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2009/07/26

「張り手連発」の朝青龍は、横綱の資格なし! 早期引退を望む

 「横綱の品格」
 という言葉とは縁遠い存在。
 それが朝青龍だ。
 誰が何回いっても、わからないようだ。

 大相撲名古屋場所14日目(7月25日)。優勝争いから早々と脱落している朝青龍は、琴欧州と対戦した。
 琴欧州は大関、しかも横綱白鵬と優勝争いをしている。
 (そういう相手に、まさか張り手はしないだろう)
 そう思っていたら、案に相違して、右手で強烈な張り手を放った。
 テレビカメラのマイクはそのときの音を拾っていた。
 バシッではなく、ガシッというような、すごい音がし、琴欧州のでかい顔が大きく横を向いた。
 激しい衝撃があったはずだが、琴欧州は、それをものともせず、いとも簡単に朝青龍を土俵外に葬り去った。
 
 朝青龍は、志が低い。低すぎる。
 張り手をしなかった取り組みのほうが少ないのではないか。

 「張り手」を使わないと勝てないのかもしれない。
 これだけ頻繁に使うと、そう思えてくる。

 「横綱相撲」
 という言葉を朝青龍は知らないようだ。
 連日連夜の「張り手」をしても、横綱として恥ずかしいと思っていないのだろう。
 見ているこちらが恥ずかしくなってくる。

 何のつもりで、相手かまわず、連日の取り組みで、張り手をかますのか?
 まともにやっては勝てないと思っているなら、サッサと引退せよ。
 日本の国技を汚す人間は、相撲界から一刻も早く去れ、といいたい。

 朝青龍は強いのだから、張り手など使うな。
 封印せよ!

 張り手は、れっきとした相撲の技の一つではあるが、毎日毎日、立ち合いで張り手を繰り出す横綱が、どこにいる!
 もはや、「くせ」「習慣」になってしまっている。情けない。

 勝つために何をやってもいいのは、下位の力士だけだ。
 たとえ立ち遅れても、堂々と受けて立ち、相手を一蹴する。
 それが横綱というものだ。

 張り手のどこが悪い、と朝青龍が開き直るなら、こう尋ねたい。
 「連日、立ち合いで変わったり、引き落としを連発したり、けたぐりばかり繰り出す横綱がいたら、どう思うか」と。
 張り手は、それと同レベルの、横綱が連発してはいけない技だ。

 それくらいことを、横綱なら理解しなければならない。

 NHKの相撲解説者やアナウンサーも、そのことをもっと厳しくいうべきだ。

 大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花といった名横綱の誰が、相手かまわず張り手を連発した?
 日本の大相撲史を飾った歴代の横綱のなかで、誰がいる?

(城島明彦)

2009/07/23

草彅剛は、なぜ簡単に「地デジCM」のキャラクターに復帰できたのか? 裏で何があった?

 芸能界は甘い。甘すぎる。

 逮捕されはしたが不起訴となったものの、草彅剛は「チン出し」というハレンチなことをやらかして、あれだけ世間を騒がせておきながら、再び「同じイメージキャラクター」として復帰できるとは、一般人の感覚では理解しがたい。

 一度、事件を起こし、企業イメージを傷つけて、CMキャラクターから降ろされたら、二度と復帰はありえない。
 それが広告業界の掟であり、常識ではなかったのか。

 草彅が無償で出演するという話になっているが、「タダだから、いいだろう」という理屈にはならない。
 「恩返し」「おわび」
 というのは当事者間だけの問題であって、第三者たる一般人の感覚ではない。
 
 私は、個人的には、タレントとしての草彅剛を嫌いではないが、それとこれとは別。ケジメはケジメとして、きちんとつけないと、「前例」となってしまう。

 そういう悪例を、NHKおよび民放各社は、つくってしまったのである。

 NHK単独なら、おそらく、こういうことはしなかっただろう。

 民放一社だけでも、同様だったろう。

 そこに、「みんなで渡れば怖くない」的な、怖さが潜んでいるといえはしまいか。

 「草彅が許されたのだから、今度の誰それだって、ほとぼりが冷めたら、また出せばいい」
 そういうことになっていく危険性をはらんでいる。

 「たとえ不祥事を犯しても、人柄がよくて、反省しさえすれば許され、いとも簡単に復帰できるのか」
 という問題も浮上する。

 もし彼が群小芸能プロダクションに所属していたなら、復帰などありえない話だったろう。
 彼がNHKはじめテレビ各局に多大な影響力を持つ「ジャニーズ事務所」に所属しているからだと疑わざるをえない。

 企業のCMに起用されていた芸能人で、何か事件や騒ぎを起こして、そのCMを降ろされた者が再び同じ企業の同じ商品のCMキャラクターとして、事件からそう遠くない日に再び採用されたことは、過去に例がないのではないか。

