗が進み、天下りによる蓄財が行われた。

 鎌倉幕府は3代、室町幕府は足利政権が迷走し、戦国時代に突入。日本は無茶苦茶になった。
 それを統一した織田信長、秀吉は一代で終わり。

 もっとも長かった江戸幕府の徳川政権ですら、270年弱しかもたなかった。
 鎖国をして外国の情報をシャットアウトしたから、それだけもったが、いまはボーダーレス。
 同じ体制はそんなに長くはもたない。

 明治維新は1868年。今年で143年。徳川幕府のほぼ半分である。

 2009年の民主党の政権奪取は、55年体制の実質的な崩壊であった。
 55年体制とは、1955年の保守合同による自由民主党と社会党という2大勢力構造である。

 そんななかで増殖したのが2世議員、3世議員たちだ。

 小さい頃から選挙区の住民とか顔馴染みだから、隣の兄ちゃんや姉ちゃん感覚で、選挙民が投票してくれる。
 「気さくで、にこにこと挨拶してくれるいい子だよ」
 というわけだが、そのジュニアに政治家としての能力があるかどうかは関係ないのだ。

 地域レベルのことはできるかもしれないが、国レベルのことができる能力があるのかどうかとなると疑わしい。

 そういう議員が全国からワンサカ選ばれてきて、国会を運営している。
 日本がうまくいくワケがない。


何かというと小沢を引っ張り出す民主党は人材不足 

 期待を担って登場した民主党も、どうしようもない。
 よほど人材不足なのだろう。何かというと、小沢を担ぎ出そうとする。
 小沢は、もはや過去の政治家だ。献金疑惑がそのことを象徴している。

 「疑惑をもたれること自体が問題なのだ」
 ということを小沢派の連中はわかっていない。
 
 そういう倫理観の議員がいっぱいいることも、また問題なのである。

 個人的には、前原誠司に期待していたが、こいつもドジを踏んだ。
 民主党の代表だったときは、ニセメール事件でさっさと代表を降り、今回は外国人からの違法献金が発覚するとさっさとやめた。
 いさぎよいとは思うが、どの議員も、徹底的に調べまくったら、名前は日本人名になっていても、在日の人間からの個人献金が混じっている可能性は高いのではないか。

 そういうことも主張せずに、さっさとやめる。国のためを思っているのか、自分の将来のためなのか、どっちなのか。

 菅直人も、所詮は、市民運動家の延長線上の男。
 有史以来ともいうべき国難時に日本国のマネジメントができる器ではない。
 そういう人物しか総理にできない日本そのものが人材不足に陥っている。

 その原因をたどると、選挙時に、知名度の高い2世候補が票をさらって、真に日本を変えようと思って立候補した人間が落選してしまうという現象に行きつく。

 民社党議員さんよ、せめて国家の非常事態時ぐらい、派閥抗争をやめてくれないか。
 自民党も、もっとふところの深い処し方をしてくれないか。

 国民はみんなそう思っているぞ。

(城島明彦)


2011/04/28

国の恥をyou tubeで世界にさらして「世界でもっとも影響力のある人」(タイム誌)に選ばれた南相馬市長は民主党推薦だった

マスコミ・パフォーマンスより行動するのが政治家 

 桜井勝延相馬市長は、福島原発事故後、片っ端からテレビの取材に応じて、「政府が何もしない」と言い続け、それだけでは満足せずにyou tubeを使って発言、英語のテロップまでつけて世界に発信した。

 日本の恥を世界に公表し、外国人を喜ばせてどうする!? 
 桜井さんよ、君はマスコミ陣ではない。政治家なのだ。
 そのことが君の頭のなかから、すっぽりと抜け落ちている。

 政治家なら、被災地の現状をビデオに撮るなり、大勢の住民の声をビデオに撮るなりして、それを持って政府に陳情し、
 「納得できる支援策を聞かせてもらうまではここを動きません」
 ぐらいのことを、なぜやらなかった。

 自分は少しも動かずにテレビの電話インタビューで文句を垂れ、それに飽き足らずに、世界にまで知らせる。
 そんな暇があったら、もっと行動して住民のためのつくせ。

 ただでさえ下がっている日本の評価をさらに下げさせることをやって、どこがうれしいのか。
 日本が嫌なら海外に移住せよ。

 この人は、今年の1月に行われた同市の市長選挙に出馬し、現職を破って初当選したばかりだった。
 彼は無所属ではあったが、民主党が推薦していた。

 ということは、民主党県連や民主党政府とのパイプはあったわけだ。
 
 にもかかわらず、「県は何もやってくれない、政府は何もやってくれない」というのは、子どもじみている。

 人口約7万人の地方自治体の1市長とはいえ、政治家なのだから、市民を守るために県や国を説得すべきではなかったか。
 
 それが「政治力」というものだ。

 彼の大震災以後の発言内容やら行動形態をみていると、推薦政党は民主党ではなく、共産党ではないのかと思えてくる。


住民をまず安全な場所に避難させるのが市長の務め

 南相馬市は、2006年に1市2町が合併して誕生した市である。

 その南相馬市が、今回の原発事故の強烈な影響を受け、屋内退避の20キロ圏内外に指定され、そのため物資が届かなかくなったことは、そこで暮らす人々に取っては悲痛な叫びだったろうが、被ばくの危険性があると判断したからこそ、政府は区域を設定したのである。

 物資が届かないという状況を知った時点で、市長は、どうすべきか考えるべきだった。

 誰だって自分が生まれ育った場所にとどまりたいに決まっている。

 だが、命に関わる可能性が生じた以上、彼らを説得して一刻も早く、安全圏へ避難させるのが、地方自治体の長の取るべき方法ではなかったのか。

 避難先の交渉と確保、それと同時にそこへの食糧支援の交渉など、市長として動くべきことは山のようにあったはずだ。

 しかし彼は、そういうことをせず、あちこちのテレビの電話インタビューでさんざん政府、県に毒づき、それからしばらくたってやっと住民を避難させた。


またぞろ出てきた小沢派の面々

 政府の無策ぶりは、いまに限ったことではない。

 大震災から一か月がたつのを待ちかねたように、大震災で鳴りをひそめていた小沢派の山岡、原口といった面々が「反菅」を声高に叫び始めた。

 私が生まれた三重県桑名市に本社がある水谷建設の元社長が小沢に1億円の裏金献金をしたと証言していることを、山岡、原口らの小沢派の連中は、無視できるのか。

 水谷建設が嘘をついて得する理由は何もない。

 小沢派に属し、献金問題に目をつぶる発言をする議員が、なぜ問題かというと、「あったことをないと言い含める人間である」ということだ。

 そういう人間に、日本の国家を論じ、国を動かす資格はない。大事なのは、このことである。

 原口議員はこの「献金疑惑」を問題にしていないが、彼は松下政経塾の出身で、松下幸之助翁の話をテレビでしていたが、翁が生きていたら「小沢の献金疑惑」をこう思うということをテレビで全国に向かって正々堂々と発言してみたらどうなのか。

 小沢派の面々は、今、どういう時期だと思っているのか。
 こいつらは、日本の危機より、自分たちの派閥の方が大事なのだ。

 日本の危機を乗り切れるところまで、菅無策政権に協力したらどうなのか。

 〝いやん、バ菅総理〟の打倒を叫ぶのはいいが、政治空白を生じさせるだけの余裕が、いま、この国のどこにあるというのか。

 こういうやつらを当選させた人間が悪い。最後はそうなる。そんな思いで国民は苦しんでいるのだ。

 国民のことなど考えていない情けない連中を番組に出させて発言させるなどして、彼らの主張を間接的にバックアップしているテレビ局がある。

 テレビ局が政治家とグルになって、日本をダメにしてきたのだ。そういう自覚がテレビ局にはない。
 テレビに出て発言しているのは、ほとんど同じかおぶればかりだ。
 
 お笑い系の人間を使って費用のかからない番組ばかり流しているテレビ局が、政治問題にだけ金をかけているとは思えないが、テレビの影響は大きい。

 テレビ局は、小沢の献金問題を徹底的に調べたらどうなのか。そういうことはしないで、お気に入りの政治家からのインタビューやゲスト出演での発言をそのまま鵜呑みにして、お手軽に番組をつくっている。


