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2011/02/26

〝元モー娘。の人妻〟藤本美貴の焼肉店と〝幻の陶器〟眞葛焼(まくずやき)

(第1部)
 横浜駅の海側にある〝幻の横浜の陶器〟「眞葛焼」(まくずやき)の美術館へ行き、山本博士(ひろし)館長と1時間少々話をした。
 「宮川香山(みやがわこうざん)眞葛ミュージアム」というのが正式名である。
 横浜に陶器があったのかとビックリする人が多いかもしれない。

 眞葛焼は京都にもある。というより京都が発祥の地である。
 眞葛焼は、宮川小兵衛が江戸時代に京都で始めた焼き物だ。
 以後、長男治兵衛が京都で、次男長兵衛が横浜で、それぞれ窯を開き、子孫に受け継がれた。

 長兵衛が陶商らに勧められて横浜に移り住み、「香山」と称して眞葛焼をつくリ始めるのは1871年(明治4年)。29歳のときだ。

 初代香山は、普通の花瓶や壷も作ったが、目を引くのは、壷の上にまるで生きているかのような花、鳥、昆虫、魚などの動物や草花をくっつけた作品群である。

 初代香山は、1889年(明治22年)のパリ万博で金賞を受賞し、エミール・ガレにも少なからぬ影響を与えたはずである。
 それ以前から香山は〝賞男〟であった。
  1876年 フィラデルフィア万博 銅牌(どうはい)
  1878年 パリ万博 金牌(きんぱい)
  1879年 シドニー万博 特絶一等賞、一等賞、小銀牌
  1880年 メルボルン万博 一等賞状、三等褒状
  1883年 アムステルダム万博 銀牌
  1888年 バルセロナ万博 銀牌
 と来て上記の1889年の「パリ万博金賞」と続くのだ。
 その4年後のシカゴ万博でも金牌を受賞している。
 海外での評価が普通ではないことがわかるだろう。
 
 眞葛焼は宮川の子孫に受け継がれたが、1945年(昭和20年)の横浜大空襲で三代目香山とその家族、弟子たちはすべて死亡。窯もすべて破壊しつくされ、眞葛焼は消滅したのである。

 (第2部)
 美術館からの帰り道、家からそう遠くない車通りのビルに、ド派手で巨大な焼肉屋の看板が飾られていた。若い女性の顔写真まで飾ってある。
  「藤本美貴の焼肉店」
 店の前には、若い男もが何人もたむろしている。

 (藤本美貴というと、あのミキティか?)
 おじさんは知っているのだ。
 最初は「ミキティ」と聞いて、アイススケートの安藤美姫かと思ったが、そうじゃなかった。
 元モーニング娘。

 (吉本興業のお笑い芸人「品川庄司」の庄司の方と結婚した子じゃないのか。そんな子が、なぜ焼肉屋を?)

 家に戻って早速パソコンで検索してみると、焼肉店「美貴亭」(みきてい)2月26日オープンと書いてあった。

 (なあるほど。それでファンの男どもか、事務所が金を払って集めたサクラかはわからないが、店の前に何十人もの人だかりというわけだ。それにしても、愛称の「ミキティ」と「美貴亭」をかけたところなど、オヤジギャグっぽくナイジェリア?)

 美貴亭は新規にできた店じゃない。以前あった焼肉屋を買収して内装を変えただけ。
 以前の焼肉屋は、私も1回だけいったことがあるが、味は悪くなかったが、値段が高く、二度と足を運ぶ気にならなかった。

 もっと安くしていたら、そのあたりに焼肉店はないから繁盛したはずである。
 そういうことに気づかなかった経営者も経営者だ。
 その後も気になって、店のあるビルの前を通るときに見上げると、いつも人影がなかった。
 (この店、よくつぶれないな)
 と思っていたら、案の定、売却していた、というより、商売が成り立たなくなって出ていった。

 「品川庄司」の品川のお母さん(マダム路子という名で、国際魅力学会というよくはわからないことをやっている、毒気の強いおばさん)とは、パーティーなどで何度か顔を合わせたことがあり、言葉も一度ならず交わしているので、相方の庄司の女房のミキティのPRを少ししてあげよう。

 藤本美貴のホームページより引用。(絵文字省略)

 『ヤバイくらいの焼肉好きなのはもう
 知ってくれてますか
 この度、焼肉が好き過ぎる事から
 「焼肉 美貴亭」1号店を
 横浜青葉台にてオープンさせていただく事に
 なりました
 こだわりの国産のホルモンをリーズナブルに  』

 1号店ということは? 次々出すということか?

 リーゾナブルな値段と客が思うようなら繁盛するかもしれない。

 親切に、というか、余計なおせっかいを焼くと(焼肉だから焼くのだ)、その通りの飲食店は「大成功か、撤退か」という両極端の場所なのよ。中途半端な入りのお店はないの。(となぜか、オカマ口調に)

 もっと駅に近いところにあった中華料理屋は、最近つぶれた。昭和57年だったかに開業したと張り紙がしてあったわ。
 その店は赤いタイルを使った趣味の悪い装飾に変えたのね。でもって、なかが見づらくなり、背伸びするようにして覗いてみると、あんまり人相のよくない板前が何人かいるだけで、なんとも入りづらかった。
 この店も1回入って、ラーメンと餃子で味見して、それでおしまい。

 ところが、最近オープンした「お好み焼き屋」は、開業したその日からわんさかお客が入っているじゃない。
 私はまだ入ったことはないけど、値段がそんなに高くないから繁盛しているんじゃないの。
 そこは外から中がよく見えるようにしてあるの。
 
 家族連れやらアベック(どうも古くて行けないわね。カップル、これも古いかしら)が多いみたい。
 と思ったら、
 
 (あら、いやだ! 昨晩なんか、おっさんが一人で通りに面した席で、お好み焼きを食べていたわ)

 この、「あら、いやだ」のところは、昔は「荒井八代(あらいやよ)」なんてやったものよ、こんなことをいうと、トシがばれちゃうわね。
 渋谷109が東急だから、トシは104かしらね。

 いけない、あたしったら、つい脱線しちまって。
 
 美貴亭の話よね。

 どんな紋次郎かと、そのうち、あたしも一人でご試食に参りますわよ。

 そのときは、味や値段はもとより、従業員のマナー、サービスに至るまで厳し~くチェックしまくって、ご報告させていただくざます。

 それでは、みなさま、さよう奈良の大仏様。

(城島明彦)

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