渋谷TSUTAYAに苦言。 「ケースぼろぼろ・解説書なし」の古いCDが、レンタル料同じってヘンじゃないの?
DVDのレンタルだけで年間(2008年)約8億9000万枚という「CD/DVDの貸出数日本一」の渋谷のTSUTAYAで、賛美歌のCDを借りたときの話。
カウンターで、「解説が入っていませんけど、いいですか」と聞き取りにくい声で聞かれた。
しかし、ケースの中には解説書のカラーの表紙絵が見える。
(ちゃんと入っているのに妙なことをいう)
と思いながら、家に帰ってケースをじっくり見ると、解説書が入っていないと書かれた丸い小さなシールが貼ってある。
改めて「妙なことが書いてあるな」と思って、ケースから解説書を取り出し、手にとったら、ややっ!? あるのは表紙と裏表紙だけで、肝心の歌詞や解説を書いたページがゴソッと抜けていた。
ここで初めて、店員がモゴモゴといった言葉の意味が理解できた。と同時に、腹立たしくなった。
表紙と裏表紙だけしかないものをなぜ、まぎらわしく、入れているのか!?
それを抜き取っておけば、解説書がないことが、借りる者に一見してわかるはず。
一週間の予定で借りたが、早めに返すことにした。返却する前に棚をチェックしてみると、何と、同じCDがもうひとつあった。こちらは、きちんと解説書も入っていた。そのことを知って、また怒りがこみ上げてきた。
カウンターで店員(女の子)に文句をいったら、
「入ってないことを了承して借りられましたね」
と、したり顔で冷やかにいう。
その言い方に腹が立ち、「責任者を呼べ」と伝えた。
その子がケータイで連絡して責任者らしき女性が来たので、文句をいう理由を改めて伝えた。
①中身が抜けている解説書の表紙と裏表紙だけをなぜ入れておくのか。ケースに注意書きシールを貼っても、入っていると錯覚させるではないか。表紙と裏表紙を抜き取っておけば、一目でわかるではないか。
②店員は、貸し出す際に解説書が入っていないと告げたときに、こちらが怪訝な表情を返したのを見て、この客は初めてこういう欠陥品と出合ったらしいと見当がついたはず。なぜそのときに、解説書を取り出して見せ、それが表紙だけであることを示さなかったのか。その点に店員に落ち度がある。
②レンタル料金は、解説書も含めた価格(パッケージ価格)として設定されているはず。解説書が脱落しているものは、完全な商品とはいえない。欠陥商品をそうでない商品とまったく同じ金額でレンタルするというのはおかしいのではないか。レンタル価格をその分、割り引くべきではないのか。もし割り引けないのなら、不良品として、なぜ棚からはずさないのか。
③棚には、もうひとつ、解説書付きの同じ完成品があった。在庫があることは、レンタルする際、パソコン画面でわかるのではないか。したがって、客に、「もうひとつ、同じ商品があり、そちらは解説書が付いています。そちらにされますか」と打診べきではなかったのか。もし、パソコン画面ではそこまで詳細なデータがわからないというのであれば、「もう一点同じものがあるので、そちらは解説書が付いているかもしれません。確認されますか」というか、店員自身が棚まで行って確認してくるべきべきではなかったのか。
④もうひとつ同じ商品があるのだから、なぜその解説書をコピーして、ない方のケースにいれないのか。
⑤このCDは1993年発売となっている。十分すぎるほど元は取ったはずだ。なぜ新しいケースと取り替えないのか。TSUTAYAは、ケース一枚をけちっているのかと思われても仕方がないぞ。
この商品以外にも、ケースが割れていたり、まともに開けにくい商品がかなりある。なかには、爪が折れていて、開けた拍子にCDが落ちてしまうものもある。なぜきちんとチェックし、補修しないのか。
私の場合、誰が壊したかわからないケースを、テープで補修して返却するようにしている。客にそんなことをさせていることを「恥」と思わないのは、「貸してやっている」「文句があるならレンタルでなく、買え」「このCDは、すでに廃盤になっている。そういうものを借りられただけでもありがたく思え」という思いが、どこかにあるからなのか
責任者は、柔和に丁寧に応対してはくれたが、ビタ1円まけるとはいわなかった。欠陥商品であるという意識がない証拠である。
責任者の返答で理解できたのは、どの条項をさしているのかは知らないが、「解説書をコピーするのは著作権法で禁止されている」という返答だけだった。だからといって、解説書のないままレンタルしていいという理由にはならない。
私以外にも、疑問を感じた人がいるのではなかろうか? 感じても、ガマンしている人もいるのではないか?
(城島明彦)
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