民主もダメ、自民もダメで、誰に国を任せたらいいのか

 次の選挙で、民主はもうダメだろう。
 
 「民主党に期待をかけたわれわれがバカだった」
 と、ほとんどの国民は思っている。
 
 鳩山も、自分がやらかしたドジ間抜けぶりはすっかり忘れて、いつのまにか政治に復帰している。

 民主党員は、なぜ自分たちが支持されなくなってきたか、わかっていないのではないか。

 「こいつらには政権担当能力がない」
 「こいつらは、所詮、野次将軍。野党席で文句をいっているのが実力だ」
 と、国民の多くは思っているのだ。

 だからといって自民に入れたいと思っている人も少ない。
 そこが厄介である。

 バカのひとつ覚えのように「アジェンダ、アジェンダ」と言い続けるみんなの党も、外野席だから好き勝手をいえるだけで、政権を運営していける能力があるなどとは誰も思っていない。

 軍事オンチの社民党や共産党に政権を託せる状況にはない。

 こうやって消去してくると、投票したい党なんか、いまの日本にはない。
 無党派層などという次元の話ではない。政治を任せたいと思う党がないのが、いまの真の日本のすがたなのである。

 現職の政治家がいる限り、日本が再生することはない。
 選挙では、議員にさせたくない候補者の名前を書くような投票形態にならないものか。

(城島明彦)

2011/04/25

ひしと抱き合う江姫と秀吉。彼女も、たらしこまれたのか?(NHK「江~姫たちの戦国」第15回「猿の正体」)

秀吉と江姫

4月24日放送のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」(第15回「猿の正体」)のストーリーは――

 秀吉とはどんな人物なのか!?
 好奇心旺盛な江姫は、秀吉の正体を探ろうとして、彼の腹心の石田光成(いしだみつなり)や軍師黒田勘兵衛(くろだかんべえ)、正室のねね(おね)や秀吉の側室になっている従姉の京極龍子(きょうごくたつこ)らを取材して回るが、誰も悪口をいわないので戸惑ってしまう。
 
 こうなったら、秀吉から直接聞き出すしかないと江姫は結論を下し、行動に移す。

 秀吉は、逆に江姫に、自分の養子で後継者の秀次(姉の息子)について質問した。
 「小牧長久手(こまきながくて)の合戦でドジを踏んだ秀次に、次のいくさの総大将を任せたものかどうか」
 江は、こう返事した。
 「任せた方がいいのでは。頼る人がいないと思うと頑張るから」
 秀吉はその意見を参考にする。仮病を使って自身が出陣できないように装うことで、秀次に指揮をとらせたのだ。
 すると、江の考えが的中。秀次は戦果を上げ、秀吉は喜ぶ。
 このことで、江姫と秀吉の間に横たわっていた隙間が少しせばまった。

 江姫は、秀吉に、
 「どうして自分と夫である佐治一成(さじかずなり)を引き裂くようなことをしたのか」
 と迫る。

 秀吉は、
 「畏敬してやまなかったお屋形さま(信長)の顔が江姫さまの顔にオーバーラップするのが怖かったから、自分のそばから離れさせようと思って一成と結婚させた」
 と話す。

 そして、
 「そうはしたものの、お屋形さまの面影を忍ばせるそなたがそばにいないと寂しくて仕方がないので、強引に離縁させて、またそばへ呼び戻したのだ」
 と打ち明け、
 「すまなんだ」
 と詫びる。

 本心を素直に吐露する秀吉の姿を見て、江姫は秀吉を許し、ひしと抱き合うのだった。

 ――といった内容だった。


秀吉の偽書の演出上の不足点 

 ここで、前回(第14回)のドラマを見て少し経ってから気づいたことを、ちょっと書き足しておきたい。

 ドラマでは、秀吉が佐治一成(さじかずなり)と江を引き離す策として、初の名を騙(かた)って「茶々が病気」といった内容のニセ手紙を出し、大野城にいた江を大阪城まで呼び出すという設定になっていた。

 その前に初が江に出した手紙も演出として見せており、その手紙では差出人が「初」と書かれていることを視聴者に示しておいて、次に送られた秀吉偽造の手紙の差出人が「はつ」と平仮名で書かれているところを映している。

 それを見たとき私は、
 「あれっ? さっきは確か漢字だったが、今度は平仮名になっている」
 と思ったが、その時点ではそれ以上の推理は働かなかった。
 気づく者だけ気づけという演出にしてあったのだ。

 あの場面は、彼女のそばの者に、
 「初様は気まぐれでございますね。この前のお手紙では『初』と漢字で書いておいででしたが、今度は平仮名でございますね」
 とでもいわせた方がよかった。

 そうしておけば、江姫が見舞いに大阪城へ行って、そこで初めて秀吉から「自分がニセの手紙を書いた」と告げられる場面で、「なるほど、そういうことだったのか」と得心(とくしん)する。
 

秀吉は初の字を真似できたのか?

 筆跡についても、疑問がある。
 「男の秀吉が、はたして、江が初本人と錯覚するほどそっくりの字で偽手紙を書くことができたかどうか」
 ということだ。

 「祐筆」(ゆうひつ)と呼ばれる代筆担当者が側近としているから、その連中に書かせたという設定だろうが、現実では文字のくせまでまねて本人になりすますのはとても難しい。

 「怪人二十面相」とか「鞍馬天狗」あたりでも、観客は誰が変装しているのかは顔を見てすぐにわかるが、ドラマのなかでは誰も気づかないような設定になっているから、江姫のニセ手紙も、ドラマなのだからそう細かくいう必要はないかもしれない。


家康と江姫

 さて、大河ドラマでは、ソフトバンクのおとうさん犬の声で人気の北大路欣也が演じている徳川家康は、最初から江姫に対して好感を持っているように描かれている。

 家康は「神君」などといわれ、日光東照宮に神様として祭られるほどの人だったから、為政者としての能力・実績には抜きんでたものがあるが、一筋縄ではいかなかったところから、〝タヌキおやじ〟ともいわれていた。

 家康は、老獪(ろうかい)で、腹のうちをそう簡単に明かすタイプではないが、江姫に対してはとても素直に接しているように描かれている。

 おそらく、彼女が徳川家康の息子秀忠と結婚し、2代将軍の妻となるということを前提にそういう設定にしたのだろう。家康は江姫の義父になるのだ。


「伊賀越え」で生死をともにしたから?

 家康は、信長が本能寺で光秀に討たれたとき、信長のはからいで堺見物をしていたから、光秀の敵とみなされ、命を狙われた。

 その危険から逃れるために、通常の道路ではない難所の伊賀越えを敢行して海辺に出、そこから船で三河まで逃れたのだが、そのとき江も同行していたというのがNHK大河ドラマの設定だった。

 もし江姫が家康のところにたとしても、光秀は信長の姪っ子である江姫のことはよく知っていたし、彼女を殺すようなまねはしないだろうと考えるのが普通で、「伊賀越え」にわざわざ幼い姫を同行させることはかえって危険である。

 足手まといにもなるから、どこかに預けてから伊賀越えするのが自然だが、NHKがそうしなかったのは、その先、
「生死をともにした間柄だから、家康は江をほかの2姉妹とはちょっと違う目で見ている」
 という展開にしたかったからだろう。

 一種のご都合主義というわけだが、その方がドラマとしては確かに盛り上がる。


信長と平家の公達の接点

 ここで話は変わって、家康、秀吉、信長の比較である。

 顔は家康がタヌキで、信長は面長だからキツネ、そして秀吉はサルだ。
 動物比較で一番頭がいいのは、人間に近いサルだろう。サル知恵が働く。

 気性の違いは、昔からよく例として挙げられ、誰もが知っている次の句で大体想像がつく。
  鳴かぬなら 殺してしまえ     ホトトギス   (信長)
  鳴かぬなら 鳴かせて見せよう  ホトトギス   (秀吉)
  鳴かぬなら 鳴くまで待とう    ホトトギス   (家康)

