秋葉原電気街の上空にUFOを見た!
子供はみんなそうだろうが、私も子供の頃、UFOやお化けの存在を信じていた。
UFOについては、小学6年の冬、壊れてしまった古い真空管ラジオを自転車の荷台に載せて電気屋へ修理に持っていった帰り道で見た。
その物体は、はるか上空をオレンジ色の灯りを点滅させながら、ゆっくりとしたスピードで飛んでいた。
翌日、学校でその話をすると、「自分も見た」というクラスメイトが一人いた。
UFOの異動時間を考えると、その子の見た方角と時間は私が見たそれと同じと考えられた。
その子は理科が得意で、大人が読むような電気関係の雑誌を日頃から読んでいたから、間違いないと思った。
しかし、もっと大人になって、私たちが目撃したのは、ただの飛行機の灯りであったことを知った。
けれど、大学生になって以後も、UFOやネスコの怪獣はいるかもしれないと思っていた。
そう思わせたのは、テレビ番組である。特に日テレは、頻繁にそういう番組を流した。番組のディレクターは矢追純一氏であることがほとんどだった。
特に大橋巨泉が司会をした日の「11(イレブン)PM」で流されることが多かった。ゴールデンタイムでの特番も、彼のディレクションでたくさん作られた。矢追氏は、番組を作っただけでなく、解説者としても自ら登場した。
彼はUFO界のカリスマだった。私は、そういう番組が好きで、いつも見た。
しかし、科学が急速に発達し、UFOや未知の怪獣などといわれてきた写真や映像がインチキであることが次々と見破られると、その手の番組は次第に姿を消した。
そして矢追氏の出番もどんどん少なくなり、現役を引退したこともあって、遂には見かけなくなった。
一九七〇年代の終わりだったと思うが、私は秋葉原電気街でUFOを見た。
冬の昼日中のことで、何人もの目撃者が出た。
それは、銀色の楕円形の物体で、不可思議な動きをしていた。
その頃、私はエレクトロニクスメーカーに勤めていて、商品の販促のために、1か月間、秋葉原駅前の電気店に応援にいっていた。そのときの話だ。
最初に見つけたのは私で、店員にも声をかけた。
数人で空を見上げて、ああだこうだといっていると、通行人も足を止め、空を仰いで、「本当だ、UFOだ」などと騒いだ。
その様子を見て、私は思った。
「そうか。こうやってUFOの目撃談は生まれ、広がっていくのか」
そのUFOの正体を知っているのは、私だけだった。
私が飛ばしたのだから、知っていて当然である。
その未確認飛行物体の正体は、販促用の銀色の風船だった。
アルミホイルのような材質でできている穴のないドーナツ型の風船で、なかにはヘリウムガスが入っていて、宙に浮かぶ。細いヒモがついているので、その先を手に持つようになっている。
秋葉原電気街の上空を怪しげな動きをしながら、奇妙な動きを繰り返し、やがて消え去ったUFOの正体は、その風船なのである。
その30分ぐらい前に、私は、銀色の風船を持っていた幼児が誤って手をはなしてしまったために、飛んでいってしまう現場を目撃していた。
しかし、その行方を追いかけなかったことから、後刻、ふと上空を仰ぎ見たときに、「不可思議な動きをするUFO」を目撃することになるのである。
空に浮かんでいる未確認飛行物体は、幼児が手ばなした銀色の風船であることにと気づき、実験してみたら、やはり、そうだった。
数週間前、UFOを紹介しているテレビ東京の深夜番組があり、そこに矢追氏が出ていた。
そのなかで、明らかに銀色の風船とわかる物体が映し出されたとき、彼は迷うことなく、それをUFOだといった。
彼は、その昔、UFOのテレビ番組を制作し、視聴者を楽しませてきた。
彼はUFOの存在を本気で信じているようだが、その手の番組で紹介されたUFOなるものの正体は、すべて、私が見たUFOのたぐいか、マニアが人を驚かせたり売名行為のために作った「合成写真」や「チャチな特撮映像」である。
「矢追氏は、なぜ、いいかげんなことをいうのか」
そのことが長い間、わからなかったが、いまから十数年前に彼が『カラスの死骸はなぜ見当たらないのか』という本を出したときに、その疑問が解けた。
彼は無知なだけだったのである。
私は小学生のとき、カブトムシを採集にいった場所で、死んでいたカラスを見ているのだ。
その近辺には、普通の動物の腐臭とはまったく異なる「異様なくささ」が漂っていた。
強烈だったから、そのにおいを今でも覚えているが、そんなにおいは、以後、今に至るまで一度もかいだことがない。
動物は、死が迫ると、死に場所を求めて異動し、敵の目につかない場所に体を隠す。そうしないと、喰われてしまう。そのカラスも、おそらくそうしたのだろう。
先日、テレビのニュースで、大量のカラスが死んでいるのが発見され、「鳥インフルエンザ」が疑われるというニュースが報道されたのを知っている人も多いはずである。
