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2009/07/09

あれから50年。〝NHK紅白歌合戦7年連続出場歌手〟中原美紗緒「河は呼んでる」の歌詞が消えた謎を追う [その1]

 誰にも、はるか昔に聞いた歌をもう一度聞きたくなるときがある。
 私の場合は、中原美紗緒(なかはらみさお)の「河は呼んでる」(「呼んでいる」ではない)がそうだった。
 シンプルで覚えやすいワルツの曲を、中原美紗緒が透き通るような美しい声で歌って大ヒットした歌である。今から半世紀も前の出来事だった。
 この歌のレコードには、異なる3つの訳詞が存在し、興味ひかれる謎めいた話がある。

●中原美紗緒という名前を聞いても、「誰?」という人が多くなった。
 彼女は東京芸大の声楽科出のシャンソン歌手で、昭和30年代(1955年~64年)に活躍し、NHKテレビの連続ドラマ「バス通り裏」の主題歌を歌い、紅白歌合戦に7回連続して出場するなど活躍したが、1997年夏に65才の若さで亡くなった。
 「あんみつ姫」(倉金章介原作の同名マンガのドラマ化)の主役で、映画にも何本か出演した。
 彼女が歌った深夜の映画劇場(マルマン映画劇場)の冒頭に流れる「夜は恋人」という曲もヒットした。
 (蛇足:マルマンは、国産初のガスライターを売り出し、その後、ゴルフ用品や禁煙パイポで知名度を上げた会社。創業者か片山豊。衆議院議員の片山さつきは、舛添要一と離婚後、片山豊の息子で元社長の片山龍太郎と結婚している)

●中原美紗緒は、中原淳一の姪っ子である。
 中原淳一の名は、年配の女性なら大概(たいがい)知っている。若い女性でも、彼の描いた挿絵の画風を見ると、「この絵なら見たことがある」と思う。
 中原淳一は、竹下夢二のような抒情的な女性の絵を描いた画家・挿絵画家であったが、それだけでは満足せず、少女雑誌「それいゆ」「ひまわり」を創刊するという異才の持ち主で、その表紙を自ら描いた。彼が描く少女が身につけたファッションは少女たちから圧倒的な支持を集めた。
 「ひまわり」や「それいゆ」は何度か復刊され、今でも目にすることができる。

●「河は呼んでる」は、彼女が紅白歌合戦に3回目に出たときに歌った曲で、今日でも子供のピアノ教則本やフルートやギターの教則本にも載っていて、かなりポピュラーな曲といってよい。歌の本やギター教則本に載っている歌の題名は「河は呼んでる」と「河は呼んでいる」の2つがある。
 「い」をつけるかつけないかなど、どうでもいいじゃないか、と思ったら大間違いだ。「い」がついているのとついていないのとでは、大違いなのである。

●現在、中原美紗緒が歌ってレコード化し、大ヒットした「河は呼んでる」を収録しているCDは、かつてのSPレコード音源からCD化した全集(絶版)など、そのほとんどが絶版になっている。
 そういう状況下で、私は、この歌が収録されている「Music Life~栄光のポップス・ヒッツ~」(キングレコード)というCD(全部で40曲入っている)を見つけ、買った。
 「河は呼んでいる」だけを聞きたいのであって、ほかの曲は聞きたくもなかったが、You Tubeにアップされていない田代みどりの「パイナップル・プリンセス」が入っていたのと、定価が3200円と手ごろだったから、「まあ、いいか」と思って買った。

●割安なのはよかったが、冒頭のフランス語の歌詞が4箇所も違っている歌詞カードにはまいった。
 viteをvinte と誤記したり、rattraperezのtが1個しかなかったりするのは愛嬌だとしても、どう聞いても中原美紗緒が「ヴェネ、ヴェネ」と歌っているようにしか聞こえない個所が「Jenez,Jenez」となっているのはひどい。(これについては詳しく後述する)