 もし誰かいたなら、その芸能人の名前と起用した企業・商品名を教えていただきたい。

(城島明彦)

2009/07/10

あれから50年。〝NHK紅白歌合戦7年連続出場歌手〟中原美紗緒「河は呼んでる」の歌詞が消えた謎を追う [その2]

●フランス映画「河は呼んでる」の舞台は、アルプス山麓からプロバンス地方の古都アビニヨンへと流れているデュランス河である。
 原作者のジャン・ジオノと映画監督のフランソワ・ヴィリエが映画化に着手したのは、一九五六年の春だった。
 フランソワ・ヴィリエは、1920年3月生まれで、「河は呼んでる」を完成させたときは38歳。
 9歳上の兄は著名俳優のジャン・ピエール・オーモン(1911年~2001年)で、映画界にはコネがあったが、当初から映画界に身を置いたわけではなかった。大学を出て「エクレール・ジュナル紙」に勤め、ニュース・カメラマンをしていたが、映画界に転進したのである。

●フランソワ・ヴィリエは、カメラマンから出発し、演出家を目指して助監督になり、当時の一流監督だったジャック・ド・バロンセリ、モーリス・クロシュ、レオニイド・モギイらに師事。短編映画監督としてデビューを果たす。
 短編監督作品には「黒い友情」「ブラザヴィールをめぐって」「伊太利に於けるローレーヌの十字勲章」などがあるが、これらは第二次世界大戦中に撮影したもので、ナチスドイツに占領されていたフランスが連合軍の侵攻によって解放されると、ジャン・コクトーの解説で、これらの作品は上映され、話題を呼んだ。
 「河は呼んでる」以前の長編映画監督作品は、兄のピエールを主演に据えた「マルセイユの一夜」(1948年)だけである。

●映画「河は呼んでる」のストーリーは、ジャケットの解説のところにも少し書かれていたが、もう少し詳しく紹介しておこう。
 アルプス山麓のオート・ザブル県にあるユバイという彼女の住む村は、デュランス河のダム工事のために人口湖の底に沈むことになり、村人たちは賠償金をもらう。
 オルタンスの父は土地をたくさん持っていたので、3千万フランという大金をもらうが、それを家のどこかに隠したまま死んでしまい、彼女が遺産相続人となる。
 しかし彼女は未成年なので、後見人が必要だった。公証人立会いのもとで親族会議が開かれ、未成年の彼女を親戚が1か月ずつ預かるという取り決めをつくる。
 ところが、親戚の連中は彼女が手にする遺産がめあてで、醜い争いを繰り広げるが、金の隠し場所を誰も発見できない。
 彼女も知らなかったが、ある日、偶然、屋根裏部屋のおもちゃ箱に隠してあるのを見つける。その瞬間から、彼女は大金持ちになったのである。
 強欲な親戚連中のなかで、オルタンスが唯一、信頼し、心を寄せたのは、おっとりして金銭に無頓着なシモンという名の叔父だった。シモンは羊を飼い、のんびりと大自然のなかの生活をエンジョイしていた。オルタンスは、前々からよくそこを訪ねては、彼と一緒に羊の群れを追っていた。
 オルタンスは、父の残した遺産の一部で新しい服を買ったりテレビを買ったりしたので、親戚の者は彼女がお金を見つけたに違いないと考え、彼女を地下室に監禁する。
 しかし、彼女は白状しない。
 やがて、オルタンスが生まれ育った家や村がダムの底に沈む日がやってきた。その日は、彼女がちょうど成人になる日だった。
 彼女は、巨額の金をおもちゃ箱からテレビの箱のなかにこっそりと移し変えていた。
 そのテレビは、今は、自分を監禁した親戚の家に運ばれている。
 ダムに貯水が開始され、監禁されていた自分の家が水に沈む直前にオルタンスは、脱出し、公証人や親戚の者が居並ぶ前で、テレビからお金を取り出す。
 そしてその金を持ってスクーターに乗り、心を寄せるシモン叔父のもとへと向かったのである。

●映画「河は呼んでる」の評については、フィガロ紙のものは紹介したが、それ以外の新聞の表も紹介しておこう。
 《 「河は呼んでる」は今迄にその類を見ない映画である。ジャン・ジオノは強大な機械工場に圧迫される自然を前にして、まず抵抗を感じてシナリオの筆をとった。語らざる風景はまれに見る厳正な趣きを呈し、フランスでも有数の風光明媚なこの地方をシネスコ画面と美しい色彩とが完璧にとらえている。 》(「パリ・ジュルナル紙」1958年5月8日付)
 《 この映画は、物語そのもののうちに、出演者たちの心理の動きの中に、ドラマの背景となる風景そのものの中に、そのすぐれた価値をもっている。
 監督はモナスク付近の非常に美しい風景をすぐれた色彩でとりあげることができた。パスカル・オードレの演技はまったく素晴らしい。アンネ・フランクを舞台で演じて有名になる以前に、彼女を発見し、この大役を与えたフランソワ・ヴィリエ監督の慧眼(けいがん)の敬意を表すべきである。 》(「ル・モンド紙」1958年5月8日付)

