日本語がわからずに咆(ほ)えまくる〝あわれな日本人〟増殖中!
「さかなクンさん」事件で、私のブログに大量に書き込まれた〝捨てぜりふ〟的通り魔コメントのなかに次のようなものがあった。
『>その犬はもう亡くなってしまいました。
犬が亡くなる。これって正しい日本語なんですか? 教えてください大先生。』(昼下がリー)
◆この書き込みをした人物は、「『人が亡くなる』というだけで、犬は『亡くなる』とはいわない、『死ぬ』が正しい」と思い込んでいて、私のブログに上記のように書いたことは明白だ。
「教えてください大先生」という嫌味な文章は不要なのに、わざと書き加えて、小馬鹿にしようとする魂胆なのである。
こういう言い方で他人のブログをけなしたり批判したりする不愉快な輩は、日本中にうじゃうじゃいる。
自分自身が無知であることに気づいておらず、他人の文章をけなすことで、屈折した優越感に浸り、ひとり悦に入る。のみならず、そのコメントを不特定多数の人間の目に触れさせることで「このブログの書き手はバカだ」と思わせようとする。
無論、匿名で、自分自身のことは明かさない。
まさに卑劣きわまりない愉快犯である。
地方自治体のホームページに次のような記述がある。
○犬や猫などの小動物が亡くなった場合の処理について:熊谷市ホームページ
2010年2月11日 ... 飼っていた小動物(犬·猫など)が亡くなった場合や、敷地内で亡くなっている小動物は 、ダンボール箱に入れて、動物名(犬·猫など)を明記し、「燃えるごみの日」に、ごみ 集積所に出すことができます。
○厚木市:ペット(犬)が亡くなったら [質問]ペット(犬)が亡くなったら.最終更新日:2010年2月26日(金曜日) |お 問い合わせ先:生活環境課. 回答. 飼っていた犬•猫が死亡した時は、登録を抹消しますので生活環境課まで必ず連絡してください。
○犬の登録・狂犬病予防注射-日高市ホームページ 2010年10月20日…生後3ヶ月以上の犬を飼う場合は、犬の登録が必要となります。(1回の登録でその犬が 亡くなるまで有効です。
○犬が亡くなったら-新宮町
私のブログに「大先生」と書き込んだ人間は、厚木市役所や熊谷市役所などにも、「正しい日本語を使え」と注意して回っているのだろうか。
上記の厚木市、熊谷市などのホームページの文章は、nifty@searchを用いて「犬が亡くなる」で検索したが、ほかにもいっぱいあった。
○店長の犬猫な日々 : 亡くなる時 帰宅したら、お客様の所のパグさんが、もうすぐ10歳を前にして、亡くなったとのお電話。
○犬の供養の情報 (愛犬が亡くなって埋葬と霊園をどうするか)
○[ ラブが亡くなりました] by うたた寝する犬
○飼い主の身代わりに亡くなるペット-犬 -教えて!goo
○愛知 事故に遭った犬が亡くなりました-自然と動物へ恩返ししよう
○犬のペットロス ::お悩み解決 犬のQ&A 回答集::犬のしつけ,病気,ペット… 先住犬が亡くなると、行動が静かになり、
○忠犬ハチ公が亡くなる約1年前の実際のハチ公の写真 at 和の暮らしを…
○ペットが亡くなった時 Ⅶ【ペットロス】 /犬猫大好き板
○◆“世界最高齢犬”のギネス記録を持つ「オットー」、亡くなる [2010.1.15]
○2008年度世界一醜い犬、ガス亡くなる|デジタルマガジン
きりがないからこのへんでやめておくが、「犬が亡くなる」という表現は100%誤りではない。私のブログに「大先生」と書き込んだ輩に対して皮肉な言い方をすると、「それらすべてのブログやホームページに、間違いだといってやらないのかね、キミ」、である。
そういう言い方をされると頭に血が上るくせに、匿名性を武器にして人には平気で非礼なものいいをする。あわれな連中だ。
ネットで使われている言葉だから正しいというつもりはない。むしろ逆で、ネット上では間違って使っていることの方が多い。
私がいいたいのは、「犬などのペットが亡くなった」という書き方をしているものがネット上には山のようにあるということだ。ネット上の通り魔連中にいいたいのは、「そういう現象はなぜ起きているのか」と問題提起する書き方がなぜできないのかといっているのである。
通り魔連中の書き方には、いくつかのパターンや言葉の使い方がある。そのことは、別の機会に触れたいと思う。日本が崩壊しているのは、日常の挨拶、礼儀礼節、道徳規範といった基本的なことがまともに守られていないからである。このことも、詳細に述べると長くなるので、ここではやめておく。
作家や言語学者が過去に書いた文献に当たって、この例がどうだ、あの例がどうだとまでやるのが理想的だが、私は論文を発表しているのではなく、そこまで手間ひまかけている時間はない。
「ネットを見ると、『犬が亡くなる』という書き方をしているものがいっぱいありますね。その数は『犬が死ぬ』と同数でした。本格的に調べてみたいですね」
