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2010/11/22

おすすめの青春小説(電子書籍)の新刊2冊『グッバイ! 戦闘服の少女』『恋は紙飛行機に乗って』

 少し前の話になるが、伊藤左千夫の『野菊の墓』の現代語訳を終え、版元に渡した。
 これは電子小説として、近日中に配信される予定だ。

 この本は、明治時代に書かれ、夏目漱石が激賞した純愛小説である。

 私がこの本を読んだのは中2のときだったが、読みながら泣いた。
 泣いたのは私だけでなく、読んだ人は必ず泣いていることがわかった。

 木下恵介がそれを映画化し、これまた絶賛された。
 題名がよかった。「野菊のごとき君なりき」
 私は、その映画を、それからかなりたってからテレビで見て、また泣いた。

 山口百恵がヒロインに扮したテレビドラマも放映され、それも見たが、またまた泣いた。

 その後、松田聖子がヒロインに扮した映画が東映でつくられたが、これは映画館へは見に行かなかった。しかし、テレビで放映されたときには見て、またまたまた泣いた。

 あるとき、レンタルビデオ屋で「野菊のごとき君なりき」のビデオを見つけ、借りて見たら、また泣けた。筋がわかっているのに、泣いてしまった。
 
 6年ぐらい前に、100円ショップで、『野菊の墓』の本が売っているので買い求め、読んでみたら、「難しい表現がこんなに多かったのか」と気づき、「会話がダサい。今の中学生には、無理かもしれない」とも思ったものだった。

 そういうことがあったので、中学生がすらすら読めるような今の言葉に訳したらどうかと思ってきた。
 
 現代語訳は、そんな気持ちからスタートした。

 文章が難しくても、矛盾した表現がいっぱいあっても、ダサい会話が並んでいても、本は原作で読むのが一番なのかもしれないが、現代の言葉にわかりやすく書き換えたものを読んで感動したら、原作を読めばいいと私は考え、訳したのである。本が出たら、改めて告知したい。

 話かわって、本は紙媒体から電子媒体へと移りつつある。
 そういう流れのなかで、私が30代の頃に小説誌に書いた短編小説も、今風にアレンジしなおし、電子書籍として復活した。 
 
 2冊とも値段が安い。『恋は紙飛行機に乗って』が210円で、『グッバイ! 戦闘服の少女』は315円だ。
 関心のある方は、ぜひどうぞ。

Photo

(城島明彦)

2010/11/16

白鵬は、やはり「張り手」で大記録(連勝)がストップした

 白鵬の連勝が63でストップしたが、倒すのなら琴欧州、把瑠都、日馬富士、魁皇といった三役クラスか、平幕では豪栄道か稀勢の里あたりだろうと思っていたから、その意味では、大番狂わせというわけではない。
 
 朝青龍が、ああいう情けないやめかたをしていなければ、連勝などとっくに止まっていたはずで、一言でいえば、日本人力士が非力で、ぶざますぎたということである。

 白鵬の敗因は「張り手」だ。立ち合い、そうするのが当然であるかのように、稀勢の里の左顔面を張った。いわゆる「張り差し」を狙ったのである。

 張り差しという手は、張った方の手が宙に浮くから、いきなりまわしを取りに行ったときより、差し手は遅くなる。

 「張り手、張り差しというのは、横綱相撲ではない」
 と、さんざん書いたが、「立ち合いざま、相手の顔面にいきなりビンタ」というのは、横綱らしくない荒っぽい取り口である。
 「張り手」「張り差し」は、禁じられているわけではない。
 股間を蹴ったり、髪をつかんだりするのは禁じ手で、取り組みでそれをやれば負けになるが、張り手は、相撲の手として認められているから、負けにはならない。
 だからといって、横綱が下位力士相手にそれをやるという〝根性〟が情けない。そう思っている相撲好きの人間は、私以外にも大勢いるはずだ。荒々しい相撲とか激しい相撲というのとは違って、品がない。
 
 しかし、朝青龍はそれを繰り返していた。白鵬は、その悪い影響を受けたのだろう。また、そのことを注意する相撲関係者がいなかったのだろう。それでも、白鵬の張り手は、朝青龍に比べると圧倒的に少なかったが、張り差しでいくという気持ちは許容しがたいものがあった。

 外国人勢は、グローブのようなでっかい手で、しばしばこれをやる。
 鍛え上げられた相撲取りの手は、外で使えば〝凶器〟である。胸を突っ張るのとはわけが違う。顔面は、どんな人間も鍛えられない。張り手をくらった瞬間、脳しんとうを起こして土俵に崩れ落ちた力士は、過去に何人もいる。
 こんな危険な手は、ほかにない。いや、あった。「さば折り」という相手の腰を折る手で、大起(おおだち)という力士がこれを得意としていたが、命にかかわるというので、これは今では禁じ手だ。

 その点、張り手は、脳しんとうを起こす危険性はあるが、命にかかわるほどではない。

 かといって、くりかえせば、相手力士は怒る。

 横綱や大関は、幕内下位のものから「張り手」をされるとムッとする。テレビで見ていても、そういう感情の動きが見て取れる。ということは、張り手に対しては、相撲取りのなかにも、普通の手とは違うという感情がひそんでいるということだ。
 横綱が下位力士に張り手をするのは当然でも、下位力士が横綱の顔をひっぱたくのは無礼だということになるのであれば、そういう手を横綱は余計使ってはならないということになる。横綱の張り手は、戦時中の日本の軍隊の上官のビンタと同じであってはならない。
 横綱の品位、品格というのは、朝青龍のときにさんざんいわれたことだ。

 しかし、白鵬の頭には、そういう考え方はないのだろう。相撲史上に残る「白鵬-稀勢の里」戦で、立ち合い、張り手をかましたのは白鵬だった。ところが、取り組み途中で、稀勢の里の張り手が一発、白鵬の顔面に入った。
 この張り手は、激しい取り組みの流れのなかで自然に出たものであったが、それでも白鵬の胸のなかには「こいつ、前頭(筆頭)のくせに横綱の顔面を張りやがった」という気持ちが無意識のうちに芽生えたのだろう、張られたとたん、白鵬の表情が変化し、相撲内容が雑になった。それが大記録ストップの直接の原因だと私は思った。

 連勝の記録ホルダーである双葉山は、69連勝でストップしたとき、「われ、いまだ木鶏(もっけい)たりえず」といって自分を戒めたと語り継がれているが、双葉山が下位力士相手に張り差しを連発したという話は聞いたことがない。
 
(城島明彦)

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