●映画の話は以上で終わり、主題歌に移る。
 「河は呼んでる」という曲名は、現在では「河は呼んでいる」という「い」を入れた題名で音楽の教科書やピアノ教則本などに載っている。
 どう違うかの簡単な見分け方は、「『い』のない方」は映画が封切られた当時の歌詞で、「『い』のある方」は後日作られた歌詞だと考えればよい。
 「い」を入れた歌詞は、音羽たかしとは違う別の作詞家の手になる訳詞で、最初に中原美紗緒が歌った歌詞とはまったく違った内容になっている。音羽たかしについては[その1]で説明した。
 その歌詞を訳した人は、水野汀子という作詞家だ。

●曲名に「い」が入って「河は呼んでいる」となっただけでなく、歌詞がまったく別物に変わったのは、1961年である。NHKの音楽プロデューサー、ディレクター、作詞者自身のいずれかが言い出し、意図的に変えたに違いないが、歌が大ヒットしてわずか3年しか経っていない時期に、なぜ変えなければならなかったのか!? その話をする前に、「い」のない歌詞を、もう一種類、紹介しておこう。

●「い」のない「河は呼んでる」の日本語訳詞は、加山雄三の「君といつまでも」ほかの歌の作詞家としても知られる岩谷時子が訳した詞だ。
 岩谷時子は、元宝塚の出版部勤務から、大物シャンソン歌手越路吹雪(こしじふぶき)のマネージャーに転じ、越路吹雪のためにオリジナル訳詞を創ったのである。越路吹雪は宝塚出身で、宝塚時代に二人は仲良くなった。

●(2)河は呼んでる(岩谷時子訳詞) 右側が原詞
  あの娘は河の 溢れる水よ      Ma petite est comme l'eau Elle est comme l'eau vive
  走れば子等は 追いかけてゆく    Elle court comme un ruisseau Que les enfants poursuivent
  走れ 走れ 流れのように       Courez, courez  Vite si vous le pouvez
  誰にも 掴まらぬよう          Jamais, jamais Vous ne la rattraperez

  そよ風ふけば 子羊つれて       Lorsque chantent les pipeaux Lorsque danse l'eau vive
  あの娘はいつも 森へ出かける     Elle mène mes troupeaux Au pays des olives
  おいで おいで 羊の群よ       Venez, venez, Mes chevreaux, mes agnelets
  オリーヴしげる 水のほとりへ     Dans le laurier, Le thym et le serpole

  いつもあの娘が まどろむときは    Un jour que sous les roseaux Sommeillait mon eau vive
  若者たちが まわりを囲む       Vinrent les gars du hameau  Pour l'emmener captive
  しめろ しめろ ハートの鍵を      Fermez, fermez  Votre cage à double-clé
  溢れる水よ 早くお逃げよ        Entre vos doigts  L'eau vive s'envolera

  若者たちは あの娘が好きで      Comme les petits bateaux  Emportés par l'eau vive
  愛のながれに 小舟を浮かべる    Dans ses yeux les jouvenceaux  Voguent à la dérive
  漕げ 漕げ 恋の港へ          Voguez, voguez, Demain vous accosterez
  だけどあの娘は お嫁には早い    L'eau vive n'est  Pas encore à marier

  ある朝のこと 可愛いあの娘を     Pourtant un matin nouveau À l'aube mon eau vive
  やさしい声で 河が呼んでいた     Viendra battre son trousseau Aux cailloux de la rive
  お行き お行き 河は呼んでる     Pleurez, pleurez Si je demeure esseulé
  お前の河の 溢れる水よ         Le ruisselet Au large s'en est allé

●加山雄三の「お嫁においで」とどこか似かよう印象がある訳詞である。「お嫁においで」も、加山の曲が先にできていて、あとから岩谷時子が詞をつけたから、作業としては訳詞と同じだ。
岩谷時子の詞は、シャンソンの影響が強く、春夏秋冬の自然を歌詞にとりいれるのが巧みである。

●「お嫁においで」(岩谷時子作詞・弾厚作作曲) ※弾厚作は、加山雄三のペンネーム。
  もしもこの船で 君の幸せ見つけたら
  すぐに帰るから 僕のお嫁においで
  月もなく寂しい 暗い夜も
  僕に歌う 君の微笑み
  船が見えたなら 濡れた体で駆けて来い
  サンゴでこさえた 赤い指輪あげよう

  もしもこの海で 君の幸せ見つけたら
  すぐに帰るから 僕のお嫁においで
  波も夢を見てる 星の夜は
  僕に揺れる 君のささやき
  船が見えたなら 濡れた体で駆けて来い
  空へ抱き上げて 燃えるくちづけしよう
 
