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2011/01/03

年の始めのためしとて

 「一月一日」という古い歌がありますな。
 そういう歌が存在しない場合は、「しょうかない」(「唱歌」と「しょうがない」をかけている)と正月早々、くだらないおやじギャグをかましてしまいましたが、この歌は実際に存在しておりますぞ。
   ♪年の始めの ためしとて 
 という出だしの歌ですな。
 明治時代につくられたこの唱歌は、昭和30年代中頃までは、小中学生が元旦に登校して斉唱したものですが、唱歌だけに生徒たちが歌詞の内容をしょうか(消化)していたかどうかはわかりませんな。
 「明治は遠くなりにけり」で、今じゃ元旦のテレビ番組でこの歌が流れる程度ですかな。

 「~ですな」「~ですかな」「~しましたな」「~ですぞ」という言い方は、意識しているわけではございませんが、里見浩太郎の水戸黄門の口調に似ておりますな。

 さて、唱歌「一月一日」の歌詞にある「ためし」というのは、「試してみる」とか「試しにやってみて」というときの「試し」のように思えますが、そうでは有馬温泉なんでしてな。
 「怒ったためしがない」などというときの「ためし」なんですぞ、これは。「前例」とか「先例」という意味でしてな。別の言葉にすると「習い」ということになりますかな。

 「ためしとて」の「とて」ですが、今はこんな言い方はしませんな。
 「~とて」という言い方は、「~といって」とか「~と考えて」といった意味の古語ですからな。時代劇のなかでも、あまり使われておりませんぞ。
 この「とて」に続く歌詞はてぇと、
   ♪おわりなきよの めでたさを
 ですな。
 これを漢字混じりにするとどうなりますかな?  すんなり答えちゃ面白くないってんで、
 「尾張なき代の めでたさを」
 「尾張亡き 余のめでたさを」
 なんてこじつけると、何やら徳川家康とか織田信長の時代にタイムスリップしてしまいそうで楽しいですな。

 「めでたい」の「め」は「愛」だと解釈する手もありますぞ。
 「愛(め)でる」の過去形「愛(め)でし」や「愛(め)づる」という言葉を使っている唱歌もありましてな。トマス・ベイリーという人が作曲した有名なイギリスの歌「久しき昔」(近藤朔風訳詞)。誰でも一度は耳にしたことがある曲ですな。

   ♪語れ 愛でし 真心 
    久しき昔の
    歌え ゆかし 調べを
    過ぎし昔の
    汝(なれ)かえりぬ ああうれし
    ながき別れ ああ夢か
    愛づる思い かわらず
    久しき今も

 映画「陽の当たる坂道」(石坂洋次郎原作)でしたかな、石原裕次郎、轟夕起子、芦川いづみらの家族がピアノの前で「語れ愛でし……」と歌う場面はよかったですなあ。

 しかし、どんなにいい曲でも、「愛でし」や「愛づる」なんて言葉は、子供には意味がわかりませんな。「虫愛づる姫君」というお話が載っている『堤中納言物語』なんてぇ本は、平安時代に書かれたといわれていますからなあ。
 そこで昭和30年代には「思い出」という題名に変え、歌詞も新しくなって小学校で歌われましたぞ。

   ♪かきに 赤い 花咲く 
     いつかの あの家 
    夢に 帰る その庭 
    はるかな昔
    鳥のうた 木々めぐり
    そよ風に 花ゆらぐ
    なつかしい思い出よ 
    はるかな昔

 そういえば、「かき」を「垣根」のことと思わず、「柿」だと思っていた都会の子どももいましたなあ。柿の花は白ですな。

 英語では「ロング ロング アゴウ」(LONG LONG AGO)でしてな、アントニオ猪木の顔を思わず思い浮かべてしまいますな。

 宮沢賢治が最愛の妹との永遠の別れを詠った「永訣の朝」という詩に、「あめゆじゅとてちてけんじゃ」(雨雪を取ってきてちょうだい)という一節がありますが、その「とて」ではありませんぞ。「いざ出かけんとて」とか「物忌みせんとて」などというときの「とて」ですな。 

