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2010/02/05

祝・朝青龍引退! 遅きに失した感はあるが、これで大相撲もまともになる

 辞めるべくしてやめた〝増長横綱〟朝青龍。
 本ブログでは、ずいぶん前から「朝青龍はモンゴルへ帰れ!」と主張し続けてきたが、やっとそうなった。
 これで、伝統的な国技も、少しはまともになるだろう。

 ところで、インチキ占い師細木数子はどうした?
 〝日本の母〟などと調子のいいことをいっていたのだから、「息子が申し訳ないことをした」とテレビで詫びたらどうだ。

 神社の神主や巫女は、古来の作法や所作にのっとって神事を行なっている。
 相撲も同様。そういう様式を無視する相撲取りは力士とはいわないし、そういう力士は排除されるのが当然。
 むしろ遅きに失した。
 2003年夏場所に旭鷲山に負けた腹いせに土俵上で睨みつけ、翌場所では旭鷲山のマゲをつかむという反則わざをやらかした。しかも、その後、旭鷲山の車のミラーを壊し、風呂場でも喧嘩直前までいった。こんな横綱は相撲史上皆無である。
 その時点で、相撲協会は、クビにすべきだったのだ。

 もともと酒癖の悪い男で、酔うと乱暴を働くことで有名だった。
 朝青龍の素行不良がわかっていたのに、相撲協会や横審は、徹底的に身辺調査をしなかった。

 土俵上の態度は、ひどかった。
 懸賞金を受け取るとき、左手で手刀を切った。
 竜虎(元小結)が前日のテレビのワイドショーで、「手刀は切っても切らなくても、右手でも左手でもかまわない」などといっていたが、相撲が神事であることをしらないらしい。
 朝青龍は、手刀の件を注意されても、すぐには改めなかった。
 こういうところが図太い。日本の国技をなめきっている。
 本来なら、日本人力士が土俵上の勝負でぶちのめして思い知らせてやるべきだが、どの力士もいくじがないから、朝青龍に好き放題にされた。

 横綱史上、最も多く「張り手」を使ったのが朝青龍だ。
 横綱が下位の対戦力士の顔面を張り飛ばすのを見て、小学生や中学生が相撲取りに憬れると思うか。
 そういう配慮すらなかった。

 朝青龍の取り口を豪快と評する者がいるが、真の意味で豪快というのは初代若乃花や栃錦のような力士だ。
 若乃花など、小柄な体で「呼び戻し」や「上手やぐら」のような豪快きわまりないわざで対戦相手を破った。
 朝青龍の相撲には荒っぽいさがあり、本来の豪快さとはニュアンスが違う。

 「相撲は格闘技とは違う。様式美がある」と石原慎太郎都知事がいっていたが、朝青龍にはそれがわかっていなかったし、わかろうとしなかった。
 本人に横綱としての自覚がなかったのだから、救いようがない。
 相撲協会や〝大ちゃん〟こと高砂親方(元朝潮)が、自覚を持たせるように、もっと早い段階で厳しく指導すべきだったが、指導の仕方が甘すぎた。
 
 朝青龍によって、日本の大相撲は汚された。
 勝負がついているのに、相手を突き飛ばす下品さ。勢い余ってというものではなく、「この野郎」という声が聞こえてきそうなやり方だった。
 負けたとき、きちんと礼をせずに土俵を下りた。
 日本の国技をなめきっている。
 NHK解説者(北の富士)や実況アナウンサーは、なぜもっと厳しく叱責してこなかったのか。こいつらにも責任はある。

 横綱の品格のひとつに、感情をあらわにしないことがあげられる。
 双葉山、大鵬、最近では貴乃花。彼らは、勝っても、感情を噛み殺し、粛々と土俵を降りた。それが負けた力士に対する配慮であり、大相撲の美学であり、横綱の品格である。
 横綱が、勝ってガッツポーズをしたり、観客に手を振ったりするのは、邪道以下であって、罰せられるべき所業である。
 大ケガをした貴乃花が武蔵丸に勝って優勝したとき、こみ上げる歓喜の感情を押し殺して仁王立ちした、あの姿こそ横綱の真の姿なのだ。
 いや、あの顔すらしてはならないのが、横綱の美学というものではないのか。

(城島明彦)

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