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2009/04/19

テレ朝「〝男装の麗人〟川島芳子は生きていた」の超インチキ加減

 「川島芳子が生きていた」という話で、おかしいと思うことがいくつもある。

 「〝戦後最大のスクープ〟などと誇大宣伝したテレ朝のドキュメンタリー番組『〝男装の麗人〟川島芳子は生きていた』(4月13日放送)は、テレ朝の〝ご都合主義的・マユツバ・でっち上げ番組〟の色彩がきわめて強い」
 というのが、私の見方である。

 なぜそういえるかを、同じ「よしこ」のよしみで親交を深めたといっている「李香蘭」こと元国会議員の山口淑子(大鷹淑子)を中心にした観点から、チェックしてみたい。

 (1)親中派と呼ばれる日本の政治家には、中国との国交を回復した田中角栄と娘の田中真紀子、故橋本龍太郎、リタイアした野中広務、河野一郎の息子の河野洋平、満州国大連生まれの〝エロ拓〟こと山崎拓とその盟友だった加藤紘一らがいる。

 公明党、社民党、共産党も中国と親しい。テレ朝はそちら方面の取材をきちんとしているのか。

 しかし、前記の政治家たちのなかで、第二次大戦中に日本人スパイとして中国本土で暗躍した川島芳子が生きていると、公に発言した者は誰ひとりとしていなかった。戦後60数年も経っているのに。

 存命中、男と女として、彼女と付き合ったことがあると公言していた故笹川良一(日本船舶振興会の創設者)も、1942年から戦後の1946年まで国会議員をしていたから、「戦後最大のスクープになること」なら、財力にあかして調べたはず。
 しかし、彼は、川島芳子が生きていることを知らずに死んでいった。

 中国と政治的なパイプがある国会議員が、誰ひとりとして、川島芳子が生存していたことを知らなかったというのは、きわめて不自然である。
 もし本当に生きていたのなら、特に山口淑子が知らなかったというのは、信じがたい。
 生存していたのなら、彼女の親分だった中国との国交を回復した田中角栄が知らなかったはずはない。もし知っていたら、田中真紀子にも話しているだろうが、あのおしゃべり女が黙っているはずもなかろう。

 (2)山口淑子は、日本人だが、中国の撫順で1920年に生まれ、しかも、父親が「満鉄」(南満州鉄道)の中国語教師であったことから、幼いころから中国語を話し、成人して「李香蘭」という芸名で「満映」(満州映画協会。満州国の国策映画会社)の主演女優としてデビューしても、中国人は彼女が日本人であるとは思わなかった。

  映画女優  李香蘭(1938年~1945年) 山口淑子(~1958年)
  司会者   1969年~74年
  国会議員  1974年

 山口淑子は、田中角栄に口説かれて、自民党の国会議員に当選したが、議員になる前は、フジテレビの昼のワイドショー「3時のあなた」の司会者を5年間していた。

 フジ・サンケイグループの取材力をもってすれば、川島芳子が生存しているか否かを確かめるぐらいのことは簡単にできたはず。

 (3)山口淑子は、日経新聞の「私の履歴書」に自分の過去を書き、そのなかで、川島芳子との親交にも触れているが、そこでは通説どおり、「川島芳子は処刑された」として片づけている。

 もし山口淑子が、川島芳子が生きていると知っていて、そう書いたとしたら、なぜ「死んだ」と書いたのかを追求されることになり、彼女の人生そのもの、考え方そのものにまで疑問符がつき、晩節を汚すどころの騒ぎではなくなってしまう。
 そういうことをする必要が彼女にあるのか、と考えてみる必要がある。

 山口淑子は、生前の川島芳子をよく知る重要なキーマンの一人である。「戦後最大のスクープ」とまでいうのなら、山口淑子を徹底取材しなければならない。
 しかし、テレ朝の番組では、山口淑子を取材していながら、高齢のため短時間の取材しかできなかったと弁明し、鋭く追及していない。そこにも問題がある。

 (4)川島芳子は、戦時中に女でありながら男の格好をし、かん高い声で自分のことを「僕」という芝居がかった「日本人スパイ」となった中国人、それも、ラストエンペラー(満州国皇帝)の血族の一人というA戦戦犯に近い人間である。
 
 「売国奴として処刑されたはずの彼女が、実は、身代わりを立てて逃げ、ひっそりと生きのびた」
 という筋書きを描くには、戦後の中国は余りに不向きな土地柄だった。
 
 文化革命の頃の中国は、たとえ過去をひた隠して片田舎に身をひそめていても、チクル(当局に通報する)者が後を絶たなかった時代である。
 無実の者がどれだけ殺されたかしれない。生き延びること自体が不可能、と考える方が自然だ。

 (5)ともに暮らしたという、血のつながりはない孫娘が、水彩画に描いた晩年の川島芳子とされる老婆の髪は、短髪であった。
 川島芳子は、若い頃から短髪だったから合致しているように思えるが、過去の自分を捨てて他人になりきり、ひっそりと生きようとした人間が、果たしてかえって目立つような髪形をするかどうか。

 その孫が、たばこを買ってきてほしいといわれて出かけ、帰ってきたら、川島芳子と思われるその老婆は、杖を突いて立ったまま死んでいたというのも、「白髪三千丈」の中国ならではの誇張ととれなくもない。

 (6)テレビでは、愛新覚羅家の生存者が「金の延べ棒を使って、処刑関係者たちを買収した」といっていたが、その延べ棒は、当局に押収されずにどこに隠し持っていたものなのか。
 その出所は?

