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2009/04/21

長門裕之の〝痴呆度〟と南田洋子

 昨晩(4月20日)のテレ朝「ドキュメンタリ宣言」(PM7時から)は、昨年放映された「介護される南田洋子」の第2弾ということだったが、番組中に何度か強調されていたのは、
「あの番組は、長門裕之からの申し出で制作されるにいたった」
 ということであった。
 その理由として、「認知症の人たちへの励ましになればいい」というのが主たる製作意図らしい。

 あの番組を観た、長門裕之や南田洋子と同世代の人た何人かに聞いてみたが、いずれも、
「励ましにはならない。南田洋子のあのような姿は見たくなかったし、見せるべきではない」
 ということだった。

 であるなら、長門裕之の感覚が、世間の感覚と大きくズレまくっているのであって、そういうズレた考え方をすんなりと受け入れて放送したテレ朝の感覚も、また世間の感覚とはズレているということになる。
 そういう番組が視聴者の共感を呼ぶはずもない。
 
 「ドキュメンタリ宣言」という番組を生み出した発想は買うが、そうそう珍奇な素材が転がっているはずもなく、毎週毎週、違ったテーマを採り上げるというスタンスに無理はないか。
 その結果、「川島芳子」も中途半端の不発、長門裕之の「老々介護」もまた救いようのない駄作。

 こういう調子でやっていけば、番組の〝ジ・エンド〟は近いように思える。

 長門裕之が「記録マニア」であることはよく知られている。彼は、8ミリ撮影機で、仕事関係やプライベート関係のさまざまな出来事を撮影して残してきた。それらのなかには歴史的に貴重なものもいっぱいあるだろう。彼はまた、映画の名作も16ミリのものをたくさん蒐集しているように記憶している。
 
 そのような感覚で考えると、今回の番組も、愛妻の単なる記録写真の延長ということになる。

 テレビ画面に映し出される彼女が、南田洋子であるということを知らなければ、76歳にしては老け過ぎた感のある、どこにでもいる、昔はちょっと綺麗だったろうなと思わせる、ただの痴呆症のおばあさん。そう映るだろう。

 しかし、彼女は、女優である。しかも、今の彼女は、正常な判断力を欠いている。
 テレビの映像で見た限りでは、彼女は、夫に献身的に介護される自分自身の姿が、午後7時という時間帯に全国津々浦々の家庭に流されるという意識がない状態であると考えられる。

 正常な判断ができなくなっているにもかかわらず、彼女は、テレビ画像で見る限りは、家でも病院のベッドの上でも、カメラをまったく気にしていなかった。長年の職業意識、習性がそうさせたのだろう、と思うと悲しいものがあった。

 長門裕之は、彼女をたんなる妻としか見ていない。その意味では、夫婦愛という点で素晴らしいとしかいいようがないが、南田洋子は、「女優」としていろいろな役柄を演じることで「人々に夢を与える仕事」をしてきた女性だ。

 私は、往年の南田洋子のファンではないが、彼女が認知症になり、実年齢よりはるかにふけけ込んだスッピンの映画女優を見るのはしにびない。

 もし彼女の脳神経が正常に作用していたとしたら、どんなに老いていたとしても、自分の気に入るように髪を整え、納得がいくまで入念に化粧して、カメラに映ろうとしただろう。

 長門裕之には、そのあたりの感覚が抜け落ちている。

 山口百恵と三浦友和の息子が芸能人としてデビューし、芸能記者たちから山口百恵のことを聞かれて、「母がテレビに映っているという感覚」と答えていたが、長門裕之も、そういう感覚しかないのだろう。

 似たような感覚ではあっても、山口百恵の息子と長門裕之とでは、置かれた状況が百八十度ほども違っている。長門裕之は、そういうことにも気づいていないのではないか。

 彼が気づいていないなら、まわりの誰かが教えてやるべきであろう。
 
(城島明彦)

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コメント

 ご無沙汰しております。

 記事、楽しく読ませて頂きました。実は私の母も若年性アルツハイマーです。もちろん女優ではありませんし、父も俳優ではありません。実はこの番組も見ていません(というより、ついついテレビを消してしまうんですよ…)。

 しかし、このような不幸で大変な生活を送らざるを得ない状況で、果たして夫が妻の姿を第三者に晒すであろうか…?という点に大きな関心を持ちました。記事の本筋からは外れますが、宜しければお読み下さい。


 私の父はどちらかというと目立つのは嫌いだし、真面目にひっそりと働くことが全てな人物です。父に同じ機会が与えられたらどうするだろう…?そんなことを考えながら記事を読みました。

 結論から申し上げますと、父が長門氏の立場でも、妻の日常を晒すでしょうね。

 長門氏とは狙いが違うかも知れません。しかしやります。きっと。息子である私にはよく分かります。理由は、この病気がどんなものだか、周りの人々に知って欲しいからです。これだけ認知度の高い病気でも、家族がボケるまでは皆興味を持ちたくないんですよね。

 母が病気で別人のようになってしまってからというもの、まず親戚が極端に我が家を訪れなくなりました。電話すら掛かってこなくなりました。現実と対面するのが怖いのだと思います。

 それだけなら構わないのですが、たまに法事などで仕方なく会うと、彼らは父の介護方針にあれこれ口出しし、

「そうじゃない、こうすべきだ!」
「それは違う、○○(母)が不幸だ!」

などと父を批判する。時には人格をも否定するかのように。何を根拠に言っているのかと思えば、所詮はテレビや新聞から仕入れたような教科書通りのことなのです。同じ病気の患者が集まって遊ぶ施設に行くべきだ、本人が行きたがらない(?)のに、旅行に連れて行くべきではない、など、一般論過ぎるほどに一般論な批判ばかり。それらの通りにするのが唯一無二の介護方針なのだ、と。

 冗談じゃありません。実際に母と向き合い、24時間一緒に過ごし、根気よく対話(になっていませんが…)している父が、最も何をすべきか分かっている、そういうものなんです。母が望む通りにしてあげている父に向って、現実を知ろうともせずよくそんなことが言えるな!と怒りを覚えます。そういう人物に限って、今回の南田洋子女史の番組なども見ようとしないんですよ。父曰く、やはりこういう状況で付き合えるのは、身内に同じ病気の人を持った経験のある人たちだけのようです。

 私も息子として父同様、母の面倒を仕事をしながら見ていますが、父から最も望まれていることは、とにかく母に話し掛けてあげて欲しい、ということ。現実を理解して、自分(父)がいかに接しているのかを理解してほしい、ということだそうです。それだけで(現在のところは)気持ちが救われるのだ、とよく言われます。

 ですので(まず機会はありませんが)もし、テレビを通じて父が毎日母の世話をする姿を、間抜けな親戚連中に見せることが出来るなら…こんなに爽快なことはない、そう思うでしょうね。


 少々重い内容になってしまい済みませんでした。

投稿: サトミタダシ | 2009/04/21 22:39

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