 短気で激情家の信長、手なづけようとする「人たらし」の秀吉、「急(せ)いては事をし損じる」とばかりにじっくりと腰をおろして機が熟すのを待つ家康と、三人三様だが、気の長い順に天下を取っていた時間も長くなっている。


信長の辞世の句

 信長は、天下統一途上に本能寺で予期せぬ死を迎えたので、
 「是非に及ばず」(もはや、何もいうことはない)
 という最期の言葉は伝わっているが、辞世の句は残してはいない。

 強いて挙げるなら、信長が愛好していた幸若舞(こうわかまい)「敦盛」(あつもり)の出だしの次の一節が、辞世の心情に近いといえるかもしれない。

  人間五十年 下天のうちを 比ぶれば 夢幻の ごとくなり

 この文言のあと、「ひとたび生を得て 滅せぬものの あるべきか」と続いていく。

 敦盛というのは、来年のNHK大河ドラマの主人公「平清盛」の甥っ子で、笛の名手だった貴公子であり、このときの年齢は10代半ばである。
 敦盛といえば「青葉の笛」。そして、熊谷直実(くまがいなおざね)を昔の人は連想した。

 ♪一ノ谷の        いくさ破れ
  討たれし平家の    公達(きんだち)あわれ
  暁(あかつき)寒き   須磨(すま)の嵐に
  聞こえしはこれか   青葉の笛

 文語体の文章からわかるように、これは明治時代につくられた唱歌「青葉の笛」の歌詞の一番で、「討たれし平家の公達」と書かれているのが敦盛である。

 この歌は昭和30年代くらいまでは、よく知られていた。
 私の場合、小学6年のときの担任の先生が、学芸会用に昔の唱歌を企画し、クラス全員で合唱させられたおかげで、この歌やら楠木正成(くすのきまさしげ)の歌やら乃木大将の歌やらといった昔の歌をいっぱい覚えている。


話は飛んで源平合戦

 話は、いつのまにか源平合戦である。それを小説風の書き方で紹介しよう。

 源氏勢によって京を追われた平家軍は、幼い安徳天皇を連れて西へと落ちてゆき、一ノ谷の海ぎわに陣を構えて、海から現れるはずの源氏軍を待っていた。
 平家は陸戦が苦手だが、海戦は得意。海戦に持ち込んで劣勢を挽回し、再び京の都に帰ろうと思っていたのである。
 背後は鹿しか通れるものがないといわれた急峻(きゅうしゅん)な崖である。
 守りは万全。完璧な陣地だと思われた。
 ところが、〝小柄で歯の出た色白の源氏の指揮官〟が、急勾配の坂を前にして崖の上で二の足を踏む部下たちに信じられないことを口走るのである。
 「鹿も四足、馬の四足。なんでおりられないことがあろう。馬が嫌がるなら、背負ってでも駆けおりろ」
〝奇襲大好き男〟の義経だった。
 馬を背負ったら間違いなく押しつぶされてしまうから、これは誇張とわかるが、そういう心意気で駆けおりよといったニュアンスのことをいったのだろう。
 義経は、自ら先頭になって急勾配の崖を駆けくだり、平家を背後から襲ったのである。


敦盛の最期と熊谷直実

 来るはずのないところから敵が降ってわいたのを知って、平家軍は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
 われがちにと、沖に停泊している軍船をめざして逃走を開始した。
 出遅れた敦盛が馬にまたがり、海へ乗り入れると、背後から、
 「卑怯者(ひきょうもの)!」
 と大音声(だいおんじょう)で呼ばわる者がいる。
 振りむくと、鎧兜(よろいかぶと)に身を包んだ一人のむくつけき武者が、
 「敵に背を向けて逃げるとは卑怯千万(ひきょうせんばん)。戻ってきて、尋常に勝負せよ」
 と怒気をはらんだ声で叫んでいる。
 そこまでいわれては引き返さないわけにはいかない。

 敦盛はその男と戦ったが、力が違いすぎた。
 あっというまに組み伏せられた。
 男が兜(かぶと)を押し上げると、わが子と同じ年頃の貴公子の顔が現れた。

 直実は、年端(としは)もいかない若武者をわが手にかけるのが憚(はばか)られ、逃がしてやろうと思った。
 ところが、味方の軍勢が何十騎かこちらへ向かってるのが目に入った。

 (自分が手を下さなくても、この若武者は殺される。もはやこれまで)
 そう思った直実(なおざね)は、仕方なく、
 「覚悟めされい。では、ごめん」
 といって首をはねたのだった。
 若武者は笛を持っていた。
 それは、音に聞こえた「青葉の笛」であった。

 話はここで終らない。
 熊谷直実は、うら若い平家の公達の首を討ったことをさかんに悔いて、この後、出家してしまうのである。


信長の死生観と『平家物語』

 信長というと、どちらかといえば猛々(たけだけ)しい話が好きで、『平家物語』のよう暗くてじめじめした話は好まないような印象があるが、信長が好んで歌い舞ったといわれている幸若舞「敦盛」は、『平家物語』が好んだ死生観がテーマである。

 その敦盛を描いた唱歌「青葉の笛」には、『平家物語』の冒頭の4行に凝縮された「無常観」という当時の死生観が綴られているのだ。

  祇園精舎の 鐘の声 
  諸行無常の 響きあり
  沙羅双樹の 花の色
  盛者必衰の 理(ことわり)をあらわす

 信長は、自分はまだ夢の途上におり、栄花を極めたとは思っていなかったろうが、なぜ「滅びの美学」に貫かれた平家の公達「敦盛」を好んだのか?

 思いがけない自らの突然死を予期していたのだろうか。


秀吉の辞世の句

 秀吉も天下を統一しはしたが、朝鮮出兵に失敗するなど思い残すことはあって、それが彼の辞世の句に現れてもいる。

  露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢

 (私は今、明け方の冷気のなかでひっそりと大地にしたたり落ち、やがて日が昇ると消えていく朝露のように、死んで行こうとしている。百姓から身を起こし、とうとう天下を取って大阪城を築き、思い通りに世の中を動かした日々のことが、遠い遠い昔に見た夢のような気がするなあ)

 秀吉は、自分はもう長い命ではないと自覚したとき、過去を振り返って、次の二つのことを考えたはずだ。

  ①百姓に生まれながら、よくここまでやってきた。
  ②60近い年齢で誕生した幼い息子秀頼が、自分が築いた体制を「磐石」(ばんじゃく)なものとしてくれるかどうか。

 秀吉は、自分の生き方には満足しながらも、それでも大きな不安を感じながら死んでいったのではないか。
 私は、前記の辞世の和歌からそういうことを感じるのである。

  旅に病んで 夢は枯野を 駆けめぐる

(思いがけなく旅先で病気になってしまい、回復できずにこのまま死んで行こうとしている私の脳裏には、若い頃から思い続け、願い続けてきた夢や理想が走馬灯のように浮かんでは消えているよ)

 これは俳聖芭蕉の辞世の句であう。そのとき芭蕉は50歳ぐらいだった。

 秀吉と芭蕉の辞世の句は、短歌と俳句という違いはあるものの、どこか似ている。
 対する秀吉は61歳で死んでいる。それでも50前に死んだ信長に比べたら長生きだった。

 信長や秀吉の辞世の句には、「この世への未練」のようなものが感じられるが、家康にはそれがない。

 家康は、天下を統一し、体制もある程度まで固め、秀忠という後継者も育てた。しかも当時としては長生きの73歳まで生きたからか、辞世の句は恬淡(てんたん)としている。

  先に行く 後に残るも同じこと 連れて行けぬを 別れとぞ思う

(人は必ず死ぬ。遅いか早いかの違いだけだ。死んでいく私としては、死出の旅にほかの者を連れていけないのが別れというものなのだな)