●「河は呼んでる」の歌詞を一変させるのは、子供向けの番組「NHKみんなのうた」である。
 中原美紗緒が最初に歌って大ヒットした歌詞は、映画の内容に沿ったものなので、映画を知らない人には意味がわからないところがいっぱいある。
 「オルタンスって何?」
 「やがてすべてが 流れの底に埋もれる? 何のこと?」
 ましてや子供となると、なおのこと。意味が理解できなくなる。それで、映画を知らなくてもわかる内容に変えられたと推理できる。
 「子供は、映画のストーリーなんかわからないから、いっそのこと、まったく別の訳詞にしよう」
 「それに、最初の訳詞は歌詞の一部をすり変えていて問題がある」
 ということになり、シャンソンなどを訳詞していた水野汀子に頼んだ。
 曲名も、このとき「河は呼んでる」から「河は呼んでいる」に変わり、歌詞も子供を意識してガラリと変わったのである。

●(3)河は呼んでいる(訳詞 水野汀子)  右側が原詞(1番のみ)

  そよ吹く風に 小鳥の群れは      Ma petite est comme l'eau Elle est comme l'eau vive
  河の流れに ささやきかける       Elle court comme un ruisseau Que les enfants poursuivent
  ごらんよ あの空 しあわせの陽が   Courez, courez  Vite si vous le pouvez
  あなたの上にも ほほえんでいる    Jamais, jamais Vous ne la rattraperez

  野ばらのかげに 小鳥はいこう
  森の泉も 静かに眠る
  ごらんよ あの河 ささやく声が
  わたしの胸にも 呼びかけている

  そよ吹く風に 小鳥の群れは
  河の流れに ささやきかける
  ごらんよ あの空 しあわせの陽が
  あなたの上にも ほほえんでいる

  ごらんよ あの空 しあわせの陽が
  あなたの上にも ほほえんでいる

●「NHKみんなのうた」が始まったのは、「い」抜きの「河は呼んでる」の歌がヒットした3年後。昭和36年(1960年)4月3日。放送時間は月曜から金曜までの毎日で、午後6時30分から35分まで。
 新しい訳詞をつけた「河は呼んでいる」が「NHKみんなのうた」に初めて登場するのは、番組開始から3年目の昭和38年春。4月・5月の木曜日に中原美紗緒が歌ったという記録がある。
 そのことを確認するべく、NHKに尋ねたところ、「『NHKみんなのうた』の歌集の1冊目(第1集)が資料として残っているが、誰が歌ったかは書いてない。昭和39年3月発売となっている。それ以外はわからない」との返事だった。
 中原美紗緒本人に確認するのが一番確実だが、彼女はすでに亡くなっている。
 訳詞が映画の内容を反映しすぎていることや、歌詞の一部が勝手にすりかえられているという問題はあったにせよ、大ヒットした歌である。しかもNHKは、紅白歌合戦でも中原美紗緒にその歌詞で歌わせている。
 そこまでしておいて、同じNHKがまったく別の歌詞に変え、それを同じ歌手に歌わせるという神経が、私にはよくわからない。
 その後も、同番組で「河は呼んでいる」は何度も取り上げられ、歌集にも掲載されてきた。
 こうして、中原美紗緒の当初の歌は、過去のものとして葬り去られるような形で消えていく運命をたどったのである。

(城島明彦)

2009/07/09

あれから50年。〝NHK紅白歌合戦7年連続出場歌手〟中原美紗緒「河は呼んでる」の歌詞が消えた謎を追う [その1]

 誰にも、はるか昔に聞いた歌をもう一度聞きたくなるときがある。
 私の場合は、中原美紗緒(なかはらみさお)の「河は呼んでる」(「呼んでいる」ではない)がそうだった。
 シンプルで覚えやすいワルツの曲を、中原美紗緒が透き通るような美しい声で歌って大ヒットした歌である。今から半世紀も前の出来事だった。
 この歌のレコードには、異なる3つの訳詞が存在し、興味ひかれる謎めいた話がある。

●中原美紗緒という名前を聞いても、「誰?」という人が多くなった。
 彼女は東京芸大の声楽科出のシャンソン歌手で、昭和30年代(1955年~64年)に活躍し、NHKテレビの連続ドラマ「バス通り裏」の主題歌を歌い、紅白歌合戦に7回連続して出場するなど活躍したが、1997年夏に65才の若さで亡くなった。
 「あんみつ姫」(倉金章介原作の同名マンガのドラマ化)の主役で、映画にも何本か出演した。
 彼女が歌った深夜の映画劇場(マルマン映画劇場)の冒頭に流れる「夜は恋人」という曲もヒットした。
 (蛇足:マルマンは、国産初のガスライターを売り出し、その後、ゴルフ用品や禁煙パイポで知名度を上げた会社。創業者か片山豊。衆議院議員の片山さつきは、舛添要一と離婚後、片山豊の息子で元社長の片山龍太郎と結婚している)