それらのカラスが人目につくところで発見されたことは、身を隠す余裕もなく、死んだらしいと推測できる。
あるいは、天敵に攻撃された形跡がないなら、毒入りの同じエサを食べたのかもしれないし、遺骸が発見された場所のようなところで死ぬような神経・感覚になる病気に感染した可能性もあるかもしれない。
そういう風にして、原因を科学的に分析・究明していけば、たいがいの謎は解ける。
青春時代、矢追氏のUFO番組は、「まことしやかなウソやデタラメ」で結構楽しませてくれたが、今考えると、腹立たしく感じなくもない。
彼やテレビ局のスタッフが、ただ単に無知なだけだっただけなのに、「UFOの謎と正体」などという、もったいぶった番組で視聴者を騙していたことが腹立たしいのだ。
単なる娯楽番組、空想趣向の番組としてそうやるのはいいが、そうではなくて、NASAの資料だとか、CIAとかKGBの秘密文書と称するものまで引っぱり出してきて、オキュメンタリータッチの演出技法を用いて、説得力を持たせようとするやり方は、あざとい。
超能力者を海外から招いて、殺害された被害者を探そうとしたり、その犯人を特定しようとする番組など、まさにその延長線上にある。
日本史や世界史の過去の事件や出来事を、「謎」などと称して意図的に事実関係を歪めて番組に仕立て上げてしまう手法も問題がある。
「ただ知らないだけ」なのに、そのことに気づかず、「意外性があり、面白ければ、それでいい」「視聴率さえ稼げたらいい」という考えばかりが先行するあまり、「電報ゲーム」のように、事実誤認に事実誤認を重ね、針小棒大をでっちあげている民放のテレビ番組がいかに多いことか。
私は怪奇現象は嫌いではなく、『怪奇がたり』とか『恐怖がたり42夜』などと題する怪奇小説を書いているが、すべてフィクション。ウソ、デタラメの話を、まるで実際にあるように書くのが腕の見せどころだ。
SMAPの稲垣吾郎が司会をする怪奇特番は、何年も続いており、面白い。ただし、面白いというのは、怪奇な出来事を扱う〝ゲテモノ的娯楽番組〟としてであって、そのなかに必ず出てくる「除霊の儀式」は、タチが悪く、不快である。
祈祷師あるいは霊媒師と称する者が登場し、俳優やタレントに「霊が取り付いている」といって読経をし、霊を呼び出し、対話すると、タレントや俳優が苦しげな動作を示したり、何ごとかを口走るのであるが、そういう状態になるのは、催眠術にかかったからだ。
祈祷師は、最初はタレントや俳優の体に触れないが、催眠術が効かないと判断すると、体に触れる。そうやって、催眠状態に導いていくのだから、インチキもはなはだしい。
以前、その手の番組には、織田無道(おだぶどう)という僧が起用されていたが、彼が事件を起こすと、どの局も起用しなくなり、今は別の女性を起用することが多くなっている。だが、霊媒師として、やっていることは同じ。
今でも記憶に焼きついているのは、〝アッキーナ〟ことタレントの南明奈が、「除霊する」との口実で、女の霊媒師に強烈な催眠をかけられ、鼻水まで垂らして泣きじゃくった異様な光景である。
彼女のその表情をカメラがアップでとらえ、番組としては盛り上がるだろうが、明るく素直な感じの彼女をそこまでさせていいのか、と腹立たしさを覚えたのは私だけではあるまい。
催眠術をかけて交霊したり、除霊をするというのは、インチキである。
心霊写真についても同様。
やるなら、もっときちんとした科学的な分析をし、それでも原因が解明できないということを番組で見せるべきだ。
ポラロイド写真の機械やフィルムの弱点・欠点の結果として、光が入ったり、像がぼやけたりしていただけだったのを、さも怪奇現象であるかのように、まことしやかに解説する手法は、そろそろやめたらどうか。
ポラロイド以外のカメラで撮った写真にも、同様のことがいえる。
人物の手が写っているとか、その場にいないはずの人間が写っているというのは、私も小説のなかでは使っているが、実際にはありえない。
そういう現象は、たとえば、光の反射具合であるとか、写真の写り具合によるものであるといったように、科学的に徹底解明できるはずだ。
テレビ局なら、そういうところまで追跡できるはずなのだから、そこまでやって内容をレベルアップすべきではなかろうか。
前述の矢追氏のカラスの本だが、その本には「あなたの常識がひっくり返る本」という副題がついていた。
自分の常識不足、無知さかげんを棚に上げて、番組を作ったり本を書いてしまうパワーと商魂は脱帽ものだが、UFO物にしろ、怪奇物にしろ、彼のそういうやり方をまねたような「インチキくさい安手(やすで)のテレビ番組」を垂れ流している制作関係者には、「視聴者をなめるなよ」といいたい。
(城島明彦)
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