(城島明彦)

2011/04/22

NHK大河「江~姫たちの戦国」の江姫は〝剛〟。2代将軍秀忠を尻に敷いた

浅井家は夫の浮気を許さない性格

 放送されるのはまだまだ先のことになるだろうが、江姫は再々婚した将軍徳川秀忠を、尻に敷くつよ~い女性に成長するのである。

 しかし彼女は、亭主を操縦する能力は抜群にあったが、折衝力とか根回しといった政治的な才能はなく、一方では、子どもへの愛情の注ぎ方も誤ってしまい、春日局という狡猾(こうかつ)きわまりない女の出現によって、結果的には自分自身の寿命を縮めることになってしまうのだ。

 NHK大河ドラマでは、次女の初姫の描き方が弱く、それを補うためか、やたら食い気のあるお姫さまという描き方で印象を強めようとしているように感じる。

 初は、秀吉の側室になった京極龍子(きょうごくたつこ)のお兄さんの京極隆次(たかつぐ)に嫁ぐが、子供ができず、江の娘のひとりで名前が同じ初姫を養女にもらい、その娘を夫と側室の間にできた子供(長男)を結婚させて京極家の跡を継がせている。
 
 初は、子供を産めなかったという負い目はあったから側室を認めざるを得なかったが、夫も側室をどんどん増やして初を苦しめるというような暴挙はしなかったようだ。

 秀吉の正室ねね(おね)は、自分に子供ができなかったことから、女好きの夫が次々と女と関係を結んでも大目に見ていた。
 そういう例もあるから、初は女性としては幸せだったのかもしれない。

 茶々も、親の仇の秀吉にたらしこまれて側室になってしまうが、関係ができるとひたすら秀吉に愛情を注ぎ、跡継ぎまでもうける。

 こう見てくると、浅井3姉妹は、いずれも、ひとたび嫁したら夫だけを愛し、生涯その夫につくすという貞操観念が強くあったことがわかる。

 彼女らの母親のお市の方も、二度結婚したとはいえ、二度目の夫とともに自害しており、夫に貞節をつくしたといえる。

 江は秀吉のさしがねで三度も結婚させられるが、そのつど夫につくそうとしている。そのかわり、夫も自分に愛情を注ぐことを強く求めた。

 貞操観念の強かった3姉妹だからこそ、NHKが取り上げたのかもしれない。


江姫は特に潔癖症

 創業者がどこまで自分が起こした事業や組織を確立しているかの度合いにもよるが、
 「初代に比べ、たいしたことをしない」
 というのが「2代目」に対する一般的な見方だ。

 ここでいう創業者は家康であり、2代目とは江が再々婚した相手秀忠のことだ。

 徳川秀忠は、関が原の合戦に大遅刻したことでもわかるように、戦争には弱いところをさらけ出し、立派すぎた親父の陰に隠れてかすんでしまっているが、自分が将軍になると親父が決めた大名の配置をひっくり返す大胆な人事を敢行するなど、幕藩体制の基盤を揺るぎないものにしてから3代将軍にバトンタッチしており、「俺の築いたものを自由に壊してもいいぞ」というなど、2代目としての評価は高いのである。

 江姫は、そんな男を尻に敷くのだから、すごい女なのだ。
 江の「ごう」は「剛」であり、豪快の「豪」、そして積極果敢な「GO!」、「ゴーイング・マイウェイ」のGOでもある。 
 血液型はB型だったかもしれない。

 江は、夫の精力を弱らせて浮気させまいとしてか、ぼこぼこ子供をつくった。女5人、男2人である。

 しかし、将軍秀忠は、江の目を盗んでたった1回だけ若い女と浮気し、子供を1人つくった。
 静(しず)という女で、江より10歳ほども若かった。

 種がよかったのか、畑がよかったのかはわからないが、その子が成長し、名君といわれる会津藩の保科正之(ほしなまさゆき)になるのだ。

 家光は成人してのち、母の江が死んでから、異腹の兄弟がいることを知らされ、厚遇することになるのである。

 NHK大河が、そういう江姫の性格をこれからどう表現していくかが見せ場のひとつになる。


春日の局との暗闘 

 江が生涯でもっとも嫌った女は、春日の局である。

 江は、秀忠との間にたて続けに4人の女の子を生んだあと、長男家光、次男忠長を生むが、家光は乳母に育てられた。
 その乳母が春日局である。

 江と春日局(かすがのつぼね)が3代目の将軍を誰にするかをめぐって対立し、暗闘を繰り広げるエピソードは、「忠臣蔵」の松の廊下ほどではないにしろ、あまりにも有名で、春日局が大御所家康に直訴した結果、3代将軍家光が誕生することになるが、そのことで江は顔に泥を塗られる。

 頭越しにやられて赤っ恥をさらしたのは秀忠も同じだが、文句をいえなかった。
 そういうところは、江から見ると実に情けない亭主だった。

 江戸時代は長子相続であるし、家光は、結婚後10年目に生まれた待望の男の子だったからは、識的には、江は長男の家光を次代将軍に望んだと思えるが、実はそうではなく、次男の忠長を将軍にと望んだのだ。

 長男が病弱だったとか、将軍の器でなかったというのなら別だが、そうではなかったから問題が起きたのである。

 江が自分の乳を与え、自分のそばに置いて育てることができたのは次男の忠長の方という事情があって、母親としての情愛が忠長に注がれたため、本来なら長男である家光を次の将軍にと望むべきところを、次男を推挙してしまったのである。
 
 江の母としての弱さが裏目に出たのだ。
 
 この一件が尾を引いて、同じ腹を痛めた子供でありながら、忠長はのちに自害に追いやられることになるのだから、江の罪は深い。

 江が死ぬのは家光が3代将軍になった3年後ということを考えると、春日局との暗闘で心身ともに疲れはて、寿命を縮めてしまったのかもしれない。

 亭主の秀忠が死ぬのは、それから6年後だ。
 年上の夫より何年も先に死んでしまうのだから、かわいそうである。


春日局の父は、江の運命を変えた明智光秀の部下

〝江の天敵〟春日局の本名は、平仮名で書くと「ふく」。江より5~6歳若かった。

 ふくは、政治力はあったが、美人という噂はまったく伝わっていない。

 したがって、「どんな漢字?」と聞かれたら、
 「福笑いの『福』、社民党の福島みずほの『福』」
 とでも答えるべきか。(みずほさんは才色兼備かな)

 福の父は明智光秀の部下で、本能寺での織田信長暗殺に関わっている。その後、秀吉と戦い、殺された。
 男の兄弟も殺されているが、福は女だから助かったのだ。
 
 江は、織田信長の妹お市の方の子供。
 だから、福は、いってみれば、一緒におじさんを殺した男の娘ということになる。

 父浅井長政の自害に始まり、母お市の方の自害と続く江たち3姉妹の波乱万丈の人生は、信長が光秀に殺されていなければ起きていない可能性がきわめて高い。

 にっくきは光秀。光秀が浅井3姉妹の運命を変え、人生を変えた張本人である。
 その光秀に付き従って、お福の父親は江のおじさんを殺した。
 そういう怨念のようなものが江のなかにはあったのではないか、と私はみている。


「浮気許さぬ潔癖症」の江姫VS「女で男を操る性治家」の春日局

 江は、亭主の浮気を許さない潔癖症で直球派。

 対する春日局は、口八町手八丁の技巧派。

 所詮、水と油。ドンパチ起きないわけがなかった。

 位(くらい)からいえば、将軍の正室の江の方がはるかに上で問題にならないが、大御所様の信頼を得てしまう春日局の老獪(ろうかい)さの前に、江は歯が立たず、女の戦いには負けてしまったから、腹の虫が納まらなかった。

 会社でもこういう女はいる。
 課長を無視して、直接部長にいいつけたりする女だ。
 
 春日局の場合は、COOである社長をすっ飛ばして最高権力者のCEOである会長に直訴したようなものなのだ。

 勝ち誇った春日の局は、男どもが立ち入れない大奥の制度を確立する。

 大奥などというと聞こえはいいが、〝政府公認の総理大臣専用の風俗〟のようなものである。

 春日局は、将軍家の後継者を残すためという名目で、「大奥」という名の巨大なハーレムをつくり、男たちをシャットアウトしておいて、自身の傀儡(かいらい)となった若くて美しい女たちを将軍に次々とあてがって寝間(ねま)で骨抜きにし、将軍の下半身を間接的に牛耳るという、銀座のママもびっくりの〝性治家〟の道を切り拓いたのが春日局なのだ。

 そうやって大奥に君臨することで幕府の権力中枢に入んだ春日局は、わが世の春を謳歌しつつ、江より15年以上も長生きするのである。

 最後に、なぞかけを一発。

 ○江とかけて、
  「季節の変わり目のOL」と解く。
  そのこころは?
  ふく(福/服)が気になります。

 (城島明彦)

2011/04/20

東電の「地球環境大賞」はどうなった?! 原発事故現場でなぜ日本製ロボットを使わない?