●中原美紗緒は、中原淳一の姪っ子である。
 中原淳一の名は、年配の女性なら大概(たいがい)知っている。若い女性でも、彼の描いた挿絵の画風を見ると、「この絵なら見たことがある」と思う。
 中原淳一は、竹下夢二のような抒情的な女性の絵を描いた画家・挿絵画家であったが、それだけでは満足せず、少女雑誌「それいゆ」「ひまわり」を創刊するという異才の持ち主で、その表紙を自ら描いた。彼が描く少女が身につけたファッションは少女たちから圧倒的な支持を集めた。
 「ひまわり」や「それいゆ」は何度か復刊され、今でも目にすることができる。

●「河は呼んでる」は、彼女が紅白歌合戦に3回目に出たときに歌った曲で、今日でも子供のピアノ教則本やフルートやギターの教則本にも載っていて、かなりポピュラーな曲といってよい。歌の本やギター教則本に載っている歌の題名は「河は呼んでる」と「河は呼んでいる」の2つがある。
 「い」をつけるかつけないかなど、どうでもいいじゃないか、と思ったら大間違いだ。「い」がついているのとついていないのとでは、大違いなのである。

●現在、中原美紗緒が歌ってレコード化し、大ヒットした「河は呼んでる」を収録しているCDは、かつてのSPレコード音源からCD化した全集(絶版)など、そのほとんどが絶版になっている。
 そういう状況下で、私は、この歌が収録されている「Music Life~栄光のポップス・ヒッツ~」(キングレコード)というCD(全部で40曲入っている)を見つけ、買った。
 「河は呼んでいる」だけを聞きたいのであって、ほかの曲は聞きたくもなかったが、You Tubeにアップされていない田代みどりの「パイナップル・プリンセス」が入っていたのと、定価が3200円と手ごろだったから、「まあ、いいか」と思って買った。

●割安なのはよかったが、冒頭のフランス語の歌詞が4箇所も違っている歌詞カードにはまいった。
 viteをvinte と誤記したり、rattraperezのtが1個しかなかったりするのは愛嬌だとしても、どう聞いても中原美紗緒が「ヴェネ、ヴェネ」と歌っているようにしか聞こえない個所が「Jenez,Jenez」となっているのはひどい。(これについては詳しく後述する)

●私は、学生時代にフランス語を教養課程で2年間学んだ程度で、その後はまったくご無沙汰しているので、フランス語の知識は怪しい限りだが、中原美紗緒の「ヴェネ、ヴェネ」(venez,venez)という発音が気になり、原詞にあたってみた。
 原詞を書いたのは、ギイ・ベアールというシンガーソングライターで、彼は作曲もし、自ら主題歌も歌ったのである。この歌はシャンソンらしくなく、フォーク調という点も異色だった。それが幅広い層に好まれた原因かもしれない。

●このシャンソンらしくないフォークっぽい感じの曲が世界的に流行ったのは、昭和33年(1958年)で、この年封切られたフランス映画「河は呼んでる」(「呼んでいる」ではなく、「呼んでる)」の主題歌として歌われた。映画もヒットしたが、主題歌は爆発的にヒットした。
 フランスのフィガロ紙は、この映画を「控え目で、感動的で、明解で、しかも残虐なユーモアを帯びたこのシナリオのもつ詩に感激しないものはあるまい」(5月6日付)と絶賛し、フランス文部省推薦となった。

●「河は呼んでいる」の原詞を見てわかったのは、中原美紗緒が歌っていた歌詞の「1番の出だしのフランス語は、一部が原詞と違っている。2番の歌詞の一部を勝手に1番に持ってきている」ということだった。
 1番の原詞で、Jamais, jamais,(ジャメ、ジャメ)となっている個所を、2番の歌詞であるVenez, venez,(ヴネ、ヴネ)に変えているのだ。今なら、著作権法上、アウトだが、それ以前に、この2つの言葉は意味がまったく異なる。
 Jamaisは、原詞では「後の文章に否定を伴う用法」として使われている。
   Jamais, jamais, Vous ne la rattraperez  とても、とても、あの子はつかまらないよ
 これを、勝手に次のように変えたら意味が通じなくなる。
   Venez, venez,  Vous ne la rattraperez   おいで、おいで、あの子はつかまらないよ
 意訳するといっても、ここまでやるのは問題である。
 原詞を無視して訳したのは、音羽たかしという作詞家。
 この人が悪いのか、音楽プロデューサーが悪いのか、ディレクターが悪いのか?

