大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第4回・1月30日)に出てきた「蘭奢待」(らんじゃたい)の謎
前回の予告編に「本能寺へ」とあったので、いよいよ明智光秀が本能寺にいた信長を襲うのかと思ったら、そうではなく、京で開く「馬揃(うまぞろ)え」のために安土からやってきた信長が寝泊りする場所が本能寺という意味だった。
「本能寺」と聞けば誰もがとっさに信長の最後を想像してしまう。今回(1月30日)の予告編によると、次回が「本能寺の変」となっていた。まぎらわしいタイトルの付け方はやめてほしい。
「馬揃え」で十分ではないか。天正9年(1581年)2月に京都で行なわれた馬揃えは、派手好きな信長にふさわしいデモンストレーションだったのだから。
信長は、明智光秀に命じて御所の近くに馬場をつくらせ、そこからきらびやかな装束で着飾って馬に乗り、軍団を引き連れて延々とパレードすることで、その強大な権力を正親町(おおぎまち)天皇、公家、住民たちに誇示したのだ。
母と娘たち(お市の方と茶々、初、江)が香(こう)を聞く場面があった。いかにも女性のシナリオライターらしい。
香は「かぐ」ではなく、「聞く」のである。
「かぐ」というと下品な感じがするが、「聞く」というと上品な感じがするから不思議だ。
何種類かの香をたいて、それぞれの名前を当てる典雅な遊びを「聞香」(ききこう)といい、室町時代から始まったとされている。
その遊びをするときに江は大きなクシャミをして大量の香を吹き飛ばしてしまい、部屋中がもうもうとなってしまうとコミカルなシーンがあった。
ドラマに「香」が出た時点で、もしかすると「蘭奢待」(らんじゃたい)の話が出てくるかもしれないと期待した。というのは、実は私は、「蘭奢待」という題名の掌編小説を一篇書いているのだ。
これは『恐怖がたり42夜』(扶桑社文庫)に収載され、電子書籍にもなっているので、関心のある人はぜひ読んでいただきたい。
電子書籍の方の書名は、扶桑社版が『携帯サイトの怖い話』で、いるかネットブックス版は『恐怖がたり42夜(上)(下)』となっている。
「蘭奢待」とは何か。
蘭奢待は、たぐいまれなる芳香を放つといわれている150センチくらいの「香木」(こうぼく)で、天皇の勅許(ちょっきょ)がおりないと手にすることができない特別な品物である。
しかし、信長は天皇に無断で勝手に切り取らせて香を聞いたといわれており、そのことを裏づけるかのように、蘭奢待の切り取られた個所に「織田信長」と書かれた和紙の短冊がくっつけてある。
今までで蘭奢待の香を聞いた人は、明治天皇、信長、足利義政の3人だけといわれてきたが、ほかにもいくつか切り取った後が残っており、家康も切ったらしいという説がある。
私が小説のなかで推定した人物は、第11代将軍家斉(いえなり)である。家斉は15歳で将軍になり、正室・側室合わせて40人の女性に55人の子供を産ませた好き者である。
大河ドラマでは、信長は江に「これをやろう」といって紫の袱紗(ふくさ)に包んだ「蘭奢待」を与える。信長がどうやって蘭奢待を使ったは記録に残っていないから、江にやった可能性がないとはいえない。
しかし、江は天正元年(1573年)生まれといわれているので、そのとき7歳か8歳である。上野樹里の年齢を考えるとドラマが成り立たなくなってしまうから、年齢のことには目をつぶるしかないのか。
信長の正室濃姫(斎藤道三の娘)の影の薄いのも気になる。本能寺で信長と一緒に死んだという説もあるが、信長が出てくる場面でそばにいないことがほとんどなのはどういうわけか。
私が「蘭奢待」にひかれたのは、「隠し字」の存在である。蘭奢待に秘められた字があるのだ。
蘭という字には「東」がある。
奢という字には「大」がある。
待という字には「寺」がある。
蘭奢待は、東大寺の大仏殿近くの正倉院に保管されてきた天皇家の宝物なのである。
そんなことを思いながら、ドラマを見た。
(城島明彦)
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