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2009/07/10

あれから50年。〝NHK紅白歌合戦7年連続出場歌手〟中原美紗緒「河は呼んでる」の歌詞が消えた謎を追う [その2]

●フランス映画「河は呼んでる」の舞台は、アルプス山麓からプロバンス地方の古都アビニヨンへと流れているデュランス河である。
 原作者のジャン・ジオノと映画監督のフランソワ・ヴィリエが映画化に着手したのは、一九五六年の春だった。
 フランソワ・ヴィリエは、1920年3月生まれで、「河は呼んでる」を完成させたときは38歳。
 9歳上の兄は著名俳優のジャン・ピエール・オーモン(1911年~2001年)で、映画界にはコネがあったが、当初から映画界に身を置いたわけではなかった。大学を出て「エクレール・ジュナル紙」に勤め、ニュース・カメラマンをしていたが、映画界に転進したのである。

●フランソワ・ヴィリエは、カメラマンから出発し、演出家を目指して助監督になり、当時の一流監督だったジャック・ド・バロンセリ、モーリス・クロシュ、レオニイド・モギイらに師事。短編映画監督としてデビューを果たす。
 短編監督作品には「黒い友情」「ブラザヴィールをめぐって」「伊太利に於けるローレーヌの十字勲章」などがあるが、これらは第二次世界大戦中に撮影したもので、ナチスドイツに占領されていたフランスが連合軍の侵攻によって解放されると、ジャン・コクトーの解説で、これらの作品は上映され、話題を呼んだ。
 「河は呼んでる」以前の長編映画監督作品は、兄のピエールを主演に据えた「マルセイユの一夜」(1948年)だけである。

●映画「河は呼んでる」のストーリーは、ジャケットの解説のところにも少し書かれていたが、もう少し詳しく紹介しておこう。
 アルプス山麓のオート・ザブル県にあるユバイという彼女の住む村は、デュランス河のダム工事のために人口湖の底に沈むことになり、村人たちは賠償金をもらう。
 オルタンスの父は土地をたくさん持っていたので、3千万フランという大金をもらうが、それを家のどこかに隠したまま死んでしまい、彼女が遺産相続人となる。
 しかし彼女は未成年なので、後見人が必要だった。公証人立会いのもとで親族会議が開かれ、未成年の彼女を親戚が1か月ずつ預かるという取り決めをつくる。
 ところが、親戚の連中は彼女が手にする遺産がめあてで、醜い争いを繰り広げるが、金の隠し場所を誰も発見できない。
 彼女も知らなかったが、ある日、偶然、屋根裏部屋のおもちゃ箱に隠してあるのを見つける。その瞬間から、彼女は大金持ちになったのである。
 強欲な親戚連中のなかで、オルタンスが唯一、信頼し、心を寄せたのは、おっとりして金銭に無頓着なシモンという名の叔父だった。シモンは羊を飼い、のんびりと大自然のなかの生活をエンジョイしていた。オルタンスは、前々からよくそこを訪ねては、彼と一緒に羊の群れを追っていた。
 オルタンスは、父の残した遺産の一部で新しい服を買ったりテレビを買ったりしたので、親戚の者は彼女がお金を見つけたに違いないと考え、彼女を地下室に監禁する。
 しかし、彼女は白状しない。
 やがて、オルタンスが生まれ育った家や村がダムの底に沈む日がやってきた。その日は、彼女がちょうど成人になる日だった。
 彼女は、巨額の金をおもちゃ箱からテレビの箱のなかにこっそりと移し変えていた。
 そのテレビは、今は、自分を監禁した親戚の家に運ばれている。
 ダムに貯水が開始され、監禁されていた自分の家が水に沈む直前にオルタンスは、脱出し、公証人や親戚の者が居並ぶ前で、テレビからお金を取り出す。
 そしてその金を持ってスクーターに乗り、心を寄せるシモン叔父のもとへと向かったのである。