●音羽たかしとは誰か? 「音羽」が、キングレコードの本社のある文京区音羽にちなんでいることは容易に想像できる。名前の「たかし」は、そこが高台だったということに引っ掛けていることも想像がつく。それともう一つ、「音は高し」(音楽は高らかに、といったような意味)というシャレでもあるのだろう。
 この音羽たかしなる人物は、キングレコードに所属したザ・ピーナツ、ペギー葉山らが歌った海外のポップスの訳詞を多数手がけているが、キングレコードの複数社員の総称であって特定の個人ではない。いわば匿名というか覆面作詞家である。だからといって、無責任な訳をしてよいわけではない。

●中原美紗緒が歌ったシングル盤レコード「河は呼んでる」は、キングレコードから350円で発売された。
 ジャケットは、羊が群れているアルプス山麓の牧草地の岩に主人公の少女「オルタンス」が右向きに腰かけて、足を小川にひたしている写真が使われている。映画のワンシーンだが、レコードジャケットでは、足元の小川の部分がカットされている。
 ジャケットでは、オルタンスの足元(右下)にも中原美紗緒の顔写真が丸窓にはめ込んである。
 そして右上にある山には、男たちが5人集まった(これも映画の)一場面が横長に小さくはめ込まれている。
 このことからわかるように、音羽たかしの訳は、映画の内容を反映したものになっている。

●(1)「河は呼んでいる」(訳詞 音羽たかし) 最初の歌詞
 中原美紗緒が歌って大ヒットし、NHK紅白歌合戦で彼女が歌った歌詞を、ジャケットに記されたレイアウトで以下に再現する。

  Ma petite est comme l'eau
  elle est comme l'eau vive
  elle court comme un ruisseau
  que les enfants poursuivent
  courez, courez, vite si vous le pouvez
  venez, venez, vous ne la rattraperez

  1)デュランス河の 流れのように
   仔鹿のようなその足で
   駆けろよ 駆けろ かわいいオルタンスよ
   小鳥のように いつも自由に

  2)岸辺の葦(あし)に 陽はふりそそぎ
   緑なす野に オリーブ実る
   駆けろよ かけろ 可愛いオルタンスよ
   心ゆくまで 子羊たちと

  3)やがてすべてが 流れの底に
   埋もれる朝が 訪れようと
   ごらんよ ごらん かわいいオルタンスよ
   新しい天地に あふれる水を

●中込純次(フランス文学者)の訳
 原文に忠実な訳を紹介する。
   可愛いあの子は水のようだ    Ma petite est comme l'eau
   あふれ出る水、湧き出す水    Elle est comme l'eau vive
   あの子は走る河のように      Elle court comme un ruisseau
   それを子供が追いかける      Que les enfants poursuivent
   駆けろ。駆けろ            Courez, courez 
   どんなに早く走っても         Vite si vous le pouvez
   とても、とても            Jamais, jamais
   あの子はつかまらないよ      Vous ne la rattraperez

 これは1番の歌詞だ。原詞は全部で5番まであるが、「デュランス川」というフランス語は出てこないし、村がダムの底に沈むことを暗示した「すべてが流れの底に埋もれる」という言葉もない。「オルタンス」という少女の名前も出てこない。
 つまり、音羽たかし訳の歌詞は、映画のストーリーをうまく盛り込んだ内容なのである。おそらく映画の配給会社の要請もあっって、そうなったと推測できる。
 したがって、この映画を観ていない人や、年月が経って映画のことを知らない人たちが増えてくると、歌詞そのものの意味が理解できなくなってくる。

●ジャケットの裏には、歌詞(訳詞)以外にも歌の解説が載っている。今日ではわからないことも書かれているので、以下に引用する。
《 映画「河は呼んでる」(58年度、カンヌ映画祭出品作品)に主役として、登場するパスカル・オドレ(注:原文のまま)の名前は、演劇ファンの皆様にはおなじみ深い事と存じます。昨年秋(57年)、「アンネの日記」主役アンネに抜擢された当時無名のこの少女は、モンパルナス劇場の舞台に立ち大成功を収め、映画より一足先に舞台で有名になってしまいました。
 この映画の主役、オルタンスに扮する彼女のナイーヴな美しさと演技とは、わが国でも話題になる事でしょう。
 アルプスからプロヴァンスへと、ゆたかな流れを運ぶデュランス河と、そこに建設されて行くダム工事、更に湖底に沈む運命を負はされた渓谷の美しい村々が背景となって物語は展開されます。
 少女オルタンスは、デュランス河の化身ともいうべきで、人工的に変型されつつも、なお深い自然のふところを流れつづける河の姿は、そのまま少女が迫害、束縛、破壊にもかかわらず、自由と純潔を守りつづけて行く姿に通ずるものでしょう。
 映画ではギター1本によって、この河の乙女オルタンスのライト・モティーフが奏でられますが、この曲の持つ素朴で、しかも劇的な要素が観る者の心を強く打ちます。映画音楽として取り上げてみても最近出色の作品と申せましょう。作曲のギイ・アベールはモンマルトルの有名なミュージック・ホール「3匹のロバ」で歌っていた良い歌手で、この作曲で一躍有名になりました。
 レコードは無論少女オルタンスとデュランス河の清冽な流れを描写したこの映画の主題歌で、中原美紗緒の唄も清々しいリリシズムを盛り込む事に成功した、最近の傑出盤と申せましょう。 》

