白鵬は、やはり「張り手」で大記録(連勝)がストップした
白鵬の連勝が63でストップしたが、倒すのなら琴欧州、把瑠都、日馬富士、魁皇といった三役クラスか、平幕では豪栄道か稀勢の里あたりだろうと思っていたから、その意味では、大番狂わせというわけではない。
朝青龍が、ああいう情けないやめかたをしていなければ、連勝などとっくに止まっていたはずで、一言でいえば、日本人力士が非力で、ぶざますぎたということである。
白鵬の敗因は「張り手」だ。立ち合い、そうするのが当然であるかのように、稀勢の里の左顔面を張った。いわゆる「張り差し」を狙ったのである。
張り差しという手は、張った方の手が宙に浮くから、いきなりまわしを取りに行ったときより、差し手は遅くなる。
「張り手、張り差しというのは、横綱相撲ではない」
と、さんざん書いたが、「立ち合いざま、相手の顔面にいきなりビンタ」というのは、横綱らしくない荒っぽい取り口である。
「張り手」「張り差し」は、禁じられているわけではない。
股間を蹴ったり、髪をつかんだりするのは禁じ手で、取り組みでそれをやれば負けになるが、張り手は、相撲の手として認められているから、負けにはならない。
だからといって、横綱が下位力士相手にそれをやるという〝根性〟が情けない。そう思っている相撲好きの人間は、私以外にも大勢いるはずだ。荒々しい相撲とか激しい相撲というのとは違って、品がない。
しかし、朝青龍はそれを繰り返していた。白鵬は、その悪い影響を受けたのだろう。また、そのことを注意する相撲関係者がいなかったのだろう。それでも、白鵬の張り手は、朝青龍に比べると圧倒的に少なかったが、張り差しでいくという気持ちは許容しがたいものがあった。
外国人勢は、グローブのようなでっかい手で、しばしばこれをやる。
鍛え上げられた相撲取りの手は、外で使えば〝凶器〟である。胸を突っ張るのとはわけが違う。顔面は、どんな人間も鍛えられない。張り手をくらった瞬間、脳しんとうを起こして土俵に崩れ落ちた力士は、過去に何人もいる。
こんな危険な手は、ほかにない。いや、あった。「さば折り」という相手の腰を折る手で、大起(おおだち)という力士がこれを得意としていたが、命にかかわるというので、これは今では禁じ手だ。
その点、張り手は、脳しんとうを起こす危険性はあるが、命にかかわるほどではない。
かといって、くりかえせば、相手力士は怒る。
横綱や大関は、幕内下位のものから「張り手」をされるとムッとする。テレビで見ていても、そういう感情の動きが見て取れる。ということは、張り手に対しては、相撲取りのなかにも、普通の手とは違うという感情がひそんでいるということだ。
横綱が下位力士に張り手をするのは当然でも、下位力士が横綱の顔をひっぱたくのは無礼だということになるのであれば、そういう手を横綱は余計使ってはならないということになる。横綱の張り手は、戦時中の日本の軍隊の上官のビンタと同じであってはならない。
横綱の品位、品格というのは、朝青龍のときにさんざんいわれたことだ。
しかし、白鵬の頭には、そういう考え方はないのだろう。相撲史上に残る「白鵬-稀勢の里」戦で、立ち合い、張り手をかましたのは白鵬だった。ところが、取り組み途中で、稀勢の里の張り手が一発、白鵬の顔面に入った。
この張り手は、激しい取り組みの流れのなかで自然に出たものであったが、それでも白鵬の胸のなかには「こいつ、前頭(筆頭)のくせに横綱の顔面を張りやがった」という気持ちが無意識のうちに芽生えたのだろう、張られたとたん、白鵬の表情が変化し、相撲内容が雑になった。それが大記録ストップの直接の原因だと私は思った。
連勝の記録ホルダーである双葉山は、69連勝でストップしたとき、「われ、いまだ木鶏(もっけい)たりえず」といって自分を戒めたと語り継がれているが、双葉山が下位力士相手に張り差しを連発したという話は聞いたことがない。
(城島明彦)
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