●映画「河は呼んでる」の評については、フィガロ紙のものは紹介したが、それ以外の新聞の表も紹介しておこう。
 《 「河は呼んでる」は今迄にその類を見ない映画である。ジャン・ジオノは強大な機械工場に圧迫される自然を前にして、まず抵抗を感じてシナリオの筆をとった。語らざる風景はまれに見る厳正な趣きを呈し、フランスでも有数の風光明媚なこの地方をシネスコ画面と美しい色彩とが完璧にとらえている。 》(「パリ・ジュルナル紙」1958年5月8日付)
 《 この映画は、物語そのもののうちに、出演者たちの心理の動きの中に、ドラマの背景となる風景そのものの中に、そのすぐれた価値をもっている。
 監督はモナスク付近の非常に美しい風景をすぐれた色彩でとりあげることができた。パスカル・オードレの演技はまったく素晴らしい。アンネ・フランクを舞台で演じて有名になる以前に、彼女を発見し、この大役を与えたフランソワ・ヴィリエ監督の慧眼(けいがん)の敬意を表すべきである。 》(「ル・モンド紙」1958年5月8日付)

●映画の話は以上で終わり、主題歌に移る。
 「河は呼んでる」という曲名は、現在では「河は呼んでいる」という「い」を入れた題名で音楽の教科書やピアノ教則本などに載っている。
 どう違うかの簡単な見分け方は、「『い』のない方」は映画が封切られた当時の歌詞で、「『い』のある方」は後日作られた歌詞だと考えればよい。
 「い」を入れた歌詞は、音羽たかしとは違う別の作詞家の手になる訳詞で、最初に中原美紗緒が歌った歌詞とはまったく違った内容になっている。音羽たかしについては[その1]で説明した。
 その歌詞を訳した人は、水野汀子という作詞家だ。

●曲名に「い」が入って「河は呼んでいる」となっただけでなく、歌詞がまったく別物に変わったのは、1961年である。NHKの音楽プロデューサー、ディレクター、作詞者自身のいずれかが言い出し、意図的に変えたに違いないが、歌が大ヒットしてわずか3年しか経っていない時期に、なぜ変えなければならなかったのか!? その話をする前に、「い」のない歌詞を、もう一種類、紹介しておこう。

●「い」のない「河は呼んでる」の日本語訳詞は、加山雄三の「君といつまでも」ほかの歌の作詞家としても知られる岩谷時子が訳した詞だ。
 岩谷時子は、元宝塚の出版部勤務から、大物シャンソン歌手越路吹雪(こしじふぶき)のマネージャーに転じ、越路吹雪のためにオリジナル訳詞を創ったのである。越路吹雪は宝塚出身で、宝塚時代に二人は仲良くなった。

●(2)河は呼んでる(岩谷時子訳詞) 右側が原詞
  あの娘は河の 溢れる水よ      Ma petite est comme l'eau Elle est comme l'eau vive
  走れば子等は 追いかけてゆく    Elle court comme un ruisseau Que les enfants poursuivent
  走れ 走れ 流れのように       Courez, courez  Vite si vous le pouvez
  誰にも 掴まらぬよう          Jamais, jamais Vous ne la rattraperez

  そよ風ふけば 子羊つれて       Lorsque chantent les pipeaux Lorsque danse l'eau vive
  あの娘はいつも 森へ出かける     Elle mène mes troupeaux Au pays des olives
  おいで おいで 羊の群よ       Venez, venez, Mes chevreaux, mes agnelets
  オリーヴしげる 水のほとりへ     Dans le laurier, Le thym et le serpole

  いつもあの娘が まどろむときは    Un jour que sous les roseaux Sommeillait mon eau vive
  若者たちが まわりを囲む       Vinrent les gars du hameau  Pour l'emmener captive
  しめろ しめろ ハートの鍵を      Fermez, fermez  Votre cage à double-clé
  溢れる水よ 早くお逃げよ        Entre vos doigts  L'eau vive s'envolera

  若者たちは あの娘が好きで      Comme les petits bateaux  Emportés par l'eau vive
  愛のながれに 小舟を浮かべる    Dans ses yeux les jouvenceaux  Voguent à la dérive
  漕げ 漕げ 恋の港へ          Voguez, voguez, Demain vous accosterez
  だけどあの娘は お嫁には早い    L'eau vive n'est  Pas encore à marier

  ある朝のこと 可愛いあの娘を     Pourtant un matin nouveau À l'aube mon eau vive
  やさしい声で 河が呼んでいた     Viendra battre son trousseau Aux cailloux de la rive
  お行き お行き 河は呼んでる     Pleurez, pleurez Si je demeure esseulé
  お前の河の 溢れる水よ         Le ruisselet Au large s'en est allé