●映画の原題は、「L′EAU VIVE」で、主題歌は、これをそのままつけた。
L′EAUは「水」(最初のLは冠詞)、VIVEは英語のビビッド(vivid)に該当するフランス語で「生き生きとした」「活発な」という意味である。
 インターネットで調べてみると、現在、世界中に「L′EAU VIVE」という名前のホテルやレストランが多数存在し、海外ではとてもポピュラーな言葉であることがわかる。
 しかし、そのまま訳しても映画のタイトルにはふさわしくないので、意訳してロマンチックな感じのする「河は呼んでる」になった。
 映画「河は呼んでる」とその主題歌「河は呼んでいる」の河は、フランスのプロヴァンス地方を流れているデュランス河をさしている。
 プロバンス地方は、何年か前に日本でも観光地として注目を浴び、同地方のことを記した本が何冊も出たこともあり、今日では比較的よく知られた地名となっている。

●アルプス山脈を源流とするデュランス河は、〝暴れ河〟で、やたら氾濫を繰り返したので、ダムを作ることになり、そのあたりの村はダムの底に沈むことになる。
 そういう実話をヒントにして1956年に創作された映画が「河は呼んでる」(邦題)である。
映画の主人公は、黒髪が美しい少女オルタンス。彼女を演じたのがユダヤ系フランス人のパスカル・オードレ(ジャケットでは「オドレ」)。
 この映画の主人公は、デュランス河そのものであり、河の化身ともいうべきオルタンスである。
 映画の原作者ジャン・ジオノは、デュランス河の清烈で美しい流れと、身内の人間の醜い争いに触れて人間的に大きく成長していく姿を重ね合わせて描いた。

●パスカル・オードレは、13歳のときに映画「河は呼んでる」の主人公を探していた監督のフランソワ・ヴィリエに見いだされ、銀幕デビューを果たすのだが、「河は呼んでる」は、ダムの工事に合わせて撮影が進んだため、4年もの歳月を要することになる。
 企画がスタートしてから完成するまでに4年もの歳月をかけたこの映画の主役にオードレが抜擢された理由は、原作者ジャン・ジオノのイメージにぴったりだったからである。

●パルカル・オードレは、1936年にパリ郊外のヌイイ・シュル・セーヌで生まれ、幼少時にはスペインでも暮らした。
 彼女は、俳優のオリヴィエ・ユスノに勧められて、ノクタンビュエール劇場所属の「ピエール・ヴァルトの演劇講座」を受講し、演技の基礎を学んだ。そして、端役(はやく)ではあったが、「メイジャー・トムプソンの手帖」「現代娘」の舞台に出た。
 映画出演も、「河は呼んでる」が最初ではなかった。それ以前に、「二人で一対」「(1952年)、「未来のスターたち」(1955年)、「パリのマネキン」(1955年)などにも端役で出ているが、ほとんど無名であった。
 「河は呼んでる」を撮影中、彼女には別の幸運が訪れる。1957年秋、舞台劇「アンネの日記」のアンネ役に抜擢され、パリの「モンパルナス劇場」の舞台に立つのである。アンネ役で彼女は一躍有名になり、「河は呼んでる」の成功は、その時点で約束されたようなものだった。
 
●「河は呼んでいる」は撮影中からフランス映画界・演劇界の注目を集め、彼女は撮影中に、アンドレ・カイアット監督の「眼には眼を」にも出演することになる。彼女は、美しい黒髪、大きな黒い瞳を買われてアラビア人の少女役だった。
 「河は呼んでる」で注目を浴びた後、彼女は、ピエール・シュナル監督の「危険な遊び」(1957年公開)に主役で出演した。しかし、「河は呼んでる」以上の評価をえることはできず、その後もつらい女優人生を歩むことになる。
 彼女の以後の出演作品は、「俺は知らない」(準主役級・1963年)、「カラカス12時5分前」(準主役級、ディズニー映画、1967年)、「自由の幻想」(脇役、1974年)、「ポケットの愛」(脇役、1977年)である。

●ここで話は飛ぶが、パスカル・オードレはやがて結婚し、女の子を生む。その子ジュリー・ドレフュスは成人して、お母さんそっくりの美人になり、フランスでモデルとして活躍する。
 彼女もまた、黒髪美人。しかも、日本語がぺらぺらだったことから、NHKの「フランス語講座」の助手に抜擢されて注目を集め、資生堂のCMや映画「遠き落日」などにも出演したので、知っている人は多いはずだ。しかし、きれいすぎて、今一つファンは増えなかった。
 「遠き落日」は作家渡辺淳一が書いた野口英世の伝記を映画化したもので、彼女は渡米した英世と結婚するアメリカ人看護婦の役を演じた。その後、彼女は、活躍の場をハリウッドに移している。この映画は2回見たが、印象に残っていないところをみると、映画自身の出来も彼女の演技もあまりたいしたものではなかったのだろう。
(以下、[その2]に続く)

