新都市伝説「横浜三塔物語」の謎を追って (2) キング・クイーン・ジャックと誰が命名したのか
「キング・クイーン・ジャックと呼ばれる3つの塔が同時に見える場所を回ると願いが叶う」
という新都市伝説「横浜三塔物語」は、いつ、どうやって生まれたのだろう。その謎に迫った。
(三陽物産の山本博士社長提供「1950年代の三塔の見える光景」。左がキングの塔、中央がジャックの塔、右がクイーンの塔)
(現在の三塔。左にキングの塔、中央の鉄塔と高層ビルの間にわずかに見えるジャックの塔、右端にクイーンの塔。手前左側に少し突き出たのは〝象の鼻〟。城島撮影)
(現在の横浜三塔のある風景の記念切手。2007年3月発行。写真提供 郵趣サービス社 沖野信昭氏)
人気急上昇中のデートスポット
八景島シーパラダイス、横浜港大さん橋国際客船ターミナル、中華街、赤レンガ倉庫、ランドマークタワー、日本郵船氷川丸、山下公園、港の見える丘公園、みなとみらい21、三渓園、野毛山動物園、ラーメン博物館……。
横浜名所数(かず)あるなかで、近年、若い男女のデートスポットとして人気が高まってきたのが「三塔が同時に見える場所めぐり」である。
特に3月10日は、語呂合わせで「三塔の日」と命名され、各種のイベントが開催され、にぎわっている。
トランプの絵札が〝ピラミッドパワー〟を形成
横浜三塔は、トランプのキング、クイーン、ジャックの愛称で呼ばれている。
神奈川県庁の塔がキングで、横浜税関の塔がクイーン、横浜市開港記念会館の塔がジャックだ。
これらの3つの塔がある場所を空から眺めると、〝ピラミッドパワー〟ともいうべき三角形を形づくった位置にあることがわかる。
三塔は、同じ関内地区の100メートル圏内にあり、いずれも、みなとみらい線の「日本大通り駅」から徒歩10分の距離にあるが、3か所を同時に見える場所はちょっと歩かないといけない。
楽をして願いはかなわないというわけだ。
(大通り駅の地下コンコースにある「三塔物語」の広告柱とその背後の壁画)
三塔が同時に見えるパワースポット
昔は周辺に背丈の高いビルもなかったので、いろんな場所から三塔を同時に見ることができたのだろうが、今では林立する高層ビルに邪魔されて同じ場所から眺望できる公共の場所は、たった数か所しか残っていない。
数か所――正確にいうと、4か所。たったこれだけしかないのである。
数が少ないからこそ、「パワースポット」としては価値があるといえる。
①赤レンガ倉庫(1号棟そばの新港埠頭南端の甲板)
②大さん橋(〝くじらの背中〟の愛称で呼ばれる屋上)
③神奈川県庁(本庁正門前の向かいにある分庁舎前の歩道)
④象の鼻パーク(横浜港発生の地)
象の鼻パークは、2009年6月に追加された新しいスポットである。しかし、ここは、最初の3か所に比べると、かなり見劣りがする。背の低いジャックが高層ビルに隠れて、ごく一部しか見えないのだ。
これらの場所には、立ち位置を教えるマークが描かれたり、プレートが埋め込んだりしてあるのが、わかりにくい場所もある。時間をムダにしたくない人はそのあたりにいる人に聞いたほうがよい。
三塔を眺められる場所にあるマークは、誰が、いつ、なぜつくったのか?