●加山雄三の「お嫁においで」とどこか似かよう印象がある訳詞である。「お嫁においで」も、加山の曲が先にできていて、あとから岩谷時子が詞をつけたから、作業としては訳詞と同じだ。
岩谷時子の詞は、シャンソンの影響が強く、春夏秋冬の自然を歌詞にとりいれるのが巧みである。

●「お嫁においで」(岩谷時子作詞・弾厚作作曲) ※弾厚作は、加山雄三のペンネーム。
  もしもこの船で 君の幸せ見つけたら
  すぐに帰るから 僕のお嫁においで
  月もなく寂しい 暗い夜も
  僕に歌う 君の微笑み
  船が見えたなら 濡れた体で駆けて来い
  サンゴでこさえた 赤い指輪あげよう

  もしもこの海で 君の幸せ見つけたら
  すぐに帰るから 僕のお嫁においで
  波も夢を見てる 星の夜は
  僕に揺れる 君のささやき
  船が見えたなら 濡れた体で駆けて来い
  空へ抱き上げて 燃えるくちづけしよう
 
●「河は呼んでる」の歌詞を一変させるのは、子供向けの番組「NHKみんなのうた」である。
 中原美紗緒が最初に歌って大ヒットした歌詞は、映画の内容に沿ったものなので、映画を知らない人には意味がわからないところがいっぱいある。
 「オルタンスって何?」
 「やがてすべてが 流れの底に埋もれる? 何のこと?」
 ましてや子供となると、なおのこと。意味が理解できなくなる。それで、映画を知らなくてもわかる内容に変えられたと推理できる。
 「子供は、映画のストーリーなんかわからないから、いっそのこと、まったく別の訳詞にしよう」
 「それに、最初の訳詞は歌詞の一部をすり変えていて問題がある」
 ということになり、シャンソンなどを訳詞していた水野汀子に頼んだ。
 曲名も、このとき「河は呼んでる」から「河は呼んでいる」に変わり、歌詞も子供を意識してガラリと変わったのである。

●(3)河は呼んでいる(訳詞 水野汀子)  右側が原詞(1番のみ)

  そよ吹く風に 小鳥の群れは      Ma petite est comme l'eau Elle est comme l'eau vive
  河の流れに ささやきかける       Elle court comme un ruisseau Que les enfants poursuivent
  ごらんよ あの空 しあわせの陽が   Courez, courez  Vite si vous le pouvez
  あなたの上にも ほほえんでいる    Jamais, jamais Vous ne la rattraperez

  野ばらのかげに 小鳥はいこう
  森の泉も 静かに眠る
  ごらんよ あの河 ささやく声が
  わたしの胸にも 呼びかけている

  そよ吹く風に 小鳥の群れは
  河の流れに ささやきかける
  ごらんよ あの空 しあわせの陽が
  あなたの上にも ほほえんでいる

  ごらんよ あの空 しあわせの陽が
  あなたの上にも ほほえんでいる

●「NHKみんなのうた」が始まったのは、「い」抜きの「河は呼んでる」の歌がヒットした3年後。昭和36年(1960年)4月3日。放送時間は月曜から金曜までの毎日で、午後6時30分から35分まで。
 新しい訳詞をつけた「河は呼んでいる」が「NHKみんなのうた」に初めて登場するのは、番組開始から3年目の昭和38年春。4月・5月の木曜日に中原美紗緒が歌ったという記録がある。
 そのことを確認するべく、NHKに尋ねたところ、「『NHKみんなのうた』の歌集の1冊目(第1集)が資料として残っているが、誰が歌ったかは書いてない。昭和39年3月発売となっている。それ以外はわからない」との返事だった。
 中原美紗緒本人に確認するのが一番確実だが、彼女はすでに亡くなっている。
 訳詞が映画の内容を反映しすぎていることや、歌詞の一部が勝手にすりかえられているという問題はあったにせよ、大ヒットした歌である。しかもNHKは、紅白歌合戦でも中原美紗緒にその歌詞で歌わせている。
 そこまでしておいて、同じNHKがまったく別の歌詞に変え、それを同じ歌手に歌わせるという神経が、私にはよくわからない。
 その後も、同番組で「河は呼んでいる」は何度も取り上げられ、歌集にも掲載されてきた。
 こうして、中原美紗緒の当初の歌は、過去のものとして葬り去られるような形で消えていく運命をたどったのである。

(城島明彦)

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