東京電力に地球環境大賞はない

 フジサンケイグループが、同社主宰の「地球環境大賞」(第20回)を発表したのは去る2月25日のこと。
 4月5日に授賞式が予定されていたが、3月11日の東日本大震災で式・記念レセプションは延期ということになった。

 間が悪いというか、あろうことかというべきか、その賞の大賞に選ばれたのが東京電力だった。

 今、日本国内で最悪の企業はどこかという投票をやったら、圧倒的多数で東京電力が選ばれることは想像に難(かた)くない。

 企業イメージなんて、問題を起こしたら、あっというまに下落してしまうという見本のようなものである。


不祥事を起こしたら受賞取り消しが当然

 非難されるべきは、選考委員たちだろう。
 「どこに目をつけていたのか」と。

 したがって、選考委員たちは、
 「私の目は節穴でした。かような事態は予測できませんでした。ごめんなさい」
 と、わびないといけない。

 世のなかにはいろいろな賞があるが、その後、不祥事を起こしたり、問題があったりした場合は、取り消されるのが普通。

 地球環境を汚し、日本という国家の威信やら信用やらを失墜させた東京電力に「地球環境大賞」はないだろうというのが世論である。

 震災前に決まった賞だなどとという理屈や弁明は通らない。


フジサンケイグループは東電に謝罪を要求すべき 

 フジサンケイグループは、直ちに東京電力の受賞を取り消すと同時に、20回を重ねたイベントの名誉を汚したことを世間にわびるよう、東京電力に強く要求すべきではないのか。

 そうしないと、うやむやにしようとしていると思われ、企業イメージを落とすことになる。

 東京電力に貸しをつくって、フジサンケイグループだけに新聞記事やらテレビニュースになるマル秘ネタをもらいたいのなら話は別だが、そんなことを考えていないのなら、マスメディアとしてきちんとした受賞取り消し声明を出さないといけない。


ロボット使用への東電の動きの鈍さ

 原発事故にアメリカ製のロボットを投入したと報じられたのは先週だったが、私は東電が何もしないのでしびれを切らせ、3月25日の本ブログで「ロボット大国の日本が、なぜロボットを使わないのか」と書いた。

 そういうことは原発事故からそう日にちがたたないうちに実行すべきである。

東電は、何でもかんでも自分たちでやろうとするから、「情報を隠蔽しているのではないか」と疑われることになる。
 
 被ばく問題で人間が入れないとわかった時点で、ロボットを使えないかと考えるのは常識だ。

 ヘリで水を入れたタンクの水を空中からデタラメな角度でぶちまけたことも、その後、建設用の無人クレーン車で直接放水できたことを考えると、無知というよりも、そういう情報収集力に欠けるということになる。

 撮影ロボットや放射能などの測定ロボットの使用に関しても同じだ。


なぜ日本のロボット開発者たちは技術提供しないのか

 掃除ロボット、セキュリティロボットなど、日本のロボット技術は世界の最高水準をいっている。

 NHKでは毎年、高専学生たちの「ロボコン」(ロボットコンテスト)をやっている。

 デジカメ、ビデオなど、日本の撮影技術は世界最高級。超小型超高性能のCCDカメラだってある。

 しかし、原発に投入されたのはアメリカ製ロボットだ。

 日本の技術者・学者・ロボット製品を売り出している企業は何をしているのか。


ホンダのアシモ君は使えないか?

 足元が不安定で難しいかもしれないが、ホンダのアシモ君にも、人間に替わって現場に入ってもらったらどうなのか。

 東電にはそういう発想がないのか。

 東電は、ロボットを改造して事故対応用に仕立て直してもらうというような相談とか要請を各企業や大学の先生たちにしたのか?

 東電の相談を受けなくても、日本のロボット関連企業やロボット関係の大学の先生たちは、手助けしたいと東電に伝えているのか?

 日本のロボット関連企業は、今回の原発災害に対して無力だったとして、間違いなく世界的に信用を落とした。
 技術立国日本としては致命的である。

 タイミングは逸したが、それでもまだ技術力を発揮できる可能性は残されている。

 関係者は奮起せよ!

(城島明彦)

2011/04/19

江姫と佐治一成は、本当に夫婦の営みなしに別れさせられたのか? (NHK「江姫~姫たちの戦国」第14回)

 秀吉が江姫たちにすることは、単純な意地悪や策謀ではない。信長への畏敬の念と信長の血を引く姫たち〝貴種〟に対していだく屈折した思いの裏返しである、と私は考えている。

 第13回「花嫁の決意」(4月10日)は、NHKの都合で放送時間が繰り上がっていたのに気づかず見られなかった。初めての見落としで、しかも、週末(土曜)の昼間の再放送も見逃したので、ストーリーがどうなっていたかわからない。タイトルからおおよその見当はつくものの、感想は述べられない。


第14回「離縁せよ」(4月17日)のストーリー

「離縁せよ」は見た。そのなかで描かれたのは――

 江姫は、秀吉のさしがねで、愛知県知多半島にある大野城の城主佐治一成(さじかずなり)に嫁ぐのだが、一成は江姫に優しく、江姫は好感をいだく。

 一成は、まだ幼くバージンである江姫に気をつかって初夜の営みをしなくてもよいという心遣いを見せ、江姫はそのやさしさにひかれていく。
 
 その直後に織田信雄(のぶかつ)・家康連合軍と秀吉とが小牧長久手の合戦に突入し、一成は出陣。いくさは信雄・家康軍に有利に展開したので、秀吉は信雄とのみ交渉して和睦するという巧妙な手を使い、家康の戦意を削いで戦いを終らせ、家康とも和解した。

 戦場から戻った一成と、さあこれから本当の夫婦になるという矢先に、大阪城の秀吉のところに庇護されている茶々から病気になったという手紙が届く。一成に見舞いに行ってやれといわれ出かけてみると、姉の茶々と初は雪の庭で遊んでいるではないか。
 
 驚く江に、秀吉は、あの手紙は自分が書いた偽りの内容で、一成とは離縁させ、大野城から追放したという。それだけでなく、江を自分の養女にしたと伝えた。

 自分に一言の相談もなく、勝手なことをされて頭にきた江姫は、秀吉に雪の玉を投げつける。さて、おあとは、どうなりますか。

  ――というのが、第14回「離縁せよ」であった。


「枕絵」を見てみて卒倒した江姫

 ドラマのなかで、江姫が「枕絵」を見せられて卒倒するシーンが描かれていた。
 江が表紙をめくり、あっと驚く最初のページをちらっと映していたので、「NHKもやるなあ」というか、「変わったな」と思ったものだ。

 江姫が一成と結婚するのは、遅くとも彼女が11歳前後であるから、驚かない方が不思議だ。

 あぶな絵は今の言葉でいうと「危ない絵」、つまり、18歳未満禁止の「ひそかに鑑賞する絵」のことで、男女の交接時の「体位」を描いた春画である。

 江戸時代になると、葛飾北斎やら北川歌麿といった著名な画家が将軍家やら大名家などからも注文を受けてアルバイトの一環として危ない浮世絵を描くようになり、一般向けにも書いたから町人たちにも浸透した。