●私は、学生時代にフランス語を教養課程で2年間学んだ程度で、その後はまったくご無沙汰しているので、フランス語の知識は怪しい限りだが、中原美紗緒の「ヴェネ、ヴェネ」(venez,venez)という発音が気になり、原詞にあたってみた。
 原詞を書いたのは、ギイ・ベアールというシンガーソングライターで、彼は作曲もし、自ら主題歌も歌ったのである。この歌はシャンソンらしくなく、フォーク調という点も異色だった。それが幅広い層に好まれた原因かもしれない。

●このシャンソンらしくないフォークっぽい感じの曲が世界的に流行ったのは、昭和33年(1958年)で、この年封切られたフランス映画「河は呼んでる」(「呼んでいる」ではなく、「呼んでる)」の主題歌として歌われた。映画もヒットしたが、主題歌は爆発的にヒットした。
 フランスのフィガロ紙は、この映画を「控え目で、感動的で、明解で、しかも残虐なユーモアを帯びたこのシナリオのもつ詩に感激しないものはあるまい」(5月6日付)と絶賛し、フランス文部省推薦となった。

●「河は呼んでいる」の原詞を見てわかったのは、中原美紗緒が歌っていた歌詞の「1番の出だしのフランス語は、一部が原詞と違っている。2番の歌詞の一部を勝手に1番に持ってきている」ということだった。
 1番の原詞で、Jamais, jamais,(ジャメ、ジャメ)となっている個所を、2番の歌詞であるVenez, venez,(ヴネ、ヴネ)に変えているのだ。今なら、著作権法上、アウトだが、それ以前に、この2つの言葉は意味がまったく異なる。
 Jamaisは、原詞では「後の文章に否定を伴う用法」として使われている。
   Jamais, jamais, Vous ne la rattraperez  とても、とても、あの子はつかまらないよ
 これを、勝手に次のように変えたら意味が通じなくなる。
   Venez, venez,  Vous ne la rattraperez   おいで、おいで、あの子はつかまらないよ
 意訳するといっても、ここまでやるのは問題である。
 原詞を無視して訳したのは、音羽たかしという作詞家。
 この人が悪いのか、音楽プロデューサーが悪いのか、ディレクターが悪いのか?

●音羽たかしとは誰か? 「音羽」が、キングレコードの本社のある文京区音羽にちなんでいることは容易に想像できる。名前の「たかし」は、そこが高台だったということに引っ掛けていることも想像がつく。それともう一つ、「音は高し」(音楽は高らかに、といったような意味)というシャレでもあるのだろう。
 この音羽たかしなる人物は、キングレコードに所属したザ・ピーナツ、ペギー葉山らが歌った海外のポップスの訳詞を多数手がけているが、キングレコードの複数社員の総称であって特定の個人ではない。いわば匿名というか覆面作詞家である。だからといって、無責任な訳をしてよいわけではない。

●中原美紗緒が歌ったシングル盤レコード「河は呼んでる」は、キングレコードから350円で発売された。
 ジャケットは、羊が群れているアルプス山麓の牧草地の岩に主人公の少女「オルタンス」が右向きに腰かけて、足を小川にひたしている写真が使われている。映画のワンシーンだが、レコードジャケットでは、足元の小川の部分がカットされている。
 ジャケットでは、オルタンスの足元(右下)にも中原美紗緒の顔写真が丸窓にはめ込んである。
 そして右上にある山には、男たちが5人集まった(これも映画の)一場面が横長に小さくはめ込まれている。
 このことからわかるように、音羽たかしの訳は、映画の内容を反映したものになっている。

●(1)「河は呼んでいる」(訳詞 音羽たかし) 最初の歌詞
 中原美紗緒が歌って大ヒットし、NHK紅白歌合戦で彼女が歌った歌詞を、ジャケットに記されたレイアウトで以下に再現する。

  Ma petite est comme l'eau
  elle est comme l'eau vive
  elle court comme un ruisseau
  que les enfants poursuivent
  courez, courez, vite si vous le pouvez
  venez, venez, vous ne la rattraperez