キング、クイーン、ジャックの三塔に関する第1の謎は、「それらのマークは、いつ誰がつくったのか」ということだ。
最初に設置されたのは、神奈川県庁正門の真向かいにある分庁舎前の歩道に埋め込まれた半円形のプレートで、「船の羅針盤(コンパス)」をかたどってある。
港ヨコハマを象徴するような、なかなかしゃれたデザインである。
このプレートが生まれたきっかけは、第17回FIFAワールドカップである。
「2002FIFAワールドカップ」が日韓共催と決まり、横浜国際総合競技場で決勝を行う権利を獲得した横浜市は、2002年(平成14年)5月31日~6月30日の開催に向けて道路整備などをしたが、「日本大通り」もその対象になった。
そのとき、神奈川県庁の文庁舎前で、ある市の職員が「ここに立つと、3つの塔が全部見える」といいだし、街づくりのアイデアとして設置されたのだ。
羅針盤型のプレートは、横浜市の「都市整備局都市デザイン室」がデザインし、マンホールなどに使われているのと同じ素材を使ってつくられた。
このことを教えてくれたのは、横浜港振興協会の専務理事永田隆さんだ。
彼は当時、横浜市の都市整備局都市デザイン室にいたのである。
その後、永田さんは横浜市港湾振興局に異動したが、そこで、ある日、元横浜市議会議長の鈴木正之さんから相談を受けた。
「三塔を同時に見える場所は、ここだけじゃない。リニューアルされた横浜港の大さん橋からも三塔が見える。そのことを広く周知させたいのだが」
大さん橋以外にも、三塔を同時に眺望できる場所として知られている〝第3のビュー・ポイント〟があった。赤レンガ倉庫のある埠頭だった。
赤レンガの歴史は後述するが、横浜市が国から買い取ってその4年前に再生させていた。
永田さんは、古巣の都市デザイン室と相談した。
大さん橋の屋上の床は、船の甲板をイメージして木でできているので、白いペンキで立ち位置のマークを描くことにし、赤レンガ倉庫がある埠頭の石畳にもプレートを埋めた。2006年(平成18年)3月頃のことだった。
永田さんは、PRしようと思い、知り合いの新聞記者に話した。
しかし、すぐには取り上げてくれず、読売新聞などが記事にするのはその半年後のことになる。
2011年が「創建100周年」の赤レンガ倉庫
三塔を同時に眺望できるフットマークがある赤レンガ倉庫は、明治から大正にかけて保税倉庫・共同上屋としてつくられ、「新港埠頭保税倉庫」が正式名であった。
2号は明治44年(1911)5月、1号は大正2年(1913年)に完成。
横浜税関の保税倉庫としての役割は平成元年に終え、放置されていたのを、横浜市が平成4年に国から買い取って、平成14年(2002年)に商業施設として再生した。
ショート・ストーリー『くじらの背中』と象の鼻
〝くじらの背中〟(横浜港大さん橋国際客船ターミナル)は、〝象の鼻〟の近くにある。
くじらの背中ができたのは2002年で、相鉄企業、横浜港振興協会、相鉄エージェンシーによる共同事業体「大さん橋プロジェクト」が横浜市から指定管理者を委任され、管理運営している。
〝象の鼻〟という表現が初めて登場するのは、内務省臨時横浜建築局が明治29年(1896年)に著した『横浜建築史』である。そこには次のように記されていた。
「其(その)埠頭は海岸より直に海面に突出すること五百余尺、西方に屈曲して一の象鼻形を為せり」(原文はカタカナ表記。五百余尺)
1尺は約30.3センチだから、500尺は1500メートルである。
くじらの背中は、3万トンクラスの客船なら4隻、それ以上のクラスの客船なら2隻の同時着岸が可能な日本最大の桟橋で、総床面積は約44,000㎡。
屋上には、芝生と船の甲板をイメージさせるウッドデッキを敷きつめた広場、送迎デッキ、野外イベント広場がある。そのウッドデッキにパワースポットは描かれている。
(神奈川県庁の)分庁舎前の歩道
日本大通りを挟んで、1996年に国の登録文化有形財に指定された神奈川県庁本関庁舎(キング)と向かいあう分庁舎の前の歩道に、このパワースポットはある。
半円形の羅針盤型のフットプレートに立つと、不思議な感動に包まれる。
道路を挟んで真正面に神奈川県庁本館がそびえ立ち、そのてっぺんに和洋折衷のキングの塔を仰ぎ見ることができる。そして、その本館の建物の右端にはクイーンの塔が見え、左端にはジャックの塔がわずかに顔をのぞかせているのだ。
クイーンの塔は季節を問わずよく見えるが、ジャックの塔は道路脇の銀杏並木のせいで、夏場は枝葉が繁り、その隙間からわずかに見えるだけである。
だが、銀杏がすっかり葉を落とした冬場は、ジャックの塔も見やすい。
3月10日を語呂合わせで「三塔の日」としたというが、理にかなっているのである。
感動してカメラに収めようとすると、左右の距離があって三塔全部を一枚に納められないのが難点といえば難点か。
キング、クイーン、ジャックの命名の謎
第2の謎は、「どうして県庁がキングで、税関がクイーンで、横浜市開港記念会館がジャックと呼ばれるようになったのか」ということである。
建築された年が古い順なのだろうか。調べて見ると、
ジャック(1917年)
キング(1928年)
クイーン(1934年)
となるので、建築年代によって命名されたことではないことがわかる。
ついでに竣工月を調べてみると、
クイーン3月
ジャック7月
キング11月
これは偶然なのか? ラッキーナンバーの3・7・11で、縁起がいいといわれる奇数月に竣工しているのである。
塔の高さで決めた?