ウタマロ伝説

 枕絵は、男どもがエロ本として鑑賞するケースと、新婚夫婦の夜の教科書というまじめな使われ方をするケースの2通りの用途があった。

 その手の本では、男性のナニが誇張して描かれているのが普通だ。
 それをバージンの江姫がいきなり見たとすれば、
 (こ、こんなことするの!?)
 と卒倒してもおかしくない。男でもびっくりするのだから――。

 戦後、日本へ乗り込んできた進駐軍の軍人がその手の浮世絵を見て、
 「トゥー・ビッグ!」
 と驚いたという話が巷に広がった。
 
 それ以来、日本人のそれを「ウタマロ」と呼ぶ軍人も多く現れたほどだったが、現実はまったく逆。日本人は白人やら黒人やらのそれをみて、それこそ目を白黒してしまい、この方面でも降伏した。


性教育と枕絵

 話を江姫に戻すと、公家、大名、武士の格式の高い家に生まれ育った深窓の令嬢のほとんどは「うぶな女性」で、男女間の性の儀式について無知なものが多かった。
 
 江姫の育った環境を考えると、幼くして父母に死に別れ、居場所も転々としていたから、性のことを考えている余裕などなかっただろう。〝ねんね〟だったのだ。

 そういう娘が嫁ぐと決まったとき、両親や既婚者の兄や姉があからさまに「初夜の心がけ」を詳細に教育したとは思えない。おおざっぱなことはいったかもしれないが、詳細なことまでは伝えなかったろう。

 そのかわり、百聞は一見にしかず。枕絵を日常よく使う花嫁道具のなかにそっとしのばせたのである。江姫の場合は、誰が配慮したのかわからないが、そういうこともあったかもしれない。しかし、まさかNHKがそれを使うとは思わなかった。


一成と江姫は気心知れたいとこ同士

 佐治一成と江姫の婚姻をNHKは「秀吉が政略結婚させた」という見方を前面に出していたが、必ずしもそうとばかりいえない、と私は考えている。

 江姫の初婚の相手佐治一成は、江姫より4~5歳年長である。

 知多半島に居城を構える佐治家の4代目の佐治一成と江姫は、お母さんが姉妹なので、いとこ同志にあたる。

 一成の母はお犬の方は、江の母のお市の方の姉なので、江は小さい頃から一成という名前を折に触れて聞かされていたはずで、しかも尾張界隈に住んでいたころには、そう遠い距離ではないので、遊びにいったり、向こうが遊びにきたりして会っていた可能性も高い。


江姫は良縁と思って嫁いだ

 一成のお母さんと江姫のお母さんは「美人姉妹」として天下に知られた存在であり、そんな母やおばが江は自慢だったろう。

 その母親が自害してこの世を去った今、面影が似たおばさんに甘えたい気持ちもどこかにあったはずである。

 残存する肖像画で見ると、信長の血筋は面長で色白な者が多く、美男、美女ぞろいだ。お犬の方もお市の方も面長で細面な〝しょうゆ顔系美人〟である。

 しかし、江姫の晩年の肖像画と伝えられるもののなかには、丸顔のものもあるが、概して面長なものが多い。年を取って丸顔になる人は多いから、そういう可能性もなくはない。江姫がもし丸顔だったとすれば、丸顔だった父浅井長政の血を継いだのかもしれない。

 秀吉が決めた婚儀ではあったが、江姫は嫌ではなかったと思える。秀吉のそばに残される姉2人と別れる寂しさはあったにしろ、やさしいおばさんがいる家に嫁ぐのだから、安心だという気持ちもあり、どちらかといえば、喜んで嫁いでいったのではないか。


一成の先祖は熊野の海賊?

 一成の父、信方(のぶかた)は、信長の妹を嫁にもらっているのだから、信長の信は厚かったと考えるのが常識。しかし、その父は伊勢長島(現在、「グランスパー長島」という娯楽施設があるところ)の一向一揆を鎮圧に行って二十代前半の若さで死んでいる。

 佐治氏の本家は、近江国甲賀郡とされているが、武士が勃興した源平時代あたりまでさかのぼると、『平家物語』に出てくる熊野別当湛増(くまののべっとうたんぞう)の仲間で、伊勢湾や熊野灘あたりを支配していた海賊ではないかと推測される。

 壇ノ浦の戦いのキャスティングボートを握っていたのが熊野湛増で、この男、闘鶏でどちらにつくかを決めようとした。
 源氏は白い旗、平家は赤い旗を使っていたので、赤い鶏と白い鶏を戦わせ、勝った側につこうとしたのである。

 結果は赤い鶏が全滅。それを見て湛増は源氏につき、平家は敗れてしまったのだ。


一成との仲を引き裂かれる 

 一成との仲を引き裂かれた理由は、明確ではない。
 
 佐治家は織田家の家臣であり、信長の妹をもらっている家柄であるから、小牧長久手(こまきながくて)の合戦が勃発したときの立場ははっきりしている。

 一成は、織田信長の遺児信雄(のぶかつ)と家康の連合軍についた。いくさは信雄・家康軍に優勢となり、家康のおそるべき野戦力を思い知った秀吉は、信雄と家康の分断作戦を取り、信雄と和睦する。

 信雄が和睦してしまったので家康も手を引かざるを得ず、秀吉と講和を結ぶ。
 しかし、このいくさで家康は秀吉に力を見せつけることができ、合戦の効果は大きかった。

 そのいくさの後、秀吉は、佐治一成から城や領地を取り上げ、江姫と離縁させている。
 戦勝軍についた佐治一成をなぜ!? 
 このあたりの事情は、歴史上のなぞである。よくわかっていないので、いかような解釈も成り立つ。

 江は秀吉の居城である大阪城に引き取られるが、NHKドラマのような、秀吉が江をニセの手紙で江姫を大阪城へおびきよせたという当時の歴史的記録はない。

 NHKは「離縁と同時に秀吉が江姫を自分の養女にした」と解釈しているが、江をいつ養女にしたのかについての信頼できる資料はない。

 詳しくは後述するが、江姫は、秀吉の命令で、離婚の翌年、秀吉の姉の子で秀吉の養子となっていた羽柴秀勝(はしばひでかつ)と再々婚させられる。

 秀吉には当初からそういう考えがあって佐治一成に難癖をつけて離婚させたことも十分考えられる。あるいは、一成との間に政争のようなものがあって彼を追放し、江姫と離婚させたとしても、江姫と秀勝の結婚が一成との離婚から1年以内であることを考えると、「離婚即養女入籍」を急ぐ必要性などないのではないか。

 小牧長久手の合戦で家康に屈した秀吉は、江と秀勝を結婚させた翌天正14年(1586年)、すでに嫁いでいたもう一人の40代前半の妹(朝日姫)を、45歳の家康の正室として送り込み、親戚の縁組をするという強引なことをして家康にゴマをすっている。

 家康は迷惑だったろうが、断らずにすんなり受け入れるところが〝タヌキ〟たるゆえんである。

 別れさせられた朝日姫の夫は自刃(じじん)して果て、長年連れ添った夫との仲を引き裂かれた彼女も、数年後に心痛死してしまうのだから、むごい。


離婚理由は何とでもつけられる

 佐治一成は切腹を命じられたのではなく、大野城から追放され、伊勢国(いせのくに)に蟄居(ちっきょ)を申し付けられているので、たとえば秀吉の命を狙うような大事件をやらかしたわけではなかったろう。

 離婚させる理由は、何とでもこじつけられる。たとえば、こういう例がある。

 後日のことになるが、家康は、のちに方広寺(ほうこうじ)の鐘に刻まれた「国家安康」という文字を見て「家康という字を分断している」とか、「君臣豊楽」という字は「豊臣家は栄える」といっているなどと難癖をつけて、秀吉亡き後の豊臣家にいくさを仕掛け、豊臣家を滅ぼすのである。