 ここで脱線すると、「あめゆじゅとてちてけんじゃ」は方言ですが、「けんじゃ」を「賢次兄ちゃん」という解釈も成り立たなくもありませんぞ。「けんじゃ」は、時代劇で弟が「兄じゃ」などと呼ぶアレに近い感じかもしれないということですな。

 「とて」と同じ二文字の似たような言葉に「にて」という古い言い回しがありますな。志賀直哉の『城の崎にて』を真っ先に思い浮かべた人は、なかなかの文学通ですな。
 「これにてお開き」のあの「~にて」も古語ですが、こっちの方は「とて」と違って今も現役ですぞ。古語とは無縁のうらわかき乙女が絵葉書の末尾に「伊豆にて」と書いたりもしますからな。伊豆を例に挙げたのは、アジ(鯵と味のかけ言葉)があるなどと申したいからではありませんぞ。この「にて」は、海のない「甲府にて」でも使えますからな。

 唱歌「一月一日」では、「めでたい」という言葉を何気なく使っておりますが、よく考えてみるてぇとわけがわからなくなってまいりますな。
 「めでたい」の「め」は「愛(め)でる」の「愛(め)」かな、花を愛でるなどというアレかな。
 そう考えがちですが、ちょっと近藤真彦(ん?)。じゃなかった、ちょっとマ(待)ッチ一本火事のもと冬樹は、いくら稼いでも、もうけがない!?(「儲けがない」と「もう毛がない」)
 いけませんな、ついついダジャレが出てしまいましたな。

   爺(じじ)の意地
   バカなカバ
   イラクは暗い
   ネクラは楽ね
   談志は死んだ (どうも失礼! 立川談志師匠は元気だった!)

 おっと、これは「上から読んでも下から読んでも同じ」の回文(かいぶん)でしたな。

 「めでたい」という言葉についてでしたな。
   めでたさも 中ぐらいなり おらが春(小林一茶)
 めでたいは、「目出度い」とも書きますな。平成の時代ともなりますてぇと、さすがに使われる頻度は減ってまいりましたが、賀状のなかには、
 「明けまして御目出度うございます」
 とか、
 「あけましてお目出とうございます」
 なんてぇものも、まだまだあるのですな。
 しかし、「おめでたい奴」といわれるのはゴメンですな。

 「いい目が出て喜ぶ」のはサイコロばかりじゃありませんぞ。
 目が出るは、芽が出るに通じるのではないか?
 そう思った人もいることでしょうな。
 蒔いた種が芽を出し、新しい生命の誕生となることは、とてもおめでたいことでありますな。

   ♪せっせっせぇの よいよいよい
     お寺の和尚さんが かぼちゃの種を 蒔きました
     芽が出て ふくらんで 花が咲いたら じゃんけんぽん!

 魚も目が出ておりますな。出目金などその最たるものでしょうなあ。
 海中だけではございま尖閣諸島。陸上にも、チワワとかヨークシャーテリアとか、小型の座敷犬にも目が出ているものがいっぱいおり舛添要一(ますぞえよういち)。
 どうもいけませんな、またダジャレが出てしまいましたな。
 五月一日は「メーデー」ですが、こいつは目とも芽とも関係ありませんですな。

 めでたい魚といえば、魚の王様「鯛」ですな。

   ♪めでためでたの 若松様よ 

 これは魚ではなく、山形の「花笠音頭」の出だしの文句ですが、この若松様は、ヤクルトの若松元監督のことではありませんで、山形の名刹(めいさつ)「若松寺」(じゃくしょうじ)のことですな。
 その後に続く詞は、
 
    枝も栄える 葉も茂る

 「花笠音頭」は、歌詞も踊りも明るくていいですな。

 枝も栄え、葉も茂る樹木のパワーはすごいですな。樹齢三百年、四百年という長寿の木が全国各地にわんさかございますぞ。
 しかし、果樹はすぐには実がなりませんな。

   桃栗三年柿八年、柚子(ゆず)は九年でなりさがる、梅は酸(す)いとて十三年、梨の馬鹿めは十八年

 歳月を要するのは人間も同じですな。水泳など、その典型ですぞ。
   もぐり三年、(犬)かき八年
 おあとがよろしいようで。

(城島明彦)

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