三塔の呼称は、塔の高さに基づいているのか?
一般論でいうと、ジャックを青年とみなすなら、背の高さは、
キング>ジャック>クイーン
または、
ジャック>キング>クイーン
の順になるが、ジャックを少年と解釈すると、年齢的には、
キング>クイーン>ジャック
という順番になる。
ところが、実際の三塔は、そのいずれでもない。
クイーン51m>キング49m>ジャック36m
で、女性のクイーンが一番高くなっている。
クイーンがキングより長身というのは、不自然ではないか?
そこで、よく調べてみると、クイーンは当初47メートルで計画されていたことがわかった。
その高さで建てられていたなら、
キング>クイーン>ジャック
の順の高さになり、必ずしも不自然ではないということになる。
4m上乗せした理由とは?
なぜ、クイーンは、47mの予定が4m上乗せされて51mになったのか!?
それは、横浜税関長のツルの一声であった。
「横浜港は国の表玄関だ。諸外国の船が入港してくる日本の表玄関の国の建物が、なぜ県の建物より低いのだ」
このエピソードはよく知られているが、いわれてみれば、確かにそうだ。
税関長は、塔の高さを威厳の象徴と考え、県庁より2メートル高く作らせたのである。その結果、キングよりも背の高い〝大女のクイーン〟誕生となったのである。
トランプでは「キング>クイーン>ジャック」の序列が当たり前なのに、横浜三塔では、立場や権威を重視するという理由で「国>県>市」という背の高さになってしまったのだ。
高さにこだわるのは、昔も今も同じ。
2012年開業予定の「スカイツリー」も当初計画では610メートルだったが、中国の光州テレビ・観光塔が同じ高さだと知って、急遽(きゅうきょ)、24メートル上乗せして634メートルとし、「武蔵野(634)を眺望できる」などという後説(あとせつ)をくっつけた。
世界一が2つでは、集客力に影響するというのが、そうした最大の理由である。
塔の姿・かたちから命名?