 失意の一成を庇護(ひご)したのは、母方のおじさん(お犬の方の兄)だった。信長亡き後、妹のお市の方や江たちの世話をしたこともある織田信包(のぶかね)である。
 信包は、何かとめんどうがよく、江たちにもやさしかった。

 江との仲を裂かれた一成は、再婚し、子供にも恵まれるが、やがて信包が丹波国(たんばのくに)に移封されると、一緒についていくことになる。江の三度目の結婚から数年後(1598年)の出来事だ。

 一成は60代まで生きるので、江姫が三度目の結婚をして徳川第2代将軍秀忠(ひでただ)の正室となり、次々と女の子を生み、結婚10年目にやっと跡継ぎの男の子(のち第3代将軍家光)を生んで、将軍の生母になるという事実を知ることになる。

 一度は妻となった江姫が、遥か遠く、しかも身分も高くなり、手の届かぬ存在になってしまったことをどう思っていたのかは、想像するしかない。


江姫は二度目の再婚相手とは死別

 秀吉によって、生木を割くようにして一成と別れさせられた江姫の再婚相手は、秀吉の甥っ子だった。

 羽柴小吉秀勝(はしばこきちひでかつ)。1568年生まれで、一成より1歳か2歳年上。
 ミドルネームの小吉は幼名である。
 秀勝は、秀吉の実の姉の子供だが、子どもがいなかった秀吉の養子となっていた。

 羽柴小吉秀勝と再婚したのは、天正13年(1585年)秋といわれ、江姫が12歳前後のときである。
 大河ドラマを見ていると、とてもこの年齢とは思えない言動をしているが、そこには目をつむるしかない。

 秀吉は、長浜城に天正3年(1575年)から8年ほど住んでおり、そのとき長男が生まれたといわれている。その名前が秀勝。しかし、秀吉の後を継ぐべく生まれたその子は幼くして死んだ。正室ねね(おね)との間には子供は生まれなかったので、側室の子とされている。

 どうしても跡取りがほしかった秀吉は、信頼すべき姉の日秀(「とも」と読む)の子小吉(こきち)を養子にし、亡き子と同じ名前をつけたのである。
 
 江はその男と再婚したのである。

 浅井3姉妹の長女茶々を自分の側室にして子供を生ませ、3女の江姫は息子の嫁にするのだから、秀吉はお市の方の血がどうしてもほしかったのだろう。

 だが、こんな見方も成り立つ。大事な自分の跡取り息子に江姫を嫁がせたという見方だ。そう考えると、秀吉は、江姫を幸せにしてやろうと思ったということになる。


信長の呪縛と秀吉の屈折した愛のかたち
 
 ここで考えなければならないのは、百姓のせがれだった秀吉の氏素性(うじすじょう)である。

 そして、そんな人間に目をかけてくれ、一国一城の城主にまで取り立ててくれた信長を信奉しまくっていた秀吉の熱い思いである。

 そしてさらに、尊敬してやまない信長の血とつながっているお市の方やお犬の方、彼女たちが生んだ織田家の遺伝子を継承する娘たちへの「屈折した愛情」である。

 「その裏返しが、茶々を側室にしたり、江姫を一度は嫁がせながら気が変わって自分の跡取り養子の嫁にしたのではないのか」
 というのが、私の推理である。


秀勝の顔はサルっぽかった?

 サルの姉の子だから、美男とは縁遠い顔をしていたであろう可能性は高い。

 その点、一成は美形の血筋だったから、容貌の差は歴然としているが、江はサルの血を引く甥っ子の子供を生むのである。

 女の子で、名前は「さだこ」。
 井戸から這い出てくるあの「こわ~い貞子」ではなく、のちに関白九条兼孝の息子と結婚し、その子孫は今日の皇室につながってくる「完子」と書く「さだこ」である。

 皇室には、秀吉の血も信長の血も浅井長政の血も入り、さらに徳川の血も入ことになるのだから天下無敵というべきか。

 しかし、第2の夫秀勝は、秀吉が始めた朝鮮出兵の総大将に任ぜられ、朝鮮半島にわたるが、そこで病死してしまうのだから、江もかわいそうだ。
 秀勝は向こうで荼毘に付された可能性もあり、江姫が変わり果てた夫の遺骸と対面できたかどうかは不明である。

 最初の夫とは生き別れ、次が死に別れと不幸続きの江姫が、徳川家の跡取り息子と再々婚するのは、その3年後である。

                  佐治一成に嫁ぐ(時期不明)  
 天正12年(1584年)3月   小牧長久手の合戦(11月終結)    江姫11歳前後
                  最初の夫佐治一成と離婚
 
 天正13年(1585年)秋    羽柴小吉秀勝と再婚。         江姫12歳前後

 文禄元年 (1592年)秋    秀勝、戦地で病死。           江姫19歳前後

 文禄4年 (1595年)      徳川秀忠と再々婚            江姫23歳前後

 こうやって江姫の履歴を眺めると、上野樹里が大人の江姫を演じられるまでにはまだしばらくかかりそうだと気づく。

 江姫が、徳川秀忠と再々婚するのは、秀吉が死ぬ3年前である。

 江は、愛娘を秀吉の側室となった大阪城の長姉茶々に託して、今度は家康の跡取り息子秀忠の後妻として嫁いでいくのだが、徳川家の跡取りとなる男の子を生むまでには十年もかかる。
 その間の風当たりがすごかったであろうことは想像に難(かた)くないが、それでも気丈な彼女は秀忠がほかの女に目を移さないように目を光らせる。
 
 秀忠の先妻は、織田信雄(のぶかつ)の娘小姫(おひめ)で、この女性も秀吉は養女にしている。
 しかし、信雄と秀吉のなかが悪くなってしまい、離縁され、翌年死去する。
 小姫の正確な生年月日は不詳だが、10歳未満で亡くなっていることを考えると、気の毒を通り越して残酷である。

 その後釜として送り込まれたのが江姫である。
 江姫もまた秀吉の養女にされており、秀吉は〝養女作戦〟を活かして家康と血縁を結び、懐柔しようとしていた腹のうちが読める。

 それにしても、ハゲネズミのあの手この手の策略で、何人の女性が運命を狂わされたことか。
 秀吉の考え方は、今日のまともな感覚ではさっぱり理解できないが、ついこの間までは豊臣秀吉の人気は織田信長よりもはるかに高かったのである。

(城島明彦)

2011/04/04

「茶々が〝親の仇〟秀吉の側室になった理由――女たらしの極意とは?」を推理する(「江~姫たちの戦国」第12回)

 NHK大河ドラマ「江」の第12回(4月3日)は、

 「名家の血を引く美女に目がない秀吉が、茶々の気を引こうと、3姉妹相手にあの手この手の作戦を展開する。新しい着物のプレゼントの次は食べ物作戦だったが、3姉妹は拒絶。ハンガーストライキに入るので、お茶ならいいだろうと千宗易(千利休)に言い含める。その作戦が功を奏し、宗易のもっともらしい説教に簡単に3人娘は簡単にギブアップ。秀吉の次なる奇手は、何と一番年下の江姫を嫁がせるという作戦。さて、どうなりますか。次回をお楽しみに」

 という内容だった。


NHKは熟柿作戦説

 江たち3姉妹にとって、秀吉は、実父や義父だけでなく母親までも自害に追いやった憎っくき仇敵である。それなのに長女の茶々は、なぜ秀吉の側室になってしまうのか。
 はっきりした理由はわかっていないのだから、推理するしかない。

 NHKの解釈は、秀吉があの手この手で茶々がその気にさせ、ついには承知させる」という一種の〝熟柿(じゅくし)作戦〟説であるが、正しいとも間違っているともいえない。その説が説得力があるのかないのかというだけだ。