(城島明彦)

2009/07/02

昭和30年代のB級白黒映画も、それはそれで面白い

 B級映画を4本まとめて観た。
 「ノンちゃん雲に乗る」(昭和30年=1955年)、「憲兵と幽霊」(昭和33年)、「女吸血鬼」(昭和34年)、「花嫁吸血魔」(昭和35年)。

 続いて大映の白黒映画「不知火検校」(昭和35年)を見た。これは森一雄監督作品のピカレスク・シネマ(悪漢主役の映画)である。
 悪知恵の働く盲目の按摩が悪いことばかりやって権力者に成り上がっていく話で、それまでは白塗りのノッペリした役ばかりやっていた勝新(勝新太郎)が怪演し、演技開眼した記念すべき作品。座頭市シリーズは、この作品の延長戦上にある。

 5本も古い映画を観ると、比較的新しいものも観たくなり、洋画の「ニーベルングの指輪」(5年くらい前の作品)も見た。
 これは、ワーグナーの歌劇「ニーベルンゲン」の映画化だが、A級まではいかないがAB級の娯楽大作で、話そのものは面白く、2回見た。もともとは壮大な叙事詩的ドイツ神話。それをかなり脚色してある。
 昔は、ニーベルンゲンと訳していたが、いつのまにか「ニーベルング」と呼ぶようになっている。ドイツ語では「Der Ring des Nibelungen」だから、「ニーベルンゲン」ではないのか?

 このところ、50年以上前に封切られた新東宝映画をたて続けにDVDで観ているが、映画に出てくる中華料理屋の看板に「ラーメン30円」などと書かれているのを見つけると、「これは歴史的資料だ」などと、つい大げさなことを考えたりしてしまう。古いB級映画には、そういう楽しみ方もある。

 「ノンちゃん雲に乗る」は、石井桃子原作のベストセラー童話の映画化。
 「文部省選定映画」なので、当時小学生だった人は、学校の貸し切りとなった映画館で観たか、学校の講堂で観たかのいずれかだったろう。
 私は講堂で見たが、映画のなかで、「ノンちゃん」に扮した鰐淵晴子がバイオリンで弾く「ガボット」と、悪ガキがはやしたてる「ノンちゃん、ノがつくノン左衛門(ざえもん)……」という歌は覚えていたが、雲の上から地上に戻るときにバイオリンを弾く「別れの曲」は覚えてはいなかった。

 彼女は1945年生まれなので、当時10歳だった計算になるが、日独混血だけあって体の成長が早く、着替えをするシーンでは下着の胸がすでに小さくふくらんでいることが、今回DVDで見てわかった。当時の日本人では考えられないことだ。

 それから15年後、私は本物の鰐淵晴子と会った。当時、私は東宝で助監督をしていて、彼女が「喜劇三億円大作戦」(石田勝心監督)に出演したからである。この話は別のところに書いたので、以下は省略。

 ノンちゃんのお母さん役は原節子。この人は、のちに小津安二郎作品には欠かせない女優となるが、今でも「日本一の美女」という伝説が残る人。
 今の人の美的感覚からすると、「ちょっと顔がでかすぎる」きらいはあるが、昔は、こういう人を理想の女性と考え、「永遠の処女」としたのである。吉永小百合の一世代上になる。

 おとうさん役は藤田進だ。この人には関東以北の人のような妙な訛(なま)りがあるが、出身地は久留米なので、いっぷう変わった九州訛りなのか。

 「ノンちゃん雲に乗る」は、今みると、雲の上の特撮が極めてお粗末で、しらけさせるが、当時はそんなことを感じなかったから不思議だ。

 「憲兵と幽霊」「女吸血鬼」は、怪談映画の最高傑作といわれる「東海道四谷怪談」を演出した中川信夫が監督した作品だけあって、B級企画ながら、よく撮れている。特に「憲兵と幽霊」は低予算にもかかわらず、面白く仕上げている。
役者では、天知茂が、「憲兵と幽霊」では極悪人の憲兵、「女吸血鬼」では吸血鬼と、あくの強い役を演(や)っている。
 「女吸血鬼」「花嫁吸血魔」のヒロインは池内淳子だが、同じ吸血鬼映画でも、監督の腕次第で、こうもレベルに差が出るかという見本のような作品である。
 こういう映画は、芸術性云々(うんぬん)を期待して観る映画ではないから、いかにB級娯楽に徹し切れているかどうかだ。

(城島明彦)

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