  1)デュランス河の 流れのように
   仔鹿のようなその足で
   駆けろよ 駆けろ かわいいオルタンスよ
   小鳥のように いつも自由に

  2)岸辺の葦(あし)に 陽はふりそそぎ
   緑なす野に オリーブ実る
   駆けろよ かけろ 可愛いオルタンスよ
   心ゆくまで 子羊たちと

  3)やがてすべてが 流れの底に
   埋もれる朝が 訪れようと
   ごらんよ ごらん かわいいオルタンスよ
   新しい天地に あふれる水を

●中込純次(フランス文学者)の訳
 原文に忠実な訳を紹介する。
   可愛いあの子は水のようだ    Ma petite est comme l'eau
   あふれ出る水、湧き出す水    Elle est comme l'eau vive
   あの子は走る河のように      Elle court comme un ruisseau
   それを子供が追いかける      Que les enfants poursuivent
   駆けろ。駆けろ            Courez, courez 
   どんなに早く走っても         Vite si vous le pouvez
   とても、とても            Jamais, jamais
   あの子はつかまらないよ      Vous ne la rattraperez

 これは1番の歌詞だ。原詞は全部で5番まであるが、「デュランス川」というフランス語は出てこないし、村がダムの底に沈むことを暗示した「すべてが流れの底に埋もれる」という言葉もない。「オルタンス」という少女の名前も出てこない。
 つまり、音羽たかし訳の歌詞は、映画のストーリーをうまく盛り込んだ内容なのである。おそらく映画の配給会社の要請もあっって、そうなったと推測できる。
 したがって、この映画を観ていない人や、年月が経って映画のことを知らない人たちが増えてくると、歌詞そのものの意味が理解できなくなってくる。

●ジャケットの裏には、歌詞(訳詞)以外にも歌の解説が載っている。今日ではわからないことも書かれているので、以下に引用する。
《 映画「河は呼んでる」(58年度、カンヌ映画祭出品作品)に主役として、登場するパスカル・オドレ(注:原文のまま)の名前は、演劇ファンの皆様にはおなじみ深い事と存じます。昨年秋(57年)、「アンネの日記」主役アンネに抜擢された当時無名のこの少女は、モンパルナス劇場の舞台に立ち大成功を収め、映画より一足先に舞台で有名になってしまいました。
 この映画の主役、オルタンスに扮する彼女のナイーヴな美しさと演技とは、わが国でも話題になる事でしょう。
 アルプスからプロヴァンスへと、ゆたかな流れを運ぶデュランス河と、そこに建設されて行くダム工事、更に湖底に沈む運命を負はされた渓谷の美しい村々が背景となって物語は展開されます。
 少女オルタンスは、デュランス河の化身ともいうべきで、人工的に変型されつつも、なお深い自然のふところを流れつづける河の姿は、そのまま少女が迫害、束縛、破壊にもかかわらず、自由と純潔を守りつづけて行く姿に通ずるものでしょう。
 映画ではギター1本によって、この河の乙女オルタンスのライト・モティーフが奏でられますが、この曲の持つ素朴で、しかも劇的な要素が観る者の心を強く打ちます。映画音楽として取り上げてみても最近出色の作品と申せましょう。作曲のギイ・アベールはモンマルトルの有名なミュージック・ホール「3匹のロバ」で歌っていた良い歌手で、この作曲で一躍有名になりました。
 レコードは無論少女オルタンスとデュランス河の清冽な流れを描写したこの映画の主題歌で、中原美紗緒の唄も清々しいリリシズムを盛り込む事に成功した、最近の傑出盤と申せましょう。 》

●映画の原題は、「L′EAU VIVE」で、主題歌は、これをそのままつけた。
L′EAUは「水」(最初のLは冠詞)、VIVEは英語のビビッド(vivid)に該当するフランス語で「生き生きとした」「活発な」という意味である。
 インターネットで調べてみると、現在、世界中に「L′EAU VIVE」という名前のホテルやレストランが多数存在し、海外ではとてもポピュラーな言葉であることがわかる。
 しかし、そのまま訳しても映画のタイトルにはふさわしくないので、意訳してロマンチックな感じのする「河は呼んでる」になった。
 映画「河は呼んでる」とその主題歌「河は呼んでいる」の河は、フランスのプロヴァンス地方を流れているデュランス河をさしている。
 プロバンス地方は、何年か前に日本でも観光地として注目を浴び、同地方のことを記した本が何冊も出たこともあり、今日では比較的よく知られた地名となっている。