三塔の愛称が、建築年代によるものではなく、高さでもないとすると、どういう理由によるのか。
これが第3の謎である。
その謎を解くカギは、塔の形状にある。
キングは、どっしりとして重厚かつ威厳がある。鉄筋コンクリートの建物に城郭風の瓦屋根を載せた、いっぷう変わった建物で、屋根が階段状のピラミッドのようになっていて、個性的である。
クイーンは、国会議事堂を設計した人物が設計した横浜税関の建物で、鉄骨鉄筋コンクリート造5階建てのてっぺんにドームが乗っていて、イスラム寺院のモスクをほうふつさせる女性的なデザイン・色彩の建物になっている。
ジャックは、時計台の塔が細くて、〝ハマのジャック〟とでも呼びたくなる若者のようなイメージがある。
横浜港は2009年に開港150周年を迎え、さまざまなイベントが開催されたが、ジャックは開港50周年を記念してつくられた赤レンガと白い花崗岩(かこうがん)の時計塔が特徴の建物である。
つまり、キング、クイーン、ジャックという愛称は、「見た目の塔の姿・かたちからの印象」でトランプの絵札からつけられたということがわかるのである。
だが、三塔のニックネームを形状からの命名とすると、「チェス説」も浮上する。だが、この説は却下だ。
なぜなら、クイーンの形状はチェスの駒のデザインと極めて近いものがあるが、チェスの駒にキングはあっても、「ジャック」はないので、この説には無理がある。
第4の謎「キング、クイーン、ジャックの命名者は誰?」
三塔ができた当時の日本人が、キング、クイーン、ジャックなどというハイカラなネーミングを考えついたとは思えない。
中学の英語の教科書「JACKandBETTY」(ジャック&ベティ/開隆堂出版)が検定教科書第1号となるのは1948年(昭和23年)だから、ジャックという名前がポピュラーになるのはそれ以降と考えると、日本人説は否定できる。「JACK&BETTY」は、改定を重ねながら昭和40年代半ばまで発行され、総発行部数は4000万部に達した。書名は当初「ANDYandBETTY」とする予定だったが、進駐軍から「アンディでは語呂が悪いからJACKに変えた方がよい」との指導があって変更されたということである。
そうしたことなどから、三塔の命名者は間違いなく外国人であることはわかるが、どこの国の人間なのか?
この謎を解くには、キング、クイーン、ジャックというトランプの絵札の呼び方に注目だ。
英語圏のトランプの絵札はKQJだが、それ以外の国、たとえばドイツではKDB、フランスではRDVである。
ドイツのトランプは、キングは「コエーニッヒ」(Koenig)、クイーンは「ダーメ」(Dame)、ジャックは「ブーべ」(Bube)と呼ばれている。ジャックは「少年」という意味である。
フランスの絵札は、キングは「ヴァレ」(vaket)、クイーンは「ダーメ」(dame)、ジャックは「ロワ」(roi)。
こういう風にして国を絞っていくと、英語を話す国の船乗りが三塔にトランプの絵札の名前をつけたということがわかる。
トランプの起原
トランプが、いつ、どこでできたのかはよくわかっていない。中国、インド、イスラム圏など諸説あるが、特定できていないのだ。ヨーロッパに広く普及したのは14世紀頃である。
日本に初めて輸入されたのは室町時代の終わりだが、現在のトランプとは違っていて、それが花札やカルタに発展したといわれている。
現在使われているような形のトランプが日本に輸入されたのは明治時代だが、カルタや花札ほど人気はなかった。
クイーンは特別な存在
キング、クイーン、ジャックの絵札のなかで、船乗りたちにとって特別の意味があるのはクイーンだ。遠い昔から外国の船の船首の守り神は「女神」と決まっており、船名にも女性の名前をつけてきたからである。
だから、陸にもクイーンがいることは船乗りたちにしてみれば、とても心強い。安全に横浜港の大桟橋に着岸できることを祈願して、彼らはクイーンと命名したはずである。
クイーンで思い浮かぶ英語圏の国といえば、女王が君臨するイギリスしかない。
イギリス波止場
イギリス船の船員命名説を裏づけるもうひとつの証拠ともいうべきものは、交易量である。
