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2011/03/28

「江~姫たちの戦国~」(第11回「猿の人質」)ドスケベ秀吉、江の従姉の次は茶々を狙う

 浅井3姉妹は、実父長政に続いて、継父柴田勝家と母お市の方までも自害に追いやった仇敵・秀吉の庇護を受けることに抵抗を感じ、長女の茶々がイニシアティブをとって、姉妹の結束を強める。
 秀吉は、彼女らを、本能寺の変のときに天守閣が焼け落ちた安土城に住まわせ、そこへ正室のねね(おね)が、彼女らの従姉(父浅井長政の姉の子)にあたる京極龍子(たつこ)を伴って現れるが、驚くべきことに龍子は秀吉の側室になっていたという展開が、第11回目「猿の人質」のストーリーである。

 京極家は、近江源氏の血を引く室町時代の名門だ。
 日本史で習う室町幕府の政治を動かしていた「三管領(さんかんれい)・四職(ししき、または、ししょく」)」の「四職」のひとつ。
 細川、斯波(しば)、畠山が「三管領」で、赤松、一色(いっしき)、山名、京極が四職である。
 しかし、応仁の乱で没落していた。
 3姉妹の従姉・京極龍子の母は、イエズス会の洗礼を受けていて「マリア」と呼ばれていた人である。5人いた娘のうち、龍子以外の4人は洗礼を受けたとされているが、1人だけはずれていたというのは不自然。

 浅井家は、もとは京極家の家来であり、家格からいうと龍子の方が3姉妹よりずっと上である。

 3姉妹の時代、京極家を継いでいたのは、同家の長男の高次(たかつぐ)という武将。
 京極高次は、当初、信長の部下だったが、本能寺の変で明智光秀が主君を殺すと、光秀についた。
 しかし、光秀はすぐに死に、替わって権力を把握した秀吉に圧力をかけられ、お家存亡の窮地に立たされていた。

 龍子は若狭の国の守護大名の血を継ぐ武田元明と結婚しており、3人の子供まであったが、夫も兄とともに光秀に味方したため、秀吉に殺された。

 京極高次と京極家の危機を、体を張って助けたのが龍子ではないか、というのが私の説である。

 秀吉は、名家の血を引く美女に弱いドスケベ男。たちまちグラッと来て、美女のほまれ高い龍子を側室にし、彼女の兄の高次の罪に目をつぶったのだ。
 そのとき龍子は、改宗させられたと解釈すべきだろう。

 ドスケベ秀吉が次に目をつけたのが、茶々。

 大河ドラマでは、お市の方によく似てきた茶々を見て、秀吉がでれでれするシーンをそばでねねがあきれ返って眺める様子がマンガチックに演出されていたが、それにしても、岸谷五郎が演じている秀吉は、あまりに戯画化されすぎていて、ただただあきれ返るしかない。

 話の展開としては、次は、信長の孫の三法師(さんぼうし)を擁する秀吉と信長の次男織田信雄(おだのぶかつ)と手を結んだ家康がドンパチやらかす「小牧長久手(こまきながくて)の合戦」(天正12年/1584年)になるが、結果的には秀吉と家康は和睦することになる。

 江姫の初婚の相手は、佐治一成(さじかずなり)だが、この男の母親はお市の方の妹「お犬の方」。
 つまり、江は従兄と結婚するのだ。完全な近親結婚である。

 お犬の方も、お市の方に負けないくらいの美人だったといわれている。
 石庭で有名な京都の龍安寺に残されているお犬の方と伝えられる肖像画は、信長の肖像画とどこか通じる面長で色白な美しい顔だちをしている。

 お犬の方というのは妙な呼び名であるが、戌年(いぬどし)か戌の月(旧暦9月)の生まれなのか、まるで犬のお産のように驚くほど安産で生まれたのだろうか。
 それとも、戌の方角(西北西)にある場所で、戌の刻(午後8時)に生まれたのか。

 お犬の方は佐治信方(さじのぶかた)に嫁いだが、夫が戦死したため、細川昭元と再婚したので、細川家の菩提寺である龍安寺に肖像画が残っているのだ。

 織田家の血を引くというフィギアスケートの織田信成は、例外か? 

 「サル」とか「ハゲネズミ」とかいわれた秀吉が、そういう織田家の血を引く美しい姫たちを見て、次から次へと鼻の下を伸ばしまくったのは、生来の好色さに加えて、自分の子孫を少しでもまともな顔だちにしたいと願う動物的本能のようなものがあったのかもしれない。

 江にしても茶々にしても、戦国女性の結婚形態は、今日の感覚ではまったくわけがわからない。
 
(城島明彦)

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