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2011/02/12

八百長、八百長とジタバタするでない! 大相撲の歴史は八百長の歴史だ

 来たかチョーさん、待ってたホイ。

 チョーさん、長さんといえば、ミスター・ジャイアンツ「長嶋茂雄」か「いかりや長介」のことだと思っていたら、最近は「八百長」のことをいうようになってしまった。

 江戸時代の話。八百屋長兵衛という男が、相撲の年寄りとよく碁を打ち、勝てる力があるのに、いつもわざと1勝1敗になるように細工をしたところから、勝負事でわざと負けることを「八百長」というようになったといわれている。

 ついでにいうと、「のぞきをするスケベ男」を「出歯亀」というが、この呼び方は東京の大久保に住んでいた植木職人の池田亀太郎という女湯のぞきの常習犯が、明治41年に起こした殺人事件が関係している。
 この亀太郎が出っ歯だったことから、のぞきをすることを「出歯亀」というようになったのである。

 もひとつ、おまけ。
 スケベは、豊臣秀吉に忠誠を尽くした宇喜多直家の家臣の花房助兵衛という男から出たそうである。
 私が小学5年生の頃、読み物系の小説誌が大好きだった親戚のおじさんから教えてもらった話である。
 この男は実在の戦国武将で、不正嫌いのくそまじめな男らしいが、本当はスケベだったのかもしれない。

 大相撲では7勝7敗同士が千秋楽で当ったらガチンコ勝負になるが、7勝7敗の力士がすでに勝ち越している相手と千秋楽に当ったら負けてやる。そのかわり、負けてやったほうが窮地に陥ったらお返ししてもらう。ギブ&テイク。

 そういうことは、昔からいわれてきたから小学生でも知っていた。
 しかし、相撲協会は知っていながら知らぬ顔。
 ちょっとマズイというときは、「無気力相撲」などというわけのわからない言葉でお茶を濁したり、「立ち合いは両手をつけと厳しく指導している」などという別の話にすり変えたりしてきた。

 立ち合いでいえば、双葉山の相撲や栃若時代、柏鵬時代の取り組みがyou tubeにアップされているので、興味のある人は自分の目で確かめて見るとよくわかるが、当時の相撲は両手をつかずに中腰で立っている。

 八百長問題については、週刊誌もしつこいくらいに取り上げてきたが、今回の携帯電話のメールのやりとりのような「動かぬ物的証拠」はなかったから、ノレンに腕押し、ぬかにクギ、豆腐の角に頭をぶつけた程度の効果しかなく、相撲協会の「知らぬ、存ぜぬ」に負けてしまうのが常だった。

 決まり手はいつも「押し切り」で相撲協会の勝ち。
 この決まり手は、押し出しと寄り切りを足して2で割った裏技である。

 何年も前に、板井という元力士が「俺が中心になって八百長を仕組んだ」と週刊誌でゲロったことがあった。
 だが、「八百長は当然ある」と思っている相撲好きな人間も、そんな奴の話などに耳を傾けなかった。
 板井という力士は、現役時代、手に包帯をぐるぐる巻きにしてプロレスまがいの張り手を相手の顔面に炸裂させることを得意とした、どうしようもない力士だったからだ。

 貴乃花とか魁皇のような、きまじめな力士が「俺に八百長を持ちかけた奴がいた」などと語れば信用されるだろうが、まず彼らはそんなことはいわない。
 もしいったら、大相撲そのものが消滅してしまうから、知っていても口が裂けても口にすることはないだろう。

 先日も、あるジャーナリストが八百長記事を週刊誌に書いて相撲協会から訴えられ、裁判になり敗訴しているが、この一件など、いっぱい案件をかかえて超多忙な裁判官が、きちんと情報収集せずに誤った判決を下した結果、そうなった。

 村木裁判での検察官の改ざん事件を例に出すまでもなく、法曹関係者のレベルの低下はどうしようもない。
 司法試験のためだけに勉強し、合格のノウハウを取得して裁判官になった連中の何人が、聖職にふさわしい「人を裁けるような人格と見識」を持ち合わせているというのか。この話は、私自身が闘った過去の著作権裁判を例にして別の機会に書くので、ここでは触れない。

 大相撲の取り組みで〝八百長もどき〟(証拠がないので、こういう言い方になる)と見える相撲は、掃いて捨てるほどあった。
 千秋楽に勝ち越しの決まる力士でいうと、昔の方がもっと露骨だった。

 勝ち越しに関係ない取り組みでも、あっさりと負けてしまい、「あれ、へんだな」と感じる相撲を私は昭和30年代の小学生時代からいっぱい見てきた。
 小学生がそう感じるのだから、大人も当然そう思っているはずであり、力士連中はもっとストレートに感じているはずだった。

 それなのに、相撲協会の上層部の人間が八百長相撲を根だやしにできずにきたのは、彼らが現役時代に自分自身が八百長相撲の経験があったか、自分自身は経験がなくても、同部屋の力士や顔見知りの力士が関わっていることを知っていて、半ば公認していたからではないのか。

 事前に八百長の打ち合わせをしていなくても、たとえばカド番の大関を相手にしたら「つい手心を加えてしまった」というケースだってあるだろう。
 あうんの呼吸で立つ力士たちは、相手の表情から胸のうちを読むことなど朝飯前である。
 魚心あれば水心。以心伝心。

 そういう八百長が一番多いのではないかと私は思っている。
 
 いってみれば、大相撲の歴史は八百長の歴史である。

 「十両から陥落したら生活に困る、助けてやってほしい」
 といわれたら、同情する力士も出るだろう。
 「子供の教育に金がかかる。幕内に残らせてほしい。今度借りは返すから」
 と巡業先の飲み屋でいわれたら同情するだろう。

 八百長は、人と人のそういう情の部分にも関わっているのだから、根絶するのは難しいのだ。

(城島明彦)

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