などという言い方をするのがまともだが、心がねじ曲がっているから、そういう風にはいえないのだろう。
「亡くなる」は、「死ぬ」「死んでしまう」を丁寧にいった言葉だが、「無くなる」という言葉からもわかるように、「消えてしまう」「失せてしまう」というニュアンスをともなっている。
亡骸(なきがら)は、「亡き骸」で、「骸」は「むくろ」とも読み、「体」のことである。体は人間だけでなく、犬でも猫でもライオンでもかまわないのだ。
「なくなる」は「いなくなる」ことでもあると考えると、「日本語って含蓄のある言葉なのだな」と思えてくる。
遺骸は、大雑把にいうと「遺(のこ)された体」(遺体)、骸骨は「体の骨」と言い換えるとわかりやすい。語源などについては私は知らない。
骸は、遺骸の「骸」であり、「骸骨」の「骸」であるから、そういう熟語から意味を類推すると大体の見当がつく。体という意味があるのだ。ただ、「体」という意味だけではない。
遺体の「体」(たい。からだ)は、昔は「骨に本」と書く「骵」だった。これから類推すると、「骨に本」の「骵」は、「体」を意味しているのではないか、あるいは、「骨と体」ではないかということになる。そう考えると、「遺体」というのは、「骨と体(肉と皮膚)をいっているのだな」と思えてくる。
言語学者による正式な見解ではないが、私はいつもこんな感じで、言葉や漢字を推理している。
「遺骸」の「亥」は「亥」(がい)と読むだけでなく、「い」とも読む。猪の「亥」だ。この程度のことは誰でもわかる。辛亥革命という言葉を思い浮かべる人もいるかもしれない。
遺体の「遺」についても考えると、「遺(のこ)された」の「遺」からは遺言、遺志、遺贈……という言葉が連想でき、「遺」は人間の死に関わっているということがわかってくる。
(このときに、「そうjじゃないだろう、『遣(つか)いにやる』という言い方だってあるだろうが」などといいだすと、話が限りなく広がってしまう。遺骸についていっているのだから、直接関係ないことに触れる必要などないのだ。遺言、遺志、遺贈を考えるとき、犬や猫には該当しないこともわかる。このようにしてどんどん枝葉に入って行くと、終わりがなくなる)
犬が遺志を言葉で伝えるわけではないが、飼い主には生前にそれとなく表情などで伝えているかもしれない。しかし、遺贈ということは、まずありえない。死んだ犬が夢枕に立ち、どこかへ行けといったので行って見ると宝物が見つかった、ということは「遺贈」という感じの話としては成り立つが、現実的ではない。
遺訓という熟語もある。この意味を知らない場合、「遺(のこ)された訓話」かなと推理する。死んだ人が遺した名言、と言い変えてもいいようだな。私は、大体、そういう流れで文章を書くことが多く、ほとんど辞書は使っていない。
「大先生」と書き込んだような輩は、人が死ぬと、
「お亡くなりになりました」
「誰それさんが、亡くなられました」
などというので、「亡くなる」を人だけに使うものと勝手に思い込んでいるのである。
しかも、自分がどこの誰かわからないようにして書き込んでいる。
こういう輩に限って、繰り返し、書き手を心ない言葉で中傷する傾向が強い。
ただし、「犬が亡くなった」「亡くなった犬」という表現は、「犬が死んだ」「死んだ犬」という普通の言い方に対して「ちょっと違うのではないか」という違和感を与えはする。
私がもし「犬が亡くなる」という言い方に疑問に感じたら、次のように質問する。
「犬とか猫は『死ぬ』という言い方が普通で、『亡くなる』という言い方は人の場合だけかと思っていました」
こういう問い方をされると、もう一度調べて、きちんと返答したくなってくる。
私が現在愛用している小学館『現代国語例解辞典』(昭和61年11月版)には、こうある。
○亡くなる……この世に存在しなくなる。死んでしまう。例「亡くなって三年になる」
むろん、これは一例であって、別の辞書には、もっと違うことも書かれている。
たとえば、昔愛用していた講談社学術文庫の講談社編『和英併用 実用辞典』(昭和54年3月30日 だい1刷発行)。これには「『死ぬ』の尊敬語」とだけ記されている。
「言葉からいうと、尊敬語という言い方はちょっと変だな、丁寧語とすべきではないか。『亡くなられました』という言い方が尊敬語ではないか」と思うが、これはこれでいいのであり、特に目くじらを立てて騒ぎ立てるほどのことではない。辞書が100%正しいという保証はないのだから。
話は違うが、「目線」という映画界で使われていた専門用語も、総理大臣が誤って使ったことなどにより、ここ数年で急速に一般化し、「視線」と同じ意味であるようになってしまった。
「なにげに」も、映画監督の山本晋也が使っているのにはビックリした。あの年齢の人間は、絶対に「何気なく」としかいってこなかったはずなのに、そういうことが新しいと思って使っているのかもしれない。「ら抜き」も、そうやって広がった。
それにしても、日本語というか、言葉は奥が深い。
(城島明彦)