慶応元年の輸入品は綿織物、毛織物、薬品などで、輸入先はイギリス85.9%、フランス8.2%、オランダ4.2%、アメリカ1.5%となっており、イギリス船がダントツだったことがわかる。
江戸幕府は、安政6年(1959年)に横浜港を開港するとき、東波止場と西波止場の2つの石積みの波止場をつくっている。どちらも長さ109.2m、幅18.2mの小さな波止場だった。
「沖に停泊した客船からは、小舟に乗り換えて上陸した。大型船が直接、着岸できるようになったのは1894年(明治27年)以降のこと。イギリス人技師パーマーの設計案をもとに石積みの西波止場を鉄製の桟橋に改修した。これが現在の大桟橋の原型である」(横浜税関『横浜港の生い立ちと税関』より)
西波止場は国内の貨物を扱ったので〝税関波止場〟と呼ばれ、東波止場は輸出入貨物を扱い、イギリス領事館の前にあったことから別称〝イギリス波止場〟であった。
東波止場は、その後、慶應3年に改築され、その形状から〝象の鼻〟と呼ばれるようになり、アメリカとの交易が増えるとメリケン波止場と呼び名が変わる。
フランス波止場は、イギリス波止場より4年遅れて文久3年(1863年)に東方(氷川丸が停泊している山下公園のあたり)にあったフランス人居留区の前に築造されたが、規模が小さかった。
これらのことから、日本にやってきたイギリスの船の乗組員たちが、横浜港に安全に入港するための目印として、最初に3つの塔にトランプのキング、クイーン、ジャックの愛称をつけ、進路の目安のではないかと推理できる。
愛称の起原を探る
第5の謎は、いつごろから三塔がキング、クイーン、ジャックという愛称で呼ばれるようになったのかということだ。
「建築年代の古い順に、バラバラに命名されたのではないか。つまり、最初にジャックというニックネームだけがあり、次にクイーンが誕生し、やがてキングというニックネームがつけられた」
「2つの建物ができてからジャックとキングという愛称をつけ、最後にできた女性的な塔をクイーンとした」
といった考え方もあるが、どうもそうではないらしい。
『霧笛と共に 横浜市開港記念会館史』(横浜市開港記念会館史刊行委員会編)によると、そう呼ばれるようになったのは日米開戦以前の昭和10年代かららしい。
昭和10年代つまり昭和10年~19年は、西暦では1935年~1944年だから、戦前の10年間のどこかで命名されたらしい。
前述したように、ジャック(1917年)、キング(1928年)、クイーン(1934年)の順に建設されているので、三塔が全部そろってから命名され、終戦後にはそれらの愛称で呼ばれていたということになる。
古くて新しい横浜のシンボル「横浜三塔物語」の仕掛け人たち
横浜と元町・中華街を結ぶ「みなとみらい線」は、2004年2月に開業した。横浜高速鉄道が運営している。
同鉄道は第三セクター方式で、神奈川県や横浜市も出資しており、市の職員の牧野孝一(現経済観光局理事)さんが部長として出向した。
2009年の横浜港開港120周年を控えて、横浜の再開発が企図され、観光都市としての集客策もあれこれと練られた。
そうした動きのなかで三塔の話は浮上した、と牧野さんが教えてくれた。
会議の出席者の間で、三塔をめぐる言い伝えなどが話題になった。
「昔は、外国船の船乗りが帰国するとき、三塔に航海の安全を祈願していたらしい」
「そういえば、三塔は関東大震災で罹災(りさい)したが、なんとか持ちこたえてきたし、太平洋戦争時の大空襲やその後の天変地異などにも耐えてきた」
「三塔には、困難を乗り切るパワーが宿っているのではないか」
「三塔をめぐると、交際している若い男女が、行く手にたちはだかるさまざまな困難を乗り越えて結ばれるという噂もあるみたいだ」
「トランプの絵札が三塔のニックネームになっているのが、横浜らしくていい」
「三塔にちなんで、3月10日を『三塔の日』にしてはどうだろう」
大さん橋プロジェクト、横浜観光コンベンション・ビューロー、横浜高速鉄道の3者は「横浜三塔物語実行委員会」を結成、事務所を大さん橋プロジェクトに置き、牧野さんが〝仕掛け人の元締め〟事務局長に就任した。
