今の日本がダメなのは、「男いのちの捨てどころ」がないことではないのか
平成22年もあと少しで終わりになるが、平和ボケした日本人も、尖閣諸島沖の中国漁船事件、北朝鮮の韓国砲撃事件などで、「戦争」ということを多少は意識したのではないか。
私は過去の戦争を肯定する者でも、好戦派でもないが、戦前に生きた私たちの親の世代は、誤った教育で誤った思想を吹き込まれていたとはいえ、「国のため、妻や子のために領土を守って戦うのが日本男児だ」と思って、死地におもむいた。
「日本は、俺たちが命をかけて守るに値する国である」
と思っていたからこそ、そういう生き方を受け入れた。
だが、、今の日本はどうか。
売国奴や実行力の伴わない評論家は掃いて捨てるほどいても、国のために、日本の領土のために、わが命を捨てようとする者などいやしない。
11月頭にロシアのメドベージェフ大統領が、いきなり国後島を訪れた強引さに腹を立て、無策だった日本政府のふがいなさにもっと腹を立てた人は多かったが、ロシア(ソ連)という国は、もともとそういう国である。
第二次大戦でも、日本の敗戦間際に日ソ不可侵条約を一方的に破って満州国境を突破し、心の準備のない大量の日本兵を殺戮し、生けどりにした者はシベリアへ送って強制労働を課した。
そして戦勝国の一員として、樺太をぶんどり、国後、択捉などの4島を自国領とした。
一言でいうと、〝機を見るに敏(びん)〟、あるいは〝非常に要領のいい奴〟である。
メドベージェフが国後島へ行ったというニュースに接したとき、私は、中学1年の夏休みに祖父の家の蓄音機で聞いた古いレコード(SPレコード)のことを頭に思い浮かべた。
小野巡(めぐる)が歌った「守備兵ぶし」という戦時歌謡曲だ。
家には、ずいぶんたくさんのSPレコードが残っていたが、それでもめぼしいものは長女が嫁ぐときにもっていったとかで、クラシックも流行歌も、子どもが聞きたいと思うような曲はほとんどなかった。
そのなかで、繰り返し聞いた曲が2曲あった。上原敏(うえはらびん)の「妻恋道中」と、この「守備兵ぶし」だった。
「守備兵ぶし」は、戦時歌謡曲で、ソ連と満州との国境警備に当たっていた兵隊がテーマである。
この曲は、昭和11年(1936年)春の発売で相当ヒットしたらしい。私は戦後生まれなので、どれぐらいヒットしたかの実感はない。
最近、you tubeに「守備兵ぶし」がアップされているのを見つけ、久しぶりに聞いてみた。
歌手は小野巡(めぐる)で、作詞者は佐伯孝夫である。巡という変わった名前は芸名だが、元巡査ということで命名されたようだ。
詞のなかには、「二年余月」(ふたとせよつき)、「男命(いのち)の捨てどころ」、「桜花(さくらはな)散る夢を見る」という美しい日本語がある。
佐伯孝夫は、のち作曲家吉田正とコンビを組み、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」や吉永小百合・橋幸夫のデエット「いつでも夢を」など、数えきれないほどのヒット曲を生んだ名作詞家だ。
「守備兵ぶし」の詞も、さすが佐伯孝夫という感がある。作曲は「涙の渡り鳥」でヒットを飛ばした佐々木俊一。佐々木俊一の作品には、「高原の駅よさようなら」「島の娘」などもあるが、早世した。
「守備兵ぶし」には、今日ではまず使うことのない「匪賊」(ひぞく。中国人ゲリラで「馬賊」のこと)、「皇国」(みくに)、「背嚢」(はいのう。リュックサック)などという言葉があるのは、時節柄、仕方がないことだ。
雪の満州に 夕日は落ちる
故郷(くに)じゃ父さん 達者でいてか
匪賊(ひぞく)退治に 手柄を立てて
僕も上等兵に なりました
故郷(くに)を離れて 二年余月(ふたとせよつき)
命捧げて 皇国(みくに)の守り
どうせ生きては 帰らぬ覚悟
男命(いのち)の 捨てどころ
雪が降る降る
積もりもせずに
耳が千切れる満州吹雪
凍る銃剣 嘶(いなな)馬も
苦労ともすりゃ なお可愛い
更けて冷たい 国境警備
見せてやりたや 雄々しい姿
銃を抱(いだ)いて 背嚢(はいのう)枕
桜花(さくらはな)散る 夢を見る
この曲に関心のある方は、you tubeでどうぞ。
そして、この曲を聞きながら、「国の守りとは何か」を改めて考えてみては、いかがか。
(城島明彦)
« おすすめの青春小説(電子書籍)の新刊2冊『グッバイ! 戦闘服の少女』『恋は紙飛行機に乗って』 | トップページ | 「さかなクン」に「さんをつけろ」という近頃の若者の日本語感覚の異常さと、それを認めたNHKのバカさ加減 »