 延べ棒をいくつも出したら、「もっとあるだろう」と思われ、その人間は襲われ、強奪される危険性すら出てきたはずだ。

 番組の取材クルーは、その人物のいうことを全面的に信じ、そのまま映像として流していたが、世紀のスクープとするためには、次の2つのことを確認しておく必要があった。

 一つは、その延べ棒の出所をきちんと確かめる取材である。

 もう一つは、その金の延べ棒で買収されたという人間が何人もいたというのであるから、そのうちの1人や2人を探し出して証言させるという作業だ。
 
 それができないまでも、買収された人間を特定することは必要である。

 (7)身代わり処刑の現場には、アメリカ人の新聞記者2人しか立会いを許されなかったと番組では報じ、日本人記者を立ち合わせると川島芳子ではないということがわかってしまうからということを暗に臭わせようという演出だったが、たとえ川島芳子が日本人の養女として育った(入籍はされていなかった)という過去があったとしても、中国人であることに変わりはなく、その中国人を中国人が「売国奴」として裁き、処刑するのに、敗戦国となった敵国の記者を立ち合わせる必要などどこにもない。
 
 そのアメリカ人は、仮にもジャーナリストである。当局の発表を、そのまま鵜呑(うの)みにするとは、考えにくい。
 
 彼らは、どのレベルのジャーナリストであったのか。名前を特定することは、今でもできるはず。まだ存命していうかもしれないし、死んでいるなら、遺族に会って話を聞くということも必要なはずだが、テレ朝はそれもやっていない。

 そのくせ、「世紀のスクープ」だの「戦後最大のスクープ」だのと、よくいうよ、である。

 アメリカ人記者は、顔に血がついていたから本人であるかどうかがよくわからなかったということだが、テレビで映し出された身代わり処刑された女性の遺骸写真の顔には、人権上の理由から「ぼかし」が入ってはいたが、人相がわからないほど破壊されたものではなかった。

 コンピュータ解析という手法で、身代わりといわれる人間の骨格と川島芳子の生前の写真の骨格とを比較するということをしなくても、処刑された人間の顔を復元した方が簡単だった。

 しかし、そうすると、そこで番組は終わってしまう。川島芳子の骨らしきものが見つかったということから、「骨」にフォーカスを合わせたのだろうが、このあたりの手法も、いかにも安易である。

 アメリカ人ジャーナリストは、処刑された川島芳子が身代わりだと見抜けたら、それこそスクープ記事をアメリカに送信できただろう。
 「戦時中は〝男装の麗人〟といわれて、男の格好をしていたいた」とか、「満州国のラストエンペラー溥儀の親戚の王女である」とか、その手の情報をまったく知らなかったということも考えにくい。

 生前の写真ぐらい、簡単に入手できるはずだ。とすれば、処刑に立ち合った時点で「別人」であることがわかったはず。彼らもまた、彼で買収されていたとでもいうのか?

 2人のアメリカ人ジャーナリストが、誰と誰で、どれくらい現地に駐在し、どのような記事を書いていたのか。そういうことも調べずに、勝手な推論をしてはいけない。

(8)獄中ですでに死んでいたとするほうが、もっと面白い推理である。「売国奴」といわれていたのだから、中国人の憎しみは強く、処刑前に誰かに殺された可能性はゼロではない。もしそうであれば、処刑に別人を用意しないといけなくなってくる。
 テレ朝のように我田引水に発想すれば、そういう推理だって成り立たなくはないのだ。

(10)川島芳子といわれる女性の複数の遺品を番組は映しだしていたが、それらのなかには、DNA鑑定できる髪の毛や皮膚の一部もあるはずだ。
 一方、本物の川島芳子が残した遺品を探し出して、それをDNA鑑定し、両者が合致して初めて、「〝川島芳子は生きていた〟という新発見の事実」が証明されるのである。
 
 番組クルーは、そうしようとして、中国の寺にあった「川島芳子のものらしいと判断した遺骨」のDNA鑑定を行なったが、まったく別人であるとわかったようだ。

 しかし、その間の経緯は紹介されず、番組の最後で、合致しなかったということをさらっというにとどめた。

 お粗末きわまりないとは、このことだ。

(城島明彦)

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