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2009/10/10

金スマSP(南田洋子の認知症恢復)は、巧妙に計算された番組だった

 TBSテレビが、昨晩(2009年10月9日午後9時~)「金スマSP(スペシャル)」で、南田洋子の認知症(=痴呆症)に改善が見られるという話を、夫である長門裕之の〝極道人生〟を彼女がいかに健気(けなげ)に支え続けてきたかという〝お涙ちょうだいストーリー〟と重ねて、再現ドラマを交えながら紹介した。

 この番組を放送する3日前に、長門裕之から、南田洋子が正気を取り戻しているとTBSに連絡があったので、急遽(きゅうきょ)、その映像を撮影して、番組に入れ、これが全編のコア(核)となっている。

 その映像で見ると、半年近く前にテレ朝が映し出した「正視にたえないほど老(ふ)けて、変わり果てた南田洋子」というイメージとはまるで別人の「生き生きとした南田洋子」であった。
 
 今年の4月20日にテレ朝が「ドキュメンタリ宣言」という番組で見せた南田洋子は、髪ふり乱し、自分が誰であるかさえわからない症状に陥っていた。この番組は、その半年前の2008年11月3日に同枠で流した南田洋子の認知症をテーマにした「第2弾」というか、「続編」として制作された。

 なぜ続編を作ったのかといえば、第1弾が22%を超える高視聴率をあげたからである。
 しかし、テレ朝の撮影クルーは、第2弾では、痴呆状態で意思の疎通を欠く南田洋子と彼女を介護する長門裕之を追いかけて、美しさを売り物にする「女優」という職業にあった女性が、本来、人様には見せるべきではない衝撃的な姿を放映し、視聴者から激しい非難を浴びた。

 その放送で問われるべきは、
「彼女が正気であったなら、そんな状態になった時の姿が全国放送されることを認めたかどうか」
 という判断・配慮が抜け落ちていた点である。
 彼女が元気だった頃に出演した映画やDVDを見て、数多くの人々がその映画や彼女に抱いていた心情や思いを無残に踏みにじったという点への配慮のなさもあった。
 
 私も、当ブログで、
 「女優という夢を売る商売をしている女性の、気の毒で残酷な姿・醜態を他人の好奇の目にさらすな」
 と非難した。
 「女優であっても人間」
 という人もいるだろう。だが、女優という職業を選んだ以上、そのイメージを崩すようなことはしてはならないのだ。
 わかりやすい例を出そう。たとえば、晩年の石原裕次郎や美空ひばりが、認知症になったと仮定した場合、その姿を見たいと思う人がいると思うか。もしそうなったとしても、そういう姿は見せないでほしいと願うはずだ。
 石原裕次郎は「タフガイ」というニックネームやテレビドラマ「西部警察」で「ボス」と呼ばれていた役どころどおり、死ぬまでタフな男でいてほしいと人々は願ったし、美空ひばりに対しても、大病から復帰した直後のコンサートで、苦痛を感じさせない歌いっぷりを見せたから、「永遠の裕次郎」「永遠のひばり」として、今も人々の心のなかに生き続けているのだ。

 そういうイメージを南田洋子の夫である長門裕之は、まったく理解していなかった。

 さて、今回のTBSの金スマSP(スペシャル)で映し出された南田洋子についてだが、3日前の彼女として映し出された映像は、テレ朝の第2弾でのイメージとあまりに違うので、番組を見た人は、例外なく、びっくりしたはずである。髪はきちんと整えられ、表情も引き締まり、目が生き生きとして、言葉づかいもはっきりし、ジョークまで口にしたていたのだから。

 そのとき私の頭をかすめたのは、「まだらボケ」という言葉だった。認知症には、「ずっとボケっぱなし」の場合と、「ときどきボケる」場合と、「ときどき正気に返る」場合の3通りあるが、「南田洋子は3日前に正気に返ったのではないのか」ということだった。
 番組中では、「長門裕之から連絡があって、自宅を訪ねることになった」という意味のナレーションが〝さらっと〟語られる。
 それを聞いて、私は、「たまたま3日前に正気づいただけなのではないのか」と疑った。

 認知症の看病のしんどさ、老人介護で家族にかかる負担の想像以上の大きさ・重さは、実際に体験した人だけでなく、そういう話を聞いたり、本で読んだりして、かなりの人が知っている。
 私自身も、父の介護で母や妹が倒れたので、その大変さはわかっているつもりだが、父の存命中に、もしどこかのテレビ局が「家族に迷惑をかけている父の姿をテレビで放送したい」と申し入れてきたとしても、私や母や妹は断っていただろう。

 (父は認知症ではなかったが、要介護4であった。要介護度は5段階あり、一番重いのが5で、父はその次だった)

 私の父は教師だったから、たくさんの教え子がいる。
 もし仮に父が認知症に陥っていたとしても、教師だった人間には尊厳というものがあるし、教え子たちの思い出のなかにある父の元気な頃のイメージを私は壊したくはないし、父もそう願うであろうから、父の老いさらばえた姿を他人に公開したいとは絶対に思わない。

 南田洋子は、演技派というよりは、美しさや聡明さを売り物にしていた大女優である。そのイメージを壊したり、覆すようなことを、家族はしてはならないのではないか。

 今回の「金スマSP」のスポンサーは、トヨタ、NTTドコモ、資生堂、ロッテ、P&Gなど、そうそうたる一流企業群である。
 これらの大企業は、半年前のテレ朝番組への批判の声を知っていて、番組に注文を出しているはずである。内容次第では、企業イメージに傷がつくだけでなく、下手をすると企業批判までされかねないからだ。
 その点、TBSは、これらの大スポンサー様のご機嫌を損なわないよう最大限の注意を払い、その結果、番組は、用意周到、批判が起きないように、実に巧みに作られていた。

 「医者は、彼女の恢復ぶりについて、どう診断しているのか。知りたい」
 と思いながら私はテレビを見ていたが、なかなか医師が登場しなかった。
 医師は、最後の方にちょっとだけ登場し、「肝臓が原因の認知症は、肝臓が治っていくと症状が改善される」というだけであり、それに続いて、
 「認知症は、進行する」
 というニュアンスのナレーションを、番組の終わり間際に、申し訳程度に付けたしていた。
 要するに、TBSは、番組全編を通して、夫婦愛を強調し、元気になっている姿を巧み随所に挿入することで、
 「南田洋子は、ちょうど3日前に偶然、正気づいただけじゃないのか」
 と疑わせないように演出する一方で、
 「南田洋子は、治ったんだ、恢復したんだ」
 と思わせるような演出をしていながら、「認知症は、進行する」と逃げを打っているのである。

 「テレ朝のような失敗・愚はおかすまい」
 とのTBSの思惑に、どれだけの視聴者が気づいたろうか。

 3日前以前の元気な姿の映像が、なぜないのか!?

 今回の番組は、視聴者の反応(同情・反論など)をすべて予想し、再現ドラマを多用するなど、計算しつくした構成・演出がなされており、その点では、(多少の皮肉を込めて)非常によくできたドキュメンタリー番組だったということができる。

(城島明彦)

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