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2010/12/27

「ココログ」(ニフティのブログ)のアクセスランキングが「1位→22位」

 「さかなクンさん」事件で、私のブログへのアクセスがトップになっていて、ビックリした。
 一昨日のアクセス数は11,166件で29位だった。
 外出から戻った午後1時頃、昨日のランキンググラフを見ると、16,702件(PCサイト全体)で1位になっていた。(携帯サイト全体では30,189件。

 ブログを始めてから途中で転居した際、運送屋がパソコンを壊してしまって別のものに取り替えたから、通算すると何年になるのかわからないが、1位というのは初めてである。

 乱暴な言葉や小馬鹿にしたようなコメントとか中傷を多数書き込まれ、決していい気持ちではなかったが、1位とか2位になるようなブログでは、そういうことにも耐えなければならないのかもしれない。
 1位になろうと思ってもなれるものではないので、いい経験をしたと思って、午後2時に再度ランキングを見ると、ン? 22位になっていた。数字をいじっているのかな?
 書き込みを禁止にしなければ、1位だったのかもしれないが、嫌な気分になってまで1位になっても意味がない。

 寄せられたコメントにはすべて目を通し、本物っぽいと思えるメールアドレスを書き込んであった人には返事を書いたが、戻ってきたものが多かった。書くことに使った時間が無駄になったということだ。

 自分でいうのも変だが、私は、大体、正論を吐いている。お前は芸能評論家になった方がいいという書き込みもあったが、私は最初は映画監督になろうとして助監督になったが挫折し、ソニーに入社したが、宣伝・広報とどちらかといえば、派手な部門にいた。

 文藝春秋の「オール読物新人賞」を受賞して作家の肩書きをもらってからは、コバルト文庫にも青春小説を書いていたが、好んで広告代理店や企業の宣伝部を舞台し、女性DJ、タレントや女優を主人公にしてきた。スペイン王室御用達の「ロエベ」のデザイナーをめざす若い女性の話も書いたし、ファッションモデルも登場させた。
 そういう意味では、芸能界の出来事に関心があるのだ。麻木久仁子と大桃美代子をモデルにした小説を、いつか書くかもしれないのである。
 そういうことを知りもしないで、また知ろうともしないで、「お前は芸能評論家にでもなった方がいいのじゃねえか」などと乱暴な書き込みをする。

 また、私が故・池内淳子さんについて書いたブログでは、彼女のスタートとなった新東宝時代の出演映画について触れた個所で、「花嫁吸血鬼」「女吸血鬼」に出演したと書いたところがあるが、ある書き込みでは、「花嫁吸血鬼」なんて映画はないぞ。「女吸血鬼」には出てないぞ。調べたら天知茂が吸血鬼になっているのじゃないか。DVDも見ないで、わかったようなことを書くんじゃない、といった言い回しで、こきおろしてあった。
 
 そこでブログを読み返してみると、「花嫁吸血魔」を「花嫁吸血鬼」と誤記してしまっていた。ダジャレをいうと、「魔」がさしたのかもしれないということになる。
 
 「女吸血鬼」という映画に彼女は確かに出ていて、私は渋谷駅前のTSUTAYAからDVDを借りてきて見ている。勘違いしているのだろうかと思って、改めて調べて見ると、出演者のところに彼女の名前が出ている。
 「どこをどう調べたのか」とこちらから逆に質問したくても、相手はどこの誰だかわからない。
 問題は、そういう無責任な書き込みを見た人が「城島っていいかげんなことばかり書いているんだ」と思うかもしれないということである。

 パソコンをやっている人は、誰でもこの手の誤記などのケアレスミス経験があるはず。「『魔』を『鬼』とうっかり誤記してしまったみたいだな」と、どうして好意的に解釈できないのだろうか。
 私がもしこの誤りを指摘するなら、
「『花嫁吸血鬼』となっていますが、『花嫁吸血魔』の誤記かと思います。ご訂正ください」
 と書き込む。それが相手に対する思いやりというものである。さらに、「訂正後は、私のコメントは削除なさってください」と付け加えたら、もっと親切になる。

 このケースのように、相手を軽蔑して自分を誇示するような言葉で書き込む者は、かなりいる。「花嫁吸血鬼」なんてないぞ、とだけいって、私を見下すというスタンスは、心がねじれているとしか思えない。「花嫁吸血魔」の間違いですといわずに、そういう言い方をわざとするのである。こういうのを「悪意がある」というのだ。

 私は文章を書くことを職業にしているので、誤字・脱字があってはならないのだが、ワープロやパソコンにしてから、やたら誤字・脱字が増えた。これは、どうしようもない。

 パソコン画面で校正して、「間違いない」と思ってプリントアウトしてみると、あるわあるわ、誤記やら脱字やらがいっぱい見つかる。これは、私だけでなく、誰にも経験があることだ。
 特に本1冊分の原稿をチェックするとなると大変で、著者自身、出版社の編集者、校閲者が念入りに見てチェックするのだが、それでも誤記・脱字は残ってしまう。

 私自身の恥をさらすと、2009年夏に発売した『横濱幻想奇譚』(ぶんか社文庫)では、人物の名前がラストの方で違っていた。今度、電子化するときに手を入れるしかないが、「そこを読者に気づかれないといいが」などと祈ったりする。
 校正ミスは編集者のミス・責任だが、読者はそうは思わない。この作家は実にい加減だと思ってしまう。

 話が横道にそれたが、私のブログは書き込みを禁止したので、これからはまともなアクセス状態に戻っていくだろう。
 この騒ぎが落ち着いたら、また書き込みをオープンにするので、そのときは、心ある人、きちんとした日本語でコメントしてくれる人にどんどん書き込み願いたいものである。
 私のブログへの過去の書き込みは、昨晩、ごく一部の人のものを除いて削除した。残っている書き込みはワード文書に映して保存し、正月休みの間にトラックバックともどもブログからは全部削除しようと考えている。要するに、コメントもトラックバックもゼロにするということだ。

(城島明彦)

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