ただ者ではなかった秀吉 

 秀吉は不思議な男で、織田信長から「さる」とか「はげねずみ」と呼ばれたことからわかるように、百姓の出で、しかも醜男(ぶおとこ)だったが、それを生来のひょうきんさと知恵でカバーし、信長に目をかけられたのを契機として天下人(てんかびと)にまで成り上がっていくのだから、ただ者ではない。

 いってみれば、手八丁口八丁の能弁家にして行動派。

 現存する信長の手紙によると、秀吉の正室ねね(おね)が秀吉にはもったいないくらいの美人であると書かれている。そのねね(おね)と秀吉は恋愛結婚だったから驚いてしまう。


典型的な女たらし

 秀吉は、女をものにする天性の才能があったのかもしれない。つまり、女たらしである。
 女たらしの特徴は、女に対してマメなことだ。

 秀吉は筆まめでもあった。今でいえば、メール魔、電話魔だ。その手で「これ」と思った美女に猛アタックし、陥落させるのである。
 
 サルのような容貌だから女は警戒しない。しかも、ひょうきんなので、女は安心して気を許してしまう。そこがつけ目だ。
 例を挙げると、もうは爺さまになったが、俳優の火野正平がそういうタイプだった。この男はひょうきんではないが、さる顔で、女にかけては実にこまめ。次々と美女をものにした。
 ただ女をたらしこむだけではなく、誠意を見せた。それに女はコロリとくるのだ。


秀吉と家康の女の好み

 女に対する好みは人それぞれで、家康は「バージンはめんどうだ」といって嫌っていた。家康は「年増好みで後家も大好き。顔は二の次」というところがあったのだが、秀吉は「超面食いでバージン大好き、若い娘大好き」だった。


家族思いで息子を溺愛

 秀吉は茶々との間にできた息子秀頼を溺愛した。60歳近くになってできた子どもだから、よけいかわいかった。
 秀吉が秀頼に宛てた幼児語を使った手紙が残っているが、それを読むと親バカぶりが手に取るようにわかる。
「パパがそっちへ行ってキスするまで、ママにはキスさせたらだめだよ」
 といった内容のことが書かれているのだ。
 キスといってもほっぺにするのではなく、「口吸い」と書かれているので口にチューするのだ。

 こういう感じで女にも迫ったのかもしれない。
 「しょうがない人ね。ちょっとだけよ」
 といって女は受け入れてしまたが最後、次第に抜き差しならない関係にはまっていくというわけだ。


「プレイボーイ7か条」――秀吉は全部備えていた

プレイボーイの条件とは何か。それは7つある。

 ①女にこまめであること。こまめとは行動力であり、実行力である。めんどうくさいなどと思わず、「この女」と思った相手に対しては、あの手この手でこまめに動く。昔なら手紙。いまなら電話かメールを、相手の喜ぶタイミングで、せっせと出す。骨を折ることをいとわない。

 ②女に警戒心をいだかせないこと。これが大事だ。冗談をいったり、どこかぬけているようなことをしたりして、「この人は安全だ」「この人といると楽しい」と安心させる雰囲気をつくる術(すべ)にたけていること。

 ③ハンサムでないこと。ハンサムな男は警戒されるが、顔がよくないと警戒されにくい。ハンサムすぎると、ほかの女にもてる心配をしなければならない。中途半端に顔がいいのも、中途半端に顔が悪いのもダメ。ひょうきん顔とでもいうか、女に警戒させない程度のブサイクさが必要だ。

 ④女への気くばり上手。常に女の気をそらさない話術(口まめ・口上手)と言動を心がけていること。それは天性のもので、努力して身につくものではない。努力の「努」の字は、「女の又(股)の力を抜かせること」なのである。気くばりのなかには、相手の気を引くプレゼントがうまいことも含まれる。相手がほしいと思っているものをグッドタイミングで贈る能力が必要である。

 ⑤誠意。トコトン尽くすタイプであること。どんなにこまめに行動し、口でお上手をいっても、誠意が感じられなければ女はやがて去っていくが、騙されているかもしれないと思いながらも、誠意を見せられると去りがたい。

 ⑥何人もの女を手玉に取る術にたけていること。こっそりと二股、三股、四股をかけるのではなく、互いの存在をわからせながら、それぞれが敵対しないようにする操縦術にたけている。これは素質世もいうべきもので、ほとんどの部分、もって生まれたもの。

 ⑦女を離れさせない性力。男は最初のうちは女にせっせと奉仕するが、どんな美人でもその体に飽きてくるのが普通。結婚生活が長くなればなるほどそうなる。だが、そういうそぶりを見せずに性的なテクニックを駆使して徹底的に奉仕する。とにかく女が喜ぶことに生きがいを感じ、自分の自信を深めるタイプなのである。

 秀吉は、これらの条件全部に当てはまるのではないか。
 一番難しいのは何人もの女を同時に手玉に取ることだが、小田原攻めのとき、長期戦になって心身ともに疲れた秀吉は茶々を戦場に呼んだが、そのとき正室のねねに手紙を出している。
 「一番お前が好きで、茶々は2番目だ」
 などとぬけぬけと書く男。それが秀吉である。

(城島明彦)

2011/04/01

テレビ局は、被災地や被災者を食いものにするな! 「元気が出る歌」などと称して、被災者に楽しかった過去を思い出させてどうする!

 どのテレビ局も、少しでも制作費を抑制しようとして、古いビデオを引っ張り出してつないだ番組を作り、被災者を励ます「元気が出る歌」などというインチキなことをやっている。

 昔の歌を聞いても、被災者は元気になどなりはしない。被災者たちは、昔を回顧できるだけの心の余裕はまだない。

 「歌は世につれ、世は歌につれ」というように、人は昔の歌を聞くとその歌が流行った頃の自分の姿を思い出して今の自分と重ねあわせ、よけい悲しくなるだけだ。

 この手の番組はまだ早い。被者者にもっと心のゆとりができてからにすべきだ。

 今の時期は、悲しみを増長するようなナツメロよりも、むしろ、思わず笑ってしまうような方が元気になれる。
 
 笑わせるというと、テレビ局は昨今の十把一絡(じゅっぱひとからげ)のお笑い芸人を考えるに違いないが、そういう場当たり的な笑いではない。

 古典落語とか「男はつらいよ」といった映画を放送すべきだろう。ただし、なぜ放送するかという理由を説明し、断ってからやることだ。

 そういう番組の方がどれだけつらい時間を忘れるのに役立つか、考えなくてもわかるだろう。
 
(城島明彦)

人物描写の分散化が、NHK大河「江~姫たちの戦国」低視聴率の原因

 タイトルがあいまいである。メインタイトルを「江」としながらサブタイトルは「姫の戦国」ではなく、群像劇をイメージする「姫たちの戦国」となっている。

 「江」が主人公でありながら、彼女を演じる上野樹里だけでは不安と考えてでもいるのか、NHKは残る2姉妹の存在感も同時に出そうとしているようで、その分、江の描写や存在感が希薄にならざるを得ず、その点が「篤姫」と異なる。

 3姉妹だけでなく、お市の方、信長、明智光秀、秀吉らにも描写を割(さ)いている。それぞれの人物が濃密に描かれれば描かれるだけ、江姫に割く人物描写時間が減っており、彼女の魅力が十二分に視聴者に伝わってこなくきらいがある。

 秀吉は、過去のドラマでもひょうきんな性格に描かれてきたが、今回の秀吉はそれら以上にマンガチックに描かれていることも視聴率に影響しているのではないか。

 3姉妹のうち、長女の茶々は真面目な性格に描いているが、次女の初は「お菓子に目がない姫」という設定になっている。
 コミカルに描くなら描くで、全編〝コミカル版戦国絵巻〟に徹すればいいが、そこまではいっておらず、中途半端な印象をいだかせる。

 江を主人公としてもっと前面に押し出して強烈に描くのか、そうではなく、彼女を含めた3姉妹を均等な感じで描いていくのか、そのあたりのあいまいさが、視聴率に跳ね返ってきているのではないのか。

(城島明彦)

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