大さん橋プロジェクトは、横浜市から大桟橋の管理運営を委託された「指定管理者」で、「横浜三塔物語実行委員会」の事務局がある。
横浜観光コンベンション・ビューローは、社団法人横浜国際観光協会と財団法人横浜コンベンション・ビューローが合併して平成10年(1998年)4月に発足した組織で、会長は横浜市長が務めている。
横浜高速鉄道は、神奈川県・横浜市などが出資・運営している第三セクターで、みなとみらい線には横浜、新高島町、みなとみらい、馬車道、日本大通り、元町・中華街の6駅がある。
横浜高速鉄道は、2006年11月1日から横浜駅や桜木町駅の観光案内所などで「横浜三塔物語マップ」を配り、3日からみなとみらい線の各駅(横浜駅を除く)で「横浜三塔物語」の写真を載せた記念パスネットを1枚1000円で3000枚限定販売した。つまり、「横浜三塔物語」キャンペーンは、官民一体で考案された観光客誘致の目玉の一つだったのだ。
「横浜三塔物語」は、こうして横浜への観光客誘致を目的として官民一体で企画されたのである。
2006年誕生の新都市伝説「横浜三塔物語」は、官民一体の観光客誘致作戦
第1回のキャンペーンは、2006年11月1日から翌年3月10日まで実施された。
横浜高速鉄道は、横浜駅や桜木町駅などで三塔物語のマップを配ったり、みなとみらい線各駅で三塔の写真入り記念パスネット(1000円)を3000枚限定販売するなどいち早く動いた。
2008年には横浜赤レンガも参画、2010年からは横浜ベイスターズも委員会に加わって、さらにスケールアップした。
かくて、「三塔を同時に見えるスポットを回ると願いがかなう」という新都市伝説「横浜三塔物語」は人口に膾炙(かいしゃ)するようになったのだ。
(交叉点にそそり立つジャックの塔は、三塔のなかで一番人気が高い)
関連商品・グッズが続々登場 牧野さんは、一社10万円で協賛企業を集めた。
そして1年目の2007年の「三塔の日」には、横浜市開港記念会館、大さん橋、日本大通り駅の「三塔広場」の3か所をまわる「スタンプラリー」、横浜三塔物語ガイドツアー、ペーパークラフト教室、写真展などのイベントが開催され、その様子がテレビや新聞などで報道され、全国的に知られることになった。
このキャンペーンに合わせて、霧笛楼の「横濱レンガ・横濱三塔物語」、モンテローザの「横濱三塔物語スティックケーキ」といったイベント商品がたくさん売り出された。「横濱三塔物語紅茶」「横濱三塔メモブック」「黒船ハーバー 横濱三塔物語」「横濱三塔Tシャツ(キング・クイーン・ジャック)」「横濱三塔物語船絵馬」「横濱三塔ポストカード」などである。
本稿の執筆に当たっては、横浜市の町おこしに日頃から尽力されている以下の方々や関係役所の取材協力・写真提供を得た。名前を記し、感謝申し上げる。(順不同・敬称略)
横浜市経済観光局 牧野孝一(コンベンション担当理事)、(財)横浜観光コンベンションビューロー 藤原修吾、大さん橋プロジェクト 原田務(マネージャー)、横浜文明堂 飯田健(企画課)、横浜高速鉄道、郵趣サービス社 沖野信昭、(財)横浜港振興協会、三陽物産山本博士(社長)、横浜市港湾局
特に注記していない写の撮影は城島。
(注)本原稿は、㈱アイ・ティー・エーという横浜に本社を置く通信機器の販売・施工会社が立ち上げた「はまれぽ.com」というところに掲出されるとういうことで執筆したが、同社の社長豊川徹という人物のたびたびの方針変更にともない、何度も原稿の書き直しを要求されただけでなく、三塔関係の写真まで撮影してくることを求められた。
そのあげく、原稿をボツにされ、その慰謝料として「3,000円支払う」(3万円ではない!)というので、受け取りを拒否した。
「横浜の知名度をアップするため」といいながら、豊川社長のアイ・ティー・ティーという会社が本件でやったことは、自分自身の会社に利することだけであり、横浜の発展を心底から願って取材に協力してくれた上記の人々の顔に泥を塗ったことになる。
IT関連企業の成り上がり連中には、このように商売だけは巧みだが、人を人とも思わず、文章もロクにわからないこの手の輩が多いことを付記しておきたい。
(初出2011年3月10日。加筆3月14日、3月25日)
(城島明彦)