●アルプス山脈を源流とするデュランス河は、〝暴れ河〟で、やたら氾濫を繰り返したので、ダムを作ることになり、そのあたりの村はダムの底に沈むことになる。
 そういう実話をヒントにして1956年に創作された映画が「河は呼んでる」(邦題)である。
映画の主人公は、黒髪が美しい少女オルタンス。彼女を演じたのがユダヤ系フランス人のパスカル・オードレ(ジャケットでは「オドレ」)。
 この映画の主人公は、デュランス河そのものであり、河の化身ともいうべきオルタンスである。
 映画の原作者ジャン・ジオノは、デュランス河の清烈で美しい流れと、身内の人間の醜い争いに触れて人間的に大きく成長していく姿を重ね合わせて描いた。

●パスカル・オードレは、13歳のときに映画「河は呼んでる」の主人公を探していた監督のフランソワ・ヴィリエに見いだされ、銀幕デビューを果たすのだが、「河は呼んでる」は、ダムの工事に合わせて撮影が進んだため、4年もの歳月を要することになる。
 企画がスタートしてから完成するまでに4年もの歳月をかけたこの映画の主役にオードレが抜擢された理由は、原作者ジャン・ジオノのイメージにぴったりだったからである。

●パルカル・オードレは、1936年にパリ郊外のヌイイ・シュル・セーヌで生まれ、幼少時にはスペインでも暮らした。
 彼女は、俳優のオリヴィエ・ユスノに勧められて、ノクタンビュエール劇場所属の「ピエール・ヴァルトの演劇講座」を受講し、演技の基礎を学んだ。そして、端役(はやく)ではあったが、「メイジャー・トムプソンの手帖」「現代娘」の舞台に出た。
 映画出演も、「河は呼んでる」が最初ではなかった。それ以前に、「二人で一対」「(1952年)、「未来のスターたち」(1955年)、「パリのマネキン」(1955年)などにも端役で出ているが、ほとんど無名であった。
 「河は呼んでる」を撮影中、彼女には別の幸運が訪れる。1957年秋、舞台劇「アンネの日記」のアンネ役に抜擢され、パリの「モンパルナス劇場」の舞台に立つのである。アンネ役で彼女は一躍有名になり、「河は呼んでる」の成功は、その時点で約束されたようなものだった。
 
●「河は呼んでいる」は撮影中からフランス映画界・演劇界の注目を集め、彼女は撮影中に、アンドレ・カイアット監督の「眼には眼を」にも出演することになる。彼女は、美しい黒髪、大きな黒い瞳を買われてアラビア人の少女役だった。
 「河は呼んでる」で注目を浴びた後、彼女は、ピエール・シュナル監督の「危険な遊び」(1957年公開)に主役で出演した。しかし、「河は呼んでる」以上の評価をえることはできず、その後もつらい女優人生を歩むことになる。
 彼女の以後の出演作品は、「俺は知らない」(準主役級・1963年)、「カラカス12時5分前」(準主役級、ディズニー映画、1967年)、「自由の幻想」(脇役、1974年)、「ポケットの愛」(脇役、1977年)である。

●ここで話は飛ぶが、パスカル・オードレはやがて結婚し、女の子を生む。その子ジュリー・ドレフュスは成人して、お母さんそっくりの美人になり、フランスでモデルとして活躍する。
 彼女もまた、黒髪美人。しかも、日本語がぺらぺらだったことから、NHKの「フランス語講座」の助手に抜擢されて注目を集め、資生堂のCMや映画「遠き落日」などにも出演したので、知っている人は多いはずだ。しかし、きれいすぎて、今一つファンは増えなかった。
 「遠き落日」は作家渡辺淳一が書いた野口英世の伝記を映画化したもので、彼女は渡米した英世と結婚するアメリカ人看護婦の役を演じた。その後、彼女は、活躍の場をハリウッドに移している。この映画は2回見たが、印象に残っていないところをみると、映画自身の出来も彼女の演技もあまりたいしたものではなかったのだろう。
(以下、[その2]に続く)

(城島明彦)

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